最後の助け 04
なりふり構わずミワは靴をさらうように拾い上げ、サエちゃんの元まで大股で駆け寄る。
「靴はいて、こっちから逃げるから」
「でもおうちの中だよ」
「いいから早く」
ミワは、サエちゃんに早口で言い聞かせる。
「いい? 窓から出たら道をまっすぐ走って、全速力だよ? お姉ちゃんが手をつないであげるからとにかく、走って」
「ゲーム持ってっていい?」
「何にも、持たないで。後からまた帰ってこられるから」
「どこまで走るの」
「助けてくれるおうちまで。二分かそこら、がんばろ」
ミワはカーテンから今一度、外をのぞく。相手は油断しているのか、確かにこちら側には誰も見えない。
サッシの鍵を開け、サエの手をしっかりとつかむ。「いくよ」
ふたりが飛び出したのと同時に、玄関のドアが内側にはね飛んだ。
「逃げたぞ!」
少しして背中のずっと後ろでそんな叫びが聞こえたが、ふたりはふり返らずにただ走り続けた。
角を曲がって真正面、目玉ババア宅の外壁が目に飛び込んだ。
「サエちゃん、あそこのおうちに入って」
ふり向いてサエちゃんに声をかける。が、サエちゃんはミワを飛び越して少し遠くを見ている。
そんなにも目玉ババアの家が不気味なのか、そう問いかけようとした時。
「ミワちゃん」
静かな声に、ミワはゆっくりと前を見た。
「トモちゃん……」
ミワは全身の力が抜けた。
叔母のトモエが、目玉ババアの門のすぐ前に立って、こちらに笑いかけている。
「ミワちゃん、どうしたの。その子は?」
「あのね、大変なの」
どこから話したらいいのか、喉元にことばの奔流が押し寄せ、思わず声が詰まる。
よろめきながらそばに寄ろうとした時、急に後ろからぐい、と手を引かれた。
サエちゃんが、真剣な目でミワを見つめる。
「あのおばちゃん、包丁を持ってる」
すでにトモエが、数歩のところまでやって来ていた。確かに、右手に何か握りしめ、それを背中に半分隠すようにしていた。
「トモちゃん?」
近づいてきたトモエは、確かに笑っていた。
しかし、目の中の光に気づき、ミワは背中にサエちゃんをかくすように寄せて、じりじりと後ろに下がった。
「トモちゃん……」
この目を見たのは、そう……病院で。
菅田吉乃の目と同じだ。
トモエはやさしい声で言った。
「たいへんだったみたいだね、早く来てあげられなくてごめん」
服が赤くて気づかなかったが、ぽつりぽつりと何かの飛沫がついている。
「どうして……その血」
トモエは自分の足もとに少しだけ目を落とした。サンダルの足先はもっと赤く染まっている。
すぐに彼女は目をあげた。
「オオタルさまの言う通り、たくさん殺さないと。さっきスミレ台で父さんを刺してきたんだ」
えっ、おじいちゃん? 問い直そうとした時トモエが続けた。
「あの人はね、ずっと正しいことを言ってた、ここに来るな、近寄るな……ただ、ボケてたから自分がずっと、元白鳥にいるって思いこんでたんだけどね」
「……ころしたの?」
「そうだよ、アンタにばらされたら元も子もないからね。次に、アンタにサシデグチをしているらしい、ってここのババアを刺そうと思ったら」
うろたえて目玉ババアの家の中を伺おうとするミワの前に立ちはだかり、トモエは右手を上げた……包丁を構えて。
「ちょうどアンタが来たから、よかった」
少しも良くはない。トモエは酔った口調で続ける。
「そこの子どもを出しな。口を封じておかないとね。アンタをオオタルさまに捧げなきゃ。アンタを豆腐石にするの。誰にも邪魔させない」
背後を駆けあがって来る靴音が近づいてきた。「いたぞ、あそこだ」
束の間注意がそれたトモエを、ミワはごめん! と力の限り突き飛ばした。トモエは外壁にぶち当たり、のぼりを数本ガラガラと巻き込んで路肩に倒れ伏した。
ミワはサエちゃんの手首をつかんで、後も見ずに目玉ババアの家に駆けこんだ。




