呪いと事件 02
事の真偽を確かめた者がいたのかどうかも分らない。
しかし、噂話というのはすぐに広まるものだ。
いつの頃からか、元白鳥で何か良くない事があると、たいがいが『目玉ババアの呪い』のせいになっていた。
「何でそんな危険なバアサン逮捕されないの」
ミワはやや前のめりになって強調したが、ケンイチは案外あっさりと
「だってさ」
当然だろう、みたいな顔で言う。
「アイツ、車も運転できないし、自転車も持ってないし、まず、ほとんど家から出てないらしいよ、何でそれでヒトゴロシとか犯罪ができんの?」
「……」
ミワは眉を寄せる。
「でもさっき、アイツに呪われた、って……」
「呪いなんて、証拠がないしね、それにさ」
ケンイチは最後の大きなバンズの切れをいっぺんに口に投げ込んで、良く噛んでからはあ、と息をついて続けた。
「近ごろは案外、静かだったしねぇ」
地元警察は元白鳥だけではなく、そこから南の、元白鳥を含む畠山地区という同じ中学校学区すべてを管轄している。
畠山全区の他地域は交通網が整備されたおかげで、ここ数年人口増加がはなはだしく、トラブルも急増中、どちらかと言えばのどかな元白鳥のような一地域の『事件』は緊急性がない限りどうしても後回しになる、のだと。
つまり、犯罪率として見れば、団地ですら、それほど気にならない程度なんじゃね?
ケンイチは軽くそう言うのだが、
「それって」
ついミワは叫ぶ。
「日本全体から比較してもかなりキケンな状態じゃないのっ?」
「そ、っかな~」
ケンイチは今度はコーラを大きくひと口すすってから言った。
「オマエ住んでるトコなんて、もっと犯罪多いだろ? 大都会だし」
「数は、どうだろう……でもなんか、こんなに自然が豊かでのんびりしている感じなのに、逆にさ、こわくない?」
ケンイチが困ったように笑って言う。
「いやーどうだろ」
しかし、自らが呪われた、という点ではおおいに問題だ、ということでは意見は一致した。
「ケンちゃんは何で呪われたの?」
つい昔の呼び方になっていたが、ケンイチはむしろその方が慣れているかのように、すんなりと答える。
ケンイチが『呪われた』のは高校に入ってすぐだったらしい。
同じ高校の一年先輩が、団地に住んでいて、参考書をくれてやるよ、と言ったので取りに行った、その帰り。
ふと昔の噂を思い出し、少しだけ道を変え、目玉ババアの家の前を通ってみた。
塀には相変わらず、ステッカーが所せましと貼られていた。
そして、側溝と敷地ギリギリのあたりに、乱雑にのぼりが並べられている。
つい、のぼりのひとつに手をかけた。なぜか手から離れず、それはそのまま彼の方に倒れかかってきた。斜めにハンドルにかかり、ケンイチは思わず立ち止まって舌打ちした。
強く引っ張ったわけではないが、それは長年の風雨に晒されていたせいか、簡単に破れて地に落ちた。
確か、眼鏡屋ののぼりだった。竿が派手な音を立てて倒れ、直そうかそのまま行ってしまおうか迷ったせつな、
「塀の上に、カラスが止まってさ」
カラスと目が合った、と思ったらすぐに塀の中からしわがれた声が
「オマエ、よくもノボリを。さてはヤベのうちの小僧だな、呪ってやる」
そう叫んできて、怖くなってあわてて逃げたのだそうだ。
その後、鞄を出して気づいた。
自転車の前かごに、丸めたメモ用紙が突っ込まれていた。
皺を拡げてみると
―― のろったぞ
と、稚拙な字で書いてあったのだそうだ。
「それから何かあたっ?」
言葉じりをもつれさせながら尋ねると
「次の日、腹が痛くなって熱が出た」
「そんで?」
「休みだったんで、寝てたよ」
それから二日くらいで治ったけどね、と彼はけろりと答えた。
なーんだ、熱が数日? それってカゼとかかも知んないじゃん? とミワは珈琲を飲みほした。
「まあね……ノロイ、というよか、ノロウィルスだったかも」
つまらないダジャレに
「ははは」
と乾いた笑い方をしてみせたミワは、次のことばに凍りつく。
「ケータイに文字とか出たってのと、菅田のことばが、ちっと気になるけどな……それにオマエは嫌われたんじゃなくて……見込まれた、みたいじゃない?」
「誰によ」
「……さあ」
ケンイチはようやくそう言ってから、黙って自分の組んだ指先を見つめているだけだった。
いっしょうけんめい、答えを探してくれているのはミワにも痛いほど伝わってくる。
しかし、彼にも分からないことが多いみたいだった。
人がひとり、死んでしまったのだ。
目玉ババアの仕業なのかどうかは判らないし、本当に死んだかどうかも今は判らない。
だが、多分、あれでは助からなかったに違いない。
どうすれば、いいとおもう?
消えそうな声で、ようやくミワは問いかけた。
今珈琲を飲んだばかりなのに、口の中がからからに乾いてきていた。




