目玉ババア 02
ツクネを作っていたんだよ、さっきまで擦っていたのはゴマだよ、ゴマを入れると格段に風味が増すからね、あと、ちっとばかりの生姜をすりおろして……
言いながらも彼女の手はいっときも休まることがない。
声からすれば確かに老婆だ。
しかし見た目はどう見ても幼女だった。
幼女は黒っぽい和服じみた袷の上着にもんぺのようなものを穿き、草色の割烹着をつけていた。
ミワは何度も目をしばたかせるが、やっぱり相手は可愛らしい姿のままだった。
目玉ババアの家の幼女は、次に大きなボウルいっぱいのひき肉を両手でこねくり回しながら、ミワを助けた時の話を始めていた。
テーブルにのびあがるようにして小さな手をひじ近くまで突っ込んでひき肉をこねくり回す様子は、泥遊びをする幼稚園児のようだった。
ミワは、飛び出してきた車に撥ねられそうになり、彼女の家の前で派手に転んだのだそうだ。
その時頭を打ったらしく、彼女が飛び出して行った時には全く意識がなかったのだと言う。
そしてちょうど、団地出口あたりを左折してタイヤを鳴らしながら去ろうとしていた黒い車を見て、事情を察したのだと。
「カーコが教えてくれたんだわ」
なぜ車に撥ねられそうになったのが分かったんですか?
ミワがそう訊ねた時の彼女の答えがこれだった。
「カーコ?」
ミワが問い直したしゅんかん、台所の窓にかつりと爪が当たる音がした。
はっと目をやると、開け放たれた窓枠の上に大きなカラスが一羽、止まってじっとこちらを見据えていた。
カラスは、台所の土間に目をやるように首を伸ばしていた。
「アンタの靴が、珍しいんだわ」
確かに小さな土間に、ミワの靴が揃えて置いてあった。
カラスは次に、土間の脇にある流しに降り立つと、三角コーナーの中をくちばしで器用にひっくり返し、何かの白い破片をつまみ上げ、また窓枠に戻り、破片をひと口に呑みこんだ。
これが竹輪をくわえるカラスなのだろうか?
ミワはしばし固まって、カラスと睨めっことなる。
下手に動くとつつくぞ、みたいにカラスが小首を傾げたのも恐ろしい。
幼女は、というと相変わらず全身を使ってボウルの中身をかき混ぜている。
急に彼女がこちらを向かずに聞いてきた。
「なぜ歩いてたんだい? うちの前を」
何と答えても目くじらを立てられそうな気がしたが、ミワは正直に自転車のベルトが切れたこと、バスで帰ってきて、滝見橋から歩くのに近道なのでは、と思いながら何となくここの前を通ったことをぽつりぽつりと説明した。
「ふうん」
特に感心した様子もなく、彼女は尚もかき混ぜの手を休めない。
「……朝からついてない、って感じがしてたし」
ふとそう漏らすと、幼女がうれしげに顔を向けた。
「それって、予感てことだね」
「え、予感、ですか」
「そうさ」
幼女はあごを上げ、身体を左右に揺すってはずみをつけている。
「予感ていうのはね、『予感かなぁ』ってふと感じた時点ですでに始まっているのさ。アンタ、予感をバカにしなさんなよ」
つまり、朝からミワの不運は決定づけられていたのだ、ということなのだろうか?
ここに寄るハメになったのも、『不運』の一端だったのかも、とミワは彼女に気づかれないよう溜息をつく。と、手を休めずに彼女が言う。
「どうだい、夕飯もまだだろう? 喰ってくかい?」
カラスに言ったのか、自分に言ったのか、ちょっと判断がつかず、
「あ……」
声を出しかけた時、急に窓枠のカラスがいっしゅん身体を沈め、すぐにばさりと羽を鳴らして左に傾くように飛び去った。
同時に幼女がちっ、と舌打ちしてボウルから両手を抜いた。
手を抜く時にすぽっ、と空気が鳴った。
「アイツら、また来やがった」
同時に玄関チャイムが、『もーん』と音を立てた。
音が曇りきっていたが、それは確かに、ドアチャイムのようだった。
しばらくして再び、曇った音が台所にまで届いた。
「アイツら、まだ懲りないのか、まだ呪われたいんか」
幼女は椅子の背にかけてあった黒ずんだタオルで一通りだけ手を拭い、また舌打ちをして玄関へと出て行った。
呪いの相手が誰なのか気にはなったが、何だかこのままここにいてはいけない気がして、ミワはそっと立ち上がり、台所の土間に揃えてあった自分の靴を履いて、音がしないようにドアを開けて外に出て行った。
ありがたいことに、裏口は木戸になっていて、木の閂は簡単に外すことができた。
外に出て、今度は手をのばしてまた閂をかける。
表側から、はっきりしない話声が聞こえてきた。玄関ではなくて、門扉の辺りで話をしているらしい。
早口の男声が主で、『呪ってやる』と言っていたはずの家主の声はほとんど耳に届かない。
誰が訪ねて来たんだろう? 近所の人……組長とか?
それにしても彼女はひとり暮らしなのかも気になる。
あんなに年寄り、いや、幼そうなのに同居人がいないのだろうか。
それよりも実際の年齢すら定かではないし。
黒ずんだタオルで手を拭いた後、手も洗わずにまたつくねを混ぜるのかも気になりすぎる。
それを夕飯に食べていけ、と言っていたってコト?
いくつものハテナが頭の中を飛び交ったまま、すっかり暗くなった団地内の少し離れた『我が家』まで、ミワは小走りに帰って行った。
誰にも見られたくない、という思いもあった。
しかし、一番大きなハテナマークは……
あれが本当に、噂の目玉ババアだったのだろうか?




