公爵令嬢は婚約者の為に強くありたい
ここはグリンシア王国の王宮。
王太子の婚約者であるヴィクトリアは、妃教育を兼ねた王妃との茶会の為に侍女と共に登城していた。
初めて見る王宮侍女に先導され、王宮を歩く。
少し顔色を悪くして、いつもと違う道順を行く王宮侍女に、ヴィクトリアは異変を感じていた。
「あら、これはヴィクトリア様。ごきげんよう」
あまり人通りのない中庭に差し掛かった時、不意に声をかけられる。
足を止め、そちらに顔を向ければ、御令嬢が多数。
目立つのはアデレイド・スプルース公爵令嬢、キャリー・セラドン侯爵令嬢、ジャニス・ベルディグリ侯爵令嬢……クローディオの妃候補として競い合っていた御令嬢達だ。
今、グリンシアが友好を深めるべき国にクローディオと合う年の王女はおらず、無理に他国から迎える事も無いと自国内で選ぼうとしていた、という話は聞いていた。……実際選ばれたのは、他国公爵家のヴィクトリアだが。
この人数で王宮で待ち構え、王宮侍女を操れるとは中々の権力のある家なのだろう。……妃候補として娘をねじ込める程だし、当たり前か。
絡む気満々なのは見て取れる。……さて、どうしようか。
「ごきげんよう、アデレイド様、キャリー様、ジャニス様」
「本日はどうなさったの?」
「ええ、王妃様とのお茶会に御呼ばれしましたので、向かう途中ですの」
だから、もう行くわよ? と微笑みに込めてみるも、気が付かぬ様でくすくす笑いが広がっていく。……少し付き合わなければならないか、と諦め、扇で口元を隠し、目元だけ笑みを作り待ち構える。
「あらぁ? ではこんな所に居るのはおかしいのではなくて?」
「そうですわ、こちら側にお茶会を行う場所は無い筈ですもの」
「嫌だわ皆様、まだこの広い王宮に慣れてらっしゃらないのよ」
「ああ、ルビシアなんて田舎から出てきたばかりですものね」
「ねぇ。…そういえば、婚約者に浮気をされて逃げてきたとか」
「まぁ。男の方に取り入るのが上手いと思いましたが、違うのですね」
「繋ぎとめる魅力が無いのでは?」
「いやだわぁ、ほほほほほ」
口を挟む気も無く、延々と続く程度の低い口撃に対し相槌を打つこともせず、笑んだままのヴィクトリアが癇に障ったのか、少し怒気が混じった声がかかる。
「……何かおっしゃったらどうなの?」
「……あら? もうよろしいの?」
「はぁ?」
「どれ程の内容をぶつけてくるのかと少し楽しみにしておりましたが、この程度とは……クローディオ様も随分とご苦労なされたのですね」
分かりやすく扇の陰でため息をついてやると、三人の顔に朱が上がる。
「どうしてそこでクローディオ様の名前が出てくるのよ!」
「だって皆様、王太子妃候補として名があがってらっしゃいましたよね?」
「それがどうしたのよ」
明らかに馬鹿にされた事に対し、声が荒くなる令嬢方に、やれやれと軽く首を振る。
「その方々がこの程度の考えや行動しか出来ぬのなら、選ぼうにも選べなかったのでは、と思いまして…」
「何て事を…!」
「し、失礼だわ!」
「そうよ!」
ちらり、と横目で三人に目線を走らせる。
怒りも動揺も隠せないまま、顔を赤くし声を荒げる。
……この程度でよく妃候補を名乗れたものだわ…。
「この様な場所で……人払いは少々されているようですが、短慮が過ぎませんか? それに皆様もう社交界に出られてますわよね? こちらにぶつける内容が学生レベルですわ。何も心に響きません」
落胆の表情を浮かべ、淡々とこの行為に対してダメ出しをする。
すると更に激昂したようだ。
「なっ…! 田舎貴族の分際で!!」
指摘されればすぐ激昂する。こちらの令嬢教育はだいぶ手抜……優しい者達が教えているようで不安になる。というか、どこにでも自分に甘い者は居るという事か。ちゃんとした教育を受けさせてくれた両親に感謝しよう。
「特にそれですわ」
「はぁ?! ルビシアなんて、グリンシアに比べれば小国! 田舎と言って何が悪いの?!」
『小国』はともかく、はっきりと『田舎』とか。
今ここに他国の外交員でも居れば、グリンシアとの国交に関わる内容という事に何故気付けない。
「教育をしっかり受け、国同士の関係・特性を理解していれば、その言葉は出てきません。それに、仮にも王太子妃を目指していた方が、他国の事を田舎などと軽々しく口にすること自体が問題なのです。……それにすら気付かないのですか?」
「うっ……」
どうにも我慢できず指摘をすれば、流石に言葉に詰まったようだ。
……矯正が効かぬ程の手遅れにはなっていないと信じたい。
そんな中、柱の陰から手を叩きつつ男性が現れた。
「はい、ヴィクトリアの勝ち~」
「……っ!!!」
にっこり令嬢方に微笑んではいるものの、目は笑っていない。
興味をこちらに向けるべく、扇を閉じ、微笑んで呼びかける。
「クローディオ様」
「王宮に着いた連絡の後、あまりに遅いから迎えに来ちゃったよ」
「御足労をおかけして申し訳ありません」
こちらに向き直り、本当の笑みに変えたクローディオが両手を広げ近付いてくる。
この場で抱きしめられるのはちょっと恥ずかしいので、略礼の挨拶をする。
「いいのいいの。私がヴィクトリアに会いたかっただけだから」
「ありがとうございます」
少し残念そうな顔になったクローディオだが、そっとヴィクトリアの頬に手を添え、目線を合わせてにっこり微笑む。
その手にヴィクトリアも自身の手を添え、嬉しそうに微笑む。……片手に持った扇で令嬢方に合図を送りながら。
「しっ、失礼いたします」
はっと我に返った令嬢方が略礼を取りつつ、その場から逃げる様に後ずさる。
そこにクローディオの平坦な声が掛かる。
「ああ、君達」
「はっはい!」
「相手の力量も量れないまま突っ込んでいくなんて愚行、これきりにしてね?……次はどうするか分からないから」
「はいっ! 申し訳ありませんでした!」
先程までヴィクトリアに向けていた甘い声と顔とは比べ物にならない冷たい声と目に、声が裏返り、更に顔を青くした令嬢方がバタバタと逃げていく。
「ありがとうございます、クローディオ様」
令嬢方が去り、茶会の会場へとクローディオがエスコートしてくれる。……あの騒ぎの中、王宮侍女はどこかに消えてしまっていた。連れてくるまでが仕事だったのだろう。
「ん? 何が?」
「あの方々を見逃してくださった事…」
もう少し何かあるかと思っていたが、特にお咎め無しだったので、少しホッとした。
「ああ、誰が居たかは確認済みだし、ヴィクトリア、合図出してあげてたでしょ? ヴィクトリアの味方になる可能性が少しでもあるなら、その方が良いと思ったしね」
「……気付かれていたのですね……」
出てくる少し前から居る事は気付いていたが、やはり誰が居たかは確認済みだった様だ。合図も目線が合っていた時だから気付かれ難いと思っていたのに、甘かったらしい…。
「だって、ヴィクトリアの事だからね。……もし、会話の内容でヴィクトリアが傷付いたりしたのなら、許せなかったかもだけど」
えへん、と胸を張り得意げな顔をしたクローディオだったが、最後は仄暗い目で嗤う。
「あの程度、傷付くはずもありませんし、クローディオ様の手を煩わせる程の事ではございません。それに……そうでなくては、貴方様の隣に立つ事など出来ませんわ」
その目には気付かず、ヴィクトリアは拳を握る。
クローディオと目を合わせる時には、ぱちりと目を見開いた顔がそこにあった。
一拍置いて、片手で顔を覆い上を向くクローディオの顔と耳は少し赤くなっていた。
「はあぁ…もう、どれだけ好きにさせれば気が済むの…」
「え?」
そのままの状態で呟くクローディオの声は少しこもっており、ヴィクトリアはうまく聞き取れない。
ピタリと足を止めたクローディオは、少し赤味の残ったままの顔で、蕩けた瞳で、ヴィクトリアを覗き込む。
「私の為に強くあろうとしてくれてるんでしょ? そんな健気見せられて惚れ直さない筈無いじゃない」
「あの……その…」
直接、面と向かって褒められ慣れていないヴィクトリアは、顔を赤くし、俯かせる。
それを逃すまいとクローディオはヴィクトリアの頬に手を添え、上を向かせる。
「でも、私の前では強く在りすぎないで? 弱さを見せていいんだからね?」
「…はい…。ありがとうございます」
「好きだよ、私の可愛いヴィクトリア…」
今まで、家族以外にそんな事言われた事は無かった。
愛する人に言われる事がこんなに嬉しい事だと、初めて知った。
嬉しさを隠しきれず破顔したヴィクトリアにクローディオの顔が近付く。
「こっこんな場所で…っ! 恥ずかしいです…」
流石に王宮の廊下でのキスとか、無理っ! とクローディオの胸に飛び込み、キスを避ける。
キスは避けられたものの、胸に飛び込んできたヴィクトリアに、クローディオは複雑な感情に囚われワキワキと手が動く。
「……母上には申し訳無いけど、茶会に連れて行きたくない…」
頭の上から漏れた呟きに、バッとヴィクトリアが離れる。
「ダ、ダメですわっ。忙しい王妃様のお時間を頂いていますのに……」
顔を赤くして距離を取ったヴィクトリアに、クローディオが捨てられた犬の様な目を向ける。
「………二人で居たい……」
「クローディオ様……それは……わたくしも……」
明らかにしゅん、として呟くクローディオにつられ、ヴィクトリアの心の声も漏れる。
「じゃあ!」
「でも! クローディオ様も公務がまだ御有りなのでしょう?……茶会が終わりましたら、伺いますので……」
瞬間、ぱあっと顔を輝かせたクローディオの言葉を、ヴィクトリアは頑張って遮る。
自分のせいで公務に穴を空けるなど以ての外である。
「仕方ないなぁ……じゃあ、仕事は終わらせておくから。……待ってるよ」
「はい…」
かろうじて折れてくれたクローディオは、そっと手を差し出しエスコートに戻る。
その手を取り、嬉し気に微笑むヴィクトリアを茶会へ送る為に。
茶会が早く終われと祈りながら……自分の仕事をどうやって終わらせるかの算段をしながら…。