03 魔法の本。
そっと扉を開けば、チリリンッとベルが鳴った。
「いらっしゃいませ……」
どこか眠気のある男性の声がしたけれど、本人が見当たらない。
気にすることなく、私は店内を見回した。
ダークブラウンの店内には、たくさんの本棚があって、本が表紙を向けて陳列されている。その下には値札がある。
0がいっぱいである……。
全財産ギリギリ買えるか買えないかくらいの値段である。
そう、この世界の本は高い。特に魔法習得するグリモワール、魔導書は高値なのだ。多分、人間の街で一軒家買えるくらいはある。そんな大金を持っていることに改めて身構えた。
私の秘策は、魔法だ。
オークは魔法を使わないことが一般常識なこの世界で、私は魔法を使ってギンを倒すのだ。ふふふ。魔法を使ったら、皆驚くだろうな。むふふ。
魔法のあるファンタジーの世界なのだ。使わなくちゃ損である。
不敵な笑みを漏らしながら、並んだ魔導書を見ていたけれども、どれを購入したらいいのかわからない。戦闘向きで軽く相手をぶっ飛ばす程度の魔法は、どの魔導書に載っているだろうか。
むむむっと唇の下に指を食い込ませながら、悩んでいたら視線を感じた。
顔を横に動かしてみれば、ローブを着た藍色の髪をした男性が立っている。
「お客さん……オークだよね?」
さっきの眠気のある声の主だ。
しかも種族を言い当てられた。
「す、す、す、すみませんっ!」
バレた! どうしよう!? 買う前に追い出される!?
「ああ、別に謝らなくても……オークなんて珍しいから」
「えっと、その、どうしてわかったんですか?」
「オークの魔力。それに服装」
「うっ」
角ととんがり耳を隠しても、オーク特有の服装でバレバレ。
「オークの魔力……出てますか?」
「うん。隠せてないよ」
「ううっ」
魔力の隠し方なんて教わっていない。そんな方法ないのかもしれないけれど。
魔力を感知出来るのか。すごいなこの人。私はさっぱりだ。
項垂れた。よかった。この街がオープン的で。オーク侵入禁止なんて街だったら、入れもしなかった。
「君、面白いオークだね。もっと傲慢な感じだと思ってた、オークの皆は」
クスリと笑う男性は、私よりちょっと歳上なくらいだろうか。
藍色の髪はふわふわしていそうなボリュームがあって、細アーモンド型の瞳は青だ。優しい印象を抱いた。眠たそうな口調も手伝って、ギンとは真逆な印象。
「この店の店員さんですか?」
「店長だよ」
「店長でしたか! あ、あの、私、魔法を覚えたいのですけれど……」
「そうだと思った」
オークが魔法を覚えたいって言ったことには驚くことなく、予想は出来ていたと店長さんは頷く。よかった。
追い払われたらどうしようかと思ったよ。
「それでちょっと相手をぶっ飛ばす程度の魔法を習得したいのですが、そういう魔導書はどれですか?」
「魔法初心者で、その程度の魔法を習得したいのなら……そうだな……」
また眠気たっぷりの声を発して、店長さんはきょろりきょろりと店内を見回す。
「こっちにおいで」と歩き出すので、ついていった。
「これならどうかな。風の魔法の類の魔導書。読むだけで習得出来るから、初心者向けだよ」
「風の魔法ですか! ほほう……」
ドキドキしながら、指差してもらった本を見つめる。
それから、値段を確認。
うん!! ギリギリセーフ!!
そこで、ギュルルッとお腹の虫が盛大に鳴った。
「……」
「……」
「……ふっ」
店長さんは吹き出す。
私はとんがり耳まで真っ赤になったに違いない。
優しく笑ってくれているけれども。
「先にご飯食べてきた方がいいんじゃないかな?」
「い、いえ。予算がギリギリなので」
「……?」
にこにこしている店長は、首を傾げた。
「どうしてご飯も我慢して魔導書を買うんだい?」
「事情が……事情があるんですよ……」
「その事情とは?」
お腹を押さえながら、念じるように呟くと聞き取った店長が、これまた優しく問う。
「実は……結婚を迫られていまして。私は村一番の最弱……相手は村一番の最強ときましてね。もう私の勝算は魔法にかかっているんですよ」
「あー……なるほど……。オークは結婚も決闘で決める種族だったね」
理解が早くて助かる。納得したようにコクンと頷く店長さん。
「でも最弱の君に結婚を申し込むくらい彼は君が好きなんだね」
続いて出た言葉に、私はキョットンとした。
「え?」
「ほら、オークは強さに惹かれる種族だろう? だから、普通は強いオークの女性に求婚するはずなのに、最弱の君を選んだ。強さとか関係なく好きってことなんでしょ?」
「いえ? 彼は私をよく弱虫と罵倒しますよ? 弱いって苛ついていますよ?」
「あれ? 違うの?」
何を言っているんだ。この店長さんは。
「私を妻にしたいのも単なる虫除けなんですよ。村で唯一求婚しない私ならうるさくないからって、無理矢理……」
「……ふーん。そういうものなのか。オークの求婚って」
私は肩を竦めた。店長さんは店長さんで呟いている。
そこでまた私のお腹の虫が空腹を訴えて鳴いた。
「店長さん! これ買います!」
「まぁ、落ち着いてよ……ほら、これあげる」
店長さんはポンッと私の頭に一つ手を置くと、カウンターの奥に行ってしまう。戻ってきたかと思えば、風呂敷を差し出してくれた。美味しそうないい香りがする。
これはサンドイッチではないか!?
「僕のお昼だけれど、あげるよ」
「え!? い、いいんですか!? それじゃ店長さんのお昼は……」
「適当に買ってくるよ。お腹が空いてたら、上手く魔法使えないかもしれないよ?」
「店長さんっ!!」
なんて優しい人なんだ。この店に来てよかった!
頭をポンっとするあたり、モテるだろうなこの人。
キュンときたよ。もうっ!
「ありがとうございます! いただきますね! あとこれ、魔導書のお金です」
「うん。……ちょうどだね」
きっちり数えた店長さんは、ニコリと微笑んだ。
そして手を差し出した。
「僕はイン。君の名前は?」
「私はナヒメといいます!」
握手か、と私は両手で握り締める。
「ナヒメちゃん。よかったら、決闘の報告をしてよ。気になる」
「はい! また来ますね! イン店長さん、ありがとうございました」
紙に包んでくれた魔導書を受け取って、勢いよくお辞儀をした。
本当に親切な店長さんでよかったな。ご飯までもらっちゃって。
私はウキウキした気分で、微笑むイン店長さんの店を飛び出した。
そして門をくぐり抜けて、街外れの野原に座ってご飯を食べることにする。ちょっとしおれたサンドイッチには卵焼きとハムが挟んであった。美味しい。それで空腹を満たして、パンパンと手を叩く。
クリスマスのプレゼントが待ちきれずに包装紙を破く子どものように、ビリッと破いた。
そこにあったのは、黄緑色のラインが入った深い緑色の本。革に近い素材の表紙を撫でれば、興奮は最高潮。
これから魔法が使えるのだと思うと、もう期待しかない。
ひゃっほおい!
表紙を開けば、風の魔導書である的なことが書かれたページ。それを食い入るように読んだ。説明はしっかり読まないとだ。なんせ魔法初心者なのだから。焦る気持ちを鎮めて、読み込んだ。
魔導書は、一度しか習得出来ない。よって失敗した場合は、習得が出来ないこともある。
ちょっと緊張した。初心者向けでも魔導書。失敗しないようにしなくては。全財産を注ぎ込んだのだ。私の結婚がかかってもいる。
説明書的なページを読み終えて、続いては習得するページを読むためにペラリと捲った。
ずらりと並んだ呪文。これを間違えたら、失敗となるらしい。
深呼吸をして、一文字ずつ丁寧に読み上げた。
慎重すぎるくらいだが、こうでもしなければ失敗しそうだったからだ。
「ーーーー」
最後の文字を読み上げた瞬間、そのページが光った。正しくは、その文字達だ。
思わず本を膝の上に置いて、両腕で顔を庇った。
「ん? ……成功? 失敗?」
光がなくなった途端、私は周りを見てみたけれど、異変はない。
自分にも特に変わった感じはなかった。
こう力が漲るっ!
ってものがない。失敗したのではないかと心配になった。
「た、試してみよう」
とにかく魔法を使ってみてば、有無がわかるはずだ。
魔導書を破いた包装紙の上に置いて、立ち上がってみた。
「ハリケーンを生み出すイメージ……!」
習得しようとしたのは、小さな竜巻を作り出す魔法だ。
私は右手を翳して念じる。
「……!?」
ぱぁあっと目を見開いた。