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2.昔話、ミノタウロスについて

 男は老人に向かって「どこから来たのか?」と聞いた。

 老人はこの集落では見ない顔だった。

 だとすれば外から来たのだろう。

 しかし、ここから一番近くの集落だって大人の男でも歩きで二、三日はかかる。

 目の前の老人には、とてもではないがそれだけの距離を歩けるようには見えなかった。

 老人は答えなかった。

 ニコニコしたまま男を見ている。

 もしかしたら聞こえなかったのか、歳を取っているから耳が遠いのかもしれない。

 そう思い、男は先ほどより大きな声で「どこから来たのか?」と聞いた。

 老人はやはり黙っていた。

 聞こえてはいるようだったが、きちんとは答えてはくれなかった。

 なんとなく、はぐらかされてしまう。

 最初こそ少しむきになっていた男だったが、すぐに諦めた。

 老人がどこから来たのかは気になるが、無理やり答えさせて雰囲気が悪くなるのも嫌だった。

 男はとりあえず、老人に夕飯を振舞った。

 ごく簡単で質素な食事だったが、老人は嬉しそうにしていた。

 男と老人はすっかり仲良くなり、二人でどぶろくまで飲みだす始末だった。

 酒を飲み、いい塩梅になったころ、家の外で牛が鳴いた。

「ほう、牛がいるのですか」

 老人が言った。

「ええ、牝牛が一頭だけですが、なかなか立派に育ちました」

 牛は家の外、簡易な小屋に繋いである。

 その呑気な鳴き声を聞いて、老人は楽しそうに笑った。

 そしてふと思い出したように自分の懐に手を入れた。

 老人は巾着袋を引っ張り出した。

 銭が入っているのだろう。

 巾着袋は妙に膨らんでいた。

「そういえば、お礼をするのを忘れていましたね」

「いえ、そんな……」

 男は銭を受け取るつもりなど無かった。

 しかし男は老人が巾着袋から取り出したものを見てとても驚いた。

 金の粒だった。

 砂金だ。

「これを差し上げます」

 老人は言うと、金の粒を一つ、男に差し出した。

 男は金の粒を手にすると、指で撫でまわしてみる。

 偽物には見えなかった。

 男は本物の金など手にしたことは無い。

 だがこれは本物だと、男は直感した。

 この老人はいったい何者なのか。

 改めて疑問が湧いた。

 その時、男はあることに気が付いた。

 老人の手にある巾着袋はかなり膨らんでいる。

 老人はあの中から、金の粒を取り出したのだ。

 ということは、あの巾着袋の中に、いま自分が手にしているような金の粒が詰まっているのではないか。

 男は、自分の中に暗い欲望が芽吹いたのを感じた。

 酒を美味そうに飲んでいた老人は、やがて寝入ってしまった。

 男は鍬を取り出した。

 普段は農作業に使用しているものだ。

 男は鍬を老人の首に向かって振り下ろした。

 鍬は狙いを少し外れて、老人の耳のあたりに喰い込んだ。

 衝撃で老人の目玉がこぼれた。

 老人の手足が硬直し、その後、ばたばたと動き始めた。

 男は驚き、恐怖した。

 もう一度、鍬を老人に叩き込むと、次は首に当たった。

 老人の頭が胴体から離れ、ゴロリと床を転がる。

 最初の一振りで老人の頭をひどく痛めつけてしまったので、死体はとても正視できるようなものではなかった。

 男は老人から目を離すと、巾着袋を手にする。

 中を確認すると、いっぱいに金の粒が入っていた。

 男はそれを部屋の隅のあたりに隠した。

 すぐに使うと自分のしたことがばれてしまうかもしれない。

 当分、使う予定など無かった。

 老人の死体は床下にでも埋めるつもりだった。

 男は一晩かけて、老人の死体を処理した。

 その後しばらくは何も起こらなかった。

 老人が男の家に泊まったことも、そもそも老人の存在自体、誰一人として知らないらしかった。

 やがて飼っていた牝牛が孕んだ。

 男は驚き、ひどく困惑した。

 牝牛を一匹しか飼っていないのに、なぜそんなことがおきたのか。

 嫌な予感がした。

 男はできるだけ牝牛を周囲に隠すような位置に移した。

 その後、牝牛は、一匹の子牛を生んだ。

 子牛を見た瞬間、男は叫び声を上げた。

 子牛は人間の身体をしていた。

 人間の身体。

 牛の頭。

 男の脳裏に、自分が殺したあの老人の姿が浮かんだ。

 これは老人の生まれ変わりなのではないか。

 男にはそう思えてならなかった。

 牝牛が産んだそれを、男は慌てて家に運んだ。

 異臭がした。

 ちょうど老人から奪った巾着袋を隠していた辺りからだった。

 巾着袋を引っ張り出すと異臭がひどくなった。

 中を確認する。

 砂金などどこにも入っていなかった。

 巾着袋には糞が詰まっていた。

 臭いでそれが牛の糞であることが分かった。

 これは老人の呪いだと、男は確信した。

 男はその夜、牝牛が産んだそれを山に捨てた。

 牛の頭に人間の身体を持つそれは、泣かなかった。

 ただ時々、悲しそうに鳴いた。

 人などではない、完全に牛の鳴き声だった。

 男は間もなく死んだ。

 家の近くの大木に縄をかけ、首を吊っていた。

 男の両手首は背中の側で縛られていた。

 そして口には、牛の糞が詰められていた。

 何者かに殺されたのだろうと考えられたが、けっきょく犯人は分からずじまいだった。

 その集落では、夜になると時々、何者かが徘徊するようになった。

 誰もその正体をはっきりとは見ていないが、牛の鳴き声がするという。

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