10.決着、森からの脱出
俺は死ななかった。
無意識のうちに首を大きくひねり、こん棒をかわしたらしい。
それでも頭が割れるように痛んだ。
いや、本当に割れているのかもしれない。
意識が朦朧としており、確かめることができなかった。
目を薄く開けると、ミノタウロスが再びこん棒を振り上げるところだった。
次はもう逃れることはできないだろう。
俺は今度は目をつぶらなかった。
つぶることができなかった、というのが正確な表現かもしれない。
俺はミノタウロスの姿から目を離すことができなくなっていた。
人間は絶望から逃れられないと分かった時、逃げることを止めてしまう習性があるのかもしれない。
そして自分に降りかかる絶望を見つめてしまうのだ。
受け入れることもできないのに。
俺は腕を突き出した。
最後の足掻きのつもりだった。
その時、ミノタウロスの背後で光るものが見えた。
懐中電灯の光だと気が付いたのは、それがミノタウロスの後頭部に当たり、俺のすぐ横に転がったからだ。
比奈子が投げたのだ。
ミノタウロスが俺から視線を外すと周囲に首を巡らした。
少し離れたところから、叫び声が聞こえた。
声は震えていた。
怖くて怖くてたまらない気持ちをなんとか押さえつけて勇気を振り絞っている。
そんな比奈子の痛切な叫び声だった。
叫び声は急激にこちらに近づいてきた。
地面を蹴り、草をかき分ける音。
俺が比奈子の姿をハッキリととらえた時、彼女が手に持っていた水筒をミノタウロスに叩きつけた。
本来であれば肩にかけるはずのストラップ、それを手に持ち勢いをつけ水筒部分でミノタウロスの頭部を狙う。
ちょうどブラックジャックという武器に近い性質のものになったようだ。
ミノタウロスの巨体がぐらついた。
さすがのミノタウロスもそれなりにダメージを受けたらしい。
頭を押さえ呻くその姿は、まるで人間のようだった。
このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
さいわいミノタウロスの注意はこちらからはそれている。
自由になっている両手で俺は再びパチンコ銃に石をセットする。
思いっきり力を入れると俺に馬乗りになっているミノタウロスのその頭に狙いを定めた。
「おい!」
俺の声に反応してミノタウロスはこちらを向く。
想定通りの位置。
俺の狙いは口だった。
ミノタウロスは大きく口を開くと威嚇するように吠えた。
その瞬間を俺は狙っていた。
パチンコ銃から小石を発射する。
小石はミノタウロスの口から入り喉の肉を盛大に抉った。
大量の血液を吐き出し、ミノタウロスは苦痛の声を上げる。
その下にいる俺は血液を顔に浴びることになったが、かまってはいられない。
パチンコ銃の持ち手の部分をミノタウロスに向けると思い切り突き出した。
ミノタウロスはとっさに身体をひねり逃げようとし、バランスを崩した。
突き出した枝は腹の肉に少しだけ喰い込んだが、とても致命傷になるようなものではなかった。
しかし、それで十分だ。
そのすきに俺は奴の下から這い出す。
「誠!」
比奈子の叫び声が聞こえた。
ミノタウロスの血液をもろに顔に浴びてしまったせいで視界が悪かった。
目に入った血液を拭いながら声を頼りに比奈子の元に行く。
比奈子がこちらに駆け寄り、俺の腕を取る。
獣の咆哮が俺たちのすぐ近くで響いた。
ミノタウロスだ。
おそらくはミノタウロスの血液なのだろう、俺と比奈子に生温かい液体がかかる。
俺は比奈子と一緒に駆けだした。
とにかくこの化物から距離を取らなくてはならない。




