第4話
「先程の話は本当ですか」
私はその名医に思わず問いただした。
その名医は、初対面の患者に口を滑らせたことを後悔したらしく、言葉を濁した。
「本当かどうかは、自分で調べてくれ」
そして、それ以上のことを私に言わずに背を向け、処置の済んだ私の下を去って行った。
だが、部屋を出ていく前にその名医は独り言を言った。
「医師の、特に軍医の世界は意外と狭い。思わぬことで外国の軍医と知り合うのさ。そして、お互いに差支えのない噂話を咲かせるのさ」
その独り言で、私は事情を察した。
目の前の名医は、そういった経緯で日本海兵隊のことを知ったのだ。
単なる噂話か、だが。
と名医が去った後で、自分は想いを巡らせた。
どうにも嫌な予感がする。
自分が落馬事故を起こしたのは実は幸運だったのではないか。
その予感が当たったのが自分に分かったのは、1月末のある日のことだった。
突然、自分に付き添ってハルピンに来ていた従兵が血相を変えて、私の病室に飛び込んできて喚いた。
「大変です。ミシチェンコ騎兵団が日本海兵隊の前に壊滅したとのことです」
「嘘を吐くな。正確な情報を集めろ」
「間違いありません。ミシチェンコ将軍は戦死され、主な幹部も皆、戦死したとのことです」
私の叱責の言葉に、興奮していた従兵は口答えをする有様だった。
だが、その内容は私を慄然とさせた。
「私の親友はどうした」
声を落とした私の問いかけに、従兵は少し口ごもってから答えた。
「生還した最高位の士官が大尉ということから考えると戦死したとしか」
「私を一人にしてくれ」
「分かりました」
私は従兵が去った後、号泣した。
親友は自分の身代わりとして戦死してしまった。
そして、敬愛する上官だったミシチェンコ将軍も含め、ミシチェンコ騎兵団の多くも戦死したのだ。
その後、ミシチェンコ騎兵団の壊滅について、軍法会議が開かれた。
主な幹部が戦死している以上は、無意味極まりないという意見もあるかもしれないが。
これはこれでまともに行われれば意味がある行動なのだ。
誰に責任があったのか、兵器の装備の質量等に関する問題はなかったのか、また、このことによって得られる実戦に基づく戦訓を検討等するためである。
私は騎兵の高級士官の一人であり現地事情を知る者として、参考人として軍法会議の場に呼ばれた。
だが、その結果は失望極まりないものだった。
例えば、日本海兵隊が大量の機関銃を購入して装備を整えていたことは、ロシア陸軍省内部においては公知の事実であり、ミシチェンコ将軍にも連絡されていたというのが軍法会議の結論の一節だった。
私は唖然とした。
私クラス、中佐という階級を持っている士官でさえ全く聞いていなかったのだ。
そんな筈はなかった。
最終的にミシチェンコ将軍は、専門外の兵科を率いていたのが敗北の一因であるという理由から、軍法会議では無罪という結論になった。
(ミシチェンコ将軍の専門は砲兵、とは言え、元をたどればウクライナコサックの血を引くロシア貴族であり、騎兵と全く無縁という訳でもない。)
その一方で、親友に下された軍法会議の結論は、戦死者に対するものとしては過酷極まりなく、敗北の責任のほとんどが押し付けられた。
参考人という当事者に近い立場も生かして、軍法会議の結論をまとめられた書類を私は閲覧した。
その中で分かったのは、上層部に基本的に咎が及ばないように、陸軍省や将官クラスに対して、極めて甘い結論が予め軍法会議が始まる以前にほぼ決まっていたという事だった。
敗北の責任は、現地にあり、そして、佐官クラスにある。
勿論、そんなことが書類に明記はされてはいない。
だが、見る人が見ればこの軍法会議が全く茶番であるのが分かった。
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