第3話
自分の実戦経験を少しでも伝えようと、フィンランド陸軍士官学校の生徒と何度か、階級を無視した懇談会を自分は行ったことがある。
その際に必ず最低一人から質問が出た。
「何で日本海兵隊が待ち構える陣地に騎兵突撃を掛けるという無謀をミシチェンコ将軍は営口で行ったのですか?失敗するに決まっているではないですか。50挺余りの機関銃を待ち構える陣地に騎兵突撃を行っては、ミシチェンコ騎兵団が虐殺されて当然です。確かに日本海兵隊がそこまで機関銃を装備していたとミシチェンコ将軍が知らなかったのは事実かもしれませんが。伝統的に日本海兵隊が積極的に新兵器を採用しているのをミシチェンコ将軍は本当に知らなかったのですか?」
微妙な言葉遣いは違うが、ほぼ同じ質問だ。
その度に自分は同じ答えをする。
「時代が違う。君達の知るサムライと、あの当時のサムライは違うのだ」
その答えは質問者を決して納得させない。
「先の(第一次)世界大戦終結時にハンニバルの再来と謳われた名将、林忠崇提督が、あの当時も戦場でサムライの指揮を執っていたではないですか。どこが違うのですか」
その度に自分は想う。
人間というのは、自分のイメージを信じる者だと。
質問者からしてみれば、サムライは海兵隊なのに先の(第一次)世界大戦時に戦車師団を保有し、航空機と地上部隊の密接な連携を行って敵陣地を速やかに突破するという偉業を成し遂げている存在だ。
現在(1941年1月)でさえ、それだけのことができる陸軍を持っている世界の国は、独ソ英仏米日くらいしかないだろう。
我が国ではとてもできはしない(そもそも戦車師団の保有が無理だ。)。
海兵隊に至っては、サムライだけだ。
それをサムライが成し遂げられたのは、名将林提督の先見の明があったからだ、と質問者は考えている。
だが。
質問者がいう林提督のイメージ自体が、あの当時の自分とは異なっているのだ。
あの当時、自分や親友、そして自分の知る限りのロシア陸軍の軍人にとり、林提督は過去の遺物だった。
徳川幕府に仕えた大名家の当主だったが、明治維新に伴い、林提督は海兵隊の軍人になった。
そして、林提督は西南戦争や義和団事件では自ら刀を振るって敵陣に飛び込んだ旧時代の存在。
「生まれる時代を完全に間違えているよ。林提督は銃が誕生する前に産まれれば良かったな。今でもちょんまげを林提督は結っているのではないか」
あの当時、ロシア陸軍の軍人である我々は、林提督をそのように評価していたのだ。
そんな指揮官を頂く海兵隊(つまり陸軍ではないのだ)が、当時のロシア満州軍全てより多い機関銃を装備していると誰が予想できるだろうか。
マンネルヘイム元帥はあらためてその時のことを回想した。
ハルピンの名医を自分が訪ねた時のことを。
黙って自分の診察をした後で、その名医は言った。
「こりゃ、3月は掛かるな。傷口が塞がって、骨が完全につながるとなると」
「そんなに掛かるのですか。何とかなりませんか」
「ならん。それからな、医師というのは軍人と同様に正確に状況を見ないといかんのだ。相手の地位とか、いらないことを考えて診断を下す訳にはいかんのだ」
その言葉を聞いて、私は何となく察してしまった。
この名医は、こんな感じでクロパトキン将軍辺りに直言してしまい、後方に回されたのだ。
「全く。日本軍の事を正確に我々は知るべきだ。例えば、日本の海兵隊は、独陸軍に伍すると当の独陸軍にさえ評価され、仏陸軍から我が最良の一番弟子と評価されているというのに。ロシア陸軍の面々はそれを知ろうともしない」
その名医はそんな驚くべきことを続けて言っていた。
私は驚愕した。
日本海兵隊はそんな存在なのか。
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