第1話
「サムライー日本海兵隊史(第2部)」で描かれた営口の戦いについてのマンネルヘイム元帥の回顧です。
若かりし頃の自分に戻っていた。
戦死した筈の親友が自分と抱き合った後で自分の馬に乗った。
自分も共に行かねば、と慌てて愛馬に乗った。
他にも見知った顔の同僚、部下の下士官兵が集っていて、それぞれが自分の馬に乗っている。
「マカーキ(猿)狩りだ」
騎兵団長であるミシチェンコ将軍も馬に乗っていて、笑いながら言った。
自分と親友はその言葉に肯き、周りの皆も肯く。
「出発だ。営口に行き、ロシア騎兵の恐ろしさを日本人に教えてやる」
ミシチェンコ将軍が号令をかけ、皆が動き出すのに、自分は動けない。
いや愛馬が駆けようとしない。
「どうした」
声を掛けるが、愛馬は駆けようとせずに、自分を振り落とし、自分は無様にも右半身を強打した。
右腕と右足に激痛が走る。
自分が落馬したのに、周囲は全く気付かずに、ミシチェンコ将軍の後に続いていく。
親友でさえも。
「置いていくな。自分も連れて行ってくれ。共に栄光を分かち合わせてくれ」
自分が懸命に声を挙げるのに、ミシチェンコ将軍を先頭に後光に包まれたロシア騎兵の集団は、自分を全く無視して、自分の視界から消えていく。
「頼む。自分も一緒に行かせてくれ」
そう叫ぶ一方で、自分の右腕と右足の痛みが激しくなる。
「うーん」
激痛と自分のうめき声が自分を夢から覚醒させた。
この右腕と右足の激痛は幻だ。
外国の複数の名医にまで見てもらったが、どこも悪くないと皆が口を揃えた。
それでも、この夢を見た時等に右腕と右足に激痛が走る。
「久しぶりにこの夢を見たな。30年以上、いや40年近く前になるのに昨日のことのようだ」
思わず呟いた。
「どうかなさいましたか」
隣室で寝ていた住み込みの家政婦の耳にまでうめき声が聞こえていたらしく、家政婦が飛び込んできた。
この家政婦は本当に耳がいい。
「悪夢を見ただけだ。心配しないでくれ」
自分は家政婦にそう声を掛けた。
家政婦はホッとしたようだ。
「マンネルヘイム元帥の御身にもしものことが起きたのか、と本当に心配しました。どうか祖国フィンランドの為に生きてください」
家政婦はそこまで言った。
「心配するな。この状況では死ねない。いや、祖国のために死ぬわけにはいかない。第二次世界大戦の嵐が世界で吹き荒れる中ではな」
自分は力強く言い、家政婦はその言葉を聞いて、安心した反動からか涙を浮かべた。
時計を見るとまだ夜だ。
「さあ、安心して寝なさい」
家政婦にそう声を掛けると、家政婦は自分の部屋に戻って行った。
自分もベッドに潜り込んだが、あの夢を見たせいか、目がさえてしまった。
眠れないときに備えて、何冊かの書籍を寝室に置いてある。
ランプに灯りを付け、自分はその中の1冊を手に取って開いた。
自分が卒業したニコラエフ騎兵学校の第1期からの卒業生名簿で1906年版だ。
自分の卒業した期の部分を開く。
親友の名がある。
その横に、1905年1月15日、営口にて戦死と記載されている。
同期生の何人かが、1904年4月から翌年9月に掛けて〇〇にて戦死と記載されている。
他の頁を開くと、同様の期間において〇〇にて戦死と記載されている人間が何人もいる。
その中で最も多いのが、1905年1月15日、営口にて戦死という記載だ。
自分の頬に涙が伝うのが分かった。
この卒業生名簿はある意味で、ロシア騎兵の墓標だ。
いや、世界の騎兵の墓標かもしれない。
今でも騎兵がいない訳ではない。
だが、かつて世界の数多くの戦いで、戦場の帰趨を決めた騎兵突撃は今や完全に姿を消してしまった。
戦場の華とさえ多くの詩人に騎兵突撃は詠われていたのに。
1905年1月15日の営口でのミシチェンコ騎兵団が行った騎兵突撃。
それは騎兵突撃の弔鐘を世界に鳴り響かせた。
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