証言1
飯島加奈子
1995年6月12日生まれ
藤沢市立滝の沢中学校出身
発見日時:2010年9月7日
発見場所:自宅浴室
私の話が信じてもらえるかわかりませんが、記憶のある限りのことを話します。
私は中学校三年生でした。中学校での私の生活は、勉強の日々でした。中学校に入った頃から両親は私を湘南高校(藤沢でも著名の高校、戦前は海軍諸学校や陸軍士官学校合格者を輩出した)に入らせようとしていて、私もその期待に応えようと必死でした。自分で言うのもあれですが、私は容量の良いほうではないので、遊ぶ暇、寝る暇も惜しんで勉強をしていました。なので、友達はいましたけど、それは学校生活だけの友達、放課後になればつるむことのない友達で、放課後になれば私は……その……孤独でした。いえ……本当は学校にいても孤独を感じました。教室では、受験も近いというのに、クラスメイトが昨日何処で何をして楽しかった、今日は何しようか、どこで勉強しようかと話していて、私はその話題に乗りづらかったです。乗れるはずありませんでした。起きている間はずっと勉強、テレビを見ないから芸能もアニメも知らないし、平日は塾や自宅学習で外出はしないし、休日も家族と外出することが多かったです。だから、私はとても孤独なんだなって、自分で思っていました。
そんなある日、紀子ちゃんが誘ってきました。紀子ちゃんは小学校からの友達で、中学校に入って、知らない人ばかりの世界でどうしていいかわからない私を支えてくれたのも紀子ちゃんでした。二年生になってから、勉強とかで私が忙しくなって以前ほど関わることはありませんでしたが、それでも紀子ちゃんは親友でいてくれました。
紀子ちゃんは、こっくりさんを誘ってきました。私は断ろうとしましたが、紀子ちゃんは「そんな時間がかかるわけでもないし、最近遊ぶこともないから今日の数分間は付き合ってもいいんじゃない?」と言いました。
確かに、その日は塾もなく、家に帰れば勉強が待っています。ほんの少し家に帰るのを遅らせるのも悪くない、そう思いました。
こっくりさんは私を含めて六人、参加でしたが、実際に十円玉に手をのせるのは四人だけでした。四人が指をのせ、十円玉は動きます。
でも、誰も勝手に十円が動いているとは思っていなかったでしょう。もはや、それを信じるには微妙な年齢だったので、十円玉も誰かが動かしているに違いないって、みんなが思っていたでしょう。
質問はかなりプライベート的なものがほとんどです。誰と誰が付き合っているのか、誰が近いうちに死ぬのか、あるいは誰が早く結婚するのか。面白半分、本気半分の回答ばかりです。なので、笑って終わる回答もあれば、誰かが怒る回答もありました。
三十分くらいたった頃に、みんなこっくりさんに飽きてきたので、帰ってもらうことになりました。
こっくりさん、こっくりさん、おかえりください。
でも、十円は動きませんでした。
こっくりさん、こっくりさん、おかえりください。
動きません。
指をのせている一人がしびれを切らしました。
「もういいよ、やめよ」
「じゃあ、指を離せばいいじゃん、呪われるよ~」
「いいよ、別に信じてないし。離すし」
でも、その子は指を離しません。
「何、やっぱり怖いの?」
「違う……指が離れないの」
「うっそだー」
別の人も指を離そうとしました。やがてその子から笑顔は消えました。
私もその時は指をのせていたので、離そうとしました。でも、離れませんでした。いえ、離すことができませんでした。まるで、腕の感覚が失ったかのように力が入らなかったし、何より怖かったのは……誰かが私の腕を抑えている感覚があったのです。片手で私の人差し指を握り、もう片方の手で手首を握って抑えているような、そんな感覚がありました。
みんな怯えだしました。多分、みんな同じ感覚を感じていたんだと思います。じゃなきゃ、誰、誰が抑えているのって叫ぶはず、ないはずです。
やがて、十円玉は勝手に動き出しました。
その時だけは、誰かが動かしているわけではなく、本当に勝手に動いているのだと感じました。なんというか、力を感じたんです。十円玉を動かす何者かの力が。
十円は幾度となく文字から文字に、動きました。不規則的に動いているように見えましたが、やがてそれは一定のパターンで動いていることに気づきました。
十円は、複数の単語を繰り返し、表現していたんです。
来る、消える、許さない、彼ら。来る、消える、許されない、彼ら。
もう、パニック状態です。泣き叫ぶ人もいますし、頭を抱えて怯える子もいました。私も、その時は泣いていたと思います。
机が揺れだしました。激しい地震が起きているかのように。
もうやめて、神様、助けて。私の叫びです。
やがて、突然、動きは止まりました。でも、十円から指は離せません。誰もが怯え切っている中、十円は最後の言葉を表現しました。
あふれた
私たちは十円から指を離すことができました。みんな、一目散に教室から出ていきました。でも、紀子ちゃんだけは残ってました。彼女は、こっくりさんに誓った十円と紙を回収しました。どうするつもりなの、と私が聞くと、紀子ちゃんは言いました。
「これは放っておいちゃいけない気がする。ちゃんとお祓いしてもらうつもり。あなたも、お守りとか持ったほうがいいかもしれない」
そういって、紀子ちゃんは出ていきました。
自宅に帰っても、私は安心できませんでした。むしろ、家に帰ったからこそ、怖くなったかもしれません。外はいくら暗くなろうと、やはり開放的な世界でありますし、歩けば人がいます。でも、家の中は、なんというか、両親が帰るまで一人ですし、出口は一つしかないので、何かあってもすぐに逃げられないのと、一人のはずなのに誰かが一緒にいる感じがして、怖かったです。
でも、全員がいつまでも怖がっているわけではありませんでした。
数日もすれば、あの時の体験を自慢話のように、得意げに話す子もいました。この話はたちまち、生徒の間で有名になり、自分も体験したいとこっくりさんをする子も増えてきました。こっくりさんブームの復活です。中には、自分も体験したという人が続出しましたが、たぶん半分以上は嘘じゃないかと思いました。ほとんどはそれを体験した次の日に自慢してきます。普通なら、体験すればしばらくは怖がるので、そういう人は嘘なんだなと思いました。でも、中には本当に体験したんじゃないかという人もいました。そういう人は何日も、ぎこちない態度が続きました。
私自身の、あのこっくりさんへの恐怖が薄れてきたある日の事。
放課後、家に帰る道で“それ”に会いました。
最初は特に気にもしていませんでした。ただ、前からこっちのほうに来るだけの人だと思って。
でも、だんだん、それが普通じゃないって感じ始めました。
まず、夏だから夕方になっても道は明るかったです。でも、“それ”はどれほど距離を詰めても、その姿が鮮明になることはありません。それに、いつまでたっても、その、影みたいでした。ピントの合わないカメラで影を撮影しているような、そんな光景です。
私自身の勘が、“それ”に近づいちゃいけないって言いました。
“それ”は、左右に身体を揺らしながら、ゆっくりとこちらに近づいてきます。
私はすぐに体の向きを変え、家とは反対の方向に、つまり“それ”から逃げるように走りました。
家までは、回り道して帰りました。
家に帰っても、誰もいません。だから、不安でしょうがなかったです。あれが、家の中に来たらどうしようって。不思議ですよね。あの時の私は、あれが幽霊だってことをすぐに悟っていたんです。理解とか、そういうのではなく、ただ単に、ピンと来たというか、遥か昔に見たものを再び見て何かを思い出したような、そんな感覚で、あれが幽霊だって受け入れてました。
その日、両親が帰ってくるまで、家じゅうの電気をつけてテレビを見てました。とにかく、音と光が欲しかったんです。静寂なままだと、どうしようもない不安に心が押しつぶされそうでした。電話が何回もなりましたが、出る気が起きなかったので、出ませんでした。
両親には叱られました。家じゅうの電気をつけ、勉強もしないでテレビを見るなんて何事かって。理由は話しませんでした。その時は、信じてもらえるとは思わなかったんです。ただ謝るだけ謝って、それで終わりです。あの時は、叱られることに安心感を感じていました。あの影を見てから両親が帰ってくるまで、日常を感じることができなかったんです。すべてが空虚に感じたというか、心あらずな感覚に陥ったんです。両親が私を叱りつけることで、私の心は一気に日常に戻ってきたんです。
次の日は早めに家を出て、回り道して学校に行きました。あの影が、昨日のようにあの道にいるんじゃないかと思って。
その日の出席確認の時、一人無断で欠席していることがわかりました。
こっくりさんに参加した子の一人です。
学校側がその子の両親に電話し、朝自宅を出た姿までは確認されたそうです。
それを本気で心配する人はあまりいませんでした。もともと、あまり真面目な子ではなかったし、遅刻することも度々あったので、今回もそうだろうと。
でも、そうではないと感じる人もいます。
私もその一人でしたし、紀子ちゃんもそうでした。
紀子ちゃんは私に席に来ると、「何か見た?」って聞いてきました。私は頷いて、「変な影」って小さく答えました。
それで、紀子ちゃんも自分が見たことを語ってくれたんです。
「私も変な影を見たんだ。家の中でね。窓の外にそれはいたよ。ただ、私の家は団地の五階で、その窓はベランダじゃなくて、普通の窓なんだ。人がたつような足場なんて、なかった。でも、確かに影は立ってた。ううん、立ってたなんて言い方おかしいかもしれないけど、確かに影はいた。私は目を離すことができなかった。影は動かないけど、目を離しちゃいけないって感じたんだ。目を離したら、入ってくるかもしれないって。だから私はずっと影を見てた。怖くて仕方がなかった。何時間も、何日も、何週間も影を見続けているんじゃないってくらい、時間が永く感じた。弟が帰ってきたとき、私は一瞬だけ目を離した。すぐに戻しても、影はいなくなってた。ひょっとしたら家に入ってきたんじゃないかって思って、その日一日は気を張ったんだけど、もう出ることはなかったね」
それを聞いて、私はある予想をしました。
「じゃあ、ひょっとし……」
「うん、あの子も見た。私はすぐに、あの日こっくりさんに参加した全員に電話をかけたんだ。あなたは出なかったけど」
「ごめん、その日一日怯えてて」
「うん、その気持ちはわかる。でね、あの子だけが見てたんだ。影を。家の庭で」
私は恐ろしくなりました。ひょっとしてと小さく呟くと、紀子ちゃんは頷きました。
「きっと、連れていかれたんだ」
「じゃあ、私たちもそのうち」
不安になった私の両手を、紀子ちゃんは握ってくれました。
「そう思っちゃダメ。そうならないように頑張らなくちゃ。あなたはまだ道で会ったくらいだから、きっと大丈夫。影に自分の家の場所を知られないように努力して」
「具体的にどうすればいいの?」
「家への道を毎日変えるとか、いろいろあるでしょ。でも、私は危ないと思う。窓の外にいたんだから。次見たときが私の最期かもしれない」
「そんなこと言わないで、怖いよ」
「大丈夫、あの日以来お守りずっと持ってるから。あなたも持ってる?」
「うん」
「ずっと持っててね。ないよりあるほうがましに思うから」
「わかった」
「とにかく、解決方法を見つけないと、絶対に危ないと思うんだ。だから気を付けてね」
紀子ちゃんは小学生の時から、私の事をいつも気にかけていました。何かするときも、いつも私を誘って、私が行かないっていえば、じゃあ私もって言って、それでは申し訳ないからやっぱり行くっていうと、ニコって笑って。ある日、私たちは数人で林の中を遊んでいましたが、私は段差のあるところで転んでしまって、腕を折ってしまったんです。紀子ちゃんは泣きわめく私のそばに来て、何度も謝りながら、ずっと付き添ってくれました。そんな紀子ちゃんは私を慰めるとき、いつも言うんです。大丈夫、何とかなるって。骨折した時も、ずっとその言葉を言っていました。きっと、あの言葉があの子の口癖だったんだと思います。
紀子ちゃんは不安がる私を見て、微笑みました。
「大丈夫、何とかなるって」
その日は何事もなかったかのように過ぎました。
家に帰るまで、私はまた影に会うんじゃないかって怯えていましたが、その日は影に会うこともなく家に着くことができました。家についても安心できなかったので、テレビをつけながら、勉強しました。でも、勉強しても頭の中に入っては来ません。怖くて怖くて、振り返れば影がいるんじゃないかって思ったんです。
でも、その日は何事もなく終わるはずでした。
あのメールが来るまでは。
夜、その日不安で寝付けず、携帯をいじっていたら紀子ちゃんからメールが届きました。内容はただ一言でした。
“家の中に”
それが紀子ちゃんのメールです。不安になって、私は何度も電話をしましたが、紀子ちゃんは携帯に出ることがありませんでした。
翌朝、紀子ちゃんの家族が警察に捜索願を出したと告げられました。もちろん、先にいなくなったあの子の家族もです。
私は、紀子ちゃんと永遠に会えないんだなって、感じました。
誰も座ることのない紀子ちゃんの机の前に立って、私はただ茫然としました。
きっと、最後まで努力してたんだ。最後まで何とかしようとしたんだな。
私はそう思っていました。
私を気遣ってくれた紀子ちゃん。
紀子ちゃんがいなくなったとき、私は本当の孤独を思い知りました。
ううん、これすら本当の孤独ではありませんでした。
本当の孤独を思い知るのは、この先の出来事です。
中川紀子
1995年7月1日生まれ
藤沢市立滝の沢中学校出身
失踪日時:2010年7月4日