「死にかけた少年と悪魔の契約」 試し読み
「神達に拾われた男」書籍発売記念投稿
~プロローグ~
“トアル村”
鬱蒼とした森を眺める小高い丘。その上にある小さな村。
辺境に位置するこの村は、都会の喧騒とは縁遠い。
200に満たない人々が自然と共に慎ましく暮らす穏やかな村だ。
だがこの日。天気の良い日中にもかかわらず、表を出歩く村人の姿はなかった。
彼らは誰一人として例外なく、家に篭り扉に閂をかけている。
村には言い知れぬ不気味さと重苦しい空気に満ちていた……
■ ■ ■
「………………ん……」
あばら家の寝室に寝かされていた子供がうめく。
「レオン!?」
「レオン!! 目を開けてくれ!」
「ん~……? お、父さん……お母さ、ん?」
両親の呼びかけが意識の朦朧とした少年を揺り起こした。
開かれた双眸には、涙を浮かべた両親の姿が写る。
「レオン!」
「良かった! 本当に良かった……」
「……?」
「痛いところは無いか?」
「気分は悪くない? 大丈夫なの?」
少年は状況を飲み込めずにいたが、両親の問いかけには頷いて答えを返した。
そこへ壁際から一人の男が近づく。
立派な甲冑に身を包み、毅然と立つ姿は村人らしくない。
隣に控えるもう一人に武器を預け、男は静かに少年のいるベッドの横へ。
「レオン君だね?」
「誰……?」
「ふむ……まだ意識がはっきりしていないようだな。何か薬でも使われたのか?」
「お薬?」
「……まず、私はミューゼル。辺境騎士団に所属している騎士さ」
ミューゼルと名乗った男は白髪交じりの髪を掻きあげ、柔和なほほえみをレオンへと向ける。
「目覚めたばかりで申し訳ないが、君が眠る前のことを思い出してはくれないか?」
「寝る……前……暗かった」
「そうだね。……よし、我々が知っていることも話そう。そうすれば思い出し易くなるかもしれない」
ミューゼルは表情を真剣なものに変え、語り始めた。
「レオン君。君は……いや、君達は2日前の夕方頃、盗賊団にさらわれたんだ」
「!」
“さらわれた”
その一言がレオンの心を刺激し、記憶の一端を呼び起こす。
「薬草……」
「そうだ。君を含めて8人。子供だけで丘のふもとまで薬草摘みに行き、さらわれた。その後現場に残された薬草籠を見て、大人が巡回調査をしていた我々に助けを求めたんだ」
その日、頻繁とは言えない巡回調査の一団が偶然に訪れていたのは村にとって、そしてレオンにとって幸運であった。助けを求められた一団は迅速に行動し、残された痕跡を追って盗賊団の拠点を見つけ出したのだ。
「おじさんが助けてくれたの?」
「……君を連れ戻しただけさ。我々が拠点を発見した時、盗賊団はもう壊滅していた」
「!」
レオンの心が再び揺れる。
「拠点の中は……とにかく酷い有様だった。君とお友達の3人を除いて全滅だ。……救助が遅れてすまない」
「……悪魔……」
レオンはかすかに思い出した。盗賊の拠点で何があったのかを。
その記憶はレオンの心をかき乱し、ミューゼルの謝罪を耳に届かせない。
「怖い大人が……悪魔を呼んで……そのために皆!」
「つらいことを思い出させるが、詳しく聞かせてほしい」
怯えながらもレオンは語る。
森の浅い場所で薬草を摘んでいたところを大勢の大人に取り囲まれたこと。
一度意識を失い、目が覚めると洞窟で縛られていたこと。
そこでは意識を失う前に見た大人が輪になって座っていたこと。
自分達がその内側に並べられ、友達が一人ずつ中心に運ばれては殺されたこと。
その度に小さな異形――“悪魔”が召喚されていたこと。
1つを話せばもう1つ。次々と蘇るレオンの記憶。
説明は断片的で要領を得ない部分も随所に見られたが、大体の状況は把握できる。
「やはり“悪魔召喚術”か……」
“召喚術”
人の体内を巡る“魔力”を用いて異界の存在を召喚し使役する、ごく一般的な魔術の1つ。
召喚術には大きく分けて“聖”、“獣”、“魔”の分類があり、“聖”は天使など聖なる存在、“獣”は動物や昆虫、そして“魔”は悪魔など邪悪な存在を召喚する。
どれを得意とするかは個人の適性によるが、“魔”に分類される存在は比較的召喚しやすく犯罪に用いられることも少なくない。
ミューゼルも拠点に踏み込んだ時点で悪魔召喚術が行われた痕跡は確認していた。
悪魔召喚術師は生贄を使う事もある。
召喚した悪魔の制御に失敗する事例にも事欠かない。
騎士と言う職に就いて長い彼にとって、事の経緯は予想できた。
しかし問題は盗賊の死に方にある。
まず盗賊団は総勢27人と多く、遺体の全てが上半身と下半身を泣き別れにされた上、上半身は原型が分からないほどに叩き潰されていた。悪魔は残忍と言うのが常識ではあるが、それにしても遺体の損壊が酷すぎる。ミューゼルは自身の経験と比較し、警戒レベルを引き上げた。
さらに残された下半身は円を描いたまま。盗賊が逃げようと行動に移す間もなく殺された事。それを可能にするだけの強さを持った悪魔であると考えられる。
しかしミューゼルは悪魔の姿を確認していない。彼自身が索敵に長けた召喚術師であり、周囲を警戒したにも関わらず痕跡1つ見つからなかったのだ。
生き残った子供の保護を優先し即座にその場を離れたが、まだ強大な力を持った残酷な悪魔がまだ付近を徘徊している可能性が残されていた。
それだけでも厳戒態勢を敷く理由には十分。しかしミューゼルは先に目覚めた他の子供からさらに絶望的な情報を得ている。と同時に、それこそがレオンに話を聞く最大の理由でもあった。
「……召喚された悪魔が“人の言葉を喋った”と聞いたのだが」
「……分からない。思い出せないっ!?」
唐突に壁際に控えていた男が荒々しい足取りで近づき、レオンの胸倉を掴み上げた。
「嘘をつくなッ! 貴様が悪魔と会話していたことは他の子供が証言している! 何を話した!? 嘘偽りなく全てを話せ!」
「うっ!」
「騎士様!」
「どうかおやめください!」
「やめんか馬鹿者ッ!」
「っ!」
両親の懇願とミューゼルの怒声によりレオンは解放された。
荒い息を吐きながら男へ怯えた目を向ける。
「……ガドラー、部屋を出ろ。お前の不安は私にも分かるが、子供に当たっても意味はない。頭を冷やして部下の指揮に当たれ」
「……承知。……少年、すまなかった」
ガドラーがそう言い残して立ち去った後、ミューゼルも頭を下げた。
「部下が悪いことをした。申し訳ない。我々は君に危害を加えるつもりはない。しかし“悪魔が人の言葉を喋った”というのは本当に重要な事なんだ。
一概に悪魔と言っても個体によってその強さは違ってね。武器を持った大人なら訓練を受けていなくても倒せるような弱い悪魔から、たった1匹倒すために国が軍を総動員しないとならない悪魔までいる。そこまで強い悪魔が出てくるのは稀だけれど……歴史に語り継がれるような強さを持つ悪魔には共通点がある。それが“人の言葉を喋る”という点だ。
だから君達が見た悪魔も、軍隊で相手をしなければならない悪魔である可能性が高い。とても危険な悪魔なんだ。村の皆の安全のためにも、知っていることがあれば教えてほしい。頼む」
レオンを怯えさせぬよう気遣う声色で話し、再度頭を下げるミューゼルだが……
「……ごめんなさい。本当に分からない……ただ怖くて……助けて、とは言ったかもしれない……?」
「そうか……分かった。何か思い出したら教えてくれ。我々もしばらくこの村に滞在する予定だ」
ミューゼルは体を外へ向ける。
「騎士様、もうよろしいですか……?」
「嘘をついているようにも見えない。本当に思い出せないのでしょう。先ほど飲ませた聖水に拒絶反応もないので、取り憑かれてはいない筈です。……しかし悪魔には人の記憶を奪う輩もいると聞きます」
「そんな!」
「あくまで可能性の話です。ひとまず様子を見ましょう。まずは彼をゆっくり休ませてあげてください。お2人も少し休んだ方が良い。……避難の用意だけはお忘れなく。我々も死力を尽くしますが、本当に人語を理解する悪魔であれば……場合によっては村を捨てていただく事に」
「分かりました。家族の命には代えられません」
「レオン、もう少し横になっておいてね。あなたが無事でよかったわ……」
子供にもその深刻さが窺える雰囲気を漂わせながら、両親はミューゼルと部屋を出て行った。
そして一人残されたレオンは再び深いまどろみの中に落ちていく……
■ ■ ■
深夜……人によっては翌日の早朝と表現する時間にレオンは目を覚ます。
普段であれば彼も眠っている時間だが、今日は昼間に眠り過ぎた。
二度寝もできずにベッドの上で寝返りをうつ。
「……?」
レオンは気づいた。暗い室内、よく見えない視線の先に誰かがいる事に。
(お母さん? ……お父さん? ……? 机と椅子? あんなの、なかったはず……)
徐々に目が慣れ、輪郭が鮮明になってきた頃。
「む? おお、起きていたか」
「……誰?」
レオンはその声に聞き覚えがあった。しかし声の主を思い出せず、問いかける。
「ふむ……まずは明かりをつけるとするか“※※※※”」
聞き取れぬ言葉が流れた途端、天井に小さな明かりが灯った。
光源は炎のように揺らぐことなく安定した光で室内を照らす。
「……誰?」
レオンは咄嗟に目の前に手をやり影を作る。
そして光でくらみかけた目を懸命に開き、視界に捉えたのは一人の男。
黒一色だが礼服を着込んだ貴族の如き立ち姿に既視感を覚えたものの、やはり思い出せない。
頭を悩ませるレオンの様子を見て男は呟く。
「……記憶封印と思考誘導は効果あり。抵抗力も想定の範囲内か……やはり術に対しては凡人のようだな。どれ、頭を貸せ」
いかにも怪しい男の言葉に、レオンは素直に従った。
ベッドの上から傾けられた額に男の指が触れる。
「“■■■■”」
先ほどとは異なる言葉だが、やはりレオンには理解できず。
「これで封印は解けた。どうだ? 我が分かるか?」
「? ……分からない」
「少々強くかけ過ぎたか。じきに戻るとは思うが……思い出せぬなら自己紹介といこう」
男は椅子をベッドのそばへ運び、腰を据えて仰々しく宣言する。
「我は“#@%*&**$・@:%@&:$#@”。人間には“エンパジア・ボフナフィウス”と名乗っているしがない“公爵級悪魔”だ」
「!!」
悪魔という単語に驚き咄嗟に身を固めるレオン。しかし声は出なかった。
「叫ばれては何かと面倒でな。そこは制限させてもらった。助けは呼べぬし、叫べたところで誰も来はしないが……とりあえず危害を加えるつもりはないので安心するが良い。なにせ汝は……我が契約者でもあるのだからな」
安心しろ。到底無理なはずの要求をレオンは受け入れた。
「……ほう? もう少し暴れるかと思ったが、存外素直ではないか。無意識下で思い出したか? それとも単なる理性的判断か、術からの復帰が早いか……何にしても悪くない」
「どうして……悪魔がここに……?」
「その答えはただ一つ。汝が我が契約者となったからだ。自分の腹を見るがいい」
「……!」
服を捲った腹には包帯が巻かれ、そこに傷があることを示していた。
同時にレオンの脳裏にまたしても記憶が蘇る。
暗い洞窟。四本の蝋燭。血の魔法陣。笑って喜ぶ恐ろしい大人達。血まみれの友達。
そして、自分の腹に刺さる刃物。
「!!」
レオンの顔面は瞬く間に蒼白に、脂汗を流し始める。
「思い出したか。息を吸え。深くだ。案ずるな、汝の傷は我が死なぬ程度に癒しておいた。その上、寝ている間に騎士の治療も受けていたぞ? もう痛みもあるまい」
「かはっ!?」
言われて痛みがないことに気づき、息の塊が吐きだされた。
「ハァ……あり、が、とう……」
「礼を言う必要はない。“汝らの命を救う事”それが我らの結んだ契約。我には汝を助ける義務がある。そして……汝から対価をいただく権利もな」
こうして死にかけた少年は、夜を通して悪魔の契約を確認する。
救われた命は幸か不幸か……幼い少年の知らぬ間に結んだ契約は如何なる物か……
全ては少年と悪魔のみぞ知る……