7:「収穫」
「おかしいって、別にそこまでは言ってないわ……」
女性は言い過ぎたと言うように、指で頬をかいている。
あ、しまった。また声が漏れていたんだ。どうやって誤魔化そう。
よりによって、こんなナルシストに『見えない友人と会話してる痛い奴』と思われてしまうなんて屈辱すぎる。
『いや、アキくんはおかしいよ! ユイちゃん遠慮することないんだよ? もっと言ってやって! だってさっきなんか――』
幽霊は聞こえもしない声を張り上げて、女性を応援するように必死に話しかけている。
くそっ、お前がいるからこんな面倒くさい状況になったっていうのに!
味方が出来たとたんに元気になりやがって。
「いや、これは……なんていうか、ですね……」
なんて説明したらいいんだ。
うまい言い訳が何も思いつかない。
なんていったって大声を出していたのは事実なんだ。
歌っていたわけでもないし、一人で声を出しても不自然じゃない状況……そうだ、演劇っていうのはどうだ?
いや、その言い訳した後ごまかし続けるのは面倒だ。
でもそんなこと言ってられないか? 困るのは他でもないぼく自身なんだ。
困るのは……待てよ、そもそも隣の女性にどう思われても関係ないじゃないか。
そうだよ、これから接点なんか持たないんだから、どんなイメージ持たれても平気じゃないか。
ぼっち万歳。
『やーい困ってるー! 私のこといじめた罰だー! ざまーみろー!!』
うるさいんだよ!
どうせお前の声は誰にも届かないんだから黙ってろ!
「えーと……ああ、なるほどわかったわ!」
「……え?」
女性はあたふたしているぼくを見て、何かを把握したようだ。
何が? 何がわかったんだ?
もしかしてぼくが一人で叫んでしまった状況をわかったのか?
何も説明してないのに納得まで自分一人で行ってしまったのか。
一体どんな――
「――あなた、自分に話しかけていたのね! 私もよくやるわ!」
だけど女性が次に発した言葉は、ぼくの予想の斜め上をいく答えだった。
女性はなぜか得意げだった。
俗に言うドヤ顔というやつだ、初めて生で見た。
「………………は?」
自分に、話しかける?
いやいやいやいや、なに言ってんのこいつ頭おかしいんじゃないの?
よくやる? よくやるって言ったかいま、よく自分に話しかけてるの?
どういう状況でそうなるんだよ、何が目的で自分に話しかけるんだよ。
もう何もかもがわからない。
『あはは、そういえばよくやってたねえ。ユイちゃん可愛いもん気持ちわかるよ~!』
わかんなよ、自分で自分に話しかける気持ちなんてわかんなよ!
絶対ノリで合わせてるだけだろう! ってかお前……!
「さっきからうるっさいんだよ! 少し黙ってろお前!」
幽霊があまりにも絡んでこようとするので、つい叫んでしまった。
『ひうっ!?』「ひゃぅっ!?」
でも反応した声は二人分。
……しまった。
「……せ、せっかく私がフォローしてあげたのに! なんでそんなこと言われなくちゃなんないのよー!! あなた何様のつもり!? そもそもあなたがうるさいから、わざわざこの私が叱ってあげたのに、こんな侮辱初めてよ!」
女性は驚いてのけぞってあと、涙目で講義の声を上げた。
「あー……ですよね」
またまたやってしまった。
ダメだとわかっているのについ反応してしまう。
当然だけど聞こえない人にはわかんないんだよなぁ。
隣でものすごく、うざい幽霊が騒いでいるの。
ていうかあれフォローだったんだ。
相変わらずのすごい上から目線だけどそういう気の使い方も出来るんだなぁ。
こういうところがあるから幽霊は懐いているんだろうか。
『そうだそうだー! 大きい声出せば恐がると思ってるんじゃないぞー!』
がたがたと震えてしっかりと恐がっている幽霊はそれでも負けないと声を上げている。
女性の後ろに隠れている姿はすごく情けない。
「まったくもう、わかったら静かにしなさいよね! 周りの迷惑も考えて!」
女性は少し落ち着いたようで、それでも一体どんな遠い人に言っているのかわからないくらいの大声で再度ぼくを叱ろうとする。
「…………っ」
女性が言った言葉、多分その言い方だと思うけどそのせいで少しだけ生まれかけていた罪悪感が薄まってしまった。
まったく、追い討ちをかけないでいたら円満に終わらそうと少しは思えたのに。
……多分だけど。
ていうか、あんたに周りの迷惑とか言われたくないな。
「はは、あなたのその声もうるさいです。いちいち声を張り上げないでくださいよ暑苦しいなぁ。周りの迷惑を考えてくださいね?」
だからこんな悪口が出ちゃうんだよ。
うん、そうだ。
ぼくは悪くない。
「ちょっとあなたっ……!」
『アキくんひどいよー!』
女性は怒りで玄関から部屋の中に入ってこようとする。
それにつられて女性に抱きついている幽霊も引きずられて同じ動き。
しかも同じような顔で怒っている。
そうだよな、叱りにきたら反撃されたんだ、そりゃ怒るよね。
――でもまだぼくの攻撃は終わってない。
「ちょぉっと~……中に入ってこないでくださいよ埃が立つじゃないですかー。そもそもなんで勝手にドア開けてるんですか非常識だなぁー。周りの迷惑も考えてください」
ひどい奴だ。自分で言っておきながら少し引いてしまう。
これは腹立つだろうなー。
「…………くーっ!」
『アキくんさいてー……』
女性、じだんだ。
しかも言われたとおり中へ入らずに。
あーあー、顔が真っ赤だよ。
なんだろう、律儀というか真面目というか。
多分その外見の綺麗さで今まで周りの人は強く言ってくることはなかったんだろうな。
言うのは慣れているけど、言われるのは慣れていないんだ。
なんせファンクラブが存在してるような人だからなあ、ちやほやされて甘やかされて、その待遇はお姫さまってところかな。
いやー愛されてるなぁ。
……まぁ、ぼくは幸せそうにしてる人を冷めた目で見てしまうようなひどい人間なんで、これからは関わらないでというちょっとしたサインだと思ってくれれば。
「もう帰る……」
女性は扉から離れるようにとぼとぼと歩いていく。
あぁ、泣きそうだよ可哀相に。
ん、こほん。
はいさようならー、二度と来ないでねー……ん?
待てよ、なにか忘れているような。
「あー、そうか……」
この人には聞きたいことがあったんだった。 挨拶のとき聞けなかったことを。
聞けなかったっていうか怒りで忘れていたというか。
なんだろう、この人と話しているとすぐ頭に血が上ってしまう。
相性悪いんだろうか。
「あのー聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
急いで靴を履き、202号室のドアノブに手をかけた女性を呼び止める。
ここまでやっておいて自分勝手だなあ。
絶対答えてくれないよなぁ、少なくてもぼくはこの状況での質問には答えないだろうな。
あまりにも態度が悪すぎた。
反省しよう。
来世から。
『虫よすぎだよアキくん……。心があるのかどうかも怪しいよ』
幽霊は部屋の中から声だけで責めてくる。
そうか、部屋から出られないから声だけなんだな。
扉を開けっ放しにしてしまったので会話を聞かれてしまっていたんだ。
一応、反省を生かして小声で返す。
「…………ぅるさいっ」
わかってるよそんなこと。
ってそうだ、反応しちゃいけないんだ。
ていうか完全に忘れていたけどこの人って犯人じゃないよな?
茶髪の人が自供していたし、大丈夫だと思うけどいまいち不安だ。
ははは、
後悔ってぼくの為にある言葉だなぁ。
「……なによっ?」
泣いた目をごまかすように、手のひらで擦りながら女性は聞き返してきた。
聞き返したということは答えてくれるってことだろうか?
呆れるほど律儀だ……いや、そうか、初対面での印象が最悪だから気づくのが遅れたけど、根は良い人なんだ。
愛されて育ってきた人は素直でいい子になるって聞くけど、まさにそれだな。
外見が普通だったら高飛車なナルシスト成分も消えていただろうに。
……いや? でも綺麗じゃなかったら愛されてないかもしれないのか。
外見か性格どっちかしか取れないなんて、人生って切ないんだなぁ。
「ぐす……、聞きたいことあるんじゃないのっ? 早く言いなさいよっ!」
ドアノブから手を離し、女性は威嚇するように声を出している。
なんか猫みたい。
『そうだー早く言えー!』
しまった、自分から言っておいて待たしてしまっている。
それにしてもまだ泣いているのか、思ったよりずいぶんと打たれ弱い人だな。
くそ、声だけで女性の味方をする幽霊がうざい。
「……ああ、えっと」
どうしよう、直接聞きたいことを聞ければ話は早いんだけど、事件のことをいきなり聞くってどうなんだ?
どう考えても怪しいよなあ。
それに幽霊が話を聞いている状況で聞いたら殺された理由を調べているって誤解されてしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。そうだ、102号室の男性のときと同じ聞き方をすれば遠回りに質問できるんじゃないか?
あのときは確かこうやって――
「――幽霊って、信じますか?」
『えっ!? アキくん私のこと調べてくれてるの!? 聞きたいことってそれ!? てっきり愛の告白でもするのかと思ったよー。えへ、えへへ、照れるな~』
ぼくの部屋から照れ笑いの混じった声が漏れてくる。
もちろん幽霊だ。
「…………はあ」
バレたー、即効でバレたー。
そうだよな、幽霊ってこいつのことだし、話題に上がったらそりゃ事件のこと調べてるって思うよな。
迂闊だった。
いや、短慮だった。
それにしても愛の告白って、なんでだよ。
さっきまであんなに険悪だったのに、どうやったらそうなるんだよ。
……ああ、逃げる女性を追う男って状況からか?
くだらねえー……。
「……なにか、宗教でもやってるの?」
女性もさっきまでの泣いていた顔が嘘のようなジト目でぼくを見ている。
それにしても、そっち疑っちゃうのかー……。
そうだよな、普通に考えたら幽霊の話とかされたら引くよな。
ああ、なにやってんだろ……。
「……いや、少し真面目に答えてくれると助かるんですけど」
そうだよ、ここまで来たらなにか少しでも情報を取得しないと。
なんでここまでダメージを受けないといけないのか、さっぱりわかんないけど頑張らないと。
『そうそう! アキくんが私のために聞いてるんだからユイちゃんマジメに答えてね! きゃ~もうどーしよー! アキくんやっぱりツンデレー!』
くっ、今すぐに声を出してしばき倒したい……!
はっダメだダメだ、ぼくが真面目にやらないでどうするんだ。
気を引き締めろ!
「このアパートに幽霊が出るって言ったら、信じます?」
『出るよー! すごい出るよー! わんさか出るよ! もちろん信じるよね! ね!』
ぬぅぅ~うざい。
ものすごく、うざい。
でも我慢、我慢するんだ。
つっこんじゃダメだ。
「隣の部屋のこと……言ってるの?」
『…………ぁ』
ん? ずいぶん回りくどい言い方するなあ。
「……はい、そうなんですけど」
でもやっぱりすぐに場所がわかるってことは、ある程度住人は事件のこと知ってるんだな。
まあそりゃそうか、自分の住んでるところで起こった殺人事件だ、知らないほうがおかしい。
家族みたいに、仲が良いんじゃなおさら、だよな。
仲が良すぎて殺しちゃう犯人、か。
あの男性はどうして殺してしまったんだろう。
「なにか知ってることがあったら、教えて欲しいんですけど」
どこまで聞けるかわからないけど、その理由だけでも知れたら、あの幽霊も満足して部屋から出て行ってくれるだろう。
わざわざ聞いてやるなんて、これっきりだぞ。
女性はぼくの顔を一瞥してから、すぐに顔を下に伏せてしまい――
「……あまり無神経なこと、するものじゃないわ」
そう言い残して、202号室へ入っていってしまった。
すっかり何か聞けるものだと思い込んでいたぼくを、置き去りにして。
「…………え?」
なに、それ。
結局収穫なし? これだけ心に傷を負ったのに?
ええー……。そりゃあまり嗅ぎまわっていいことじゃないけどさ。
なんだよ、あんがい常識人なんだな……逆にがっかりだ。
……ん? そういえばあれだけ騒いでいたのに、幽霊も静かになったな。
まあ、静かにしてくれるのは嬉しいんだけどさ。




