6:「異端」
「……犯人、見つかったんだけど」
逃げるように自宅へ帰還してしまう。
かなり音を立ててしまったから、男性にぼくのことがばれてしまったかもしれない。
でもしょうがない、とにかくあの場にいたくなかった。
なんていうか……心臓に悪い。
このアパート健康に優しくないよ、驚きの連続。
『えっ……ホントに?』
幽霊はテーブルの上に置いたプリンの空容器をいじっていて、挨拶すると言ってすぐ帰ってきたぼくを驚きの表情で見ていた。
まさに唖然としたってやつだ。
そりゃそうだ、気持ちはわかる。
もしこれが物語だったら、幽霊の願いがたった数時間で叶ってしまうような、山場もなにもない三文小説みたいなオチなんだから。
「ああ、はっきりと言ってたよ。これでお前との共同生活もお終いだな。まあ地獄とかで元気にやってくれ。ああ寂しいなあ残念だ」
くう、つい顔がにやけてしまう。
今まで生きてきてなんにもいいことなんてなかったけど、この為だったのか。
神様も粋なことするなあ。
幸せってこういうことなのかも。
『アキくん……そんなに私のことを思ってくれてたなんて、感動だよー! ぶっちゃけアキくん暗いし生意気だしなんて失礼で優しくない奴なんだと思っていたけど、あれは全部演技だったんだね!? 本当は私のこと愛していたんだね!? フォーリンラブ!』
「………………ああ、そう、だね」
あれだけはしゃいでおきながら、そんなこと思っていたのか……。
まぁ、ぼくが好かれる要素なんてないけど、頭悪そうに見えてこいつ結構腹黒いんだな。
死んでいても女性的本質は変わらないということか。
ぼくもよく嘘つくから、女性も男性もないかもだけど。
『で? 誰が私のこと殺したって?』
立ち上がり、幽霊はキラキラした瞳で顔を覗きこんでくる。
そんなわくわくして聞くことか?
葬式みたいなテンションでとは言わないけどさ。
仮にも殺された立場なんだから、もうちょっとなにかあるだろう。
「あ、ああ、101号室の、茶髪の男性だよ」
ぐいぐいと来る勢いに押されるように答えると、
『……………………そう』
急に女性の目が細くなった。
……こわっ。
さっきまであんなに嬉しそうだったのに、なんて顔してるんだ。
初めて見たぞそんな恐い顔。
普段明るい奴の暗い面を見ると、ギャップでもっと恐ろしいよ。
「ほ、ほら、犯人わかったんだし、もういいだろ? 早く出てってくれ」
正直恐いんだよ。
そんな顔してると特に。
殺すとか、殺されたとか、だいたいなんで人の生き死になんて重い問題にぼくが付き合わなくちゃいけないんだ。
誰にも迷惑かけないから、誰も構わず放って置いてくれというのが、ぼくの普段のスタンスなんだ。
それがもう、ここに来てから狂いっぱなしだ。
そろそろ直さないとストレスがやばい。
『……ねえ、なんで犯人わかったの? 直接聞いたの?』
ほほう。
こっちの質問を無視して逆に質問するとは、この幽霊も偉くなったもんだ。
「いや、本人が叫んでたんだよ。101号室の前で」
うん、訴えかけるように叫んでいた。
扉に向かって。
……うん?
てことは、あれはやっぱり101号室の人に言っていたってことで間違いないんだよな?
……なんでだ?
それに、よく考えるとそんなこと普通叫ぶだろうか。
犯人だったら、隠そうとするんじゃないか?
自分が殺したなんて、どんな場面なら言うんだよ。
そんなの、まるで自首じゃないか。
犯行を認めているんなら、何で捕まってないんだよ。
男性は部屋の中の人に話しかけていた。
……話しかける必要があった? なんで大きな声で叫んだ?
必死な表情で、説得するように、訴えかけていた。
それは――そうしないと、いけない状況だった?
『そう……なんだ。……ふうん、そう』
幽霊はてっきり嬉しそうにはしゃぐかと思っていたから、こんなに考え込むような表情を見せられると、やっぱり自分のことには真剣なんだと感心してしまう。
どうするんだろう、復讐するんだろうか。
それとも、自分が予想していた犯人とは違った、とか?
『……理由は?』
「は?」
何言ってんの?
理由? 理由って……殺した理由?
「そんなの知らないよ。そもそもそんなの調べるなんて言ってないし、お前が言ってたのは『犯人を見つける』ことだろ?」
お前が言ったんじゃないか、私を殺した犯人見つけてくれって。
厳密に言うとそれも引き受けてない。だから犯人を教えてやったのはぼくの慈悲の心だ。
まぁ嘘だけど。
本当は早く出て行って欲しいだけだ。
『そのあとお願いしたじゃん! 私のことをなんで殺したのか調べてって!!』
拳を震えるほど握り締めて、幽霊は吠えるように追求する。
「だからそんなの引き受けてないって何度言えばわかるんだよ!」
あまりにも自分勝手な言い分に、ついこっちも大声になってしまう。
『だいたい、なんでケンジくんが犯人だってわかるのさ! 理由がわからないんじゃ本当かどうかわかんないじゃん! アキくんが適当言ってるかもしれないんだしさ!』
「お前……人がせっかく教えてやったのにその態度はなんなんだよ! そんなに気になるなら自分で調べればいいだろう!」
『……またそうやっていじわる言う!』
幽霊の顔は熟したりんごみたいに真っ赤になって、涙で顔がぐしゃぐしゃだ。
彼女がこんなに感情むき出しで叫ぶ姿は新鮮で、多分午前中は本心を抑えていたんだろうということがわかってしまった。
人と話すのが久しぶりで楽しくて、嫌われたくなくて。
でもやっぱり我慢できないこともあって、怒るときもある。
幽霊って言っても、体がない他は何も変わらないような――あいつみたいに。
意外にもぼくは頭に血が上ってなくて、冷めた目で泣きじゃくるそれを観察していた。
「ふん、自分には誰でも優しくしてくれると思うなよ。他人って奴はもっと冷たいんだ」
そういうところが子供っぽいっていうんだよ。
人間はもっと冷たい。誰でも仲良く出来るなんてことはない。
気味が悪い奴はいじめられるし、出る杭は打たれる。
異端は排除されるし、罪悪感の欠片もなく、切り捨てられる。
普通は見えないものが見えてしまうような奴は――特に、そうなんだ。
『ふぅ~……! ぐす、うー……!』
幽霊は、座り込んで泣いている。納得してないような目をして、
『アキくんが理由を調べてくるまで絶対出て行かないからね!』
なんてことを言う始末。ったく。
「ふざけんなよ! なんの権利があって――」
そのとき、扉が開く。
「うるっさーい!!」
チャイムも押さずに突然現れたのは、隣に住んでいる高飛車な女性だった。
「なに叫んでるのよ! もう少し静かにしなさいよ!」
そうか、大きい声出すと隣に聞こえちゃうんだな。
やっぱりこんなボロアパートじゃ、プライベートもなにもあったもんじゃない。
……幽霊が住み着いている時点で、そんなの期待しても無駄なんだろうけど。
それに鍵かけるのを忘れていたぼくも悪い。
でも、こんな事態が起こるなんて予想できる人がいるのか?
『ユイ、ちゃん……?』
ぐす、と幽霊は水分多めの目をこすりながら、名前を呼ぶ。
そして、
『ユイちゃぁぁぁあああん!!』
飛び掛って、ぶらさがるように抱きついてしまう。
久しぶりに会うからだろうか、ずいぶん懐いているなぁ。
嬉しそうに頬をこすり付けて、泣いていたのも忘れているみたいだ。
もっとも、抱きつかれている本人は……。
「うん……? なんか、肩が重くなったような……。い、いやそれより、あなたねえ! 誰かと話しているならもう少し静かに……て、あら? あなた一人なの? まさかさっきのは独り言?」
そのことに、気づいていない。
「…………ああ」
やっぱりこいつは、ぼくにしか見えてないんだな。
それに少しの違和感はあるみたいだけど、触られたことにも気づいていない。
当たり前だな、体が、ないんだから。
こいつに触れたり、話したり出来るぼくがおかしいんだ。
きっと隣に響いてしまった声もぼくの分しかないんだろう。
一人、この部屋には一人しかいなかった。
死者は、その数に含まれない。
「やっぱり……ぼくはおかしいんだな……」
今回突然現れた非日常も、前に体験したのと同じように何かを奪っていくだけ。
平穏だった日常を壊していく。袋小路に追い込まれるような心苦しさ、どこにもいけない辛さ。
嫌だな。
また、したくない後悔をするんだろうか。
あいつの時と、同じように。




