20:「嘘」
部屋に戻り、電気をつける。
明かりが広がった、空間にやはりあの幽霊の姿はない。
時刻は二十一時。
そういえば、昨日は二十二時に寝てしまったんだよな。
人とたくさん話したから、疲れていたんだろうか。
今日は昼から夕方まで寝てしまったから、まだ元気があり余っている。
今どきの小学生ですら眠らない時間だ。
来月から大学生になるんだから、なにかもっと有意義に過ごすべきだよな。
座って、テーブルに突っ伏す。
プリンの空容器が少し音を立てた。
あぁ……、一人の時間ってなんか久しぶりに感じるな。
前はずっと一人でいたのに、変な感じだ。
こういう時間、なにやっていたんだっけ。勉強とかしていたかな? 本とか読んでいたかも。
いや、隙あらば寝ていたんだっけ。
あー……もう、調子狂うな。
不本意だけど、六畳一間が少し広く感じる。
原因は、……あいつだよなぁ。
引っ越してから巻き込まれた、不思議な騒動。
最初になんて言われたんだっけ。
あぁそうだ。『私を殺した犯人を見つけて』だったっけ。
なんて無茶なお願いだよ、ったく。
ちゃんと考えるとすぐにわかることだった。
人の話を先入観なしで聞くと、簡単に判断がついた。
だからあいつは、ああゆう言い方したんだろうけど。
「犯人は、お前だったんだな……」
すっかり騙されたよ。
まったく疑ってなかった。
なんてお人よしなんだぼくは。
そろそろ、決着をつける頃だろう。
「出て来いよ、もうこんな茶番はたくさんだ」
これで出てこなかったら、すごいマヌケな独り言だな、と思ったけど、そいつは意外なところから現れた。
最初に顔が、壁から突き出てきたんだ。
『えっへっへ。びっくりした? ねえねえびっくりした?』
能天気な幽霊の、顔が。
「……ああ、心臓が止まるかと思った」
嘘だけどね、ちゃんと気遣いも出来る男だからさ、ぼく。
続いて手、肩と順に姿を現していく幽霊。
なんで“うらめしや”のポーズなんだ。まったく雰囲気にあっていない。
顔が笑っているんだよ。
脅かすならもっと趣向を凝れよ。
ていうか、やっぱり壁抜け出来るんだ。
物に触れるくせに、触らないことも出来るなんてずるいやつだ。
物理法則を無視しすぎだろ。
ひょっとして、浮いたりも出来るのかな。
『んしょっと。はい! ただいま!』
体の全部が部屋に出てきた。
両手を広げて決めポースをしている。ていうか出てきた方向から推測するに、ツンデレの部屋から出てきたっぽい。
迷惑なやつだ、心霊現象に悩んでないといいけど。
お酒も入って完全に寝入っていたし、心配ないか。
『ちょぉっと~おかえりは~!? お姉さんにおかえりのちゅうはどうしたのさっ』
「……うるさいよ、それよりぼくに何か言うことがあるんじゃないの?」
いなくなって、ちょっとでもしんみりした気持ちになったのが、馬鹿みたいだ。
出てきたとたんすごいうざい。
あー……失敗したかなぁ。
あのまま放置しとけばよかった。
『え、うーん……おつかれ!』
きょとんとした表情をしたあと、空中へチョップするみたいに右手を出す幽霊。
「……なんか、上から目線で超ムカつくんだけど」
なんだよおつかれって。
せめて『ご苦労様です』くらい言えないのかよ。
お前はぼくの上司かこのやろう。
なんでお前に労われなくちゃならないんだ。
「えー? ……じゃあ、ごめんね?」
両手を合わせて、おじぎするトコ。
「それもだけど! それも欲しかったけどもっと大事なことあるだろう?」
なんのために、こんなことしたと思っているんだ。
『ん……あぁなるほどぉ! もーアキくんってばツンデレ~』
やっとわかったか、にやにや笑うな。
なんか催促しているのが、恥ずかしくなってくる。
『うん、ありがとね!』
目が線になるほど、顔をくしゃっとした笑顔。
アニメかお前は。
「……ったく」
わざわざお前の『お願い』を聞いてあげたんだ。
感謝の気持ちが足りないんだよ。しかも直接何をして欲しいかなんて伝えられてないんだ。
いわばこれはぼくのファインプレーなんだぞ。
推理力の高さにもっと注目しろよ、もっと褒めろよ。
『いやー、それにしてもバレちゃったかぁ。いつわかったの?』
出てくるやいなや、畳にごろごろと転がる幽霊。
……どんだけリラックスしてるんだよ、ここはお前の家か。
「考えてもわからないことが最初からあったけど、完璧に繋がったのはさっきかな」
幽霊は寝そべりながら目を瞑っている。
言葉の続きを待っているようだ。
誰に殺されたのか。まずはこれから話してやろう。
きっと答えあわせをするために、こいつはぼくの前に現れたんだろうから。
幽霊はどうやって死んでしまったのか。それは、
「――自殺……だったんだな」
『……うん』
殺人事件、言い換えればそうともいえるだろう。
こいつは自分を、殺したんだ。
自分で自分を殺す。大した屁理屈だ。
だいたい殺人で首吊りなんてどこのドラマだよ。
回りくどすぎるんだ、誰もそんなことしない。
最初に殺した犯人を見つけろと言われたことで見事に騙された。
こいつは記憶がなくなってなんかなかった。
全てを最初から知っていた上でぼくに嘘をついた。
「あれは、ぼくを他の住人に関わらせるため、だったのか?」
新しく引っ越してきた奴が、以前にあった出来事に深く関わることなんかそうないだろう。
普通は住人に挨拶するだけ、最近じゃ挨拶しない奴も増えているとか。
少し話してみて、すぐにわかったんだろう。
ぼくがやすやすとお願いなんか聞き入れない奴だってことが。
まぁ最初から、ずっと断っていたしね……。
『んー……まあ、そこまで考えてのことじゃなかったけどね。とっさに思いついたことだし、あのときは結構必死にだったしねー……』
「あー……」
そっか、そういえばあのとき、ぶつぶつ言ってたしなあ。
あれは考えてたときだったのか。
そうだよな、こいつからしたら幽霊の自分と話せる人間なんて考えてもいなかったんだ。
すごい驚いていたし、すごい叫んでいたし。
『あ、でも部屋から動けない~ってのは狙ってやった、かも』
幽霊は指を顎に添えて、思い出す仕草。
そうだよな、それで結構だまされたんだ。
この幽霊は、部屋から移動出来ないんだと思い込んだことで、色々とわからなくなってしまった。
「思い出すとこれが結構穴だらけの嘘なんだよな。なんで今まで気づかなかったんだってくらい。もっとよく考えればよかった」
最初から考えていたんだけどわからなかったんだ。
思い込みって怖い。
『えへへ~、そんなに褒められても~』
褒めてねえよ、くねくねすんな。
違和感はずっとあった。
でも気づけなかった悔しさから、一つひとつ指摘してやる。
「お前さ、本当はここで死んでないだろ。生きてた頃に使ってた部屋は、201号室」
まず最初からこの幽霊は203号室で死んでいなかった。
それがこいつの嘘の一つ。
「なんでこの部屋で首吊ってたんだ?」
幽霊は恥ずかしそうに笑ってから、
『いや~うんその通り、私の部屋って201号室だったんだよね。アキくんと会ったときなんでここにいたのかは簡単だよっ。誰もいないからねここ! 私のことが見えなくてもさすがに人の部屋で首吊るわけにはいかないかな~って思ってさっ』
だいたい、予想していた通りの答えを言った。
死んでいるくせに変に気を使うやつだ。
「でもこれがわかんなかったんだよな。なんで自分の部屋にいなかったんだ?」
確かにこの203号室は、ぼくが入るまで誰もいなかったかもしれないけどさ。
『あはは、あそこの部屋さーなんか除霊のお札とか張られちゃってねー、入れないんだよね。私は悪霊かー! みたいなっ!』
「…………そう」
笑い事か。
完璧にお払いされているんじゃないか。
やるなー美雪さん。
前に住んでいた人が自殺した部屋に一ヶ月くらい経ったからって募集はしないよな。
お札張るまで本気出すところがすごいんだけど。
消す気満々だ。
『そういえばさ、なんでアキくん私の部屋のことわかったの? 超能力?』
超能力って……、お前みたいな非現実じゃあるまいし、そんなこと出来るわけないだろ。
「デブに直接聞いたんだよ。もう卒業していった人なんだろ? 篝火霧矢さん、だっけ」
ぼくの前に住んでいた人、またも同じ大学の先輩だった。
ここに入る人は全員N大に入っているのか。
普通に住むんじゃ結構不便だしな。
貧乏学生御用達ってことか。
『あー、そうなんだ。デブって、スミくんのことだよね。まったく、ひどいなアキくんは。それにしてもキリヤ先輩懐かしいなー今何してるんだろ』
そういえば、バーベキューの時も仲いいって話が出ていたしな。
出て行ったのはいつか知らないけど、きっとトコの自殺のことも知っているんだろうな。
あ、そうだよ。
「お前が本当に部屋から出られないんだったらぼくが引越しの視察でここに来たときに会っているはずなんだよな。ぼくはこの部屋しか見てないんだから」
なんで201号室に人が住んでいると思ったかも、そこにあるんだよ。
美雪さんの話じゃ、雪割荘の空きはここしかないと聞かされていた。
だから勘違いしたんだよな。チャイムを押しても誰も出てこないし、表札もなかったのはそういう理由だったんだ。
『あはは、多分そのときは別のところにいたんだね。アキくんが引っ越してくるなんて知らなかったし。色んなところに行けるようになって他人の秘密もたくさん知ったけど、やっぱり知らないことはあるもんだっ』
「……ったく」
能天気な顔して、怖いことを言う幽霊だ。
覗き放題ってことかよ。誰にも教えられないんじゃ、他人の秘密なんか知っても意味ないだろうけど。見られているってだけで気味が悪いよ。
あーそれに、最初に言ってたこともだ。
「聞いたときに気づけばよかった。部屋から出られないのにどうやって猫と関われるんだよ。カギ閉まっているんだから猫がここに入れるわけないんだよな」
外に出なきゃ猫に会えない。
たしかまだ、嘘をつかれる前の真実。騙そうとしてないときの言葉だからこういう凡ミスがあったんだ。
とっさに考え付いたことっていうのは本当にことなんだろう。
あまりにも運に頼っていた計画だった。
『えへへ~、アパートの近くに猫さんが来ててさ、こっち見てるしもしかしてって思ったらちゃんと私のことわかるみたいでさ~あれは嬉しかったな。でも、そのあとすぐ虚しくなったけどね、猫さんに見えるからなんなんだって……』
床に手をつけて、落ち込む姿勢を見せる幽霊。
「…………はあ」
まぁ、世界と関われる唯一の接点が、動物だとわかっても「だからなに?」って感じだよな。
そんなの、一人ぼっちと同じことだ。
そりゃ寂しいし、虚しいよ。
『もー、すごい暇だったんだよ? 最初は物に触れるのもわからなかったしね、すごい感動だったよ! 「あ、私触れる!」って! もーさすが私! 無敵だ私!』
ずっと退屈そうにしていたのも、本当は動けるから。
今までずっと他の人のところに居たのに、ずっと何もないぼくの部屋にしかいないなんて、そりゃ退屈だよな。
しかもろくに会話してないし。
せっかく話せる人が目の前にいるのに。
「ていうか、触ろうと思ったら触れるのかよ、チートすぎる……」
物を触る技術って後から憶えたのか。
まるで映画みたいだ。幽霊の先輩でもいたのか? ここまではっきりと実体を持っている幽霊なんて、そういないだろうけど。
ぼくもあと一人しか、……知らないし。
「あー、あと、日付だよ。これも引っかかっていたんだ。お前が本当にこの部屋から動けないんだったら今日がいつで、自分が死んでから何日経ったのかなんて、わかるはずなかったろ」
引っ越してきたばかりで、カレンダーなんかもちろんない。
でもこの幽霊は日付を知っていた。
それは、他の部屋にも移動できるからだ。
記憶がないんじゃないのかっていう思い込みも、こいつを疑わなかった原因の一つだけど。
我ながらアホだったな。
『えへー、あれは失敗だったねー。すっかり嘘ついてること忘れててさ。うっかりってやつだよねっ。天然系女子だよ! 可愛すぎるなー私ってば、惚れ直した?』
「……するかバカ」
そもそも惚れてないし。
姉でもないし。もちろん家族でもない。
こいつが家族と思っているのは、このアパートの、仲良かった住人なんだから。
デブと、ツンデレと、茶髪と、偽者の立波常夏だけ。
最初からこの幽霊は、この人たちのことしか考えてない。
特に――
「――あのときさ、鍵を開けたの……お前だろ」
茶髪のところへ挨拶に行って、成り行きで弁当を渡すことになってしまった。
初めて101号室に行ったとき、チャイムを押しても反応がなく、声を掛けても拒絶されるだけ。
もう諦めて立ち去ろうとしたとき、なぜか鍵が開いた。
「親友が今どんな状態なのか、ぼくに見せたかったから、だろ?」
幽霊はふとしたとき、いつもしている暗い瞳をぼくに向けながら、静かに認めた。
『……うん、アキくんに見せたかったんだ。私のことで苦しんでる、マナちゃんを』