19:「告白」
「なんだよ、それ……」
いなくなったあとの手紙なんて、まるで遺書じゃないか。
せっかく犯人がわかったのに、伝えようと思ったら消えてしまう。
なんて自分勝手な幽霊なんだ。 ……出て行けと散々言っていたのは、ぼくだけどさ。
――それでも、お前は『お願い』を叶えて欲しいんじゃないのかよ。
なんだか気が抜けてしまった。
いなくなるならなるで、一言くらいあってもいいんじゃないかと。……使ってみてすごいと思ったけど「いなくなるならなる」って何回「な」を使ってるんだよ。多用しすぎだよ。二文字に一つは入っているじゃないか。
はあ、こんなくだらないことを言ってしまうくらい気が抜けた。
テーブルの上に置いてある、幽霊のメッセージ。
ぼくが、引越しの荷物の中に持ってきた大学ノートを、一枚破ったんだろう。
その証拠に、本体のノートも近くに置いてあるし。わざわざ破ったということは、本体のほうには何もしていないんだろう。
でも一応、チェックしておくか……。
ノートを手に取りパラパラとめくると、あの幽霊が暇つぶしに書いたのか何枚か絵が描いてあった。
順に、部屋で首を吊っている女性と、笑っている女性。 ベッドの上で蹲っている女性と……カップルだろうか? 男性と女性が、仲良く手を繋いでいる絵だった。
しかし……、へたくそな絵だなあ。
なんかどの女性も、髪が黒くて長いしまるでホラーだ。
っていうかこれ、あの幽霊と101号室の女性だよな? 首吊りのほうと、ベッドの女性は間違いなくそうだろう。
どっちも髪が長くて黒いから書き分けがついてないけど。
普通に、数式とか書いてある次のページに書いてあるので、嫌がらせかと思ったけど、多分これが、あの幽霊がいつも考えていたことなんだろう。
夜とか暇だって言っていたし。
ノートを畳の床に置いて、次にテーブルに置いてある紙を手に取った。
……ぼくたちが飲み食いしてたとき、お前はなにを思ってこれを書いてたんだよ。
手紙にも成りきれていない、死んだ人から遺書。
開こうとした手が途中で止まった。
はたしてこれは……ぼくが読んでいいものなのか?
予想通りなら、これは、ぼく宛じゃない。
こいつが当てたメッセージは、きっとあの人に向けたものだろう。
仕方ない、面倒くさいけど届けてやるか。こんなにヒントをもらっているんだ。
少しはお前の『お願い』を、叶えてやることにしよう。借し、一だな。
時刻は二十時半。
紙をポケットに忍ばせて、部屋を出る。
駐車場のほうを見ると、まだデブは片づけを終えていないようで、太い体をせかせかと動かしていた。
夜独特の冷たい空気を吸いながら、金属音を響かせて階段を下り、デブのもとへ向かう。
さっきから、行ったりきたりしているぼくが不思議なんだろう。こちらから声をかける前に、話しかけられた。
「さっきからどうしたの? 慌てているみたいだけど。なんか忘れ物?」
デブは、アウトドアチェアを片付けている最中みたいだった。
どうせだから、気になることを先に聞いておこうかな。ちょっと聞きたいことが、と前置きをつけて質問する。
「あのイスとか長テーブルってどこに仕舞ってるの? 部屋の中には入らないよね」
デブは、一瞬質問の意図がわからないような、怪訝とした表情を浮かべたあと答えてくれた。
「ああ……裏に、物置があるんだよ。お袋のやつ、案内した時に説明してないのかな。一つしかないから誰が使うとかはないんだ。使いたいなら使ってもいいよ?」
と、デブはアパートのほうを指差した。
アパートの裏にあるなら、直線上に指をさしてもわからないんじゃ、と思ったけど、答えてくれた感謝の気持ちもあるし指摘しなかった。
ぼくって優しいなあ。
なるほど、裏に物置ね……。
――そこに、あれがあったのか?
「あともう一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
デブはたびたび作業を中断させられて、少し不満そうな顔をしたあと、
「いいけど、秋人くんには借りがあるしね。どんなこと?」
了承してくれた。
借りを返す、バーベキューにツンデレを誘ったことだろう。
なかなか、義理堅いところもあるじゃないか。これで痩せていて、イケメンだったらさぞモテていただろうに。
痩せていてイケメンだったら、子供の頃から歩んできた人生が変わって、高慢ちきなムカつくやつになっている可能性が高いけど。……人生って切ない。
それに、体型が変わってカッコよくなったら、もう別人だし。
なるほど、デブがモテるためには、人生をやり直さなきゃいけないってことだな。
不憫な人生だ。
「片付け終わったあとでいいから『――』をあそこに連れてきて欲しい」
指差した方向を見て、デブはぽかんと口を開ける。
「だ、大丈夫なの……?」
そう思うのも仕方ない。
なんたって、今から行くぼくも、成功するかどうかわからないんだから。
だから今は、こう答えるしかないだろう。
「多分ね、うまくいくよ。なんたって本人からの手紙が届いてるんだから」
そして、デブが心配する視線を背中に受けながら、向かった先は101号室。
ここで、失敗しないようにしないとなぁ。
最初が肝心だよな。なんたってまず、引きこもりを会話出来るところまで、引っぱり出さなきゃいけないんだから。
少しの緊張感と、恐れを胸に抱えながらチャイムを押す。が、
……まあ、当然ながら出てきてくれないよな。
そんな簡単にうまくとは思ってないから、別にいいけど。
鍵も……開いていないし、さてどうしよう。
この場合は、なぜ出てこないかを先に考えれば、天の岩戸みたいに自分から出てくる方法が思い浮かぶかもしれない。
茶髪は、なかなか会ってくれないと言っていた。
それはなぜか? それは茶髪も女性も事件の当事者であり、会いたくない理由があったからだ。
単純に、人と会えるような精神状態じゃない、ってのもあるだろうけど。
予想だと、女性は茶髪にだけは会いたくないはずなのだ。
それは……あの女性が『トコ』だからだ。
女性はいま『浜梨氷雨』じゃない、『立波常夏』なんだ。
だから、表札も立波と乱暴に書きなぐっている。
元に書いてあった苗字を消すために。
女性はトコになりたかった。
親友が死んでしまったショックで、それでも親友を消したくないと、その人に成り代わってしまうくらい、仲が……良かったから。
茶髪はあの女性を扉の前で、なんと呼んでいたか。
答えは『マナ』だ。
だから出てきてくれなかった。
トコになりたい女性に、マナと言っても出てきてくれないのは当然だ。
だっていま、部屋にいるのはマナじゃないんだから。
となると、出てきてもらうのは簡単だ。
今こそ、踏み出すときだろう。
出会った時から一度も呼んでいなかったけど。
初めて、名前を呼ぼう――
「――『トコ』! 出てきてくれ!」
相手は本人じゃないけど、それはしょうがないよな。
だって本人は消えちゃったし。
改めて言うのも恥ずかしいし、今はこれでいいだろう。
部屋の中から動いた音が聞こえたと思っていたら、ガチャ、と鍵が開いた。
そして、ゆっくりと扉から出てきたその姿は、幽霊そっくりの、腰まで届いている長い黒髪に、青白い肌色の肩が露出している、飾り気のない白いワンピース。
ただし顔はやせ細っていて、それだけが幽霊と違っていた。
でも、よかった。
ちゃんと出てきてくれた。
「だれ……?」
その声に、力は入っていなかった。
こんなに痩せてしまうほど、何も食べていないんだろう。
そうやって、女性はトコに近づこうとしたんだな。
死んでしまった親友に、少しでも近づくために。
「203号室に引っ越してきた巻柏だよ。いや、今はそんなことはいいんだ」
なんで、この人には敬語を使いたくないんだろう、デブに敬語は止めたほうがいいと言われたから? 年上なのに尊敬できないから?
……どれも違う気がする。
この人が、間違っているからだろう。
間違ったやり方で、死のうとしているから。
「あんたに伝えたいことがあるんだよ」
ああ、自分からこれを言うなんていつ以来だ。
絶対に言いたくなかったのに。
言ったら辛いことになると経験で知っているのに。
あの幽霊め、トラウマをわざわざほじくり返しやがって、今度会ったら絶対文句言ってやる。
「ぼくはね、幽霊が見えるんだよ」
「…………っ!」
女性の顔が強張った。
多分、ピンと来たんだろう。ぼくが言いたいことを。
そうだよ、あんたの思っている通りだ。
あんたじゃない。あんたには見えないし、話せないんだ。
これは雪割荘の住人の中で、ぼくだけが知っている事実。
ぼくだけが、体験している非日常なんだ。
「トコに、会ったよ」
ああ、言ってしまった。
幽霊に会ったとか、普通にドン引きものだよな。
でも大丈夫、子供の時とは状況が違う。
これは真実を証明するために、他人に信じてもらおうと、声を張り上げた時とは違うんだ。
これはぼくが選んだ選択。
ぼくだけが伝えられる奇跡。
ぼくのためじゃない、あいつのための言葉だから。
女性の目に、生気が戻ったような気がした。
やっぱり、トコの名前は女性にとって、触れちゃいけないものだったんだろう。
きっとそれがわかっていたから、女性を心配していた皆は何も出来なかったんだ。
名前を口に出すのすら、ためらっていたんだ。
「ウソ……嘘よ! トコが出てくるなら、私のところに来てくれる! だって私が一番仲が良かったんだから! 幽霊になっちゃっても、呪いでも恨み言でも絶対私のところに来るはずなんだ! だって、私が、殺したんだから……!」
女性は人が変わったように声を張り上げる。
なんだ、大きい声も出せるんじゃないか。
やっぱり人が死ぬってのは、そう簡単にいかないんだな。
こんなに思っているのに、死んでいる人の声も聞こえないんだから。
だけど、それじゃダメなんだよ。
近づけないんだ。
「あんたが殺したんじゃない。トコは、あんたを恨んでいない」
そんなやり方じゃ、あいつは喜ばない。
女性は耳を塞いで、ぼくの言葉を否定する。
「そんなはずない! あたしが、悪いんだ……! あたしが、あんなことをっ」
だからトコに成ろうとしたのか?
それがあいつに対する償いだとでも言うつもりか。
ふざけるなよ。あんたにそんなことをさせるために死んだんじゃない、あんたがそんなんだから、あいつはこの雪割荘から動けないんだよ!
――だから、その先は言わせない。
「トコはもういないんだ! いい加減いじけるの止めろよ!」
あいつが言いたかったこと、だけど伝えられなかった言葉をぼくが代わりに言ってやる。
まったく、回りくどすぎるんだよ。お前の『お願い』は。
……ホント、割にあわないな。
「あんたに何がわかるのよ! 何も知らないくせに!」
女性は首を振って、なおもぼくの言葉を否定する。
そうだよな、いきなり現れて、なに言ってんだって感じだよな。
でもあんただけじゃないんだよ、あのはた迷惑な幽霊に振り回されているのは。
ぼくだって、少しは知ってるんだよ。
「ああ、なんにも知らないよ。二人がどれだけ仲良かったのか。あんたがどれだけの思いをトコに向けてきたか、トコがどれだけ、あんたを好きだったか。
でも知っていることもあるんだよ。いきなり無茶なこと言い出して、そのくせ自分は何も手伝わないし。いつも鬱陶しいくらい騒いでいるくせに、それが無理しているんだっていうのがばればれで。馴れ馴れしいくせに、どこか一歩引いて見ている。強がっているのに、自分のことを諦めているみたいな目。
そして、プリンが大好きで――自分ことが嫌いな、女の子、だろ」
あーあ、たった二日しか一緒にいなかったのに、強烈に残っている。
体がないくせに、存在感だけはあるんだよな、あいつ。
無理やり覚えさせられたって感じだ。
「ほ、ほんとに、会ったの……?」
驚きの表情だ。
無理もないよな、なんで新しく引っ越してきたやつが、先月に死んだ人のことを知っているんだって、普通は思うよな。
ぼく自身だって不思議なんだ。
なんで幽霊が見えるのか。
なんで幽霊と話せるのか。
もし神様ってやつがいるんだとしたら、なんでこんな気味悪い力をぼくにあげたのか、小一時間問い詰めたいくらいだ。
でも、実際にあるんだからしょうがないよな。
それを受け入れるしかないんだ。
そうやって少しずつでも、自分を好きになってくしか、ないんだよな。
「……あいつは幸せそうだった。少なくても、死んでもお気楽そうにはしゃいでいたよ。親友のあんたがそんなんだったら、あいつも満足して消えられないんだ。なにより……あいつはあんたのことを誰より思っている」
この力に、どんな意味があるのかは知らないけど。
「トコが言ってたよ。名前を呼べば仲良くなれるって」
元は、あんたの言葉だ。
トコの、あの迷惑な同居人の最後の手紙くらいは、ちゃんと届けてやれる。
「あんた宛だよ、マナ……さん」
ポケットから取り出した幽霊の遺書を手渡す。
それを女性は、ぎこちない動きで受け取り震える手で開いていく。
「まさか、トコ、から……?」
ああ、そうだ。『立波常夏』から、『浜梨氷雨』への最後の手紙だ。
女性の目が文章を追っていく。そして、
「あたしの、セリフなのに……! トコ、あたしのセリフだよ……トコがいればそれで、あたしはそれで、よかったのに……」
今まで作っていた強がりが、壊れるように、泣き崩れてしまった。
……どうしよう、やっぱりこうなるよな。
大好きだった親友からの手紙なんだ、そりゃ泣いちゃうよな。
自分で渡しておいてなんだけど、こういう時に対人経験の無さがあだになる。
この状況にはどう対応したらいいんだ。泣いている人の相手なんかわからない。
早く、早く来てくれ――
「イワちゃん……よくわかってねーけど色々と、ありがとな。後は任せとけ」
横から掛けられた声に、ほっとした。
無事に連れてきてくれたんだな。
近くにいたデブと目が合う。
どちらともなく、笑みがこぼれた。
ああ、ぼくって笑えたんだな。
人と笑いあうなんて、どれだけぶりだろう。
足に力が入らないのか、地面に腰をつけて泣いている女性に茶髪が近づいていく。
さて、ぼくの仕事は終わりだな。
「お幸せに」
一つ声をかけて、歩き出す。
この光景を、あの幽霊はどこかで見ているんだろうか。
疲れた、早く家に帰りたい。
でも頑張らなきゃな。これから最後の仕事が残ってる。
手紙に書いてあった内容は気になるけど、詮索するだけ野暮ってもんだろう。
あれを読んでいいのはたった一人、幽霊の親友だけが読める、メッセージなんだから。