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トコナツミラクル  作者: 志記折々
一章『物語は転居初日から』
2/24

1:「出会い」

 普段からよく想像することがある。


 例えばの話だけど。

 本来なら廊下につながるはずの部屋の扉を開けたら、なぜか外に繋がっていたとか。

 トンネルを抜けると本当に別世界に行ったとか。

 空から女の子が降ってきたとか。


 とても非現実的で、本の中にしか存在しないような、そういう類のもの。


 別に日常から無理して離れたいわけじゃないんだけれど。

 それでもなんとなく、想像してしまうのだ。

 ぼくをどこか知らないところへ連れて行ってくれるもの。


 ぼくの意思とは関係なく、いきなり巻き込まれる。そんな夢のような物語を。


 そうそう都合よく現れるものじゃないのはぼくだってもうわかっている。

 子供が信じているサンタクロースを実は父親が演じているように、現実というのはそうそう希望通りにいかない。

 悲しいけれど、毎年誕生日を迎えるたびに冷たい現実を知っていく。


 妄想っていうのは決して現実では起こらないから、妄想なんだ。


 でも、もしそんな奇跡みたいな出来事が本当に目の前に現れたのなら、ぼくは諸手を挙げて歓迎するべきなんだろう。

 平凡な人生には起こらない、非現実的な、非日常を。

 流石に……こういうのは望んでなかったけど。



 玄関の扉を開けると――

 そこには首を吊っている女性が、白目を剥いてぼくを見下ろしていた。

 

 腰まで届いている長い黒髪に、青白い肌色の肩が露出している飾り気のない白いワンピース。

 血の気が引いているのか顔から色が消えている。

 荒い網目の紐を撚り合わせて作った太い縄が、女性の首に食い込んで痛々しい。


 なにが起こっているのかもわからず、口をポカンと開けたまま目の前の物体に視線が固まる。

 インパクトがありすぎてそれ以外視界に映らない。

 時間にするとたった数秒くらいの静止時間だろう、だけど頭の中でぐるぐると考えてしまって、カップラーメンにお湯を注いで待つ時みたいになんだかとても長く感じている。


 そんな自分勝手な静寂を壊すように、女性の黒目が回転したように表れた。そして、


『きゃぁぁぁぁぁぁあああ!!!』


 耳をつんざく、とても大きな叫び声。

 ちなみにこれはぼくの悲鳴じゃない。


「…………」


 ぼくのはこっち。

 人間、驚きすぎると言葉も出ないようで。


 悲鳴をあげたのは――首を吊っているはずの女性。ていうかなんで声が出るんだ?


『えっ? ちょ、なんで!? なんでこの部屋に人が!?』

「…………いやー」


 それはこっちのセリフだよ。

 だってここぼくの家だし。


 まぁ正確に言うと、今日からこの家に住むんだけれど。


 二階建て木造アパートの203号室。

 ぼくの新しい住居。


 契約したときに貰った鍵を使って、たった今部屋に入ったばかり。

 管理人以外誰も入れないはずの――もちろん首吊り女性は管理人じゃあない――この部屋に、この人はどうやって入ったんだろう?


 ……ていうかなぜ首を吊っているんだろう。


『やぁぁこれ抜けないぃ、なんでぇぇ!?』


 そんなぼくの素朴な疑問を恐らく知らないであろう目の前の首吊り女性は、じたばたと足を振り回してもがいている。

 どうやら縄から首が抜けないらしい。


「…………うん」


 とりあえず、どこからつっこんでいいのやら。


 なんでも何もそりゃ首に縄が食い込んでいるし、体重も掛かっている。


 自分で簡単に抜けたらまずいようにしたんじゃないのか?

 そもそもその状態苦しくないの? 


 よくしゃべれるなあそれで。

 呼吸もままならないはずなのに。


 それにしても女性の声に違和感があるんだけど、これはなんだろう。


 でもとりあえず死んでいないとわかって少し安心。

 驚きのあまり一時停止していた脳も無事に再起動して考えることが出来る。

 まずは状況把握から。


 首を吊っていたってことは、自殺、なんだろうか。

 なぜかあんまり死にたそうには見えないけれど。


 縄も外そうとしているしなあ。

 そもそもなんでこの部屋で首を吊っていたのか。


 さっき女性は「なんでこの部屋に人が」と驚いていた。

 この部屋に誰も住んでいないことを知っていたということだ。

 てことは……このアパートの住人か?

 いや、それなら自分の家で首を吊るか。


 ここである意味がない。


 部屋に一つだけある窓も割られていないし、鍵も開いていなかった。

 つまりこの部屋は密室状態だったってことだ。


 ……どうやって入ったのか、考えてもまるでわからない。

 わからないことが多すぎて状況把握も何もあったもんじゃない。

 何か、もう少しくらいヒントはないものか。


 何か手がかりはないかと部屋を見回しているうちに、ふと、女性の足元に目がいった。


 ……………………………………………………あーそっかそういうことか、理解できた。


 また、これか。


「君さ、もしかして……幽霊?」


 その問いかけに見ているこっちが苦しくなるくらいの体勢で振り子運動するのを止めた後、気の抜けた表情を浮かべて呆然とこちらを見る女性。


『……え? 私のこと、見えるの?』


 やっぱり、か。はい、見えているんですよー。


 この女性は死のうとしていたんじゃない。

 いやまあ、自分的にはこれから死のうとしていたのかも知れないけれど。

 ……だけどそんな行為に意味はない。


 目の前の女性には普通あるはずの、形あるものすべてに存在するはずの、影がなかった。


 この女性は――もう既に、死んでいるのだ。


 だから通常では苦しむような首が絞まっている状態でも普通にしゃべることが出来る。

 息もしてないし、心臓も動いてない。


 もうこの女性は、人とは呼べない存在だ。


 ただどうしてなのかこの幽霊は、物に触れる。首を、吊っている。

 ――体が、ないのに。


 人間、人と同じように。


 こんなにはっきりと存在を持っている幽霊なんて、子供の時に一回会ったきりだ。

 普通は物に触れないし、言葉を話せもしない。


 当たり前だ、死んでいるんだから。

 だからこの女性の声に違和感を覚えてしまったんだろう。


 そんな幽霊の中に少ないけれどいる例外。

 意思がある幽霊、目的を持っている死者。

 人のルールが通用しないくせに、人と同じように存在している非現実。

 体がないのに心はある。過去の経験からの推測だとそんな例外的な存在には――


 ……死んだ後でも、どうしても果たしたい願いがあるってことだ。


『――ねぇってば‼ なんで反応してくれないの? さっき私に話しかけたじゃない、また、私のことが見えないの……? お願いだから無視しないでよ……‼』

「……聞こえてるよ」


 どうも考え込んでいる最中、ずっと話しかけられていたみたいだ。

 悪いことしたかな。


 いや、もうこれは人じゃないんだ。気遣う必要なんてどこにもない。


 目の前の非日常的な存在がどういうものかわかってきて落ち着いてきたので、玄関の扉を閉めて中に入る。

 いつまでもドアを開けたまま突っ立っているわけにはいかない。


 越してきたばかりで荷物が何もない、殺風景な六畳一間の部屋に吊られている首吊り幽霊。


 ……シュールな光景だなぁ、また引っ越したくなってきたぞ。


『ほ、ほんとに? 本当に私のことが見えるの? 私の声聞こえてる?』

「聞こえてるって、しつこいなぁ」

『本当に、見えてるんだ……うぅ』


 な、いきなり泣き出した。なぜ泣く。


『あのね、私のことが見えるの、君が初めてなの。ごめんね、ちょっと嬉しくて。反応が返ってくるなんて……猫さんくらいしかいなくて、だから、だからぁ……ぐす』


 幽霊は顔に手を当てて、懸命に泣いた顔を隠している。


「…………はぁ」


 話から察するに、きっと今までに色んな人にたくさん話しかけてきたんだろう。

 そして、すべてに無視されてきたんだ。


 まあ当然だと思うけどね。


 ぼくだってこんな状況じゃなかったら反応しない。

 普段は幽霊なんか無視している。

 多分だけど、霊感ある人は幽霊の相手なんかしない。だって死んでいる人と関わってもいいことなんかないし。


 なんか猫からは反応が返ってきたらしいけど、幽霊が見えるのかな?

 たまに誰もいない方向をじっと見つめているのはそういう理由なんだろうか。

 犬はダメなのかな。


 しかしまあやっぱりというか、この幽霊が見えて、相手をしているのはとりあえずぼくだけらしい。

 この状況、あいつもそうだったし。


 だから、ぼくは。


「あのさ、死んでからどれくらいたったの? 未練とかあるならさっさと叶えて消えてくれないか? 君のせいでせっかくの新居が台無しなんだけど」


 帰ってくるたび首吊り女性と顔を合わせるなんて、イヤなオブジェにも程がある。


『ん……ぐす。未練なんて……、むしろ今は嬉しいけど』


 幽霊は顔を覆っていた手を顎に添えて、何かを思い出すように視線を上に移した。


 そりゃずっと無視されてきたらしいし、話せる人が来たら嬉しいだろうけれどさ。

 残念ながら君に付き合っているほどぼくは暇じゃないし、お人好しでもない。


 それにもう、幽霊なんて存在には関わりたくもないんだよね。


「とりあえずここから出ていってくれよ。君がいると落ち着かないし」


 その言葉を聞いて、少し考え込んだように黙る幽霊。


『……………………そっか、これで……』


 おいおい、なんかぶつぶつと呟いてるよ……。

 何でもいいから早く出て行ってくれないかな。

 そもそもなんでここにいるんだよ、迷惑だなあ。

 やっぱり部屋に誰もいなかったからか。


 でも一人が好きなようには見えないんだよなぁ、この幽霊。


『……ねぇ』

「……なに?」


 さっきまで泣いていたくせに、もうそこには何かを決心したような力強い目。


 この顔、なんか、……嫌な予感がするなぁ。


『頼みたいことがあるの』

「普通にイヤだけど?」

『断るの早くない!? まだ内容も言ってないんだけど!』

「……だからさ、話聞いてなかったの? 早く出てってよ」


 やっぱり、嫌な予感的中だ。

 頼むからそっちの事情にぼくを巻き込まないでくれ。


 幽霊からの頼みごとなんて、ろくなことにならないに決まっているんだから。


『つ、冷たいよ! 君しか頼りになる人がいないの、お願い!』

「それはそっちの都合だろ?」


 君が生きていて、もしぼくに出会っていたら、決してぼくを頼ろうとは思わなかったはずだ。

 こんな風に平気で他人を拒絶してしまう、ぼくなんかを。


 ははっ、自己嫌悪。


「早く出て行ってくれ。君の居場所はここにはない」


 我ながら、びっくりするほど冷たい態度。人じゃないのは、むしろぼくの方かもね。


『…………』


 目の前のそれは、言われた言葉を反芻するように目を閉じている。

 我慢するように下唇を噛んで、落ち着くための深呼吸によく似たため息をした。


『……残念だけど、ここからは出られないの。私は、ここで死んだ。この部屋からは動けない。だから君にお願いしたいんだよ。私の願いを叶えてくれたら、君の言うとおりに消えるよ? ……悪い話じゃないと思うな』

「ふーん……」


 必死だなぁ。そんなにぼくを巻き込みたいのか。


 幽霊は、予想外なことにめげてはくれなかった。

 いや、相手からすれば話が出来るのはぼくだけなんだし、諦めるわけにはいかなかっただけかもしれない。


 でもそこまでして、叶えたいことなのだろうか。

 この幽霊の未練なんてものは。


「それだけじゃぼくが動く理由には足りなすぎるね、こっちは強制的に君を消すことだって出来るんだぜ?」


 ま、嘘だけどね。専門家じゃあるまいし(プロだって本当に消せるのか知らないけど)どうやって質量が存在しないものを消せるんだ。


 この幽霊だって案外ぼくの妄想かもしれないし。

 だとしたらぼくしか見えないものを証明するなんて不可能だ。


 まったく、塩でもまいたら消えたりするのかね、目の前の非日常は。


 少し考えるように沈黙したあと、幽霊はゆっくりと口を開く。


『ねぇ、君は自分のこと……好き?』

「……なんだよいきなり」


 脅したつもりだったんだけどあんまり堪えてないみたいだ。


 やっぱり嘘だってばれちゃったのか?

 それとももう体がないから死の概念が薄いのかな。


 いや、それなら逆にもっと恐いかも。完全に消えるのは誰だって恐いだろうから。


『私はね、嫌い。ううん、嫌いだった』

「あっそう」


 だからどうした。

 

『――君も、自分のことがあんまり好きじゃないみたいだね?』

 

なぜかその言葉で、ぼくは。


「だったらなんだよ!」


 思わず声が大きくなる。


「ってゆーか勝手に決めつけんな。どういう根拠があって――」

『目だよ』

「……はぁ?」

『君の目は、私にとても似てる。自分のことが嫌いで、自信なんかなくて。それでも変わろうとする勇気がない。自分からは動けない。そんな他人に何かを期待する――「目」』


 他人に期待なんてしたこと一度もない。

 変わろうなんて思ったこともない。


 だけど。


 ――自分からは動けない。


 こんな、なんでもない言葉がどうしようもなく突き刺さる。


 くそ、心臓がうるさくなってきた。

 たまたま今日鉢合わせただけの幽霊の言葉に説得力なんかカケラもない。


 気にすることなんかないんだ。


 けど……でもその目が。

 光が灯っていない、自分と同じだというその目が、ぼくの心を容赦なくえぐりとる。


 ぼくを、強制的に黙らせる。


 何も反論できず、うつむいてしまう。

 目の前の非現実を見ることが恐くなってしまった。


 そんなに真っ直ぐこっちを、見ないでくれ……。


 そんな情けない姿を見て優しく声をかける、悪魔みたいな非日常。


『ねぇ、お願い。私の頼みを聞いて?』


 それは先ほどと同じような、真摯な願いだった。


 こいつはわかっているんだ、他人に頼るしかないということを。

 それはぼくを利用するしか駄目だということなんだろう。


「……なんだよ。ぼくに何をさせたいんだよ……」


 もう声に力が入らない。

 虚勢を張るのも疲れてきた。


 そして次に幽霊から発せられた言葉が、さらにぼくに残った小さな強がりを容赦なく刈り取った。


『――私を殺した犯人を、見つけて』


 やっぱり非日常なんて、望むべきじゃなかった。



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