18:「消失」
「ダメだったー……」
茶髪は意気消沈しながら、重い足取りで戻ってきた。
「くそー……なんでイワちゃんには会って俺には会ってくれないんだよっ!」
不満たらたらだ。
本人の前で言わないで欲しい。
なんかぼくに飛び火しそうで嫌なんだけど。
それにしても101号室の女性は、なんでこうも茶髪を拒絶しているんだろう。
まぁ……明らかに精神状態が普通じゃなかったからな。
しかもあの幽霊が原因っぽいし。その辺りを掘り下げて聞けると事件の真相に突き当たりそうなんだけどなあ……。
まずは誰があの幽霊を殺したのか断定できればいいんだけど、なんで殺したのかはそのあとでいいんだよ。単独なのか複数犯なのか、それもわかんないんだし。
それとも案外、なんで殺したのかを調べるとおのずと犯人も見えてくるのかな?
むー、仲が良すぎて殺してしまった理由……やっぱわかんないな。
人を殺す理由なんて、考えても全然わかんないよ。
「だから脈ないんだって、お前も諦めろよ……マナちゃんは自分であれを選んだんだから、気が済むまでほっとけって」
告白をスルーされたデブは、振られ仲間にどうしても茶髪を入れたいみたいだ。
自分で選んだ……?
あの幽霊そっくりの容姿、病んでるような精神状態をってことをだろうか。
そういえばなんであんなに幽霊そっくりなんだ。それもわかってないな。
しかも名前すらわかってない。あれは本当に『立波常夏』なのか?
――どっちが偽者で、どっちが本物?
「そういえばマナ……さんの名前ってなんていうの?」
踏み込みすぎだろうか。
でもこれをはっきりしなければ、誰を疑えば良いのかもわからないんだ。
ぼくはあの幽霊を……いや、止めよう。
それに名前を聞くだけなんだ。踏み込みすぎってことはないだろう。
あの初めて出会ったときの異常な出来事を、この三人は知らないんだから。
表札には『立波』と書いていたし、それをここの住人ならわかっているだろう。
あの幽霊が見えるのはぼくだけ、存在を知っているのはぼくだけなんだ。
名前を疑っているのはぼくだけ。
片方の名前を知ればどっちが嘘をついているのかわかる。
名前を聞くだけ、ただそれだけなんだから。なにも答えられない要素はない――
「――ああ、『浜梨氷雨』だよ。可愛い名前だろ?」
茶髪はまるで自慢するように、なんの抵抗もなく言った、
「そう、なんだ」
ハマナシ、ヒサメという名前を。
マナというあだ名は、きっと苗字から取ったもの。
トコじゃない。あれは……『立波常夏』じゃないんだ。
あっちが、偽者だ。やっぱりあの幽霊は嘘をついていなかった。
よかった。これで思考を一つ進めることが出来る。
あの女性は、なぜ名前を偽ったのか。それがわかればこの事件のことが見えてくるかもしれない。
だけど今持っている情報だけじゃ全然予想もつかない。
もう少し、もう少しだけ、踏み込んでみなければ。
「……立波常夏って名乗ってたけど、あれはなんだったんだろ」
六つの視線が、一斉にこちらを向いた。
三人のそれは酔いなど感じさせない顔で、表情がないのになにを考えているかわかってしまう。
正直、怖かった。
足が……、少し震えている。武者震いじゃないのは自分でもわかる。
けどこれを聞かないことには進めない。
なにも、わからないんだ。
「表札にも、書いてあるんだよね。……誰なの?」
踏み込みすぎだ。自分でもわかっていた。
これは皆、聞かれたくないし、話したくないということもわかっていた。
それぞれの事情に土足で入っている。
これは普段のぼくなら絶対にしない行為だ。
けれど、これが人と話すということなんだ。今までのぼくは対話をしていない。
当たり障りのない言葉でどっちつかず。一歩、距離を引いていた。
それを止めなきゃ、あいつがなんで死んだか――絶対に知ることができないんだ。
「ああ、その子は死んだよ」
デブの言葉で、三人の緊張が解けた。
空気が緩んでいく。
それぞれ、何かを思い出しているんだろうか。
三人とも目を閉じている。
自称家族だったアパートの住人。きっと、生前の幽霊との思い出がたくさんあるんだろう。
静かに缶を口元へ傾けながら、
「はあ……なんでああなっちゃたんだろうな。もっと、他に方法があったはずなのに」
デブは後悔に似た言葉と一緒に、深いため息をついた。
「そうだよな、あんなに変わっちゃったのに、なんで……」
茶髪は101号室のほうを見ながら、煽るように酒を飲んだ。
「明るい子だったのに、あの子が可哀相よ……」
ツンデレも空を見て、目端から流れる涙を袖で拭いている。
「よくしゃべる子だったのに、もうずいぶん声を聞いてないよ」
デブがそう言って、またちびりと酒を口に入れる。
「…………そう」
――もっと他に方法があった?
そりゃそうだ。殺すなんて方法をなんで選んだんだ。
――変わった。
そうだよ、あいつはもうあんたたちとも、誰にも見えないし、会えない姿に変わったんだ。
――今でも明るいよ。
死んだあとでも強がっていつもはしゃいでる。
――声が聞けない?
……死人に口なしってことだろ。あんなにおしゃべりなのにその声は今ぼくにしか届いていない。
なんでだよ、みんな後悔しかしていないじゃないか。
あいつが死んで、一番悲しいのは……あの幽霊自身なんだ。
今さら後悔するなんて、自分勝手すぎる。
101号室のあの人だって、あんなに壊れちゃうほど、好きだったんだろ?
なんでお前ら、殺しちゃったんだよ……!
あいつが好きだったんだろ――
ドクンと、心臓が鳴った。
あ、れ……?
なんだ?
――いま、違和感が……、
「……なんだ……?」
なにか、考え間違えてないか……?
なにが……引っかかっている?
「秋人くん?」
デブが話しかけてきた。
独り言を不思議に思ったのかもしれない。
「えっ? ああ、なに……?」
くそっ、なにか気づいた気がしたのに。
もうちょっとで何かわかる。もう少しのピースが揃えば。この違和感は消える。
これは、なんなんだよいったい。
「いや、トコちゃんのことさ、少し話そうと思ってね」
「……うん」
出来れば誰が殺したのかまで言ってくれれば助かるんだけど、そううまくいかないだろうな。
酒が入って気が緩んでいるんだろうけど自分から話す気になってくれたんだ、このチャンスは逃せない。
それに小さなことからでも、推理することが出来れば――全部、繋がる気がする。
「俺とケンジと同じ時期にここに入ってきてね」
デブはゆっくりと、当時を懐かしむように語りだした。
「仲良かったよ……。マナちゃんと、トコちゃん」
「…………そう」
仲が良かった。
考えすぎてもう、わからなくなっている言葉だ。
仲が良いと、なんで殺しちゃうんだ。
同じ時期に入ってきたってことは、101号室の女性と幽霊は同い年なのかな。
ここの住人は知っている限りでも全員同じ大学に入っている。
デブと同じ時期に入居したってことは、大学入学の可能性が一番高いだろう。
入ってきた頃には既に仲が良かったのかな、そうすると入居する以前からの友人ということだろうか。
「ああ、そうだな。……トコとマナはいつも一緒にいたよ。なんかさぁ、容姿も性格も全然違うのに、双子みたいに互いに依存してた。まるで太陽と月みたいだったな」
茶髪は便乗するように二人のことを話している。
ぼくに向かってじゃなく、多分思い出しているんだろう。
当時の、状況を。
性格が違うのはそうだけど、当時は容姿も違ったのか……?
今は、101号室の女性はあの幽霊そっくりの容姿になっている。
どっちが先なのかはわからないけど、名前を立波常夏と偽ったということは多分女性は幽霊に成りすましているんだろう。
それに依存してた、か。
人間関係であまり聞かない言葉だ。
太陽と月、言ってて恥ずかしくないのか、この茶髪は。
でも性格から考えるに、あの馬鹿みたいに能天気な幽霊が『太陽』で、あの病んでる女性が『月』ということになるんだろう。
それにしても月は太陽になれてないな、いくら容姿を真似したって肝心の精神状態があれじゃなぁ。
双子みたいに仲が良い友達が死んだんだ、普通の状態じゃ……いられないだろうけど。
「私だって、あの子とは仲良かったのよ。なのに、何も言ってくれなかった。友達だと、……思っていたのに」
ツンデレは拭いた涙が少し残っている瞳を伏せて、歯を食いしばっていた。
意外だな。このツンデレが他人に対してこんなに思っているなんて、自分のことしか興味ないかと思っていた。
そんなに……好かれていたんだな。
あながち、家族という評価も間違っていないのかもしれない。
だけど、何も言ってくれなったっていうのはなんなんだ?
殺すときに何も言ってくれなかったってことか? 話題からして二人のことを言っているのは間違いないんだ。
殺したほうと殺されたほう、どっちのことを言っているんだ?
どっちにしてもツンデレは、あの幽霊の死に関与していないってことなのか?
「俺だって仲良かったよ。ていうかマナちゃんとトコちゃんは全員と仲良かった。今はいないけど、霧矢さんとだって一番仲良かったのは二人だっただろ」
デブがここにきて、知らない名前を出してきた。
キリヤさん……?
もしかして、まだ会ってことのない201号室の住人だろうか。
今はいないってことは、どこかに出かけてるのか? それとも、もしそのキリヤさんが犯人だった場合、いるのは刑務所ってこともあるのか?
……だから今いない?
そうなるとここにいる三人は無罪ってことになるよな。捕まってないんだし。
でも、少なくても自分から『殺した』発言している人が二人いるんだ。
茶髪と偽者、この二人はなんでそう言ったんだ。
実行犯じゃないだけで計画には参加していたとか……考えすぎか?
「そうだね、一時期は二人を中心に皆仲良かった。特に……」
茶髪は一度酒を煽り、顔を伏せる。
どんな表情をしているかは、わからなかった。
途中で言えなくなるほど、後悔しているんだろうか。
すぐ人に気を使う、この人は。
「今はもう……」
続けるようにデブが繋げる。
また、最後まで言ってくれなかった。
そして誰も口を開かない時間が少し続いた。
次に出た言葉は――
「――俺が、殺したんだ……」
また、あの言葉だった。
茶髪が持っている缶を握り潰すほど力を入れて形を変える。
地面に一粒、涙が落ちた。
この言葉の意味はなんなんだよ。はっきりと言っているからこそわからない。
最後の事実だけがあやふやだ。
本当に殺したのか? それとも協力しただけ?
その言葉の真意は、どこにあるんだよ……!
「……しょうがなかったんだよ。もう気にするな」
デブが言った言葉で、我慢の限界が来てしまった。
――しょうがないってなんだよ!
殺さなければいけない状況だったってのか?
気にしないわけないだろう、人が一人死んでるんだぞ!
それも、仲の良かった友達が!
「なにが、あったの?」
ついに、はっきりと聞いてしまう。
だけど、
「胸糞悪い話さ。知らないなら、知らないほうがいい」
また、ここまで言っておいて、話してくれない。
デブが話してくれないのなら、二人は話してくるだろうかと期待したけれど、どうやら茶髪はあの言葉を最後に酒に潰されたらしく。意識はもうなかった。
ツンデレもいつの間にか、寝入ってしまったようだ。
その状況を見てデブが、
「最後に湿っぽくなっちゃったな。ごめん、一応歓迎会ってことだったのに。全然楽しい話できなかったね。とりあえず今日は……ここまでにしようか」
解散の言葉を告げる。
「……そうだね」
デブはお酒に強いのか、茶髪と同じくらい飲んでいたのに意識もはっきりしている。
歓迎会ってことを理由にしてツンデレと仲良くなる作戦だったのに、いまいち成果も上げてないし、嫌なことを思い出したのに酒に逃げられないなんて結構辛い立場だな。
それにしても、多分あの幽霊が死んでから、こうやって話す機会は少ないか、一度もなかったんだろうか。
言いたいことが、たくさんあったんだろう。だけど住人の中心だったという片割れが死んで、皆バラバラになってしまった。
結局誰が犯人なのかも、わからなかったし、なんか、事情がわかればわかるほどわからなくなっていくような……。
デブに「片付けは俺がやっとくから雪柳さんを部屋まで送ってあげてくれ」と言われたので仕方なくツンデレをおんぶして202号室まで運ぶことに。
なんでぼくがこんなこと……だいたいデブが送ってあげればよかったのに。自分から損な役回りをするなんて何考えているんだ。
片付けの他に潰れちゃった茶髪の介抱もするんだろうけど、仲良すぎだよなちょっと。
好きな人より友人を取るなんて。
聞いているときも思ったけど、基本的に仲良いんだよな、ここの住人達は。
「なんで、あいつは死んだんだろう……」
階段を上がっているとき、ツンデレが無意識だろうけど背中でもがき始めた。
そうやって動かれると胸の感触がわかって正直嬉しいんだけど、歩きにくいからちょっと止めて欲しい。
まったく……、顔は綺麗なんだから静かにしてるともっと好感度高いのに、惜しい人だ。
もがくのを止めた後、寝言なのか話しかけているかわからないことを言い出した。
「なんで、死んじゃったのよ……トコ」
ツンデレの顔を乗せている左肩が、少し冷たくなっていた。
「私は、なんにも知らなかったわ……あの子のこと……なんにも」
「……そう」
それだけ思われていれば、きっとあの幽霊も幸せだろう。
「ちょっと変な子だったけど、優しい子だった。私は、嫌いじゃなかったのに……」
素直じゃなさそうだしな。
きっとあの幽霊が生前の頃もツンデレっぽく接していたんだろう。
話しぶりからすると、死んだという以外に他はなにも知らないのかも。デブや茶髪と違って死んだ理由すら知らないのかもしれない。
突然、いなくなった友達。
「そりゃ、どうしていいかわかんないよな……」
まるで自分みたいだ。状況がこんなにも違うのに、思っていることは同じこと。
「なんで、話してくれなかったんだよ……」
――突然いなくなるのは、ずるいよな。
202号室についたけど、これ、鍵は開いているんだろうか?
片手でツンデレを支えながらドアノブを回してみると、見事扉は開いた。
担いだまま部屋に入ると、そこには予想外の光景が広がっている。
なんというか、その部屋はツンデレの写真がたくさん飾ってあったのだ。
どんだけ自分が好きなんだよ……と少し引いてしまう。
ツンデレを六畳一間の三割ほど占めている天蓋付きベットに寝かして、202号室を出る。
そして、ふと201号室のほうを見てしまった。
キリヤ、だっけ。
その人の部屋なのかな。今はいないんだよな……。
気になって201号室のチャイムを押してみたが、いくら待っても反応はない。
「やっぱり、いないな……」
そのとき、今まで集めていたピースが繋がったような気がした。
――あ、そうか……、そういうことか……?
急いで階段を下りて、バーベキューの後片付けをしているデブの元へ走った。
すでに茶髪の姿はない、きっと先にデブが部屋まで連れて行ったんだろう。
「ど、どうしたの秋人くん。なんかあった?」
デブが突然自分の下へ走ってきたぼくを不信がったが、気にしない。
「……ひ、一つ、聞きたいことがあるんだけど」
デブは事件のことを話さない。
多分外で見ていたからこそ、全てを知っているんだ。
そして傍で見ていたからこそ、事情を知らない他人には何も話さないと決めていたんだろう。
だけど、ぼくが聞きたいのは違う――
「まあ、それくらいなら、いいけど……?」
デブから聞き出したことで、この事件の全てわかってしまう。
違和感の正体。
――誰が幽霊を殺したのか。
――なぜ殺したのか。
――そして、なぜ今までわからなかったのか。
幽霊に話そうと急いで自宅に戻る。
扉を勢いよく開けて、電気のスイッチをつけた。
『おかえりアキくんっ』
と、いつもうるさく迎えていた声がない。
そこにはなぜか、幽霊の姿はなかった――
「…………え?」
部屋から出られないはずの幽霊が、消えた。
そういえば部屋を出る前に言っていた。
『そんなに言うなら出て行っちゃうよー!』
――冗談だと思っていたのに、本当にいなくなるなんて。
とてもじゃないけど信じられなくて、隠れているんじゃないかと部屋の中を見回す。
そして見つけた。元々物が少ない部屋だ。テーブルの上にそれがあるのがすぐわかった。
変わらないはずの部屋の中、だけど変わっているもの。プリンの空容器に添えるように、ノートを乱暴に破って四つに折りたたんだ一枚の紙が――
消えた幽霊の代わりに、置いてあった。