15:「ツンデレ」
もう夕方ということもあり、太陽が赤く沈みかけている。
少し寝すぎたなあ。
階段を下りて駐車場スペースに行くと、デブの他に103号室の茶髪の姿も見えた。
バーベキューコンロの他に、アウトドアチェアがいくつか、近くに長テーブルなども置いてあり、その上には肉、野菜、飲み物などが用意されていた。
クーラーボックスまである。
全部デブが揃えたんだろうか、汚れ方から見ると真新しいものでは無さそうだし食材以外は元々持っていたんだろう。
この六畳一間の狭い部屋の中に置いておけるはずはないし、どこか倉庫みたいなものでもあるのかな。
茶髪は近づいてくるぼくに気づいたようで、バーベキューコンロの中にある火をつけた始めたであろう炭をうちわで扇ぐのを止め、持ち前の爽やかな笑顔でお礼を言った。
「おー、イワちゃんさっきはありがとな! やっぱし任せて正解だったわ」
茶髪は白い手ぬぐいを頭に巻いていた。
Tシャツを肩まで捲くっていて健康的な肌が露出している。
男の肌なんか見ても嬉しくないけど、似合っているな。
茶髪がいるのは、一応これは歓迎会という名目だからだろう。
茶髪の話しぶりだとデブと仲は悪く無さそうだし、どうしてこんな人生の対極にいるような二人がそうなれるのか。
共通点なんか性別くらいしか……ああ、そっか、どっちも同じ大学の同期なんだっけ。
それでなくても一つ屋根の下に住んでいるんだし、話す機会はいくらでもあるか。
デブに「秋人くんは主賓なんだから座ってていいよ」と言われたので座っていることにした。
デブは202号室の女性をこの食事会に誘えればそれで目的完了だろうけど、肝心の女性の姿はない。
……やっぱり、ぼくが誘わなくちゃいけないのかな。嫌だなあ。
「いや……あれくらいなら」
どうもまだ茶髪に対してどういう態度を取ればいいかつかめていない。
だって犯人かもしれないんだから油断なんかしてられない。
まあ、元々人と話すのが得意じゃないせいもあるけれど。
話す人によって態度を変えるなんて当たり前だ。
違う態度を取っている二人が同時にいるとどういう調子でいればいいのかもっとわからなくなる。
普段から人と話している人はどうやって調整しているんだろう。
片方は敬語でもう片方はタメ口の場合、二人同時に話しかけるときは一体どっちの話し方にすればいいのか。
それに断られなかったら――どうせ断られると思うけど――202号室の女性も一人追加になる。
あの人にもぼくは失礼な態度を取っているのでさらにカオスな状況になる。
……はあ、人と話すのにこんなに気を使うなんて、ぼくも幽霊に負けず難儀だな。
「そういえばマナちゃんは誘わないのか? ケンジが誘ったら出てくるかもしれないぜ。一応誘ってみろよ」
デブは缶ビールを一口飲みながら、茶髪に対して一歩踏み込んだ。
……マナ、もう一人の立波常夏。
幽霊とは違い、陰気なイメージしかない。
あだ名だと思うけどデブにもそう呼ばれているんだな。
普段から引きこもっているのならこんな食事に誘われても参加しないと思うけど、デブはもしかしてあの惨劇を知らないんだろうか。
あんな、絶対に正常とは言えないような、精神の壊れっぷりを。
「お前わかってて言ってるだろ? ったく、まあ後で誘ってみるけど……なんせ今日はイワちゃんが会えたんだからな、もしかしたら出てくるかもしれないし」
茶髪は軽い口調でデブに対して返事をする。
炭の具合を見ながらなので目線は合わせていないけど、顔が笑っている。
「わかってて」ということはやっぱりデブは引きこもっているのを知っているんだな。
まあ、当然か。
それでなくても自分の住んでいるところに起こった事件だ。知りたくなるのは人間の性だろう。
ぼくは普段ならそんなの知りたくもないけどな、怖いし興味もない。
「どうせ断られるよ、だいだいお前の外見が怖いんだって、なんかチャラ男っぽいし」
デブは、用意されている野菜を食べやすく焼きやすいサイズに切っている。
なんかデブに触られた食材を食べる気にはならないけど、まあ焼けば消毒される……か?
それでも生理的悪寒は消えない。切っているのは野菜だし肉をメインに食べればいいか。
確かに茶髪の外見はチャラ男っぽい。
ぼくも最初に思った。でも怖いとは思わないかったけどな、むしろ明るい雰囲気が出ていていかにも「俺モテます」という感じだ。
イケメン羨ましいな。
ぼくがイケメンになったところで何が起こるとは思えないけど。
「お前よりマシだっ! ぶくぶく太りやがって、だから振り向いてもらえないんだぞ」
茶髪の反撃。
もうまさしくその通りだった。
もうちょっと痩せろよデブ。
「ああ……来てくれるかなあ雪柳さん……来てくれたら……うふふっ」
恋する乙女みたいにデブは握った拳を胸の前に当てて悶えている。
包丁握りながら小躍りしているのですごい光景になってしまっている。
「「…………キモ」」
ぼくと茶髪の声が重なった。
そのあと茶髪がそれに気づいて笑いかけてきたが、当然のごとく無視した。
「ははっ、もし来てくれてもミフユじゃあれは無理だろ。ミスマッチすぎる」
茶髪はまたコンロの炭を見ながらデブに対して軽口を言う。
まさしく「美女と野獣」ならぬ「美女とデブ」ってところか。
言葉にすると確かにミスマッチすぎる。あの高慢ちきな女性がこのデブを受け入れるとは思えない。
そもそも来てくれるとも思わないけど。
なにしろぼくが誘わなきゃいけないんだし……。
「うるせーよ! お前の趣味の方が理解できんわ!」
デブが茶髪に向かって怒鳴るように変なことを言い出した。
茶髪の趣味が理解出来ない……?
なにか特殊な性癖の持ち主なんだろうか?
まさか、動物でないとイケないとか……それは流石にないか。
もしかしてブサイクが好きだとか。いや可愛い子が多いって喜んでいたし、違うか。
なんだろう。
気になるけどまあ他人の趣味をどうこういうのはよくないか。
なにより変に聞いてぼくに矛先が向くのは嫌だ。
「なんでだよ、可愛いじゃんか。あれがわからんとは可哀相だぜ……ま、そうじゃなくても今回は絶対に俺のほうが可能性あるね。勝負は俺がもらったぜ。ミフユお前、約束忘れてねーよな?」
「けっなーにがもらっただ、避けられまくってるくせによぉ。その点俺は今回で雪柳さんの気持ちを振り向かせてみせる! 俺は負けない!」
茶髪の返しにデブは暑苦しい気合を入れている。
勝負……約束?
なにか賭け事でもしているんだろうか?
どうやら茶髪は相手に避けられまくっているらしいけど、こんなイケメンを相手にしないなんて、一体どんな目の肥えた女性なんだろう。
「そうだ、せっかくここに住むことになったんだしイワちゃんも参加すれば?」
茶髪は先ほどから会話に混じらないぼくに気を使い、話しかけてきた。
ぼくにふるなよ。
そのまま二人で話してろ。
このまま何も話さないで食事だけ済まして気づかない内に消えているというのが理想だったけど、やっぱり無理なんだろうか。
「……何を?」
なにがせっかくなんだ、ここに住むことと賭け事になんの関係があるんだ、そういうのは二人だけでやってろよと思ったけど、まあ言わなかった。
「俺とミフユが大学入った頃に賭けを始めたんだよ。どっちが先に彼女作れるかってさ」
「…………そう」
まあ予想の範疇だな。
しかし先に彼女を作ったほうが、ねえ。
先に茶髪を一目見て、ゆっくりとデブのほうを見る。
……うん。
「勝ち目ないじゃん」
どう考えても茶髪の圧勝だろう。
デブが勝つ可能性なんて万が一にもない気がする。
デブに許嫁がいて来月結婚しますくらいの奇跡がないとダメだ。
つまり無理だ。
「いやいや秋人くん、それがそーでもないんだって! こいつ振られまくってるからさ」
なぜかデブが得意顔だ。
茶髪がいくら振られたってデブに彼女が出来るわけでもないだろうに。
「……へえ」
意外だ、イケメンでも振られることがあるのか。
まぁ全員が全員イケメン好きじゃないってことかもしれない。
デブに失敗談を話された茶髪は「言うなよ!」と恥ずかしそうに声を張り上げて、乱暴にイスに座る。
「でも告白とかされそうだけど……?」
茶髪なら自分から行かなくても相手から来てくれそうだ。
話しにくくもないし別段嫌われる要素もなさそうなのに、どうして勝てないんだろう。
大学が始まった頃の賭けがまだ続いているなんて気の長い話だけど、もう二年くらいは賭けが成立してないってことだ。
なにか彼女が作れない理由でもあるんだろうか?
「それがさ、賭けのルールを作ったんだよ――」
デブ曰く。
二人は大学入学で初めて会って意気投合。そして賭けを始める。
勝負は『どちらが先に彼女を作れるか』賭けに勝ったら相手から五万円貰える。
条件は、自分から告白すること。
本当に相手が好きじゃなきゃいけないこと。
好きでもない相手と付き合ったら罰金五万円。
そして好きな人を互いに報告しておくこと。
――の、四つらしい。
「つまり、ハンデか……」
ていうかもはやイジメだ。
茶髪にメリットが一つもない。
デブが告白される機会なんてないだろうし、それに告白する相手をいちいち報告するなんて気持ち悪いくらいの仲の良さだ。
通常の人生ならデブが負けて当たり前。
この四つの条件は対等になるためのもの、茶髪のイケメン封じってところか。
でも自分から行って毎回振られるなんて、茶髪は毎回一体どんな人に恋をしてるんだろう。
「そう、それでまだ決着がついてないってわけ」
またデブはドヤ顔をしている。
だからそれでもお前に勝ち目はないんだって。
「……いくらでもでっち上げが聞くルールなのによく我慢してるなぁ」
本当に好きじゃなきゃいけないなんて、本人以外わからないんだから確かめようがないだろう。
少し嘘をついててっとり早く彼女を作れば五万円貰えるんだ。
学生の五万円は結構大きい額だろうし、なんでそうしなかったんだろう。
しかし二年間彼女無しって、リア充みたいな外見なのに意外とそうでもないのかもしれない。
「俺が好きになる人はちょっと、雰囲気が暗めの子なんだよね……だからそういうの以外に好きだって言ってもすぐバレちゃうんだ」
茶髪はばつが悪そうに笑って、祈るように両拳を絡め合わせた。
「そ、それで今はマナちゃん狙いなんだよな。脈もないくせに」
デブのからかいに、茶髪はうっせと軽く応酬する。
「…………そっか」
なるほど、茶髪が好きになる人はきっとあの101号室の女性みたいな、暗い容姿と性格をしているんだな。
しかしあれを好きになるって、悪いけどぼくには理解出来ないな。
茶髪はホラー映画好きなんだろうか? あの女性はそれくらいの恐怖を振りまいていた。
でも、この賭けがいつまでも終わらない理由はやっとわかったぞ。
デブは一般的に綺麗な人が好き。
でも自分は容姿が良くないから付き合えない。
茶髪は暗い女の子が好き。
でもそういう子には好かれない外見性格なのか付き合えない。
……こういうことだろう。
こんなにも対照的なのに二人とも行き着く結果は同じだなんて、案外仲が良さそうに見えるのもそういう理由かもしれないな。
「それよりさ、イワちゃんも参加するだろ?」
「は?」
このくだらない賭け事に?
「んじゃ参加けってーい。さて、秋人くん用のルールも考えなくちゃいけないなぁ……」
「ちょっと、おい」
まだやるなんて一言も言ってないのに、強引に参加させられてしまった。
……まあいいか。
どうせお金を払う気はないし、勝手に盛り上がっていればいい。
それに真面目に参加するにしても友達もいないぼくに彼女が作れるとは思えない。
デブはこんな外見のくせに意外と行動力があるんだよな。
肉食系ってやつだ。
ぼくは草食を通り越してもう絶食の域にまで達しているのに。
「さて、準備終わったし。あとは食べるだけだな」
茶髪が定期的にうちわを扇いでいたコンロが、煌々と赤く燃えている。
「んじゃ秋人くん。お願いします!」
デブは姿勢を正して、ぼくに綺麗なお辞儀を見せた。
……あぁなんで最初に誘わないのかと思っていたけど『女性は食べるだけ』って状況にしたかったのか。
こういう気の使い方が出来るなら彼女なんかすぐ作れそうだけどな。
「……はあ、わかった行ってくるよ。もし断られたら?」
ここまで準備をしておいて中止はないだろうけど。
デブと茶髪、ぼくの三人でバーベキューをするのは心苦しいな。
どうせならデブに美雪さんを誘ってもらえばよかった。
まぁ、親がいる目の前で女性を口説くのはかなり勇気がいるかもしれないけど、そんなのぼくの知ったことじゃない。
ああ……、美雪さんに会いたい。
「断られるな、絶対に連れて来い」
デブの眼光が鋭い。
よっぽどあの女性が好きなんだろう。
他人に対してこんなに真剣になれるなんて、恋をするってのは今を全力で生きている調子が見えて少し羨ましい。
そこまで夢中になれることなんてぼくにはないからなぁ。
「ま、多分大丈夫でしょ、ユイちゃんそこまで捻くれてないって」
茶髪はなんの根拠もないセリフで励ましてくる。
爽やかな笑顔が憎い。
ならお前が行けよと思ったがまあ言わないでおく、ぼくの優しさ。
階段を駆け上がり、203号室の前を通り過ぎる。
……そういえば、幽霊は今何しているんだろ。どうせ部屋の中には暇つぶしするものもないし、ごろごろしているんだろうな。
他人と話せないし、姿も見られない。
食事も出来ないし睡眠を取ることも出来ない。
そんな状態で二十四時間ずっとあの部屋の中なんて、想像しただけで気が狂いそうになる。
どうせなら幽霊になんかならずにそのまま天国でも地獄でも好きなほうにいっちゃえばよかったのに。
――なんで犯人を捜すなんて未練、あの幽霊は残しちゃったんだろうな。
「……っと」
そうだ、そんなこと考えてる場合じゃない。
嫌だけどあの高飛車ナルシストを食事に誘わなくちゃいけないんだ。
ほら……デブがじっとこっちを見てる。そんなに結果が気になるなら自分で誘えば良いのに、変な行動力はあるくせにヘタレなデブだ。
チャイムを押すと、十秒くらいで女性は顔を出した。
「……あなたですか、用件はなに?」
女性は「誰も信用してない」みたいな、そんな暗い目つきだった。
「…………っ」
うわー警戒されてるなぁ。
これは無理だろう、それでなくても対人スキルが元々足りてないんだ。
どう誘えばいいんだ。あのお気楽な幽霊なら簡単に言っちゃうんだろうな。
「えーっと、アパートの前でバーベキューするつもりなんだけど、一緒にどうかな……って」
だんだんと尻すぼみになってしまう。
食事の理由を歓迎会とは言えなかった。
この女性に歓迎されているとは思えなかったし、自分で言うのは恥ずかしいからだ。
「――なんで?」
女性は超見下し視線で理由を聞いてきた。
「…………」
おいおい、なんでって。
予想外だなー。普通食事に誘われて「なんで?」って聞くか?
断るとか誘いを受けるとか、せめてどっちかにして欲しかったな。
理由を聞かれると困るんだよ。だって正直に「デブがあなたと仲良くなりたいらしくて」とか言ったら引いちゃうだろ?
なんでこういちいち――人のこと言えないけど――相手の気分が悪くなる言い方するんだこのお嬢様は。
くそっ、どう答えるのがベターなんだ。
こういうところで対話経験のないぼくは固まってしまうんだ、少しはこっちの都合も考えてくれ。
思考停止している場合じゃない。
なにか答えないと。でも正直には言えないし――
「――あなたと一緒にいたいから、じゃダメかな?」
なに言ってんだぼくはー!
もう嫌だ、もう何もかも放り出して家に帰りたい。
隣の部屋にじゃなくて、前に住んでいたところに帰りたい。
この事実を知らない人達が住んでいるところに引っ越したい。
ほら見ろ女性もぼくにこんなこと言われて呆れている――
「…………っ」
――あれ?
超おろおろしてる。
うわーすごい顔が赤い。
そんなに動揺しているの見ちゃうと逆にこっちの混乱が治まってくるよ。
多分すごい予想外だったんだろうなー、顔を見れば悪態ついてた奴からこんなこと言われるとは思ってないよな。
でもこの人って話によるとすごいモテるんじゃなかったっけ?
こんなキザっぽいセリフ言われ慣れているんじゃないのか?
女性は後ろを向いてしまい必死に顔を隠そうとしていた。
二十秒くらい経った後だろうか。くるりと振り向いた女性の顔は頬に夕日の色が移りこんでいるようで、
「……しょうがないわね。あ、あなたがそこまで言うなら、ご一緒してあげるわっ」
恥ずかしそうに参加表明をしてしまった。
そんなそっぽ向いて言わなくても。
「………………じゃあ、行こうか」
こくん、と小さく頷く女性。
うん、まあなんにせよ参加してくれるなら結果オーライだ。
デブにも恨まれずに済むしよかったじゃないか。
……まあ、この女性のことを今まで高飛車だとかナルシストだとか色々呼んでいたけど、今のやりとりで完璧にイメージが固まったな。
――これからは、心の中で『ツンデレ』と呼ばせていただこう。