13:「二人目」
「お、まえ、本当に死んでるよな……?」
息もせず走った。
転びそうになりながらも必死で101号室から逃げてしまった。
203号室まで足音を早足で響かせて、扉を開けると同時に幽霊に言葉を投げかける。
そこで初めて、持っていたコンビニ袋をなぜか持っていないことに気づく。
……お、落とした、のか?
多分、あの部屋に置いてきちゃったんだな。
まぁ中身は渡すはずのプリンしか入っていないし、袋ごとなのがちょっと申し訳ないけれど、あのゴミの中じゃ袋一枚くらい増えたって変わらないか。
それにしても、あれは……なんだったんだ?
長い黒髪、肩が露出しているワンピース――あれは、幽霊の容姿そのままだった。
死んだん、だよな?
だってこの部屋にいる幽霊には影がない。
ぼく以外の人には声も聞こえないし、姿も見えなかった。
……でも、どちらも『立波常夏』と名乗っている。
どういうことだよ。
なんで二人いるんだ……?
い、いや……同じ名前の奴が二人もいるわけない。
冷静になれ。
多分、どっちかが嘘をついているんだ。
――片方は、偽者なんだ。
どっちが本物だ?
いや、それよりも、なんでそんなことしてるんだ?
『う? 変なこと聞くね? うん、間違いなく死んでるけど……、なにかあったの?』
幽霊は中身が半分ほど余っているプリンの残りを食べていた。
透明なスプーンを咥えて、いつものとぼけた顔をぼくに向けている。
「い、いや……なんでも、ない……」
このこと、隠したほうがいいのか?
それとも、言ったほうがいいのか?
――お前は、本物か?
いやいや、そんなこと聞けるわけないだろう。
漫画やゲームじゃないんだし、変装してるなんてアホらしい。
でも、こいつは知らないんだよな?
もう一人、自分と同じ名前の奴がいるなんて。
だってこいつはここから動けないんだし、外の情報は何も持っていないんだ。
思わず、靴を脱ぐのも忘れたまま、玄関に座り込んでしまう。
扉の冷たさが、先ほどの不気味さを体現しているみたいに感じて、早く忘れようと目を瞑った。
あぁ……明るい。
明るいっていい。
目を閉じていても暗闇じゃない。
ぽかぽかした陽気が目の奥まで入ってくる。
まだカーテンとかないからだけど、日光が何の遮りもなく直接部屋を照らしている。
それが、なんとなく、安心する。
『アキくん、そんなとこ座ったら汚いよ……?』
間抜け面が、スプーンを咥えながら首をかしげている。
「…………はぁー……」
こいつの能天気な顔を見ると、さっきのことが嘘に思えてくる。
やっと、落ち着いてきたぞ。
幽霊を見て安心するなんてなんとも言えない気持ちになるけど、このさい有り難い。
お前でも役に立つことがあるなんて驚きだよ。
そういえば101号室の女性は、ぶつぶつとずっと呟いていたな。
あれで脳がショートしてしまったんだ。
まったく、怖いんだよ、もっとハキハキしゃべってくれ。
女性は確か……私が殺したって言ってた。
ごめんと、謝ってもいた。
殺した……仲が良すぎて、殺してしまった?
勢いあまって? ごめんと謝るくらい後悔してるのに?
101号室の女性が……犯人なのか?
このプリンを食べながら『味がない……』と少し涙目になっている幽霊を殺した殺人犯?
でも、103号室の男性も「俺が殺した」と言っていた。
あれもまだ真意がわかっていない。
本当に殺したのかもしれないし、自分のせいにすることで101号室の女性を救おうとしているのかもしれない。
いったい女性は被害者なのか犯人なのか。男性も、まだ疑いは解けていないし。
どっちが本当の犯人………………あれ? 待てよ?
どうして単独犯だと決め付けてたんだ?
もしかしたら二人、三人で協力して殺したのかもしれないじゃないか。
やばい、そうなると102号室のデブも、202号室のナルシストも、なんとなく犯人候補から外していたけど怪しく思えてくるな。
どっちも事情は知っているみたいだし怪しいことには変わらない。
「…………あー」
混乱してきた。
一体どれが本当なんだ? 誰が犯人?
そうだよ、もしかしたら誰かが嘘ついてる可能性もあるじゃないか。
それじゃなくても確実に一人は嘘をついているんだ。
幽霊か、101号室の女性。
どちらかが、名前を偽っている。立波、常夏と。
おいおい……幽霊の『お願い』なのに、幽霊が被害者なのに、こいつのことを疑ってかかるともうどの情報が真実なのかわからなくなる。
誰を信じていいか、わからなくなる。
いっそ幽霊に本物かどうか聞ければ早いんだけど……ぼくはまだ『お願い』を引き受けてないんだ。
聞いたらまたテンション高くはしゃいでしまう幽霊が簡単に想像できる。
そんなのはごめんだ。
あくまでこれは『お願い』じゃない。
ぼくがぼく自身のために犯人を断定する。
保身のために、警戒するために。
――決して幽霊のためじゃないんだ。
『うぅ、味がないよ、食べた気がしないよ』
幽霊は虚しい音を響かせてプリンの空容器をテーブルに置く。
食べ終わったんだな。
プリンか、味がしないと言っていたのによく食べるな……。
泣くくらいなら食べなければいいのに。
まあ、プリン、好きだって言ってたもんな。
よっぽど食べたいんだな。
そういえば、誰かにプリンのこと聞かれなかったっけ……?
「…………あっ」
そうだ、103号室の男性に聞かれたんだ。
「……知ってるの?」と含みを混ぜて、あれは……この幽霊のことを言っていたんじゃないか?
てことは、男性は幽霊の好物を知っているくらいの関係を築いていた?
家族みたいって、幽霊は言ってたしな。
そういえば、昨日男性は101号室の前で名前を叫んでいた。
そうだ、さっきも言ってたじゃないか。女性のことを『マナ』って。
名前なのかあだ名なのかわからないけど。『立波常夏』という字にマナという響きは含まれていない。
まあ名前からとったあだ名じゃないかもしれないけど……少なくても、『トコ』と呼ばれている立波常夏と、『マナ』と呼ばれている立浪常夏の二人ってことだ。
……どっちが本物かは、まだわからないけど。
くそっ、なんにしても情報が足りなさ過ぎる。
これじゃ何もわかってないのと同じだ。
被害者は何人なんだ。
犯人は何人で、どこのだれ?
もう、考えるの疲れてきた……引っ越してから気の休まるときがない。
緊張しっぱなしだ。……もう人を、疑いたくない。
人を、信じたい。
『アキくん……だいじょぶ? なにか悲しいことあったの……?』
思わず体育座りでうずくまってしまったぼくを心配したのか、幽霊は顔を覗き込むように近づいてきていた。
その声がすっと耳に入る。
そして、その優しさが、気恥ずかしくて、むずがゆくて――
「……うるさい、さっさと出てけよ」
つい悪態をついてしまう。
『もー……アキくんは素直じゃないなあ。もっと楽に生きればいいのに』
「…………ほっとけ」
そもそもお前のせいでこんなに疲れているのにそんなことお前に言われたくないんだよ。
そりゃぼくだってもっと楽に生きたいよ。
だけど無理なんだよ。捻くれて育っちゃったんだから、もう変えるなんて出来ないんだよ。
三つ子の魂百までって言葉通りだ。
――きっと生まれ変わらないと、この天邪鬼は治らない。
この自分を、受け入れて生きていくしかないんだ。
人は簡単には変われない。
それは自分が嫌いなぼくとお前が、いつも考えていることだろう?
同類、なんだから。
幽霊が話しかけてくる声を無視してうずくまっていると、そのまま、意識が少しずつ落ちていった。