第一章・春風
空を眺めていた。
澄み切った青い空に、
大きな鳶が風に乗って、悠々と輪を描いている。
大きな羽を広げて、羽ばたきもせず、
風に身を任せて、悠々と・・・・。
『俺も鳥みたいに自由に飛べたらなぁ・・・・。』
「第一章・春風」
こんな田舎町に生まれたくせに、
何を血迷ったかROCKやR&B、ソウルやブルースにはまってしまい、
こんな田舎町に生まれたせいで、
話が合う奴はほとんど居なくて、
回りからは白い目で見られていたが、
それでも、何人かを騙し、おだてて、バンドを結成していた。
そのバンドで演奏する事が、
マイクの前で、でたらめにシャウトする事だけが、
俺のフラストレーションを解消する唯一の手段だった。
ただ、高2の終わりともなると、
やれ進学だ、就職だと煩くなってきて、
バンドの一部のメンバーの強い希望で、
春休みまで練習は停止。
さしずめ今日なんかは最悪で、
担任に一人一人呼ばれて、将来を話し合うんだとさ。
うちの学校は、一応進学校なので、
三年になるとそれぞれの進路に合わせて授業を選択するシステムだった。
今回の面接で来年の授業の選択をする事になっている。
きっと今頃、誰も彼もがドキドキで、
普段は「ケンカだ、バイクだ、シンナーだ、万引きだ、SEXだ!」って
騒いでるヤンキー野郎でさえ、
所詮こんな田舎町、グレる要因は一つもないので、
単なるファッションでしかない奴らの”抵抗”は、
この時ばかりはナリを潜め、
真面目な顔して話してるんだろうって事が、
俺を一層イライラさせた。
だからそんなうっとうしい事から逃げ出して、
一番お気に入りの場所、校舎の屋上の中でも最上である、
”出入り口の屋根の上”に寝転んで、こうしてタバコを吹かしながら、
いつものように空を眺めているのだ。
ある意味ここは俺だけの空間で、
仮に屋上に誰か上がってきたとしても、
視角になって見えないわけで、
ここへの上り方だってきっと誰も知らない。
知っているのはわずか二人、
幼なじみの”キョウ”と”ヨージ”だけだ。
”キョウ”はうちのバンドのリードギター。
いわゆる親友のような存在で、
普段は無口だけど、一言一言が鋭いと言うか、確信を突いてくるので、
俺はいつも思いのたけを奴に話し、鋭い評論をしてもらっていた。
行動力は意外にあり、エフェクターを作っちゃったり、
自分のうちの屋根にごっついアンテナをぶっ立てて、
普通なら聴く事の出来ない”FM東京”を傍受し、
色々な音楽を俺に聴かせてくれたり、
何処で入手するのか、エロ本を廻してくれたりと、
する事がいちいち”粋”なやつだ。
”ヨージ”はバンドのメンバーじゃないんだが、
なぜかいつも俺たちの周りをウロウロしている。
奴とは腐れ縁と言うのだろうか、
家も近所、物心ついたときにはすでに存在していて、
しかも、小学、中学、そして高校までまさかずっと同じクラスになろうとは、
この小さな田舎町に生まれたことを悔やむしかない。
おしゃべりな正確で、時々うっとうしくなるのだが、
俺の幼い頃の”恥ずかしい出来事”を色々知っていて、
余り邪険にして喋られるとかなりヤバイので、
やさしくしてあげている。
ただ二人とも俺と違うのは、”勉強ができる”ということ。
これからの事は話した事もないが、
確実に二人とも”大学”に進むであろう。
なんだか俺だけが取り残された気分だった。
本当はそのことが、
今こうしてイジけている最大の原因なのだ・・・・。
「コラッ!」
突然、背後からの、いや、寝転んでいたので頭上からの声に、
俺の体も脳みそも、固まった。
タバコは口に咥えたままだし、懇談中とはいえ、今は授業中・・・・。
完全に謹慎だ・・・・。
お袋の悲しそうな顔が浮かんで消えた・・・・。
ゆっくり起き上がりながら、
唇にくっついたタバコを隠すように取りながら、振り向いた。
屋根の端にチョコンと顔だけが覗いていた。
ヒロミだった・・・・。
「現行犯!謹慎だよ!!」
少し首を傾けてニコニコと笑っているヒロミに、
安堵と、”安らぎ”のような感覚を感じた。
「びっくりしたぁ〜。」
ヒロミはさらに白い歯を見せて笑っている。
「なんで?ここが解ったんだ?」
「だって、ロープのついた椅子が置いてあったから。」
「あっ・・・・。」
椅子を引き上げるのをうっかり忘れていた。
屋上には、誰が持ってきたのが数客の椅子があり、
屋根の上に縛り付けてあるロープを背もたれに結び、
椅子を使って屋根に登る。
後はロープを引き上げて、椅子を上げればいいってわけだ。
降りる時はその逆なだけで、最後にロープは垂らしっ放しでも、
今まで誰も気にしないでいた。
「上がって来れるか?」
「任せといてよ。」
ヒロミは運動神経が良い。
ヒョイっと上り、自分でロープを引っ張って、椅子を屋根の上に乗せ、
隣に座った。
人間には、ある一定の距離感があって、
親近度によってその距離は近づくと思う。
ヒロミは、彼女と呼べる存在ではないのに、
出会った頃から、いつも”友達の距離”より中に入って来ていた。
そして俺はいつもドキドキするのだった。
ポカポカとしたお昼前。
誰も知らない屋根の上。
手を伸ばせば、抱きしめる事だって出来てしまいそうな距離なのに、
ヒロミの前では、いつもなぜか、助平な自分は影をひそめ、
この甘く切ない”ドキドキ”をずっと味わっていたいと思っていた。
そう、”抱きしめたい”と思うだけで良かった。
「こんなところに隠れていたとは。」
「内緒にしといてくれよな。」
「もう、ずいぶん探したんだよ。」
「えっ?」
「だって、先生と話し終わって教室に帰ったらいないんだもん。
また逃げ出したと思って。」
「・・・・。」
「ホント、いい加減だね。どうするの?進路。」
「う〜ん、勉強は嫌いだし、働くのはもっと嫌だし・・・・。」
「お前はどうすんの?」
勇気を出して聞いた。
ヒロミの進路は非常に気になるところだ。
「東京の専門学校。」
「へぇ〜。」
「資格をとるの。女が一人でも生きていけるように。」
「えっ?結婚しない気なの?」
「そうじゃなくて・・・・。
もし将来の旦那さんが死んじゃったら困るでしょ。」
「ふーん。」
そう答えながら、『俺は絶対死なないぞ〜!』って思った。
「ねぇ。」
「ん?」
ヒロミは俺のことを”ねぇ”と呼ぶ。
他のやつらの事は”〜君”とか”あだな”とかで呼ぶくせに。
他の奴らの前で俺の話をする時は、名前で呼んでいるんだろうか・・・。
言葉を選んでいるのか、うつむきながら、ゆっくりと、話し始めた。
「東京に行くんでしょ?
進学も、就職も、してもしなくても・・・・東京へ行くんでしょ?」
「バンド続けるなら、東京だよなぁ・・・・。」
「そうだよ、バンド続けるんでしょ?続けなきゃ。」
「うん、でもなんで?」
「・・・・・・・東京へ行っても、こうして話せるといいね・・・・。」
『それじゃぁ、ヒロミは俺が東京へ行く事を予想して、
自分も東京へ行く事にしたのか???』って思ったが、
言い出せずに頷くのが精一杯だった。
『ヤバイぞ!この空気。
まるでドラマのワンシーンみたいじゃないか!
ラッキー!いや、ヤバイ・・・・。どうしたらいいのか解らない。』
ドキドキと言うより、胸の奥を”ギュッ”とつかまれたような、
息苦しいような、でも、ずっとこのままで居たいような、
そんな感じだった。
だが、こんな時には決まって邪魔者が現れる・・・・。
「お〜い、トシロー!!いるんだろー!」
ヨージの声だ。
「やま〜、やま〜!」
「ねぇ、”やま〜”ってなに?」
「ここ見つけた頃、合言葉を作ってさ、
でも、良く考えたら、屋上に誰かいるときはここへ上がって来れねェから、
消滅したんだけど、あいつ、まだ覚えてたのか・・・・。」
ヒロミと顔を見合わせて笑った。
「かわ。」
顔を出してやった。
「かわ。」
続いてヒロミも顔を出した。
ヨージの顔が一瞬固まったが、
それ所ではない様子で、早口にまくし立てた。
「トシロー、ヤバイ、ヤバイ。センコー、スッゲェー怒ってるぜ。
面接こないんだったら、理数の進学コースで授業組むってさ。」
「何!」
くっそー、その手で来やがったか。
教師の特権振りかざしやがって!
「わかった、すぐ行く!」
急いで椅子を下ろし、慌てて椅子に飛び降りた。
「ヒロミ、降りて来いよ。」
「うん・・・・スカート・・・・。」
ヨージが”オッ”と言う顔をした。
「てめぇ、見たらぶっ殺す!」
そういいながらヨージを背中から抱き、
そこから離れた。
その際、小声でヨージがささやいた。
「すまん、邪魔して。」
「いや、正直助かったよ。」
「えっ?」
「あとで話す・・・・。」
「いいよ。」
ヒロミの声で振り返ると、すぐさま取り繕うように、
ヨージがヒロミに近づきながら言った。
「ヒロミ〜、聞いたぜ!テルの事、フッたんだって!?」
「え〜?!」
思わず声が出た。
テルは”プレイボーイと言う言葉はコイツのためにある”
と思えるほどの女好きで、俺の知るところでは、現在三人彼女が居る。
でも、一週間に十三人の女にフラれたという記録保持者でもあった。
『くっそー!テルの奴、ヒロミにも言い寄っていたのか。
ぶっ殺す!!』
ヒロミはチラッっと俺を見て、ヨージに言った。
「うん、私、いい加減な人嫌いだから。」
「ふ〜ん、いい加減ねぇ・・・・ここにもっといい加減な奴もいますが・・・・。」
ヨージは、ニヤニヤしながら俺を見た。
「ホントだぁ〜。」
ヒロミは小声で笑った。
「な・な・なんだよ!俺は真面目で几帳面なA型だぞ!」
「何、動揺してんだか。」
ヨージも笑った。
俺も照れくさくて笑った振りをした。
春を告げる風が、心地よく三人の隙間をすり抜けていった。