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 日曜日、お昼のパティスリー・ルーメンは混雑の極みだった。


「いらっしゃいませぇー、三名様ですね」


 喫茶コーナーでは次から次へと押し寄せる客を店子たちが華麗にさばき、厨房からくりだされる大皿を的確に配っている。


 日曜のこの時間、ルーメンを手伝っているアルマは、テイクアウト用のショーケースの向こう側で食い入るようにケーキを見つめる奥様たちと対峙していた。


「この『メリーさんのとろりんふわんちょチーズケーキ』をいただけるかしら?」

「はい、かしこまりました!」


 営業用の声と笑顔でてきぱきと動く。常連さんに「工房の中でくすぶっているよりこっちのほうが似合うわよ」と言われるだけあって、人好きする笑顔がアルマの最大の武器だ。


 ショーケースに並んだケーキはどれも師匠の考案で、美しく彩られた色彩感覚がずばぬけていると評判だった。もちろん味も折り紙つき。一番人気のショートケーキは、一度食べたら二度目には三つ買いたくなるという。


 アルマの切り分けたチーズケーキもルーメンの人気商品の一つで、二種類のレアチーズをマーブル状にタルト生地へ流し、縁に小さく生クリームをしぼった、素朴ながら可愛らしい一品だ。とろける食感がクセになると、リピーターも多い。

 ショーウィンドウに飾られたケーキのどれもがおいしそうで、アルマは自然と口元をゆるませた。


「アルマったら。よだれ垂らすんじゃないわよ」


 喫茶のカウンター越しに店長のリアが笑いかける。その手には小さめのナイフが握られていて、オレンジの皮をするするとむいていた。


 ルーメン評判の美しい盛りつけは、フルーツカッティング師のリアがいるからこそだった。季節ごとに工房からやってくる新作ケーキに合わせ、皿との調和をめざして盛りつけのデザインをしているのだ。他にも、様々なフルーツを用いた華やかな盛り合わせを作ったり、ナイフ一本で果物にバラの花を咲かせたり、三種のソースで皿に華麗な文様を描いたり。姉妹だけに感性が合うのか、リアの盛りつけはフリーダの奇抜なケーキによく合っていた。


「よう、リア」


 パイナップルの器にブドウやサクランボをぽいぽいと投げ込むリアへ、カウンターに座った常連客の男が声をかけた。


「機嫌よさそうじゃないか。そろそろお嫁のもらい手でも見つかったか?」

「カール! もう、ふざけないでよ、この忙しいときにっ」


 手だけは休めずにリアがカウンターのむかいの相手をにらむ。深い紺の制服を着た彼は、この地区を担当する警察官だ。リアとは同い年でよくちょっかいをかけている。


「お前は昔っからきっついもんなぁー」

「テロから市民も守れない警官さんに言われたくないわ」


 そう言ってからしまったと思ったのか、リアが申し訳なさそうな目つきでアルマを見た。

 カール警官もアルマへ顔を向け、頷く。


「テロと言えば、アルマちゃん、お兄さんの様子はどうだい?」

「一応、病院でダイエットしてますけど……。まだベッドから起きられないみたいです」


 アルマは少し緊張してこたえた。ヴィルとの約束の手前、テロリストたちのことは通報できない。警官に感づかれないように事実を告げるのが精一杯だった。

 そんなアルマの心中にはまったく気付かず、カールは大げさに目を剥いた。


「うわー、エルクのやつ、そのレベルだったのか。心肺機能は大丈夫か?」

「はい、体は丈夫なほうみたいで」

「俺、あの日は休暇とってたんだよ。そういう日に限って大規模なテロが二件も建て続けに起きてさぁ。あーくそ、あのデブテロリストども! 次はただじゃ済まさんぞ!」


 拳でカウンターをどんと叩き、カールが憎々しげに吐き捨てた。

 びくりと肩をすくませたアルマの耳に、「次」という一言が残る。ヴィルは『次はない』と言っていたが、テオはそんなつもりは全くなかったようだった。また事件が起こることはあるのだろうか。


(ううん、あの頑固そうなヴィルが自分の意見を変えるはずがない)


 きっと次のテロはないと信じ、アルマは硬く口を閉ざした。

 そこへ、リアが飾り立てたハーフケーキを少しガサツに警官の前へ置いた。


「でもカール、あんたまで薬を被っちゃったらどうするのよ。実は『ヘンゼルの骨』を使ってるんでしょ?」

「なにぃ、この腹を見ろ! ムキムキかつ、てろりと脂の乗った見事な――」

「おっさん腹ね」

「うっせえ、とにかく自前なんだよ、俺は。お前こそその胸、使ってんじゃねぇか?」

「はあ!? これはスポンジを入れてんのよ――ってなに言わせんのよこのバカ警官!」

「わあ、店長、果物投げちゃダメですよ!」


 カッティングナイフを振り回しているリアから少しでも離れるべく、アルマはショーケースの奥へ身を引いた。

 そのとき、カラリと飴細工のチャイムが鳴って、店のガラス戸が開いた。


「こんにちは。お持ち帰りよろしいかしら」


 甘くやわらかい声がして、プラチナブロンドの美少女がアルマの前へ立った。年の頃は七つか八つだろうか。あごの細い小さな顔に、整った目鼻立ち。夢見るようなアイスブルーの瞳には大人びた光が宿っている。彼女からはケーキに似た甘いバニラの香りがした。


 可憐な花のような笑みを浮かべて、少女が小さな指でショーケースを指さした。


「『真夜中のザッハトルテ』と『苺のふあふあムース』、あと『木苺のざっくりタルト』をいただけるかしら」

「あ、はい、ただいまっ」


 子供ながら優雅な仕草に見とれてしまい、うわずった声になった。

 ザッハトルテと苺のムースをお盆に乗せたあと、ホールの木苺のタルトを切り分ける。

 木苺のたっぷりのったこのタルトは、ショーケースの中でもひときわ目を引く一品だ。砕いた紅玉のような木苺の下に、こっくりとしたカスタードクリームの層がしかれている。その下にはココア風味のタルト生地。口に含んだ際に甘酸っぱい味とココアの風味がうまく解け合う、アルマ絶賛のケーキだった。


「あらクララちゃん。いらっしゃい。今日はひとりでお使いなの?」

「ええ。お兄さんたちには外で待ってもらっておりますの」


 クララは飴ガラスの入り口を振り返る。その向こうにはずらりと黒い服とサングラスをかけた男たちが並んでいた。一目で『お兄さん』の意味が血のつながった兄妹ではないことがわかる、いかつい顔ぶれだ。きっとクララ専用のボディガードなのだろう。


「あ、それといつものを三つくださいな」


 そっと両手を合わせ、クララが小首をかしげてアルマを見上げた。無敵の微笑み付きだ。


「え、いつものって……?」

「カスタードチーズケーキよ。あのサクランボが中に入ってるやつ」

「そうですの。わたくし、このケーキに惚れこんでおりますのよ。とろりとしたカスタードとチーズの融合、酸味を届けるブラックチェリー。カサリと繊細にほどけるパイ生地の香ばしさ……。私がドルチェブルグ一と認める、すばらしい逸品ですわ」


 常連らしい少女の態度に、アルマは内心首をかしげた。週に二、三日はルーメンの手伝いをしているのに、この少女を見たことは一度もないのだ。記憶力の弱い自分のことだから、忘れてしまっているだけかもしれないが。


「あとそう、今日はフリーダ様に用事があって参りましたの。工房へお邪魔してもよろしいかしら?」

「もちろん。クララちゃんのお父様にはいつもお世話になってるもの」


 リアがにっこりと微笑んでこたえた。その手はするするとリンゴの皮をむいている。

 アルマが箱詰めしたケーキを受け取り、クララはボディガードの男に荷物をあずけた。

 その拍子にちらりと目に入ったボディガードの胸の記章に、アルマは息をのむ。


 アイヒマン糖蜜社――この国の砂糖を専売している大企業だ。


 クララは白く小さな手でボディガードに指示をだし、大きな紙袋を工房へ運ばせた。


「このたび新しく売りだす新商品が、とてもローカロリーなお砂糖なのですけれど、少し癖があるらしいのです。ぜひフリーダ様にお試ししていただいて、ご意見をいただきたいのですわ」


 それでは、と工房へ向かうクララの整った横顔を見つめ、アルマはただただ感嘆していた。


(アイヒマン社のご令嬢が、こんなにかわいらしい美少女だったなんて!)


 いつも営業でくる若者がまったく愛想がないせいで、アイヒマン社に良いイメージを持っていなかったアルマも、その印象を強制的に変えられてしまった。

 そのまま呆然とと彼女の後ろ姿を見ていると、喫茶のピークを終えたリアがぽんと肩を叩いた。


「お疲れさま、アルマ。休憩入んなさい」


 彼女は口角をきゅっとあげて微笑んだ。


「あんたがいて良かったわ。またよろしくね」

「はいっ、店長」


 アルマも笑顔で返し、それから以前リアとフリーダが話していた他の店へ修業に行く話がちらりと頭をよぎった。


(……他のお店なんか、行かなくていいよね)


 工房では失敗だらけでも、ルーメンにいるときはみんなと仲良く働けている。こうして気分を発散させて、また工房に戻るのが、自分の性に合っているのだ。


(だから、他のお店になんか行きたくない)


 くすぶる気持ちを抑え込み、アルマは店の奥へときびすを返した。

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