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「待て。どうしてそこで砂糖を振りかける? 今作ってるのはサラダなんだぞ」

「え、なんとなくそのほうがおいしいかなって」

「まず野菜を砂糖漬けにしたがる癖をやめろ。肉にも振りかけるな。下味は塩と胡椒が基本なんだぞ」

「塩の大切さは知ってる。スポンジにちょっと混ぜると、甘さが引き立つんだよね」

「だからそこから離れろと言ってるだろうが。待て、大さじはすりきれで使え。『勘』とかぬかすな」

「大丈夫、そういうのは慣れてるから」

「慣れすぎなんだよ、ばか。あと包丁はまな板を使え。何でもかんでもリンゴの皮むきみたいに切るな」

「え、これカッティングナイフじゃないの?」

「違う。いいからおれの手つきを真似してろ」


 アルマは隣で必死に指示をするヴィルの手元をちらりと見た。


「……でもヴィル、意外と下手」

「こんな風に話しながら料理したことがないからだ。ああ、水はそこで二百ミリリットルだからな、間違えるなよ」

「変なとこばっかり細かいんだから。あ、これなんてもの?」


 見たことのない丸い緑の野菜に、アルマはうきうきと問いかけた。


「キャベツだ。この国で手に入れるのは苦労してるんだからな、もう失敗するなよ」


 ヴィルがちらりと視線を送った先には、甘く煮込みすぎたシチューの失敗作が並んでいた。どれもちょっと目を離した隙にアルマが味見して、砂糖を入れまくったせいだ。アルマからするとこの家の砂糖は甘みが弱くて、もっと入れても大丈夫なような気がするのだが、ヴィルにとってはそうでもないらしい。突然あまい匂いを醸しだす鍋に彼が何度もめまいを起こしかけたのを、アルマは見ていた。


「『きゃべつ』と『れたす』って似てるのね。あ、お芋は知ってる。スイートポテトでよく使うもの。うん、いい感じ」


 アルマは見知らぬ食材の数々に戸惑いを通り越して、なんだってやってやるという気分になっていた。初めのうちはこれらの食材をどうやってケーキにするのか考えていたものの、少年のスープをひとくち飲んでみてその思考がくるりと変わった。


 不味い。甘くない。


 こんな不味いものでも無理をして食べるのが、料理なるものなのだ!


「我慢して我慢して、それでやっとダイエットができるんだもん。不味いものを食べるのもダイエットのひとつなんだよ、ね?」

「違うと言ってるだろうが。うまいものでローカロリーにしているんだ。おれの計算では完璧なんだからな」

「計算でおいしくできるなら、わたしのケーキに失敗なんてないじゃない」

「……まあ、な。ああ、そこは焦げやすいからよくかき混ぜろ。それから片栗粉は火を切ってから入れろ。混ぜる途中で固まるとやっかいだ」

「はーい、ヴィル先生」


 ヴィルの教え方は細かくて、作業しながらだとお互いに大混乱するのだが、一つ一つの指示が的確なので、師匠と違って新鮮だった。


「さすがに呑みこみが早いな……」


 作業を始めて三時間ほど経った頃、ヴィルがぽつりと呟いた。

 その頃には殆どの食材を使い果たし、フルコースを三コースほど作っていた。キッチンに漂う香りも香ばしく、今までに嗅いだことのない類のものなのに不思議と食欲を誘う。


 ちょうど広間からお腹をすかせた子供たちの期待に満ちた顔がのぞき、アルマは思わずほくそ笑んだ。


「そろそろ終わりにしよう。このテーブルの上の物体を処理してからじゃないと、ろくに身動きもできなくなりそうだ」


 ヴィルの嫌みったらしい号令で、子供たちがキッチンへ駆けこんできた。


「ヴィル~、ごはんごはん!」

「お腹すいたー、テオ呼んでくるね」

「運ぶの手伝うよ、これも?」


 いつの間にか五人に増えた子供たちが、我先にと料理を広間へ運んでいく。野菜と鶏肉が中心の健康的なものばかりだ。


「いっただっきまーす!」


 広間のテーブルいっぱいにのった料理を子供たちがにこにことほおばった。


「いつものヴィルのよりおいしい!」


 タマネギドレッシングのサラダを食べて、女の子が笑った。


「うん、おいしい」

「そこそこいけるな。久々のまともなメシだ」


 いつの間にかテーブルの端に座っていたテオが野菜の煮物をつまみながらうなずいた。

 その隣の子供がホワイトシチューにパンを浸しながらヴィルへとむく。


「こんなまともな料理ができるなら、もっと早く作ってくれればよかったのに」

「おれの薬膳料理をばかにするな。健康面では一番なんだからな」


 むっすりとむくれたヴィルがパンを切り分ける。その声はすねているように聞こえた。

 最後に卓についたアルマが鳥の香草焼きを一口かじり、不思議そうに呟く。


「本当に甘くないのが『料理』ってものなのね……。不味くはないけど……変な感じ」


 ふむふむと頷きながら様々な料理を一口ずつ口へ運ぶ。裏ごしに手間がかかったコーンのスープに、謎の海藻サラダ、彩り野菜のマリネや魚のオーブン焼き。どれ一つとして甘くないのだが、代わりに塩味や酸味、香草の風味がほどよく効いていて、素材の旨味と上手に合わさっていた。


 そこへヴィルがパンを切り渡してきたので、ありがたく頂戴する。口に含むとスポンジそっくりの見た目と違い、小麦の風味と一緒にほのかな甘みが広がった。


「これが『パン』。パンケーキのパンね」


 無意識に呟いてからふと我にかえると、テーブルを囲む全員がアルマを見つめていた。


「あ、おいしい、ですよ?」


 慌てて笑顔を作る。

 すると皆何事もなかったかのようにそれぞれの食事へ戻った。テオだけが一人、おもしろげにニヤリと笑みを向けてきた。


「たまにはまともな食事もいいだろ? どうだ嬢ちゃん、俺たちの仲間にならないか?」

「なんでテロリストの仲間にならなきゃならないんですか」

「この味を知っちまったからにゃあ、もう嬢ちゃんもテロリストだ。なあ、ヴィル?」

「――――テロはもうしない」

「はあっ?」


 突然の宣言にテオが鼻白み、子供たちが浮き足立った。

 ヴィルはじっと料理を見つめたまま、淡々と宣言する。


「アルマの兄貴はテロで本当にひどいことになったんだ。テロにあった人々のその後の人生を、俺たちは甘く考えすぎていたと思う。おれはもう薬は作らない。今日が最後だ」

「なに今更言ってんだよ、ヴィルフリート!」


 椅子を蹴ってテオが立ち上がった。どんと手をついたテーブルの上で、ほとんど空になった皿が少しだけ跳ねた。


「お前はこの国を見捨てるのか? 今まで俺たちに救えなかった国はないんだぞ」

「諦めてはいない。けど……このやり方は好きじゃない。初めからそう言ってただろ」

「でも、俺たち錬金術師は、この街じゃろくに動けないんだぞ!」

「もう止めよう」


 ヴィルが素早く手を上げてテオを制した。


「これ以上は部外者を交えてするものじゃない。アルマ、そこの箱に料理を詰めて持っていくといい。お兄さんに食べさせてやれ」

「あ、うん……」


 言われるままに手を動かし、アルマはランチボックスをつくると、彼らの隠れ家をあとにした。


 隠れ家の茶色い木の扉を抜け、階段を上がって小道へ出た瞬間、漂ってきた甘い香りに、やっと自分の故郷へ帰ることができたように思ったのだった。



   §  §  §



 夕方の赤い日差しがべっこう飴の通りをてらてらと照らしていた。その先の丘に見える総合病院は、白い角砂糖のブロックをいくつも積み上げた、無骨なお城のようだった。


 食事の給仕をする看護婦の脇をすりぬけ、アルマは兄のベッドへむかった。まだ夕食は来ていないようだ。


「お兄ちゃん、これ、お夕飯まえに食べてほしいの」

「これは?」


 巨大化した兄が持つと、ランチボックスはおもちゃのように見えた。

 ボックスの中には色とりどりの野菜のサラダが入っている。ヴィルが教えてくれた中でも一番カロリーが低いドレッシングをかけたものだ。病院食がどんなものでも、まずサラダを食べさせてから夕食を食わせろと少年は言っていた。


「これはなんて言うか……不思議な味だね。まずいわけじゃないんだけど、ちょっと酸っぱくて…………甘くない。懐かしい、かな」


 エルクがサラダを食べているうちに看護婦がやってきた。

 どんと置かれたドーナッツの盛り合わせにアルマは目をむく。


「えっ、病院食って、お菓子なんですか!?」


 アルマの焦った声をうけて、看護婦がおおらかに笑った。


「そうですよぉ、おから入りのローカロドーナッツです。出入りの業者さんに特別に作ってもらってるんですよ」

「そんな。揚げ物で痩せようだなんて……」


 うめくアルマへ、エルクが野太くなった声で嘆いた。


「聞いておくれよアルマ。ここじゃ朝昼晩の一日三回、毎食ドーナッツなんだ。しかも量が少なくて辛いんだよ」


 見ればドーナッツは上手に積み重ねてあるものの、たった五つしかなかった。毎朝大皿いっぱいのフィナンシェを食べ、昼は失敗ケーキを三ホールも完食していた兄が耐えられる量ではない。こんなことならヴィルの隠れ家にあった鳥の香草焼きやパンを持ってきてあげればよかった。


「わかった。これからわたしが毎日料理を持ってきてあげるね。だから今はこれで我慢して。必ずおいしい料理を作れるようになるから!」

「りょうり……? アルマ、きみは料理を習ってるのかい?」

「料理を知ってるの? お兄ちゃん」

「――こんばんわ、エルク」


 か細い声とともにふわりと甘い百合の花の香りが広がって、アルマは戸口へ振りむいた。

 エルクの婚約者ティアナが花束を抱えて立っていた。


「ティアナさん、来てくれたんだ」


 にこりと微笑むティアナから花束を受け取ってアルマは花瓶を手に取った。エルクが絵付けをした中でアルマがもっとも気に入っている、蔓植物の描かれた瓶だ。


「あ、えっと、わたし花をいけてきますね。お兄ちゃんのこと、よろしく頼みます」

「……ええ」


 その声の低さと、答えの前にあったちょっとした沈黙に、アルマはティアナを見上げた。

 彼女は細い手でぎゅっと胸元を掴んで立ち尽くしていた。


 その美しくも物憂げな横顔は、エルクを避けて、ベッドの足元をひたと見つめたまま動かなかった。


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