二章 錬金術師のキッチン
二章 錬金術師のキッチン
小橋から少し先、あまり人目につかないクラッカーの通りを曲がってすぐの場所に、『反ヘンゼルの骨団』の隠れ家はあった。
入り口の階段を下り、この国では珍しい木製の扉を開けると、むっとする異臭が漂ってきた。つんと鼻をつく、お菓子では絶対にありえない匂いだ。
玄関脇の小さな広間には子供たちが三人いて、みなまじめに本を読んでいた。そのうちの一人がぱっと顔をあげる。
「ヴィルフリートが帰ってきた!」
一人が叫ぶと、残りもいっせいに顔を上げて笑顔で駆けよってきた。
「おかえり~」
「お疲れさま、ヴィル」
「誰? これ」
子供にアルマを指さされ、ヴィルフリートと呼ばれた少年が不機嫌そうに答えた。
「……自分で聞け」
親しげな子供たちにも彼はそっけなかった。
「アルマよ、ヴィー……ええと、ヴィルフリートさん」
後ろから声をかけると、名を呼ばれたことに軽く驚いた様子で、少年が振り返った。
「ふうん……アルマか。おれのことはヴィルでいい」
言いざま、ヴィルはそのあたりに置いてあった服を手に取り、アルマへ投げてよこした。
「まずは頭を洗って、着替えてこい」
「あ、うん」
アルマは軽く戸惑いながら洗い場へむかう。このヴィルという少年、ぶっきらぼうな言い方が癪だが、することは意外と親切だ。紳士的、というのかもしれない。
一通り身体を洗い終えたアルマは、大きすぎる上着を着て広間へ戻った。
すると子供たちが興味津々で寄り集まってきた。
「アルマってどの辺に住んでるの? ……へぇ、西の住宅街かぁ」
「お誕生日はいつ? 好きなお花はなあに?」
「やっぱり、アルマもヴィルに拾われたクチなの?」
「拾われた?」
うん、と頷く男の子を、アルマは驚いて見つめた。今更ながら、なぜテロリストの住処に子供がいるのか不思議に思う。無理やり拉致監禁されているならともかく、自由に本を読んだり絵を描いたりしていて、ヴィルにもなついてるようだ。
ふいに上着の袖を捕まれて、アルマは驚いて後ろを振り返った。かわいい女の子がじぃっと見上げている。
「お姉ちゃん、甘いにおいがする」
「え?」
汚れを綺麗に洗い流したはずだが、石けんの香りではなく甘いにおいがするらしい。
「それはこの娘が練甘術師だからだ」
アルマが答えようとするより早く、ヴィルが話に割って入った。上着を脱いだ彼は、黒っぽい詰め襟の服装をしていた。シンプルだけれど、どこか怪しげな魔術師の印象がある。
「――練甘術師!」
複数の甲高い声が響いて、子供たちが蜘蛛の子を散らすように離れていった。カーテンやソファの後ろへ隠れて、敵意に満ちた視線を送ってくる。
「ど、どうしたのみんな、いきなり」
突然の豹変に戸惑っていると、ヴィルが冷静に奥の部屋へ行くように指示した。
「こいつらはみんな、この国の菓子に両親を奪われているんだ。君だって俺たちが気づかせなければ、お兄さんを突然死させていたかもしれない。……そういう子供たちだ。普段は色んなところへ徒弟にでているんだが」
今日は大がかりにやったから避難させていた、と説明しながら、ヴィルはアルマを奥へ導いた。
「お菓子に……」
促されるままに奥へ進んだアルマは、その部屋に並ぶ奇怪な品々の数々に息をのんだ。天井からつるされた薬草やコウモリの干物、明らかに毒と思われる瓶に入った液体や、本棚にぎっしりと詰まった分厚い革の本、謎の文字で記されたノート、机の上にはフラスコや蒸溜器具と思われるガラス製の装置が置かれている。
特にアルマを驚かせたのは、それらすべてがお菓子ではない素材でできていたことと、その場所が本当はただのキッチンだったということだった。
「なにここ……いつもなにを作ってるの?」
「薬と料理だ」
ヴィルはアルマへ振り返り、口元に薄い笑みをうかべた。
「一節によれば、錬金術は料理を母とする。練甘術とも親戚なんだよ」
§ § §
ほの暗いキッチンの奥を指さされて、アルマは沈黙した。奥のほうでぐつぐつと煮立って異臭を放っている謎の鍋が、『料理』なるものらしいのだが……鍋から突き出ている鳥の足はなんなのだろう。
「あれ、食べれるの……?」
「子供たちは嫌がるが、まあ、悪くはな――」
「まっずいまっずい。こいつのメシを食うぐらいなら牛の餌でも食ってたほうがマシだね」
いきなり降ってわいた騒がしい男の声に、アルマはキッチンから続く小部屋の扉を見た。
そこに立っていたのは、見覚えのあるガサツそうな若い男だった。茶髪でひょろりと背が高く、四肢が細い。
「あなた、あのときの!」
アルマに緑の液体をおみまいした、失礼な男だ。
「ようお嬢ちゃん、さっきは悪かったな。お、かわいい格好してるじゃないか」
ずかずかと近寄られ、頭をなでまわされた。
男はアルマのぶかぶかの上着をちょいと引っ張り、ヴィルへにやりと笑みをむける。
「ここでオレのワイシャツを貸すとはいいセンスだ、ヴィル」
「しね」
ヴィルの返しは鋭かった。が、まったく効いていなかった。男は半分歌いながらアルマの頭をなで続ける。
「で、お前はま~たやっかいなモンを連れこんだんだなぁ~、お兄ちゃんは面倒の予感がするんだなぁ~」
「うるさいな、テオには迷惑かけないからいいだろ」
「良くないだろ、ここは兄弟子としてしっかりきっかり――」
「してないのがあんただろ」
「ちょ、ちょっと……」
「なんだいお嬢ちゃん?」
アルマの頭をなでる手は止まらない。
「あの、あなたたちはデブ……テロリストなんですよね? なんでこんなところで子供を養ってるんですか」
「養ってないけどな。どっかのボンクラが集めちまったんだよ。ったく、拾うのは猫と空き缶だけにしておけと師匠に言われてきたのになぁ~」
うるさいな、と呟くヴィルを制してアルマはテオと呼ばれた男を見上げた。
「あなたたちもお菓子に恨みがあるんですか? だからテロを?」
ぱっと頭から手が離れ、アルマのぐしゃぐしゃの赤毛だけが残った。
「んーまあ、恨みもあるといえばあるかな? テロはただの警告だけど」
「警告?」
「そう。このままだとこうなるって、のんきな大衆どもに教えてやってるのさ。変身魔法なんぞ、気づかないうちに太りに太って突然死するだけだ。それを知らない人間がこの街には多すぎる。だから俺たちがこの国の異常さを気づかせてやってるって寸法さ」
「異常なんて……。ずいぶんな言い方をするんですね」
「俺らには異常としか言えないね。だがまぁ、この国の人間には無理な感性だろうよ。特にお嬢ちゃんたち練甘術師にゃ、明日のメシがかかってるから、文句の一つも言いたかろうがな」
あからさまな嫌味にアルマが唇を噛んだとき、それまで黙って成り行きを見ていた少年が動いた。とん、とヴィルのこぶしがテオの胸を打つ。
「テオ、あんたは少し黙ってろ」
「甘いなぁ、ヴィルは。そんなんだから弁論術の試験に落ちまくったんだぞ」
「あんたがキツすぎるんだよ」
「まあ、ガキとはいえ、お嬢ちゃんも練甘術師だからな。俺のあたりもキツくなるか」
さらりと言い放たれた言葉が、思いのほかアルマの心に刺さった。先ほど子供たちから受けた敵意を思いだす。テオの蔑みのような視線はそれとよく似ていた。
けれど当のアルマは練甘術師見習いで、世の練甘術師が受ける賞賛も批判も、一度も経験したことがなかった。だからこんな風に一括りにされて揶揄されることには、もっともっと慣れていなかった。彼女はうつむき、しゅんとうなだれる。
「あの、その……ごめんなさい。わたし練甘術師になるってこと、きちんと考えてなかったかも」
「気弱になるな。テオにつけ込まれるだけだ」
生真面目な顔つきでアルマに向き合うヴィルを、テオがにやにやと笑う。
「ナイト気取りもいいけどな、お前、もう少し兄弟子に敬意ってもんをはらえっつーの」
「あんたにそんな人徳がないからだ。あれば、別に敬意ぐらい……」
「おんやあ? この前『大人は全員信用ならない』とか、青臭いことを言ってたのは誰だったかな~」
しっしと手を払って追い払おうとするヴィルに、テオが軽く蹴りを入れる。
「で、お前はこの子を連れ込んでどうするつもりなんだ? 飯炊き係にでもするのか?」
「違う。が、そんなところでもあるか」
ウィルはアルマへふりむいて、手招きした。
「――来い、アルマ。君に本当の料理を教えてやる。とびきりのダイエット食だ」
そう言ってコンロの前へむかうヴィルへついて行き、アルマは相手をじっと見上げた。ヴィルはそれほど背が高いわけではないが、小柄なアルマと並ぶと頭半分ほど視線が高い。
「料理って、このジュレみたいなやつ?」
「これは薬膳スープ。薬と食事の中間だな。もっとまともなやつを教えてやるから、テオは去れ」
「あーはいはい。お邪魔虫は消えますよっと」
奥の扉から闇に消えたテオへ、ヴィルがため息を交えた異国語の呪いの言葉を放り投げた。その外国の言葉がアルマの耳につく。
「あの……ヴィルってもしかして、外の国の人?」
「ああ。おれたち二人はこの国のずっと西にある大国から来た。この国のことはそこでは幻の国と言われていたな」
「幻の国……。お菓子の国だから?」
「そう。一日三食お菓子ばかりの異常な国。あと、この町のふざけた練甘工業製品も」
言いながら、ヴィルはコンロ脇の壁をこんこんと叩いた。タルト生地のしっかりした壁は頑丈で、傷一つつかない。
「家から車から電化製品まで。溶けないチョコレートに割れない飴、崩れないケーキと、一般の菓子の限界を越えきっている。すべて狂った練甘術のなれの果てだ。気持ち悪いったらない」
「そんな……これって普通じゃないの?」
「この国で育ったならおかしいとも思えないだろうよ。ここの練甘術は、錬金術の中でももっとも奇妙な進化をしているんだから」
「れんきんじゅつ?」
舌っ足らずな発音に、ヴィルはまた派手にため息をついた。
「練甘術を知っていて、錬金術を知らないんだよな……この国の人間は。さっきも言っただろう、錬金術と練甘術は姉妹のようなものだと。錬金術のうち、甘味に関わる分野を特化させたのが練甘術だ」
悪し様な言い方にむっとしたものの、唯一兄を救う方法である『料理』を知っている相手にアルマは何も言えなかった。
ヴィルは学校の先生のような声色で続けた。
「錬金術とは、元は物質を金に作り変えようとして始まった学問だ。生命の根源の謎を探ったり、物事の本質を探究したりもしてきた。昨今は魔術と混合して、ほとんど呪いのようなことをしている錬金術師が多いがな」
「魔術なんてものがあるの?」
「君に言われたくなかったな、赤毛の練甘術師見習いさん」
皮肉げに笑う彼には異国風の訛りがあった。
「練甘術は錬金術のから派生した中でも、とびきりの魔術寄りだ。どんなお菓子でもこの国の砂糖を使うだけで、簡単に信じられないほどの強度や耐久性を持つんだからな。にもかかわらず、この国の連中はそれをたいした自覚もせず、平然と使い続けている。いつか大変なことになるぞ」
その一例が『ヘンゼルの骨』だな、と呟いて、ヴィルは冷たい目元を不快げに細めた。
「だから料理だ。今のこの国は料理でしか救えない」
きっぱりと言い切られ、アルマは小首を傾げた。
「その料理で、ほんとにお兄ちゃんを救えるの?」
「君がしっかり管理できればな。作り方なんて練甘術師ならすぐ覚えるだろうよ。その代わり、俺たちを警察に通報しないことと、こちらの計画に協力することを同意してもらう」
「え……ちょっと、なに勝手に決めてるのっ?」
少年はクロークをあごで示し、外套の背中にべったり張り付いた接着ゼリーを見せた。
つられて振り返ったアルマへ、彼は言う。
「あれは君の考案だろう? あんな菓子が売っているところなんて見たことがないからな。錬金術と練甘術の中間的な、いい作品だ」
「いい作品――」
長らく聞かなかった言葉に、アルマの胸がとくんと高鳴った。いつも「今日のケーキはここがいいね」と評価してくれる兄と、「いい感じね」としか言ってくれない師匠の間でうやむやになっていた自分の感情が、ぱっと開けた世界に飛び出したようだった。
「わかった。わたし、がんばる!」
ぎゅっと両手を握ってにっこりと笑いかけると、少年はどこか虚を突かれたような表情でアルマを見つめ返した。
「……ああ、うん」
妙に素直に頷いた少年が、はっと我に返るのと同時に、アルマは腕まくりをした。
「じゃあ、まずは卵と小麦粉と砂糖だよね! どこにあるのかな?」
まずはその発想から離れろ、というヴィルの声は彼女の耳に届いていなかった。