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 ぼろぼろと涙をこぼしながら、アルマは裏路地を歩いていた。人混みをさけた結果、見知らぬ小道に迷いこんだのだ。


 自分が迷子になったことにも気づかず泣き続けるアルマを、通りすがりの日傘を差した婦人が不思議げに眺めていった。

 その数秒後、その彼女と思われる女性の悲鳴が背後から聞こえてきた。


「ぎゃああああぁぁッッ!!」


 びくりと振り返れば、目の前に緑の液体がぱっと広がっていた。


「きゃ――」


 悲鳴をあげる間もなく、頭からばしゃりと液体をかぶる。少しぬめっとした、気持ち悪い感触。


「――ちっ、こいつ、使ってねぇ」


 舌打ちとともに、粗野な男の声が耳の横を駆け抜けていった。


「子供だからだ。大人を狙え、ばか」


 冷静な変声期前の少年の声がして、アルマは顔を上げた。すぐ横を黒い服と髪の少年が駆けていく。その整った横顔に見覚えがあった。


「あ、あんた、お昼にぶつかった――」

「きゃあああっ! デブテロよ――!!」


 大きく丸くなった女性の叫びがアルマの声を押しつぶす間に、少年は走り去っていく。

 アルマはとっさにその少年のあとを追いかけた。


「待ちなさい、よっ!」


 走りつつポケットから大ぶりの金平糖をつかみ取り、少年たちの足元へ放り投げる。

 金平糖は地面に当たった衝撃でトキトキに尖った。きっと靴の裏に刺さって、少年たちの足止めになるはずだ。


「げ、こいつっ!?」


 焦って振りかえる二人組に、今度は手のひらサイズのゼリーが投げつけられた。服にべったりと張りつくと取れない、瞬間接着ゼリーだ。


「さっきのお返しよ、テロリストさん。わたし特製の防犯お菓子、たんと召しあがれ!」


 勝ち誇ったように告げ、アルマはほくそ笑む。日頃から防犯グッズを作り置いていて本当に良かった。少年たちの足を止めることはできなかったが、鬱憤晴らしくらいにはなってくれている。


「ちっ、練甘術師か」


 少年の鋭い舌打ちが響く。


 『練甘術師』とは、お菓子で何かを作る職人の総称だ。食べ物としてのケーキだけでなく、建物や生活雑貨に至るまで、その制作範囲はドルチェブルグのすべてに広がっている。


「逃げるぞ、ヴィル!」


 彼らは二手に分かれてさらなる小道へ入りこんでいった。

 アルマは一瞬迷ってから、ヴィルと呼ばれた黒い外套の少年を追いかけた。



   §  §  §



「待ちなさいよ、このデブテロリスト!」


 小さな橋の上で五つめのゼリーが背中に命中し、黒髪の少年が足を止めてふりかえった。荒い息を整えつつも、冷たい茶色の瞳がきっとこちらを睨む。


「デブとはまた、失敬な。おれたちが太っているように聞こえるんだが」

「デブにするからデブテロリストでしょっ」


 自信満々に言い返すアルマに、一瞬、少年が押し黙った。そのまま彼はアルマをじっと見て、いぶかしげに眉間へ皺を寄せた。


「君は……まさか、あ――?」

「さあ、ここが年貢の納め時よ! 覚悟なさい、デブテロリスト!」


 指を突き付けて息巻くアルマを、少年は無表情で見つめたあと、大きく溜息をついた。


「……まあいい。そんなことより、なんでそんなに一生懸命おいかけてくるんだ? さっさと警察でも呼べばいいだろうに」

「そ、それは……あんたがお兄ちゃんの仇だからよっ!」

「兄貴の?」


 意外そうな顔で、少年が『仇……』と呟いた。


「まさか、あの薬のせいで死んだとか言い出すんじゃないだろうな」

「そんなわけないでしょ! ただ病院のベッドから動けなくて、家にも帰れなくて、婚約も破棄されそうなだけよっ」

「……ああ、そういうことか」


 冷静な頷きが返ってきて、アルマは逆に頭に血がのぼるのを感じた。一瞬でこちらの事情を見抜かれ、恥じらいと怒りがまざっていく。


「だ、か、ら! どうやったらあの薬の呪いが解けるのか、教えなさいっ!」

「ない」


 冷酷な声で少年が答え、黒いコートを翻して歩きだした。

 数秒間その場で固まったアルマが、小走りで追いかける。


「待ちなさいよっ。ないはずないでしょ。そうでしょ? ねぇ――ねぇってば!」


 すがりつくように掴まえたコートの袖を、あっさりと振り払われた。

 冷たく見下ろされておびえたアルマへ、少年は整った顔をゆがめてため息をついた。


「……仕方ないな」


 歩みを止め、コートの内側へ手をのばす。

 また怪しい薬かと、アルマが身を固めたとき、ふ、と小さな笑いが落ちてきた。


「――……ひどい格好だ。そのまま返すのも忍びなくなるくらいに」


 懐から出た手がアルマの頭上へ伸びてくる。

 びくりと身をすくませて目を閉じると、ぺた、と乾いた感触がおでこに張り付いた。


「え……」

「拭け」


 言われるがままにそれを手に取り、顔を拭くと、白いハンカチに緑のシミがべったりとついた。見れば制服の白いブラウスも肩から胸元まで緑に染まっている。


「ぎゃ、どうしよ。染み抜きで落ちるかな」

「それはこちらの台詞だ。このゼリー、どうすれば取れるんだ?」

「それはお湯にひたすと溶けて……じゃなくて、この薬、わたしも被ったってことは、もう二度と『ヘンゼルの骨』が使えなくなったってこと!?」

「理論上はそうなるな」


 淡々と答えられ、アルマの頭からさあっと血の気が引いた。今朝のスカート……ぎりぎりで入ったから良かったものの、もうこれ以上は太れない。ここが乙女の限界値だと、深く心に刻みこむ。


「で。このゼリー、爆発とかしないだろうな」

「失礼ね。どこぞの毒薬と一緒にしないで」


 きつく言い返すと、少年はあきれたように見返してきた。懐から小瓶を取り出し、小さく振る。緑色の液体がとろりとおどった。


「この薬に毒性はない。ただエリクシールの流出を防ぐだけだし、本来の姿に戻るのは二次的な作用にすぎないからな」

「エリク……?」

「エリクシール。おれたち錬金術師が〈本精〉と呼ぶ、万物を万物たらしめるものだ。そしてこの国の人々がまったく持っていないものでもある。おれたちは人間が本来持っているべきものを、あるべきように戻しただけだ」


 淡々とした掴みづらい説明に、アルマの頭は真っ白になった。


「本精を戻したってどういうこと……? お兄ちゃんはどうなっちゃうの?」

「どうなるって……。偽りの姿がとれなくなるだけだ。太ったなら痩せればいいだろう。まあ、この国の環境じゃ、結果がでる前に成人病になるかもしれないが」

「もうなりそうなのよっ」


 ベッドいっぱいに膨れあがった兄の姿を思い出す。小枝のようだった指は丸太と言っても良いほどで、面長だった顔はもちもちの二重あご、すっと通っていた鼻筋も見事な団子っ鼻になってしまっていた。医者曰く、このままじゃすぐに糖尿病、脂肪肝からくる肝硬変に睡眠時無呼吸症候群。今日の命があることを感謝したほうがいいとまで言われたのだ。

 それをアルマが悲壮な表情で告げると、少年はなおも冷静に答えた。


「別に今すぐ死ぬわけじゃないだろう。何をそんなに焦ってるんだ?」


 アルマは拳を握りしめてうつむく。


「だって、わたし……わたしのケーキのせいで……。ううん、それだけじゃない!」


 きっと顔を上げる。


「わたし、お菓子しか作れないんだもの! 明日のご飯にチーズケーキ以外思い浮かばないの。ダイエットなんて絶対に無理よ!」


 どれだけ食事制限をしても、毎日の食事がケーキでは元も子もない。


(それに、わたしがケーキをワンホール抱えて食べているのに、お兄ちゃんにはたった三切れだなんて……耐えられない!)


 その情景を思い浮かべたアルマは、両手で顔を覆った。


「どうしよう。わたしのせいでお兄ちゃんが死んじゃったら……もう、生きていけない!」


 両親が死んで以来、ずっと二人だけで寄り添って生きてきた。幼い自分を育ててくれた兄が、アルマの心のよりどころだというのに。

 涙を浮かべるアルマを見て、少年が小さくため息をついた。


「ったく、この国の練甘術師はどいつもこいつも……」


 悪態をついて歩きだす。その速さは先ほどと違い、どこか甘い。


「……ついてこい」

「なに? 痩せる薬でもくれるの?」

「そんなものはない」


 振り返りもせず、少年は続けた。


「その狂った感覚じゃ、これから先が心配だからな。『料理』ってものを教えてやる」

「りょうり? なに、それ」


 きょとんと目をしばたたかせるアルマに、ヴィルは思いっきりため息をついた。ここから説明するのか、と無言の声がついていた気がする。


「料理は料理だ。君たちがケーキを食べるのと同様に、おれたちは料理を食べるんだ」

「それがお兄ちゃんを救う方法ってこと?」

「おそらくな」


 それ以上の返事はなかった。

 しかし、その未知の『料理』なるものが兄を救うことを直感的に察知したアルマは、素直に少年についていくことにしたのだった。

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