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「――そう言われてもねぇ、このテのテロで使われる薬は、何の成分でできてるのかもわからなくて、手の打ちようがないんだよ」


 病院の狭い診療室で、アルマとティアナは医者の説明を受けていた。

 ふくよかな腹回りの医者が、レントゲン写真の一部を指さす。


「ほら、この脂肪。肝臓までいっちゃってる。ボクが見てきた中でも、こりゃあ結構な肥満だよ、うん」


 独り言のように呟いて、医者が白っぽい部分をくるくると指で示すのだが、アルマにはこれが兄のどこの部分を写したものかもわからなかった。白い部分が多すぎるのだ。


「あの、今すぐ命がどうこうってことは……」

「あるある。まず気道が確保できてないし、寝返りをうつのも難しいくらいだ。深刻な、いや、致死的な肥満だな、うん」

「それって、死んじゃうってことですか!?」

「そう。このままだと糖尿や痛風を発症する日も遠くない。まったく、『ヘンゼルの骨』の弊害は大きいよ」


 幻惑菓子『ヘンゼルの骨』は、食べると痩せてみえるという魔法のお菓子だ。細いクッキーに白砂糖がかけられたもので、味はひどく甘ったるい。『ヘンゼルの骨』という名は、建国の祖、国王ハンス一世が幼少の頃お菓子の家の魔女に捕らえられた際、目の悪い彼女を騙すために使った鳥の骨にちなんで名付けられているという。


 アルマは師匠の「お菓子職人がお菓子でごまかしをしてはいけないわ」という一言に従って使わずにいたが、ドルチェブルグの住人のほとんどが日常的に食べているだろう。


「その『ヘンゼルの骨』をまた使うっていうのは……?」


 深刻な表情でティアナがたずねた。


「ダメダメ。そもそもあの薬は『ヘンゼルの骨』が効かない体質にするんだよ。この二年で百人以上の被害者がいるけどね、もう一度『ヘンゼルの骨』が効いた人は一人もいない」

「それで、どうすればお兄ちゃんはメガデブじゃなくな……――助かるんですか?」

「痩せるしかないね」


 一瞬ぽかんとしてしまったアルマへ、医者はしみじみとうなずいてみせた。


「三ヶ月も入院すればまともに動けるようになるでしょう。うちの入院食はほんっとうに健康的というかね、私のズボンがワンサイズ小さくなるくらいだから。精神的には不健康になりそうなものばっかりだけどね、ははは」


 そう言って笑う医者の机にはドーナッツが置いてあった。


「運動はとうぶん無理かな……あれじゃあすぐ膝をやられるだろうから。まずは減量だね」


 じゃあね、と軽く診察室を追い出され、アルマとティアナはエルクの病室へ向かった。

 大きく膨らんだ蒲団に眠るエルクは、やっぱり本人とは思えないほど巨大化していた。まん丸になった顔には、かつては長いと思っていたまつげがちょびちょびと生えている。崩れきった輪郭線に今朝までの面影はいっさいない。

 自慢の兄の変貌にアルマがため息もつけずにいると、エルクの分厚いまぶたがゆっくりと開いた。


「……っ。ここは――っ?」


 彼は身を起こそうとして、重い体に驚いたようだ。おそるおそる自分の手を見て、太短くなった指に目を見開く。それから顔をなで、二重あごをぽよぽよさせてから二人を見た。


「アルマにティア……。……――そうか、ばれちゃったか」


 くぐもってしまった声に、兄特有の優しい響きが混ざっていた。

 ティアナが戸惑ったようにうつむきながら、か細い声でこたえる。


「エルク、あの、あなたはテロに巻きこまれたの。私を被って薬をかぶって……。とにかく、命があって良かった」

「そ、そうよお兄ちゃん、ちょっと商店街のお肉屋さんに似ちゃった――じゃなくて、ふくふくしくなっちゃっただけだもの。命があって何よりだよ」

「――ごめん」


 ごまかしのきかないエルクの声に、アルマとティアナは一瞬で沈黙した。


「騙していてごめん。もうずっと『ヘンゼルの骨』を食べ続けていたから、自分がこんなになっていると知らなかったんだ。知っていたら婚約なんて申しこまなかっ――」

「エルクっ」

「お兄ちゃん!」


 二人が同時に口を開いた。

 ティアナはすぐに口を閉じ、アルマはそのまま早口で語りだす。


「どうしてもっと早く『ヘンゼルの骨』を使ってるって言ってくれなかったの? 知ってたらもっと協力したのに。わたしの作ったケーキだって残してくれてもよかったし、失敗作なんてもっと食べなくてもよかっ――」


 はっと気づいて、アルマが口元を押さえる。


(まさか――まさか、まさかまさか……!)


 アルマはこれまでの生活を思い出す。

 昼食に作りたてのケーキを三ホールも届け、夕飯には午後からの失敗作を五ホール並べる。大食の兄が喜んで食べてくれるのがうれしくて、そんな生活を弟子入りしてから二年間続けてきた。兄は常人の三倍を超える量のお菓子をおいしそうに食べていたが、「胃下垂だから」と言っていたので、すっかり安心していたのだ。


 しかし今思えば、エルクを失敗作の投棄所――まるでゴミ箱のように扱っていたのではないか?


(そんなことない……! ……――なんて、言えない……っ)


 アルマはおそるおそる口を開いた。


「もしかしなくても……私の……お菓子のせいで、ふとった、の?」

「それは……」


 エルクは口ごもる。

 兄もティアナも頷かなかったが、場に落ちた沈黙がすべてを肯定していた。


(…………やっぱり)


 心のなかの太い柱が折れた気がした。アルマは即座に頭を下げる。


「お兄ちゃん、ごめ――」

「ごめんねアルマ。本当にごめん」


 謝罪は兄のほうがすばやく、強かった。


「こんな兄じゃきっと嫌だろうに。本当に、ごめん」

「違うの、本当は、わたしがっ!」


 アルマはこみあげてきた涙をどうしたらよいのかわからず、慌てて兄に背を向けると病室を飛び出した。


(――ケーキのせいだ)


 泣きながら思う。


 自分のケーキが悪かった。

 自分がケーキ職人なんて目指したから、兄がこんなことになったのだ。


 涙をぬぐいながら走るうち、懐かしい記憶がよみがえってきた。初めてアルマがキッチンに立った日、つたないホットケーキを兄が喜んで食べてくれたこと。毎年大きくなっていった誕生日ケーキ。もっとケーキ作りが上手になりたいという願いを聞いて、兄がツテを頼ってくれた師匠の工房。


 兄がいたからこそ、失敗続きの毎日を乗り越えられていたのに――。

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