3
アルマはケーキボックスを三段にして抱え歩いていた。エルクのいる絵付け工房へはもうすぐだ。箱で前がほとんど見えないが、いつも通る道だから大丈夫だろう。
そう思って角砂糖のビルの角をまがった瞬間、激しい衝撃とともにケーキボックスが飛んでいった。
「――ッぎゃ!」
叫び声と一緒に一番上のボックスが大きくはね飛んで、菱形クッキーの路面を転がったあと、チョコレートの車にひかれてしまった。
自分に何が起こったかわからぬまま、尻もちをつくアルマへ、変声期前の男の子の声がかかった。
「危ないなっ、ああ、くそっ」
声が届くやいなや、相手は黒い上着をひるがえして駆けていった。最後に見た横顔がいやに整っていたことだけが強く印象に残る。
一瞬の出来事に呆然としてから、アルマは我にかえった。
「ちょ、え、なにあいつ!」
勢いよくぶつかられたことを理解し、アルマは憤然と立ち上がった。目の前に転がるケーキボックスを見おろす。横向きに落ちた箱の中には、べちゃりと崩れたショートケーキが入っているに違いない。
「私の努力の結晶を……! つぎに会ったら、許さないんだからね!」
と叫んだ瞬間、前方からもっとすさまじい絶叫がおしよせてきた。
「キャー! いやぁ――!」
「助けてくれ――!!」
「こんなの私じゃないいいぃぃ――!!」
あまりの声量に思わず身をすくませてから、アルマは慌てて立ち上がった。
「なにこれ……まさか」
「テロだ! 逃げろ、まだあるかもしれん!」
男の号令で人々がいっせいに逃げた瞬間、小ぶりな爆発音が続いた。煙をあげる爆竹に混乱がふくれあがる。地面にはガラスのかけらや小瓶が散乱していて、どろりとした緑色の液体が菱形クッキーの路面にぐずぐずとしみこんでいた。そしてその道の上には、数人の男女が倒れている。
道の端々で小山のように横たわるそれらは、皆、丸々と太った大男や大女だった。
「テロだ、デブテロだああぁー!」
「『ヘンゼルの骨』が効いてない!?」
「うそ、うそうそうそ私を見ないでいやあああ!」
きゃーっと、ひときわ高い声をあげて気絶した大女のかたわらに、アルマは見覚えのあるすらりとした女性を見つけた。
「ティアナさん! 大丈夫ですか!?」
「あ……アルマちゃん」
細身の体型が目を引く、エルクの婚約者のティアナだ。茎の細い花のような立ち姿が、巨人たちの中でひときわ目立ってみえた。
「エルクが、エルクが私をかばって……」
「えっ? お兄ちゃんもいるんですか!? どこにっ?」
慌ててあたりを見回すも、エルクらしき人物はいない。
無事逃げおおせていればいいのだけれど……とアルマが思ったとき、けたたましいサイレンを鳴らした救急車がやってきて、駆け足で降りてきた救護員と思われる男たちが、大男たちへと向かっていった。
「呼吸が、気道が確保できないッ!」
「ちくしょう、どうやって運ぶんだ、こんなの!」
「重すぎるッ」
「三人がかりでも無理だ」
「くそっ、医者を呼べ!」
「誰か、誰か病院をもってこーい!!」
大騒ぎする救護員につられてそちらを見れば、見覚えのある金髪がちらりと覗いていた。
「お、おにい……」
「エルク!」
ティアナと同時に駆け寄れば、そこにいたのは兄とは似ても似つかない丸々と太った男だった。太くころころとした手足。膨らんだお腹にはスイカでも入っていそうだ。もちもちにふくれた顔はエルクの二倍はあるだろう。
「エルク、エルク!」
それに向かって兄の名を呼び続けるティアナに、アルマは小さな声で呟いた。
「ティアナさん……これ、別人じゃ」
「違うの、私をかばってエルクは!」
悲壮な声で振り向いたティアナの目元には涙が浮かんでいた。
そのとき、その金髪の巨人がうめいた。
「うう……」
そのくぐもった声がやはり別人で、アルマはやっぱり違うと思ったのだが。
彼の手には、今朝兄がつけていたのと同じ紫の斑点があった。
アルマの血の気が一瞬で消えた。
目の前に横たわる丸まると太った男へ、そうっと声をかける。
「――兄ちゃん……なの? 本当に?」
「ほらどいてどいて!」
今にも気絶しそうなアルマを増援の救護員のおじさんがドンッと押しのけていく。
「いっくぞー、せーのっ!」
大の男が五人がかりで金髪の男を担架に乗せて、ストレッチャーをぎしぎしと軋ませながら運んでいった。
救急車が去っていくのを見送りながら、後に残されたアルマはゆるゆると頭をかきむしり、
「お兄ちゃんが、わたしのお兄ちゃんが――マックス巨デブになっちゃったー!!」
絶叫した。