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 リーフパイ通りは左右を黒砂糖のアパートメントにかこまれた小道で、パイ生地の敷石がさくさくとした足音をたてさせる。

 その突きあたりのT字路に、甘い香りをふりまくケーキ屋があった。


 飴細工の植木がくぎる敷地には、二棟の建物がある。一方は飴ガラスが開放的な雰囲気をもたらすパティスリー・ルーメン。もう一方はこぢんまりとした工房だ。


 工房は飾り気のないスポンジの壁で、一見倉庫のようにもみえる。けれどブラウニーの屋根にある小さなチョコレートの煙突からは、こうばしい香りが絶えなかった。


 朝食の買い出しにとあふれかえる主婦の波をよけて、アルマは工房へむかった。

 小ぶりなチョコレートの扉を開けると、むっとする甘い匂いが出迎えてくれる。


「おはようございまー……あれ、師匠?」


 いつもなら小麦運びをしながらこたえてくれる師匠が、今日はいなかった。お店のほうに用事があるのかもしれない。

 アルマは白いエプロンを手早く身につけた。頭にも白い三角巾をきゅっと結ぶと、奥の倉庫から小麦や砂糖を運ぶべく、荷車を引いていく。弟子入りした頃は重い小麦の袋をつむのが辛くて毎晩腕が痛んだけれども、今は慣れてしまった。


 二十五キロの小麦と砂糖の紙袋を荷台にのせ、小ぶりな竈をぐるりと囲う長テーブルに運ぶ。この作業台の右側を師匠が、左側をアルマが使っている。師匠のところは汚れ一つないが、アルマの場所はちょこちょこと傷や汚れが目立っていた。

 必要な器材をそろえ、竈に火を入れると、鼻歌交じりに今日の分の小麦をふるう。


「――よしっと、完璧!」


 一通りの下準備が終わると、氷砂糖でつくられた巨大な冷蔵庫から使いかけの材料を取りだし、常温で保存された卵と一緒にテーブルへ並べる。

 ここからが腕慣らしの時間だ。きっちり計った砂糖に卵を混ぜて、小麦、メレンゲと合わせる。一般的な丸型に生地を流しこむと、適温になった竈へ。これでごく普通のスポンジ生地ができるはず。


「竈さま竈さま、あとはおねがいしますっ」


 アルマは竈の前で両手を合わせると、そっと竈の小窓をのぞきこんだ。息をはりつめて様子をうかがう。膨らみ具合はまあまあだ。このままいけばきっと大丈夫だろう。

 そう思った矢先、生地の表面がグズグズとしぼんでしまった。


「えー、なんでぇ」


 できあがったスポンジを見て、アルマは小柄な肩をもっと小さくしてため息をついた。表面がでこぼこだ。これではショートケーキにも使えないだろう。上の部分を削ってもぺらぺらな生地になるだけだ。


 仕方なくゴミ箱へ投げ入れようとして、つい手が止まった。いくら失敗作とはいえ、捨ててしまうのはもったいない。迷ったあげく、作業台の下にしまいこんだ。


「後でこっそり持って帰って、家で食べようっと」


 そう呟いたとき、少しだけ開いていた工房の窓から、若い女性の声が飛びこんできた。


「だからあたしは反対してるのよ、姉さん!」


 きつい口調に驚いて窓を見れば、二人の女性が口論しながら工房へと向かってきていた。

 長いストレートヘアーを高い位置で一つにくくった美女がルーメンの店長、リアだ。きつめのメイクに合わせて、声もきつい。


 対して、やわらかい空気をふりまいている茶髪のソバージュの女性が、工房の主人にしてアルマの師匠、フリーダだった。おっとりとした性格だが、作るケーキが革新的かつ前衛的で、とても評判がいい。


「でもね、リア。一度外へ修行にいくのは、アルマちゃんにとってもいいことだと思うの」

「それが向こうの策略だって言ってんのよっ」


 リアが長いポニーテールをばさりと後ろへ払いのけた。


「あいつら、あの子からスキルを盗むつもりなんだってば。去年のコンテストで姉さんに負けたから、必死なのよ」

「そんなことはどうでもいいの。なによりアルマちゃんの勉強になるし……それに私、最近あの子にうまく教えられていないかもって思いはじめてて……」

「それは――あら、おはようアルマ」


 突然声色を変えて、リアがアルマへ窓越しに手を振った。フリーダも何事もなかったようにやわらかく微笑む。


「おはよう、アルマちゃん」


 アルマは慌てて窓を全開にした。


「お、おはようございます、師匠。それに店長も」


 ぎくしゃくとした声にあわせて、アルマの視線がゆらいだ。


(今の話は何だろう。わたしをどこか別の工房へ手伝いに出すみたいに聞こえたけど……)


 弟子の動揺には気づかず、フリーダは妹へさらりと手を振った。


「じゃあねリア。この話はまた今度」

「もう。姉さんってば、いっつもそうなんだから」


 リアと別れ、工房に入ったフリーダがにこにこしながら器材をチェックする。その様子をうかがいつつ、アルマはおそるおそる声をかけた。


「師匠、今の話……」

「あらなあに?」

「いえ、なんでもないで――あっ」


 下手に誤魔化そうとしたのがいけなかったようだ。慣れきっているはずの卵割りに失敗してしまった。

 ボウルに入り込んだ殻を必死に取りだしながら、アルマは思う。


(こんな風にいつまで経っても失敗ばかりだから、師匠はわたしに嫌気がさしちゃったんじゃ……)


 焦るアルマの左隣で、師匠はパカパカと卵を割っていた。黄身と白身を一瞬で分けて、すぐに次の卵へ。片手に持った卵に当てるだけで、どんな卵も行儀よく割れていく。


 ケーキ作りに没頭すると、師匠はいつも無言になる。質問しようにも作業が早すぎて、声をかけるタイミングを逃してしまうのだ。

 それでも頑張って声をかけると、


「師匠、このスポンジの具合は――」

「うん? 生地が『ぺよんぺよん』になって、『ぷりっ』となったらできあがりよ」

「『ぷりっ』っていうと……照りがでてまとまってきたらってことですよね?」

「かなー? もうちょっと『ぷりんぷりん』かも~。『つやっつや』の『ぷりんぷりん』にしてね」


 ……となるのだ。謎の表現を多用され、混乱しているうちに次の作業にうつってしまう。


 そうして、アルマが『ぽろんぽろん』と『ぴたぴた』と『るんっ』の意味を考えているうちに、師匠は試作品をつくりあげていった。


 やがてアルマが三つのケーキを焼き終えた頃。


「アルマちゃん、そろそろお昼ごはんにする?」

「あ、はい」


 こたえて顔を上げたアルマの目に、ずらりと並んだ師匠の試作品が飛びこんできた。


 山盛りのプチシューにキャラメルソースがてらてらと輝くシュークリームタワー。八分立ての生クリームをしっとりとしたスポンジでくるりと包んだロールケーキ。きつね色の表面が香ばしいベイクドチーズケーキなどなど。


「このがっつりシュークリームタワーのお試しと、ごんぶとロールのお試しと、山盛りフルーツタルトのお試しと、ショートケーキのお試しと――どれがいい?」


 アルマはつやつやの照りのついた山のようなフルーツタルトと、真っ白なクリームが苺を包み込むようにのったショートケーキを見比べた。


「えっと……、ショートケーキの試作品で!」

「あら、また? アルマちゃんはショートケーキが大好きね」


 言うがはやいか、師匠はショートケーキを切りわけた。七分立てのクリームがとろりとスポンジを守っている。ちらちらとのぞく苺のアクセントが愛らしい。師匠のショートケーキはシンプルながらも強力に食欲をさそった。


「師匠のショートケーキが一番なんです。あと、その、お兄ちゃんのウエディングケーキの参考にもなるし……」

「ああ、あれね。ショートケーキにするの?」

「そのつもりです。こんな風に」


 エプロンのポケットから小さく折りたたまれた紙を取りだし、作業台に広げた。


「丸型ショートを三段にして、てっぺんにマジパンの花嫁さんと花婿さんの人形を――」

「悪くないわね」


 ふむ、とうなずく師匠は無表情だった。


「でもせっかくの結婚式なんだから、もっとパアッとさせたほうがいいんじゃないかしら? こう、見た人がルンルンになるくらいの」

「そうです、よね……」


 アルマは気弱な声でこたえ、紙に『華やかさが足りない』と書きこんだ。


「フルーツの盛りつけでも印象って変わってくるから、リアにもきいてみて」

「はい。師匠のケーキをお店に届けるついでにうかがってみます。それと、私のをお兄ちゃんに届けてきますね」

「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」

「はいっ!」

「アルマちゃんのショートケーキはちゃんと冷やしておくからね」


 師匠にウインクされて、アルマは笑顔をかえした。エプロンを脱ぎ置いて、紙のボックスにケーキを詰める。


「お兄ちゃん、今日のお弁当は気に入ってくれるかな。……三つとも失敗作なんだけど」


 アルマにとっては、失敗作でも喜んで食べてくれる兄が唯一の救いだった。

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