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 『反ヘンゼルの骨団』の隠れ家には、新しくなったキッチンがあった。鉄で作られたコンロやシンク台があり、お菓子の類は一切ない。戸棚には本物のガラスで作られたフラスコやビーカー、蒸留器や謎の薬品や気味の悪い色をした液体が所狭しと並んでいる。キッチンというよりも実験室といった色合いが以前よりも濃くなっていた。


 古ぼけたフラスコがならぶ食器棚の隣に腰かけて、アルマはヴィルからお茶を受け取った。隣の部屋から覗き込んでくる子供たちと目が合うが、彼らは慌てて引っ込むだけだった。ヴィルからキッチンには入るなときつく言いつけられているらしい。


 薬膳茶だというそのお茶は強烈な匂いがして、一口すするのにものすごい勇気を要した。味は意外とまともだったのだが。

 ヴィルはアルマとエルクが一息ついたのを確認してから、話を切り出した。


「君たちも見たと思うが、あれはエリクシールの不足による酩酊状態だ。おれの計算だと、君たちみたいに薬を被った者を除けば、今頃は国の八割の人間が意識不明になっているだろう」

「みんな眠ってるってこと? なんでそんなことが……。わたしたちのケーキのせいなの?」

「正確には砂糖のせいだ。もうずっとなんだが、この国の砂糖を生産しているアイヒマン社が意図的に君たちをエリクシールの欠乏状態にさせていてな。いつかはこうなるだろうと予測していたが……」

「やっぱり『アイヒマンシュガー』のせいなんだ。なのに、どうして師匠だけ捕まらなきゃならないっていうの?」

「アイヒマン社は罪を全部巨匠フリーダに丸投げして、時間を稼いでいるんだろう。それで何がしたいかは、わからないが」

「そんな……師匠はただ依頼されただけなのに!」

「『ヘンゼルの骨2』の威力は本当にすごいからな。エリクシールを抜ききってなお、垂れ流しにしているくらいだから。それだけ巨匠の腕前がすばらしいということだが……それが逆に徒になったんだろう」


 ヴィルが文机の上に白い棒状のクッキーを転がした。白砂糖でまぶし固められたそれは以前の『ヘンゼルの骨』より一回り大きく、しっかりした骨のようにみえた。

 エルクが小さな木の椅子をギシギシ軋ませ、ヴィルとテオを交互に見ながら問いかけた。


「聞いてもいいかな? その、〈えりくしーる〉っていったい何なんだい?」

「本精だ。気力と体力の両方に通じて、人間を人間たらしめる、誰もが生まれながらに持っている力だ」

 教科書を読みあげるように答えたヴィルを見つめたままエルクが動かなくなったので、テオが横から助け船を出した。

「簡単に言えば、『元気』ってヤツだな。それが枯れると体調不良になったり、妙な妄執にかられたりする」

「へぇ……。それが僕ら、薬をかぶった者には溜まっている状態なんだね」

「以前より体は重く感じるだろうが、心は軽いはずだ。気力が充実しているだろうからな」

「うん、それは感じているよ。君らのおかげだったんだね」


 と、エルクが福々しく笑う。

 そこでアルマがお茶を置いて、ヴィルへ向き直った。


「ヴィルは前、この国の人はみんなエリクシールがないって言ってたけど、こうやって倒れちゃうことを言ってたの?」

「ああ。ここまであからさまにはできないと思っていたんだが……『アイヒマンシュガー』が出回り始めてから風向きが変わってな」


 ヴィルは薬膳茶を平然と飲み、砂糖を足そうと手を伸ばしたテオの手をぺしりと叩いた。「輸入砂糖は高いんだから、そんなに使うな」と睨み付け、テオにちぇっと舌打ちさせる。


「じゃあこの国の砂糖を使おうぜ。おれたちはみんなお前の薬を被ってんだから、ちょっとぐらい飲んだところで問題ないだろうが」

「もう『アイヒマンシュガー』しか出回ってないんだ。薬を被っていても、あの砂糖の場合はどうなるか分からない。アルマは食べているか?」

「うん、ちょっと試食しただけだけど、平気だったよ」

「そうか……となると、アイヒマンシュガーと巨匠フリーダの技術が合わさった『ヘンゼルの骨2』が最悪の菓子ということになるんだろうな。エリクシールの流れでる量を見ても、あの菓子を食べたやつが最悪だ」


 メモを取り出して淡々と事態を整理するヴィルのかたわらで、腕組みをして天井をあおいでいたテオが、小さな声で尋ねた。


「でさ、フリーダって女はそんなにすごい錬甘術師なのか?」

「ああ。あれは本物だ。アルマも筋はいいほうだが」

「そうか。ならもっと早く接触しておけばよかったなぁ……美人だし」

「ねえ、その本物ってなに?」


 アルマは首をかしげた。本物の錬甘術士と偽物。どう違うのだろう。


「本物とは、この国の外でも製品が菓子に戻らない錬甘術士だ。普通は国の外に錬甘製品――お菓子で作られた物を持ち出すと、崩れたり腐ったりする。ところが、本物による作品だとまったく腐りもせず、いつまでも美しいままだと言われている」

「うそ、お菓子って外だと腐っちゃうの?」

「この国では知られていないことだがな。だから、この国は錬甘製品を輸出しないんだ」


 アルマの脳裏に、兄の絵付けしたお皿が思い浮かんだ。見た目にも華やかで芳しい香りのするお皿たち。あれを輸出しない理由が、初めてわかった。


「そういうことだったんだ……」


 半ば呆然と頷くアルマへ、ヴィルが問いかけてきた。


「それで、アルマに聞きたいんだが。君は巨匠フリーダから『ヘンゼルの骨2』の製造法について、何か聞いていないのか?」

「ううん、何にも。師匠は依頼品のことはあまり言わないから」


 アルマは師匠とのやりとりを思い出す。内密に、と言われているといっていた。いつもはそれでもうっかり口を滑らせることが多いのだが、今回はなにもなかった。


「そうか……警官さえいなければこの砂糖の使い方を彼女に直接聞けたのにな……」


 ヴィルは内ポケットから小袋を取り出し、中から白い粉――『アイヒマンシュガー』を掴んでサラサラと落とした。


「ケーキでも作るの?」

「いいや、爆発させるんだ」

「え?」


 アルマは眉を上げてから、ついと自分を指さした。


「それならわたしができるけど」


 テオが「なにぃ?」と腰を浮かせ、そのまま丸椅子を引きずってアルマの隣によってきた。


 『アイヒマンシュガー』はちょっとした水分量の関係でポンッと軽い爆発を起こす。爆発には相性があるのか、師匠が使うと顕著で、アルマだと滅多に爆発しなかった。この爆発が起こるとどんなお菓子も無残な形になってしまうので、扱うには慎重に慎重を要するのだ。


 テオはアルマをまじまじと見つめ、ヴィルが「だから筋がいいと言っただろう」と鼻を鳴らして呟くのを無視した。


「マジで出来るのか、お嬢ちゃん。この砂糖は本物の練甘術師――つまり、錬金術師の才能がないと爆発させられないんだぞ?」

「な、人を才能がないみたいに言わないでよっ」


 語気を荒げたアルマへ、テオは平然と肩をすくめた。


「ほんとうに偽物ばっかりなんだよ、この国の練甘術師は。ほとんどがこの砂糖の力で練甘術をやっているだけなんだからな。本物の才能の持ち主は一握り……いや、ほとんどいない」

「砂糖の力で? そんな、嘘でしょ」

「本当さ。砂糖がなくなりゃ、この国も他の国と同じように廃墟になりはてるだけだ」

「なに、それ……」


 問いかけとともにアルマの表情が固まった。


「廃墟? この国の外が?」


 一瞬で冷えた部屋の空気を察して、テオがヴィルと目を合わせる。ヴィルはその目に「また余計なことを……」という呟きを含んで瞬きした。

 テオが心底不思議そうに兄妹を見比べた。


「本当に知らないのか? お兄さんのほうも?」

「え、僕は――……いや、何のことだか」

「お兄ちゃん、知ってるの?」


 アルマはエルクの袖をぎゅっと掴んだ。うっかり肉まで挟んでしまい、兄が呻く。

 その様子にテオは呆れて肩をすくめ、その先をつるりと口にした。


この都市国家(ドルチェブルグ)の外は草一本生えねぇ地獄だぞ。湧き水もない、砂漠と荒野の合いの子だ。だからこの国はいつも晴れていて、雨一つ降らないだろう?」


 アルマは息をのんだ。


 実際、この国の雨量は少なく、国中に生える緑は皆飴細工で作られた花や木ばかりだ。美しく咲き続けるそれらを当然だと思っていたが、他の国ではそうでないらしい。


(確かに、フルーツは輸入品ばかりだったけど……)


 にわかに信じられず、アルマは兄を見上げた。


「本当なの、お兄ちゃんっ?」


 鋭い口調で問われ、エルクがびくりとアルマを見下ろした。兄がこの国に来たとき十二歳。五歳だったアルマの記憶にはなくとも、彼は覚えているだろう。

 エルクは分厚い唇をぱくぱくと動かして言いよどみ、小さな緑の目を泳がせた。


「えっと……僕が見たのはもう九年も前になるから……草ももう、生えてるかなって」

「とぼけないでっ。私たちはこの国の外からきたんでしょう? この国は難民の寄せ集めだって、ヴィルも言ってたんだから! 本当に外は荒野なのっ?」


 アルマが立ち上がった拍子にカタンと椅子が倒れた。


「教えてよ、お兄ちゃんッ!」


 エルクは鬼気迫る表情のアルマを凝視し、それから諦めたように息をついた。


「……本当だ。僕らも難民だったんだよ。生まれ故郷は戦争で疲弊して……飢えて乾いて死ぬだけの土地だった。だから僕らは国を出たんだ。たった二人でね。戦争で母さんも父さんも死んでしまったから」

「戦争で、なの?」

「そう。あまりいい話じゃないからね、僕も忘れたふりをしていたんだ。あの頃は毎日ひもじくて……。この国は平和で、食べ物にも困らなくて、みんな陽気に笑っていられる。それでいいじゃないかと思って、僕はお菓子を食べ続けてきたんだ」


 そこでエルクは言葉を切り、一度表情を引き締めた。声がぐっと低くなる。


「本当はこんなのおかしいって思ってたんだけどね……。あの頃の飢えた記憶が、僕に狂ったようにお菓子を食べさせ続けたのかもしれない」

「お兄ちゃん……」


 思い深げに黙った兄へ何も言えず、アルマも一緒に黙り込んだ。



   §  §  §



「――そんなことより、今、問題なのは」


 しばらく続いた沈黙を破り、ヴィルが戸棚から巻紙を取り出して机の上に広げた。ドルチェブルグの地図だ。その一点を指さし、彼は真剣に続ける。


「以前は垂れ流しになっていた各人のエリクシールが、最近、アイヒマン社に集中していくようになったことだ。調べてみたら案の定、禁術を使った痕跡があった」

「禁術?」

「禁止された錬金術の秘術だよ。魔術に近いものはだいたいが禁術だ。アイヒマン社は『アイヒマンシュガー』を利用して、この国のエリクシールを集め、もっと高度な禁術を行うつもりだとおれたちは思っている」

「なにそれ。わたしたちのお菓子を使って、みんなの力を奪って……何かとんでもないことに使ってるってこと?」


 アルマは憤慨して両手を握りしめた。


「許せないっ。わたしたちは毎日一生懸命に心を込めてお菓子を作ってたのに。それをこんな風に利用するなんてッ!」


 アルマは辺りを見回し、戸棚の中の色とりどりの薬剤に目をつけた。あの日ばしゃりとかけられた緑色の液体もそこに並んでいる。

 それを指さし、アルマはヴィルへ問いかけた。


「あの薬でみんなを救えないの? 街のみんなにかけて回れば、エリクシールが出て行くのを防げるんでしょう?」

「無理だな。そんな大量生産が出来るものではないし……。それに、君のお兄さんの初期状態を覚えているか? 呼吸困難で突然死する人が出ないとも限らない」

「でも、倒れるよりは……」


 反論の途中で口ごもる。巨デブになって苦しむのと、ずっと眠り続けること、どちらの方がいいのだろう。アルマには分からなかった。

 それまで様子を窺っていたエルクが、恐る恐るといった調子で片手をあげた。


「ちょっといいかな。僕はそろそろルーメンへ戻りたいんだけど……。ティアたちが気になるんだ」


 ギイと椅子を軋ませて立ち上がろうとする。

 それをテオが見とがめた。


「止めとけ、警官どもが張ってる。おれたちの仲間と思われてつるし首になるのがオチだ」

「警官たちが回収してるなら、丘の上の総合病院にいるだろうな。でも、あそこはもういっぱいなんじゃないだろうか」

「私も師匠が気になる。このまま死刑なんてことになったら……どうしよう、お兄ちゃん」


 アルマがエルクの服の裾を掴んだ。そうやって幼い頃から兄の後ろをついて回っていたことを思い出し、気恥ずかしくなって手を離す。


(しっかりしなくちゃ。もうお兄ちゃんには一番に心配する人がいるんだから……)


 その様子をヴィルが鋭い目つきで見ていた。何事かを思案するように組んでいた腕を外し、立ち上がる。


「――アルマ。君は師を救いたいと思うかい?」

「うん、思う。絶対助ける」


 ほとんど無意識に答えてしまい、アルマは自分に驚いた。それからしっかりとヴィルを見る。

 ヴィルは小さく頷いた。


「ならおれたちの敵は同じだ。同盟を組もう」


 突然すっと手を差し出され、アルマは目をみはった。


「アイヒマン社には菓子のゴーレムがたくさんいて、おれたちだけでは手が出せない。あれを倒すには練甘術師の協力が必要だ。頼む」

「協力って――もしかして、このための『約束』だったってこと?」


 『反ヘンゼルの骨団』のアジトを黙っていることと、いざとなったら協力すること。すっかり忘れていたが、この二つが料理を教えて貰うための条件だった。


「本当はもっと安全に協力してもらうつもりだったんだがな……仕方ない」


 ためらいがちに下がった手を、アルマがぎゅっと掴んだ。


「わかった。協力する。料理だけ教えてもらって、あとは知らないなんて言えないもの」

「よし」


 力強く握り返されて、アルマは一瞬どきりとした。

 エルクが心配げに「大丈夫かい?」とうかがってくる。それにしっかりと頷き返し、アルマは微笑んだ。


「大丈夫。レシピ代くらいはしっかり返すから」


 ポケットから三角巾を取り出し、頭に巻いて縛る。


「――それじゃあ、今からキッチンを借りるね」


 椅子から立ち上がり、真新しくなったシンク台へむかう。


「ああ。なんならそこにある実験器材を使え。――それで、何を作るんだ?」

「わたしの『食べられないお菓子』よ」


 足止め用の金平糖をシンクの上にじゃらりと広げる。トキトキに尖った先端がランプの明かりを映してきらりと光った。


「絶対、師匠の嫌疑を晴らしてみせる。そのためだったら何だってするの」


 強い意志の宿った目でコンロ横の実験器具を見つめる。ガラスのフラスコや細いチューブが所狭しと並べられたそこは、まるで異世界のように見えた。

 テオがおもしろげに瞳をきらめかせる。


「へぇ、だったらお嬢ちゃんにもおれの仕事を手伝ってもらおうかな」

「テオ」


 ヴィルの牽制をひらりとよけて、テオは顎でアルマを示した。


「お前もそのつもりだったんだろ。どうせはじめっから本物の練甘術師と見抜いてたくせに」

「…………」


 ヴィルは少しの間押し黙り、それからいつもの無表情でアルマへ向き直った。


「手伝えるか、アルマ」

「うん」


 アルマは真剣に頷き、ヴィルに導かれて器材へと歩み寄った。

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