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真っ白なクリームでおおわれたスポンジに、アルマのもつクリームの絞り袋の先端がそうっとふれる。金口から生クリームがきゅっと美しい流線を描いてしぼりだされた。
「……ほぅ」
と、ため息をつくのは周りをかこむルーメンの従業員たちだ。普段は接触のないルーメンのケーキ職人たちまでが、アルマのデコレーション技術を背伸びして見ている。
ルーメンは三ヶ月に一度、木曜の定休日を使って従業員だけの試作品発表会をおこなう。飴細工の草花がきらきらと輝く前庭で、立食パーティをするのだ。
アルマは無意識に息を止めて、すっすっとクリームをのせていく。与えられたスポンジとフルーツで即興のデコレーションをするこのデモンストレーションは、発表会の目玉だった。
震える手で絞り袋を何度も握りなおしながら、アルマは慎重にクリームをのせていった。色とりどりのフルーツを直感で配置して、上からつや出しのナパージュをぬり、華やかなデコレーションケーキに仕上げる。最後にそえた緑のセルフィーユが全体をひきしめた。
「――できました」
ため息混じりの一言で一同がわっと盛りあがる。
「かわいい!」
店子たちが手を叩いた。職人の一人がピュウッと口笛を鳴らす。
「上手になったなぁ、アルマちゃん。そのクリームの絞り方はフリーダさんの考案かい?」
「えっと、師匠のに少しアレンジをくわえました」
「いいね。次はチョコのデコールが見てみたいもんだ」
「私は飴細工がいいわ。アルマちゃんのケーキはみんな可愛らしいもの」
笑顔で集まる従業員たちにケーキを切り分けていく。熱した包丁がクリームをとろっととろけさせ、美しい断面がのぞいた。
「本当にすばらしかったよ、アルマ」
仲良く寄り添ってケーキを受け取りにきたその二人を見て、アルマの顔がほころんだ。
「お兄ちゃんとティアナさん、来てくれたんだ」
少しすっきりとしたエルクには大きめのケーキを、ティアナには苺のたくさんのった部分を渡す。今日は無礼講なのだ。
「僕がいない間にすごく腕が上がったんじゃないか? よく頑張ったね」
「このスポンジもアルマちゃんが焼いたの? とってもしっとりしていておいしいわ」
一口食べたティアナが驚いたように言った。
「うん、私が焼いたの。最近は失敗もすっかりなくなって、すごく調子がいいから、今日は師匠の代わりにってことになって」
そういって軽く視線でフリーダを探すと、彼女はリアと一緒に工房のほうからテーブルごとケーキを運んできていた。
「さあさ、新作ケーキのお披露目よ!」
リアが銀色のふたを取り外すと、色とりどりのケーキが並んでいた。わあっと歓声が上がり、女性の可愛い可愛いという声が重なる。
「これは……伝説のフリーダ様のモンブラン、『枯れ山のぐるぐる巻き』……!」
「チーズケーキ『真っ白しろの壁』……何か言いようのない迫力を感じますわ」
「この『真夏にうだるフラミンゴ』とは?」
「ピスタチオと苺のムースを重ねてみたものなんだけど、どうかしら?」
フリーダが説明したケーキには細くカールした苺チョコのデコールが乗っていて、これがフラミンゴをあらわしているのだが、前衛的すぎて理解されていないようだった。
「こっちの小さなケーキは?」
テーブルの端にちょこんと乗ったケーキをさして、店子のお姉さんが小首をかしげた。それだけネームプレートがないのだ。
「あ、それはわたしのです」
アルマが小さく手を上げた。
「名前が思いつかなかったんですけど……蒸したチーズケーキにとろとろのムースを合わせたものなんです」
アルマが手を出そうとするより早くフリーダがそれを手に取り、自慢げに披露した。
「アルマちゃんの力作ケーキよ。私は『とろりんとろりんふわふわりん』がいいって言ったんだけどね」
「略したら『りんりんりん』ですねっ」
ごくりとつばを飲み込む店子へ、フリーダが手品のようにアルマのケーキを切り渡す。
一口食べたその子は両手でほっぺをぎゅっと掴み、「とろふわですぅ~」と身もだえた。
「良かったわね、アルマちゃん」
「そんな……このケーキができたのは新しいお砂糖のおかげですし……」
アルマは言葉を濁して俯いた。
かつてフリーダですら爆発を起こさせた砂糖はあれから改良され、『アイヒマンシュガー』として国中に流通している。非常に使いやすく好評で、今では町中のケーキ職人が使っているほどだ。そのせいで街の全体的なレベルまで上がってきているという。
砂糖を使うなというヴィルの助言にあらがうようで心苦しいが、アルマも遊びでお菓子作りをしているわけではない。少しでもルーメンの役に立とうと必死になって考案したのだ。
俯いたまま絞り袋をいじっていると、リアにフリーダのケーキの試食を渡された。
「これ、美味しいのよねぇ。アルマ、最近センス上がったんじゃない?」
「他のお店のケーキをたくさん調査したんです。ヴィルがそうしたほうがいいって言ってくれて」
こたえてフリーダの試作品をぱくりと食べる。口の中いっぱいに果物の香りが広がり、チョコレートの風味と一瞬合わさって消えていく。フリーダのケーキには甘さの中に独特の雰囲気のようなものがあって、それに浸りたくて次の一口へと続いていく……。そんな飽きない風味があった。
リアがこつんと肘でアルマをつついた。
「最近ヴィルヴィルってよく言うじゃない。彼の助けがあってこそ、今の成長があるってわけ? いいわねぇー青春しちゃって、このっ」
「ち、違いますってば。それにヴィルは……」
『もう会えないかもしれない』とは言えなかった。自然と消えた語尾を探してアルマは考え込む。
(……ヴィルたち、次のテロをするって言ってたけど、どうするつもりなのかな。危ないテロはしないでいてくれるといいけど、もし警官さんに捕まったら……)
胸の奥のわだかまりがむくりと大きくなるのを感じて、アルマは試食を無理やり口に含んだ。おいしさが口の中でぱっと広がり、不安を追いだす。
(あ、これはリンゴの酸味にレモンがたしてあるのかな?)
などと職人見習いらしく味を分析していると、ふと庭先に人が入ってきているのを見つけた。
「お客様?」
ふらふらとした足取りの男は、ルーメンを目指すでもなく庭先に座り込んだ。
ひとりの店子が駆けよる。
「すみません、今日は休業日なので、関係者以外は……」
とん、と彼女が彼の肩を叩いた瞬間、男がぱたりと後ろへ倒れこんだ。
「え?」
「なんか、気分が……」
驚く間もなく、アルマの正面に立っていた店子が突然意識を失って倒れた。その隣の者もめまいを覚えてよろけ、職人のひとりが呻いた。
「苦しい……」
売り子たちも続々と胸を押さえて座りこむ。
「なにこれ、気持ち悪い……」
「変、眠い」
「エルク……」
眠りにおちるように気を失ったティアナを支え、エルクがおろおろとあたりを見回した。
「ど、どうしたっていうんだい? ティア、目を覚ましてくれ!」
「何が起こったの? 師匠! 師匠は大丈夫ですか?」
アルマがフリーダを振り返ると、彼女はまだ意識がはっきりした様子だった。
「一体どうなってるのかしら――」
こんなときでもおっとりと驚く彼女の声を遮って、リアの鋭い制止が響いた。
「何なの、あんたたち! 勝手に入ってこないで!」
皆が驚いてそちらを見れば、入り口の門を蹴破って入ってきたのは、ドルチェブルグ市警――カールを含む警官たちだった。
彼らは庭の飴細工を踏みしめて駆けより、一瞬でフリーダをとり囲んだ。
「フリーダ・クラッセン、貴様が『ヘンゼルの骨2』の開発者だな!?」
「はい、そうですけども」
のんきな声で答え、フリーダは瞬きした。
警部と思われる年のいった男が警察手帳を押しつけるように見せ、フリーダの手を掴んだ。
「大量傷害容疑で逮捕する!!」
「えええ?」
警部の手には手錠が握られていた。それをカチャリと鳴らし、フリーダの細い手首にはめようとした。
驚いて手を引くフリーダより、リアの罵声ほうが速かった。
「なんで姉さんが捕まらなきゃなんないのよ! それよりこの状況を見なさいってば、人が倒れてんのよッ!」
警部へ詰め寄ろうとするリアをおさえたのはカールだった。彼は厳しい顔でリアの肩を押し戻した。
「この惨事は国中で起こってるんだ。主に新しい『ヘンゼルの骨2』を食べた人に症状が顕著だから――」
「姉さんが開発したから逮捕するってわけ?」
「そうだ。アイヒマン社がフリーダさんを訴えたんでな」
リアとアルマが目を剥いた。
「なんですって?」
「それってつまり、師匠のせいにされたってことですか!?」
「信じられない、こっちこそ訴え返してやる!」といきり立つリアをおさえ、カールは早口で告げた。
「とにかくお前たちはこれ以上菓子を食べずにいろ、アイヒマン社の『ヘンゼルの骨2』はもってのほかだ!」
「そこまでわかってて、どうしてあっちを逮捕しないのよ――あれ?」
「リア!」
リアが急にバランスを崩してよろけた。カールは慌ててそれを支えようとしたが、彼女は片腕を持たれたまま飴細工の芝に倒れこんでいった。
「店長まで……なんで? ルーメンのみんなは『ヘンゼルの骨2』を使ってないのに……」
アルマの呟きは警部の「戻れカール!」という大声にかき消された。
フリーダを拘束したまま警部は続ける。
「アイヒマン社も取調べ中だが、まずはフリーダ・クラッセン、お前を確保する方が先だ。悪いな。――逮捕だ」
フリーダの手首にガチャリと手錠がかけられた。
「待ってください、師匠はなにもしてないです!」
ぽかんとしたまま連行されていく師匠を追いかけようとしたアルマは、リアを手放したカールによって道をふさがれた。
「悪いな、アルマちゃん。この状態じゃ現行犯も同じなんだ。わかってくれ」
「でも、師匠はただ普通にお菓子を作っただけで、なにも変な物は入れてないんです!」
言ってから、アルマの動きが止まった。
『ヘンゼルの骨2』とルーメンのケーキ。この二つの共通点はフリーダの設計だということだけだろうか。ならば国中で意識を失う人がでていることと矛盾する。
アルマは思わず呟いた。
「『アイヒマンシュガー』……」
その一言でさっと顔色を変えたカールが慌ててささやいた。
「それだけは言っちゃダメだ」
と、彼はちらりと自分の上司を盗み見る。聞かれていないことを確認し、続けた。
「とにかく、今はダメだ。いいか、アルマちゃん。大人には大人の事情ってもんがあるんだよ」
その事情が何かアルマにはすぐに分からなかった。けれど相手がこの国唯一にして最大の砂糖会社であることを思い出した。
(アイヒマン社は本当に、師匠に全部の責任を押しつけて、事件をうやむやにしてしまうつもりなんだ。警察もそれが分かっててやってるんだ)
憤りがこみ上げて、思わずカールをにらむと、彼は申し訳なさそうに小さく頷いた。
「それで、アルマちゃん。悪いが君も取り調べに参加してもら――」
その先は突然の爆発音で遮られた。
「な、爆弾テロか!?」
庭の中で爆発が起き、煙がもくもくと上がっていた。飴細工が溶けてねちねちになり、警官たちのズボンに張り付いている。
煙で前後が分からなくなったところを横から突然腕を捕まれ、アルマは狼狽した。
「だ、だれ――?」
叫びそうになる口を押さえこまれて見上げれば、黒い服のヴィルだった。
彼はアルマをつれてルーメンの庭を駆けぬけていく。その途中でエルクを連れたテオと合流し、四人はルーメンの門を飛び出した。
「待って、師匠が!」
アルマが振り返れば、煙の中に拘束されたままのフリーダが一瞬見えた。
「無理だ。今は諦めろ」
鋭く言われ、アルマは視線をヴィルへむけた。彼はまっすぐ前を向いたままルーメンの庭を抜け、小道を駆けていく。その横顔は決意に硬くひきしめられていた。
アルマはもう一度振り返り、遠くなったルーメンへむかって叫んだ。
「師匠、絶対に――必ず、助けますから!」
その声は黒砂糖のアパートメントに響き、数回反響して消えた。