2
昼をすぎて三時近くなった頃、カラランと飴細工チャイムが鳴って、甘いバニラの香りが漂ってきた。
「こんにちは、ルーメンの皆様」
美しいプラチナブロンドをさらりと耳にかけつつ、クララが飴ガラスの向こうから顔をのぞかせた。
「今日は先日の依頼品のご報告に参りましたの。フリーダ様はいらっしゃって?」
「いらっしゃい、クララちゃん」
フリーダがエプロンで手を拭きながらカウンターから出た。
「わざわざ来てくれたのね。工房でお話ししたほうがいいかしら?」
「いいえ、ちょっとしたご報告ですもの」
「そう。あれからどう?」
「すばらしいですわ!」
クララは胸の前で手を合わせ、夢見るように続けた。
「さっくりとした歯ごたえはそのままに、以前にも増して香ばしい風味が加わって……まさに理想のお菓子でしたわ!」
「ご期待に添えてなによりよ。効果のほうはどう?」
「ええ、期待以上でしたわ。完成品を参考に工場で量産していますけれども、まったく質が落ちませんの」
そこで一度言葉を切り、クララはきっと表情を引き締めて眉をつり上げた。
「これでもう、アルマさんのお兄さんみたいな、悲しいテロなんて起こさせませんわっ。デブテロリストどもに目にもの見せてやりますのっ」
それからクララはケーキを三つ買って去っていった。
ケーキボックスを持ってしずしずと歩くクララの後ろ姿を眺め、アルマはふと不安になってフリーダに尋ねた。
「あの……依頼のお菓子って、この前私と一緒に作ってたクッキーですよね?」
「そう、『ヘンゼルの骨2』よ」
「ツ、2ぅ?」
「テロにあっても大丈夫なように、幻惑の能力を強化したの。アイヒマン社の工場で大量生産されて、今日にでも街に出回るわ」
アルマは工房での出来事を思い出す。一緒に完成した喜びですっかり忘れていたが、あのぽんぽん爆発した試作品のことだろう。あれがアイヒマン社から発売されるのか。
(……大丈夫、だよね? 師匠が作ったんだし……)
言いしれぬ不安を感じつつ、アルマは給仕に戻った。
§ § §
アルマは道慣れたクラッカーの通りを抜け、『反ヘンゼルの骨団』の隠れ家へ向かった。
無骨な木製のドアを叩き、しばらく待つ。
中からバタバタと大きな足音がいくつか聞こえるも、一向に扉は開かない。その代わりよく響く大声が聞こえてきた。
『――もう無理なんじゃないか? 諦めろよ、ヴィル』
『うるさい。あんたがいつもそうやって邪魔するから――』
『でももうアレに対処することはできない。お前の試算でも無理だっただろ』
『わかってる。でもこのまま放っておいたら、この国どころか他の国まで巻き込まれるんだぞ』
『だがもう無理だ。あれだけエリクシールを奪われて生きてるこの国の人間がおかしいんだよ』
『だからそれも、菓子から摂取する微量のエリクシールで生きながらえているだけで――』
アルマがもう一度扉を叩く。それでも声の主たちは気づかなかったようだ。業を煮やして自分から開けると、扉はすんなりと開いた。
「こんにちは、ヴィルはいる?」
扉から顔を覗かせると、ヴィルが驚いた顔で駆けよってきた。冷静ながらどこか焦った声で答えてくる。
「アルマ。どうしたんだ、いきなり」
「なにかあったの?」
「いや、なにも」
明らかに嘘の構えでヴィルは目をそらした。それから気を取りなおしたようにこちらを見る。
「君こそどうしたんだ、アルマ」
「また市場調査と敵情視察もかねて、一緒にカフェに行こうと思って。一人だと目立っちゃうから」
すっと片手を差しだすと、ヴィルは怯んだようにその手を見下ろした。
「なんでいつも俺なんだよ」
「前にも言ったでしょ。同じくらいの年の子が他にいないの。お向かいさんのトニー坊やは幼すぎるんだもの。偽装カップルなんて勤まらないでしょ」
「だが――」
ヴィルが答えるより速く、隠れ家の奥からよく通るテオの声が聞こえてきた。
「おーおー、ちょうどいいじゃないか、ヴィル。アルマちゃんとデートして、そのぼさぼさの頭を冷やしてこいよ」
ヴィルは慌てて振り返る。
「な、あんたこそ――チッ」
そこに影はなかったらしく、ヴィルは鋭く舌打ちし、アルマへ向き直った。
「わかった。君に付き合おう」
いつもの黒コートを羽織り、黒い帽子を目深に被る。そうして風を切って扉を出てきた彼は、アルマを置いて足早に進んでいった。
§ § §
街で噂のカフェ・アウルムは、ふわふわのマシュマロで外観を組んだ可愛らしいお店だ。室内には観賞用の飴細工の花が花瓶に活けられ、マシュマロのソファにお客が埋もれて座っている。
スタイル抜群のウエイトレスがお盆に飲み物とケーキを二皿を乗せて、アルマたちの元へ現れた。
「コーヒーをご注文のお客さまぁ」
湯気の出ているカップをヴィルが受け取った。
「こちらはミルクティーとショートケーキ、桃のタルトでございますぅ」
アルマの前に、真っ白なクリームのショートケーキと、薄くスライスされた桃が扇のように積み重なった桃のタルトが置かれる。
アルマはごくりと生唾を飲みこんだ。
しかしヴィルはアルマの前に置かれた皿を見て、嫌そうに眉をしかめている。
「そんな砂糖の塊みたいなもの、よく食べられるな」
「仕方ないじゃない。このお店、テイクアウトがないんだもの。これも全部、センス磨きと市場調査のためよ」
アルマは苺の乗ったシンプルなショートケーキにフォークを突き刺した。ほろりと崩れるようにすくい取られたケーキは、絶妙の甘酸っぱさを演出したあと、口の中でふわりとはかなく消えていった。
(おいしい……)
アルマは目を閉じてそのおいしさを堪能した。ショートケーキは基本的なケーキだけあって、その店の実力をそのまま現している。カフェ・アウルムのケーキは噂通り、ドルチェブルグでも十本の指に入るだろう。
次は桃のタルト。味がボケがちな桃という食材を、フレッシュなままタルトにしたカフェ・アウルムおすすめの逸品だ。ざっくりとしたタルトの歯触りと、上品なアーモンドクリームに、桃のほんのりとした甘さがおいしい。
(これは……敵ながら? 実力を認めざるをえないおいしさだわ)
一口一口を頭の中で分析しながら、一心不乱にケーキを食べていると、ヴィルが呆れたようにこちらを見てきた。彼はブラックコーヒーを一口飲んで、苦かったのか顔をしかめている。
「ミルク、入れたらどう?」
「そうする」
アルマの残ったフレッシュミルクを差し出すと、ヴィルは表面上渋々といった様子で受け取った。ミルクを足したコーヒーを一口飲んで、彼は顔を上げた。
「それで、今日は何の呼び出しなんだ? まさか一緒に茶をすするだけというわけじゃないだろう」
「今度の木曜日にルーメンで工房の試作品発表会があるの。ヴィルにも来てもらおうと思って」
ヴィルはあからさまに顔を歪めて呆れた。
「君というヤツは……。俺たちが砂糖を毛嫌いしているのを知ってて、そういうことを言うんだな」
「あ。……そういえば、そうね」
アルマは自分の赤毛をポリポリとかく。発表会では一口サイズのケーキを何種類も味見できるので、ヴィルにも食べてもらって感想を聞こうと思っていたのだ。
「君の記憶力の悪さはこちらが心配になるくらいだな。うっかり忘れて砂糖をざばざば使っていそうだ」
カチンとくる言い方をされ、アルマは手元のケーキへぶすりとフォークを突き刺した。
「そんな風に言わなくたっていいじゃない! 確かに私は記憶力が悪いけど……。自分のケーキにはできるだけ砂糖を使わないようにしてるんだからねっ」
「ならいいんだが……」
ヴィルはアルマの怒りなど意にも介さず、コーヒーをカチャリと受け皿へ戻した。つるりとしたホワイトチョコのテーブルに頬杖をつき、窓の外のプリンの大通りを見る。
「アルマ。君にだけ言っておく」
ヴィルが小さな声でささやいた。
「なに?」
「しばらく外に出ないようにしていろ」
「え? なんで?」
いっそう声を小さくして、ヴィルは素早く告げた。
「テオがテロをすると言ってきかないんだ」
「またデブテロを!?」
思わず大声になって、アルマは慌てて口を押さえた。テロだなんて、近くの席の人が聞いていたら大変だ。
「今度のは今までみたいに薬を使ったものじゃなくなるかもしれない。君を巻き込みたくないんだ」
「……爆弾を使うの?」
「かもしれない」
ヴィルの声が低く押さえ込まれたものになった。
「だから、もう君にこうして会うことができなくなるかもしれない」
「ど、どうして?」
「テロリストにそれを聞くのか?」
逆に問い返されてアルマは焦った。自分たちには良くしてくれていても、ヴィルたちはテロリストだ。今までのような薬を使った地味なテロならともかく、爆破物を使った大規模なテロを起こしたら、即日この国にはいられなくなってしまうだろう。
目を白黒させるばかりで何も言えないアルマを置いて、ヴィルは席を立った。伝票を片手に掴むと、それをひらりと振る。
「本当はもっと君の菓子を食べてみたかったんだがな。――実はけっこう好きなんだよ、甘いもの」
自嘲気味に微笑んで、ヴィルは去っていった。
後に残されたアルマはひとしきりぽかんとしてから、
「……言ってくれれば、手土産くらい用意したのに……」
と、なにか不思議と残念な気持ちで残りのケーキを口へ運んだのだった。