一章 見習い練甘術師とデブテロリスト
一章 見習い練甘術師とデブテロリスト
「うわ、やばっ」
苺色のスカートを引きあげ、アルマはあわてた。いつの間にかウエストがぎりぎりになっていたのだ。やわらかな白い綿飴のブラウスに、てらてらと赤く輝く飴の糸で織られたスカート。シンプルながら清潔さを感じさせるこの出で立ちが、工房付属のお店の制服だ。もしもこの制服が入らなくなったら、お店の手伝いができなくなってしまう。
(工房のほうに入り浸っててもいいんだけど……それも気がひけるし)
「これは……そろそろ『ヘンゼルの骨』を使わないとやばいかも」
師匠には使うなと言われてるんだけど、とつぶやいて、アルマは透き通った氷砂糖の鏡を見た。地味な顔立ちに少しこげた赤毛。明るい緑の瞳だけが美形の兄との唯一の共通点だ。小さめの口元をにっこりと引き延ばして、笑顔の練習をする。
「いらっしゃいませ」と営業用の声を出してから、アルマは部屋を出た。
軽い足取りでビスケットの階段をおりていくと、焼きたてのフィナンシェの香りがするキッチンについた。
「おはよ、お兄ちゃん」
「ああ、おはよう、アルマ」
飴色の髪をかきあげながら、キッチンの向かいのカウンターに座っている兄のエルクが振りむいた。誰もが認める甘い顔だちを笑顔でさらに甘くして、優しげな緑の目を細めている。手元にはホワイトチョコの平皿に山盛りのフィナンシェがあった。
「今日は僕でも焦げずに温めなおせたよ」
「昨日の晩ご飯、そんなに残ってたっけ。じゃあ、ココアはわたしが作るね」
キッチンへはいると、アルマは手早くアラザンの銀ヤカンに水をいれて火にかけた。スプーン三杯のココアをマシュマロのカップに入れ、山盛りの砂糖を五杯くわえる。後はお湯を待つだけだ。
ヤカンの口から湯気が出てきた頃、カウンター越しのリビングから、氷砂糖のテレビの音声がきこえてきた。
『本日、クレープ通りでテロ事件が発生しました。現在は十五名が負傷、三名が病院に運ばれています。なお、このテロは近年頻発している『反ヘンゼルの骨団』によるものとされており――』
ナレーターの声を遮るように、アルマがふわふわのマシュマロカップに湯をそそぐ。
「またテロ? 怖いね」
「今回のはうちに近いみたいだ。ほんとうに怖いね、この前はシロップ商店街でお向かいのファーナーさんが巻きこまれているし」
「そうだっけ?」とアルマが首をかしげる。
「そうだよ。アルマはほんとに忘れっぽいなぁ」
エルクはあきれ半分で笑った。
「ファーナーさんったら、夫婦そろってまん丸になっちゃってさ、娘さんが『こんな両親じゃ恋人に紹介できない』って嘆いてたくらいだったよ」
「ああ、それなら、聞いたことがあるような? 『こんなことならエルクみたいにさっさと婚約しておけばよかった』って、お兄ちゃんのことを羨ましがってたっけ」
アルマがバームクーヘンのカウンター越しにココアを渡す。
「あー……それは」
エルクはカップを受けとり、納得と照れを足して二で割ったような声をだした。
二ヶ月前に婚約した兄は、半年後に結婚を控えている。彼と婚約者との仲睦まじさはご近所でも有名だ。人目もはばからずイチャイチャするせいで、アルマも何度か周囲の冷やかしの声をきいているくらいだった。
「僕の結婚は、まぁ、もう少し先の話だけどね」
と、話を軽く流してエルクは大皿からフィナンシェをとった。その指先には薄紫の斑点がある。皿の絵付け師をしている兄の指はいつも七色に染まっていて、今日はブルーベリーの紫が多かった。
彼が絵付けした皿が並ぶ暖炉の上に、両親の写真がある。木製の小さな家の前に、家族四人が並んで立っているものだ。右から順に父、兄、アルマに母。だが、この両親のことを、アルマはほとんど覚えていない。知っているのは写真から読みとれることだけだ。自分の赤毛は父親似、兄の金髪は母親似――それ以上はわからない。
六つ年上のエルクでも、この頃家族がどこの国にいて、どんな暮らしをしていたのかまったく覚えていないと言うほどだから、アルマにはこの二人が家族だという実感がもてなかった。彼女にとっては兄が唯一の家族だ。
エルクはぱくぱくとフィナンシェを口へ運びながら、アルマへ笑いかけた。
「結婚式ではアルマが立派なウエディングケーキをつくってくれるから、僕はなにも心配してないけどね。もう構想はできてるかい?」
「え、う、うん。なんとなくなんだけど、ね」
びくりとしたついでにフィナンシェを落としそうになり、アルマはあわてた。
アルマは幼い頃からケーキ作りが大好きで、お菓子職人の弟子をしている。この国では十二歳から職人の弟子になるのが決まりで、アルマは十四歳になったばかり。まだまだ二年目のひよっこだ。
「一応、お兄ちゃんたちの好みを反映しようかな、とか……考えてるけど」
「そっか。ティアナも期待しているから、がんばってね」
「う、うん。わたし、まだ見習いで失敗ばっかりだけど……」
実は最近失敗が多く、すっかり自信をなくしているのだ。そのせいかウエディングケーキの考案も一向にすすまない。
そんな妹の焦りを見透かしてか、兄が安心させるように笑った。
「いいんだ。僕はアルマが作ってくれるだけで嬉しいから」
「わかった、わたし、がんばる!」
ぱっと明るい笑顔でこたえて、アルマは握り拳をつくった。兄の晴れ舞台に協力できるのだから、おびえてなんていられない。精一杯の作品をつくるべく、師匠に意見を聞いてがんばろう。
そう思い、半分になったフィナンシェの山を置いて立ちあがった。閉じたカーテンに近づくと思いっきり開ける。
まぶしい朝日が差し込み、ほのかにゆがんだ飴のガラスが、クッキーの板床に薄い影をつくった。向かいの家のチョコレートの瓦の上にちょこんと顔を出した太陽が、町全体を照らしている。ブラウニーの石畳にパイ生地のアパート、クッキー屋根の家やシュークリームの立派な塔――
あらゆるものがお菓子でできたこの小さな都市国家が、一大甘味国、ドルチェブルグだった。