四章 ドルチェブルグの秘密
四章 ドルチェブルグの秘密
「『本日のケーキ五種盛り』をご注文のお客さまぁ」
昼時のルーメンにアルマのよく通る声が響いた。今日は給仕係を任されているので、目が回るようないそがしさだ。
「こちらは『黄色フルーツの盛り合わせ』と『春の野べに遊ぶウサギケーキ』ですぅ」
「店長、ご注文入りました。『そのときマリーは見た ~やわらかイチジクのコンポート添え~』、二つです!」
「はいよ。じゃあこれもってって、『ことトキ』と『ののの』よ」
「はい! 『言葉なんか要らない ~トキメキのあの時~』をご注文のお客さまぁ」
フリーダのケーキは見た目と名前の突飛さもあって、初めてのお客は混乱するのだが、どれも一口食べれば納得の味で、リピーターがとても多い。
一方、リアが作るフルーツの盛り合わせは最近のデブテロの影響か注文が増えていて、特に年配の男性に人気だった。
アルマが『ののの』こと『恋の花の蜜の味』を運んでいると、ちらりと視界の端に巨大な人物が目に入った。
甘い香りの漂う昼時のルーメンの喫茶コーナーには、ケーキ以上に甘い二人がいた。
「はいエルク、あーん」
小さなフォークのパイナップルをエルクの分厚くなった唇がぱくりとくわえた。
「おいしいよ、ティア。でもなんで僕だけフルーツポンチのシロップ抜きなんだい?」
「退院したからって油断しちゃダメだからよ。これからは私も料理を覚えて、あなたの体調をしっかり管理しますからね」
と、なにやら奥様じみた貫禄がでたティアナが微笑んでエルクの口元をぬぐう。
今日はエルクの退院日だった。病院を出たその足でルーメンへ来たという二人を、店長であるリアは温かく迎えてくれたのだが……。
「……すっかり夫婦ね」
「あたし、ティアナさんの愛には負けたわ」
「あのイケメンエルクがこれだもんなぁ」
「初めはもっとひどかったんでしょ? すごいわ、私なら耐えられない」
店子たちの感想は様々である。
ティアナとエルクが揉めたあの日から二ヶ月が過ぎ、結婚式まで残り三ヶ月となっていた。
あれからアルマのスランプはすっかりおさまり、料理の腕前も上がった。最近では兄のことはティアナに任せ、お菓子作りに専念している。
失敗しても以前とは違ってあっけらかんと師匠と笑い合い、行き詰まったときはヴィルに相談するなど、自分なりの乗り越え方を覚えた。
そのおかげかケーキの腕前も上達の兆しをみせ、今週からは店先にアルマの焼き菓子を置かせてもらえるようになり、ケーキを買った人にオマケとして無料提供しはじめることになった。まだまだ未熟さを感じることも多いが、有意義に時間が流れている。
ただ、一向に進まないウエディングケーキの件をのぞいて。
アルマは次のケーキを運びながら、ウエディングケーキの試作品の数々を思い出した。マジパンで作った人形やチョコレートの動物を乗せたもの。飴細工でつくった薔薇の花や、百合の花をブーケにして乗せたもの。カラフルなバタークリームでデコレーションしたものなど、どうにも野暮ったさが抜けなくて、師匠やリアに良い顔をされないのだ。センスを磨くために街中のケーキ屋を巡ったりしたのだが、なかなか思うようにいかない。
厨房のカウンターに戻ると、珍しく盛りつけ係をしているフリーダがいた。依頼品を作り終えたので、もう工房にこもっていなくてもよくなったのだ。
「エルクくんたち、仲良しねぇ」
「はっ、お幸せそうでなによりですこと」
フリーダの隣でリアがけっと息をはいた。
カウンター越しにリアの正面に座っていた警官のカールが、ケーキをつつきながら笑う。
「はは、お前みたいな凶暴女を貰う奴なんていねぇもんなー」
「リアは男っ気ないもんね。お姉ちゃん、ちょっと心配かも」
「なに言ってんの、あたしは引く手あまたよっ。ただ、あたしに見合うような男が寄ってこないだけでッ」
「お前が見合ってねぇだろ、その胸以外」
「なんですってぇ~!」
オレンジを投げようとするリアを、フリーダのおっとりとした声が遮った。
「で、アルマちゃんのほうはこの前の彼とどうなってるの?」
「え。ヴィルのことですか?」
「そうよ、結構いい雰囲気だったと思うけど……」
「ああ、あのアルマの知り合いの。結構な顔立ちしてたわよね」
カールにオレンジを投げるのを諦めたリアが、その皮を剥きつつ話に参加した。
言われて思えば確かにヴィルは整った顔をしていたような気もするが、アルマにはいつも着ている黒い外套の印象しかなかった。
(そりゃ、まあ、ああいう格好が似合うって時点でかっこいいのかもしれないけど……)
「私はお兄ちゃんみたいな優しい性格の人がいいんです。顔が全部じゃないって、今回のことでしみじみ思いましたもん」
「確かにエルクは内面イケメンだもんねぇ。『ヘンゼルの骨』が効いてた頃は外見もすごかったけど」
この店の店子で惚れてなかった子はいなかったのよ、と言い、リアが笑った。それからカウンターの向かい側に座っているカールを見やり、
「あんたも見た目だけでも努力すれば?」
「外見ばっかりの女っつうのも困るんだよなぁ、ワガママばっかで」
カールがわざとらしく溜息をついた。
そこでフリーダがふとカウンターの端に置かれた日程表を見た。今度の木曜日に大きく花丸がついている。
「ねぇ、今度の試作品発表会にヴィルくんも呼んでみたら? きっとアルマちゃんの上達を喜んでくれると思うの」
「ええ? アイツがですかぁ?」
確かに最近は困ったときに意見を聞くなどしているが、あれ以来ヴィルがケーキに興味を持った様子はない。自分の新作薬膳レシピなら若干自慢げに披露してくれるのだが。
「まあ、言うだけ言ってもいいですけど……来ないと思うなぁ」
アルマが顔を上げたとき、隣でカンター越しにいがみ合っているリアとカールの白熱した議論が聞こえてきた。
「だーかーらぁ、あんたみたいなアホは彼女ができないのよっ」
「なにおぅ? お前だって嫁のもらい手がつかねぇじゃねぇか」
カールが自分のケーキにぶすりとフォークを突き刺し、リアをにらんだ。
リアはふふんと鼻を鳴らす。
「あたしは姉さんに先をゆずってるのよっ」
「嘘つけ、んなことしてたら一生行き遅れだろうが!」
と、カールが思わず正論を言ってしまった。
実際フリーダのケーキにかける熱意は異性に向けるべき情熱までも吸収しているらしく、まったく男っ気がない。リアほどではないが美人ではあるので、人気がないわけではないのだが。
(……恋人候補っていうより、信者なんだよね)
ほぼ全員がフリーダのケーキの信奉者なのだった。フリーダは「いつか目が覚めるわ」とのんきに構えているのだが、その数は日に日に増えているらしい。
嫌な沈黙が流れる中、フリーダがおっとりと頬に手を当てた。
「そうなのよねぇ、かしこい男の人はみーんな避けてっちゃうのよねぇ」
「…………」
しみじみと頷くフリーダの一言に、カールが無言を継続した。のんきな姉へリアがじっとりとした視線を送る。
「姉さん、それ、すごい嫌味ってわかってる……?」
ルーメンの乙女たちに、春は遠い。