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 ヴィルはアルマから素早く作業台を奪うと、見よう見まねで材料を揃え、さっさと作業を始めた。当然、その手つきは不慣れだ。生来の不器用さもあるが、特に真似した相手がアルマなのでかき混ぜ具合などは見ていられなかった。


「あーそこは、うそ、ちょ」

「うるさい黙れ」


 指摘もいっさい聞き入れず、少年はざっくりと生地を作ると竈へ放りこんだ。

 そこでアルマと同じように竈の前で待っているかと思いきや、彼はすぐに竈へ背を向け、器材を洗い終えると胸ポケットから筆記用具をとりだして、何かをだーっと書き加えていった。


 ぶつぶつ呟きながら何事かを検討し、一人で黙考する。

 アルマはその様子を固唾をのんで見つめた。

 ヴィルのケーキはすぐに焼き上がったが、やはりその状態は芳しくなかった。表面が真っ黒に焦げ上がっているのに中は半生なのだ。


 しかしそれを気にする様子もなくヴィルはまたメモを取りはじめた。

 アルマがそっとその手元をのぞく。紙には焼き上がり状態から、かかった時間、分量や竈の癖が細かな文字で書き記してあった。

 メモを終えると、ヴィルはまた新たな材料を量りはじめた。


「まだ作るの?」

「当然だ」


 無表情で答え、先程とは微妙に配分の違う材料をそろえる。こなれた手つきで生地を練り、焼き時間も少し短くなった。

 それでも焼き色はやはり黒すぎる。でも先程よりは若干マシだ。


 そしてまたメモ。


 更に次の材料で仕切り直す。今度は焼いている途中で型の向きを左右逆にして数分。

 なかなか上手にできたが、アルマほど膨らんではいない。味見をしたが触感もいまいちで、粉のダマが多かった。


「次だな」


 メモを終えてヴィルが呟いた。

 そこからは速かった。三度目は混ぜ方を変え、四度目は卵の温度、五度目は差し湯の加減、六度目は型にふたをして。どんどんと加速する手つきは師匠以上のものがあった。


 アルマは作業を終えた師匠と一緒に、その様子をはらはらと見守っていた。師匠のような水素爆発はないものの、ヴィルは炭の塊のようなスポンジをいくつも作成している。

 十個目のケーキが美しいきつね色になったとき、ヴィルは驚くことをした。

 残り九個のスポンジを、すべてゴミ箱に捨てたのだ。


「え、いいの? そんなに捨てちゃって」

「よろしいですよね、巨匠?」

「ええ。頑張ってね。若い子がこんなに一生懸命お菓子を作ってくれると、わたしも嬉しいわ」


 どこかピントのずれた師匠の意見をほとんど無視するようにして、ヴィルは作業に戻った。

 その後も淡々と作ってはメモし、捨てていく。

 だんだんと上達していく少年の腕前に、アルマは胸の奥がむかむかとしてきた。手出ししたいけどできないイライラと、自分ならこうするのにという焦燥、その二つが混ざって、体がむずむずした。心配げに組合わせた手がせわしなく動く。

 ヴィルが二十五個目のスポンジを焼き上げた瞬間、アルマは叫んだ。


「わたしも作りたい――!」


 飛びつくように作業台へかけより、師匠側の機材を借りる。

 と、一気に作り始めた。

 いつもより手早く材料を揃える。粉のふるい方も、卵のわり方も手早く、ここ最近の過剰なほどの丁寧さが抜けていた。けれど完全に暗記した手順に無駄はなく、黙々と進める手つきはいつかのように軽くしなやかだった。


(次はこう。こうして、こう)


 軽々と動く手で生地を混ぜ、メレンゲを泡立てる。全身が軽かった。ひらりひらりと材料を混ぜきったところで、アルマははたと気づいた。


 時間が早い。


 集中した証拠だろう。いつもは不安とともにダラダラとすぎていく時間が、ぽーんと飛び越えたようだった。

 頭も冴えているようで、今はミスの原因まできっちり覚えていた。更にミスをしても心が萎えるどころか、いっそうの張り合いになっていくのだ。

 型を竈に入れたとき、アルマはヴィルをちらりと見た。彼は作業を終えていて、作業台の外側から師匠と一緒にこちらを見ていた。


(よし、次はもっとやわらかいスポンジにしよっと)


 二回目の挑戦からはもっと軽やかだった。体が動きを覚えているし、ミスも覚えているので必要なところでは慎重になるのだ。細かい機微が必要な泡立ても集中してやり終え、ぽんぽんと竈に型を入れていく。


 兄のこともティアナのことも、砂糖や料理のことも全部吹っ飛んだ境地で、アルマはにこにこしながらケーキを作り続けた。

 そうして、一つ目のスポンジが焼き上がる頃には、七つの型が竈に入っていた。



   §  §  §



 そんなアルマをヴィルは呆れ半分で見ていたが、ふいにフリーダが近づいてきたので居ずまいを正した。

 今日の作業を終えたらしい彼女は弟子の様子を目を細めて見て、満足げに微笑んだ。


「すごいねぇ。あんな生き生きとしたアルマちゃん、もうずっと見てなかったわ。一体どんな魔法をかけたの?」


 おっとりとした物言いに、どこかときめかしいものを期待するような響きがあった。

 こういった大人の追求が苦手なヴィルは、通常の三割増しの無表情でこたえた。


「……僕、プライド高いんですよ」

「へぇ」

「だから他人のプライドのツボも心得てるんです。自分が血反吐を吐きそうなくらい苦労してることへ、ド素人が平然と手を出してきたら、腹が立つでしょう? 少なくとも僕はムカつく。思わずスランプなんか忘れるくらいに」


 かつて薬作りで苦労したヴィルは、兄弟子であるテオに同じやり方で焚きつけられ、嫉妬の力でスランプを脱したことがあった。

 挑戦的な笑みを浮かべてフリーダへ視線を移せば、彼女はその敵意をやんわりと避けて微笑んだ。


「わざとたきつけてたのね」

「僕、人が悪いんで」

「あはは、いい子だよお」


 フリーダはおおらかに笑った。


「……全然、ですよ」


 なにしろテロリストなのだから、と心の中で呟いてアルマを見れば、彼女は真剣にケーキを作っていた。いまいちなスポンジも綺麗にデコレーションして、どこか素朴さのあるショートケーキに仕上げている。

 生き生きとした彼女の様子に、ヴィルは嫉妬にも似た思いをかき立てられた。本当に嫉妬させようとしたのは、自分のほうなのに。


「……ほんとに嫌がらせだったんだけどな。なんであんな前向きになったんだか」


 知らず溜息をつきそうになっているところへ、フリーダがどこか遠い目をしてアルマを見つめながらささやいた。


「本当はね、もうちょっとであの子を別の工房へ出すところだったの」


 ヴィルが驚いて彼女を見ると、その微笑みには若干の苦笑が混じっていた。


「ほら、うちの工房って私と二人で息が詰まるでしょう? ルーメンには男の職人ばっかりだし。いっぱい弟子のいるところで揉まれたら、あの子も一皮むけるかなって」


 いわれてヴィルは工房の作業台が二人で使うには大きいことに気づいた。少なくともあと三人は使えるようになっている。


「弟子は一人しか持たない主義なんですか?」


 錬金術師に多い世襲制なのだろうか。


「ううん。昔はもっといっぱいいたのよ」


 フリーダは頭の三角巾を取り、軽く首を振った。豊かな茶髪がふわりと広がる。


「私の説明ってわかりづらいらしくてね、アルマちゃんしか残らなかったの」

「……なるほど」


 確かにあのめちゃくちゃな説明では、育つものも育たないだろう。今日の様子を見て、ヴィルはアルマが意外と賢いことを見抜いていた。あれだけ感覚的な言葉を修正しながら手解きを受けているのだから、前の手順を忘れてミスをするのもうなずける。


 逆にきっちり説明しすぎてうざかった自分の師匠を思い出し、ヴィルは嘆息した。

 それを見て何を思ったか、フリーダがくすりと笑った。


「ヴィルくんも素質あるわよ。うちの弟子になってアルマちゃんを助けてくれない?」

「なんでそこでアルマが――……いえ、お断りします。たきつけ役は今日だけですからね」

「そっか。残念。アルマちゃんが頼りにするくらいだから、相当なしっかりさんだと思ったんだけど」

「頼りに?」


 ヴィルの言葉はフリーダの「うちの工房にもしっかりさんがいてくれたらなぁ」という一言にかき消された。


「あーあ。嫉妬しちゃう。私、やっぱり師匠失格なのかしら。人に教えるの向いてないし……あっ」


 一人でぼそぼそ言っていたフリーダが、突然顔を上げた。


「アレをああしてこうすれば、もっとモッチリ感でるかも!?」


 言うが早いか、作業台のむこうへ飛びこんでいく。その素早さに驚きながら、ヴィルは思ったことをそのまま口にした。


「ほんとコミュニケーション不全な人だな……」



   §  §  §



 タイマーの音が鳴り響き、アルマの最後のケーキが焼き上がった。

 竈から型を取りだしたとき、アルマはほぅっと溜息に似た吐息をもらした。


 平らな表面はむらのない美しい焼き色で、表面から見て取れるしっとり感は中まで完璧にそうだろうと思わせてくれる。へたにデコレーションを加えたものよりも美しいスポンジ生地は、このまま食べても他のケーキに負けないだろうとすら思えた。


「――できた!」


 アルマの叫びとほぼ同時に、フリーダも竈をのぞきこんで叫んだ。


「できた~! 完璧!」


 見れば、一緒に焼いていたフリーダの試作品もおいしそうに焼き上がっていた。カリッと焼き色のついた細いクッキーだ。

 抱き合って喜び合う師弟へ、ヴィルが何度目かの溜息をつきそうになったとき、工房の扉が開いてリアが顔をのぞかせた。


「姉さん、根を詰めるのもいいかげんに――あら、アルマちゃんとお客さん?」


 ヴィルを見て目を見開くリアへ、師弟が抱き合ったまま笑いかけた。


「聞いてリア! アルマちゃんがこんなに綺麗なスポンジを焼いたの!」

「師匠の試作品が完成したんですよー!」

「な、なになに?」


 二人に手招きされて工房の中へ入ったリアは、そこにあった大量の失敗スポンジ群を見て驚き、そしてアルマの完成品を目に入れるやいなや。


「これ……本当にアルマが作ったの?」

「はい!」

「すごい、このままうちのショーウインドウに飾れそう……!」


 リアはすでに抱き合った師弟へ更に上からがばりと抱きついた。


「よく頑張ったわね、アルマ!」


 ケーキに関してはフリーダよりも厳しいリアにここまで言われ、アルマは思わず涙がこぼれた。


 三人できゃあきゃあと笑いながら試食したスポンジは、想像以上にしっとりして口の中でほろりと消えてしまう、優しい味わいだった。

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