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 月の光にきらめくルーメンの飴細工の庭は、夜になると幻想的な雰囲気に包まれる。

 アルマたちが到着したとき、工房のチョコレートの煙突からはまだ白い煙が上がっていた。


「師匠、まだやってるみたい」


 アルマがちらりと後ろを振り返ると、ヴィルが若干緊張した面持ちでうなずいた。

 チョコの扉をそうっと押し開けると甘い香りがこぼれてきて、一瞬夢見心地になる。


「こんばんは、師匠。居残りお疲れさまです」

「あら、アルマちゃん。ちょうど良いところにきたわね。えっと、倉庫から新しいお砂糖を出してきてくれる?」

「はい、それとあの、こっちの彼はヴィルっていって……」


 手で示す間もなく、ヴィルが自分から口を開いた。


「ヴィルフリートと申します。少し見学してもよろしいでしょうか」


 普段のぼそぼそしゃべりとは別人の、紳士的な声色でヴィルが微笑をうかべていた。


(……だれ?)


 横柄な彼しか知らないアルマは凍りつく。

 そんな彼女を気にすることもなく、ヴィルの整った横顔は薄い微笑みを浮かべたままフリーダを見ていた。

 フリーダは何も気づかない様子で笑いかける。


「もちろんよ。よろしくね、ヴィルくん」

「ありがとうございます。僕はできるだけおとなしくしていますね」


 一人称まで『僕』になっている。

 一体ヴィルに何があったのかと焦ったアルマだったが、その態度が『臨戦態勢』なのだと気づくのにそう時間はかからなかった。薄い微笑の中に冷たい敵意がある。

 そこまで練甘術師が嫌いなのか、それとも大人が嫌いなのか、ヴィルの表情からは何も読み取れない。

 フリーダは何も気づかず、にこにこと作業へ戻った。そしてすぐに。


 ポーン


 竈から爆発音がした。

 しかもポンポンポポンと何度もである。

 それを平然と無視する師匠を、アルマは顔を引きつらせてうかがった。


「師匠……、ポップコーンでも作ってるんですか?」

「違うの。新しいお砂糖を試すようになったら、しょっちゅう爆発するようになっちゃったのよ」


 困ったものね、とフリーダは慣れた様子で肩をすくませる。

 問題の新しい砂糖はクララの父が経営するアイヒマン糖蜜社のもので、おしゃれなパッケージの大袋に入っていた。触感はサラサラとしたザラメ糖に近く、ひと匙で今までの砂糖の何倍もの甘さがあり、カロリーは半分だという。


 とはいえ食べて爆発するようなものを売るわけにはいかない。そこで巨匠フリーダに新製品の開発のかたわらで、組み合わすと絶対に爆発する食材の特定を依頼しているそうだ。

 持ってきた砂糖の大袋をしげしげと眺め、アルマはほうとため息をついた。


「アルマ、少しその砂糖を見てもいいか?」


 近づいてきたヴィルが砂糖をサラサラと手から落とし、何事かを真剣に考える。


「またエリクシールがどうこうってみてるの?」

「まあな」


 言いながらヴィルがさっと小袋に砂糖を移したのを、アルマは見逃さなかった。師匠の手前大声で非難できず、小声で問いかける。


「その砂糖、どうするの?」

「少し研究するだけだ。爆発物はテオの得意分野だからな。悪いようにはしない」


 ほんの少しだからいいだろう、と平然と言いのけられ、アルマは戸惑った。


「本当にいいの? 危ないことにならない?」

「信じろ。で、君はさっさとケーキなり菓子なり作りはじめたらどうなんだ」

「わかってるわよっ」


 焚きつけられると受けてしまう性格なので、さっさと腕まくりをして作業を始める。砂糖の代わりに蜂蜜を使ってスポンジケーキを作るのだ。


 小麦粉をふるい、分量をきっちりと量る。卵は卵白と卵黄で分けて、ふんわりとしたメレンゲに。もったりとした感覚で生地に十分空気が入っているのを把握して、別立てした卵白ときっちりと混ぜ合わせたら、型へ流して竈のオーブンへ。


 竈の前でミトンを合わせて祈るアルマを、少年は不思議な生物でも観察するような目で見ていた。

 そうしてできたスポンジは、表面がでこぼこと不規則に萎んでいた。

家庭の味として楽しむならばともかく、仮にも職人として店に出せる代物ではない。


「ま、まずは腕慣らしだもんっ」


 「腕慣らしで失敗するのか」というヴィルの発言を無視して、アルマは連続でスポンジを焼く。できたのはやはりいびつな膨らみ方をしたものだった。その次も、その次も。


 そんな物体を五つも作り上げたとき。

 アルマは丸型ごとスポンジを放りだした。


「……もう、やだぁ……」


 こぼれる涙をミトンで拭く。

 自分では一生懸命つくっているつもりなのに、どうしてこうも上手くいかないのだろう。やはりヴィルの言うとおり、エリクシールが原因なのかもしれない。だとすれば失敗しているのはアルマの手ではなく、心だ。


(そんなの、どうやってなおせって言うの……?)


 ミトンで顔を覆って涙を隠す。それでもじわじわとミトンに染みが広がっていった。

 珍しい弟子の錯乱に、フリーダが慌てた様子で駆け寄ってきた。


「どうしたの? そんな失敗、大丈夫よ。これだけ膨らんでるんだから、上のところをぺよんと切って、ムースの下地にでもすればいいでしょう?」


 そのやさしい言葉が逆に痛かった。そういった生地は初めからカットすることを計算に入れて作るものだ。失敗作とは根本的に質が違う。

 アルマはぼろぼろと泣きながら師匠に向き直った。


「でも、こんな、スポンジしか、作れないんじゃ、職人なんて一生無理です」

「スランプなんて皆いっつもよ」


 軽く笑って答えられる。そう言えるだけの度量が羨ましかった。


「じゃあ今から一緒に原因を考えましょう。これだと……竈がアツアツすぎたのか、ぷしゅぷしゅがうまくできてなかったか、どちらかね。生地を焼く前にコトンって落とすでしょ? そのときに気合いが足りないと、こうなっちゃうのよ」

「…………はい」


 アルマは鼻をぐずぐずと鳴らしてこたえた。

 その様子を冷静に見ていたヴィルが壁際でぼそりと呟く。


「……『ぺよん』? 『ぷしゅぷしゅ』?」


 一方、泣き続けるアルマに、師匠がエプロンを締めなおして優しく告げた。


「いいわ。次はわたしが手伝うからね、安心してね」


 アルマと一緒にもう一度スポンジを作ってくれるらしい。師匠の優しい手助けに、アルマの涙も少しだけおさまった。


「いい? ここで混ぜるのをぐるぐるからシャカシャカ、ざっざっざに変えていくの」

「はい」


 こんな簡単なスポンジを一から手解きされるのは、工房に入ってすぐの頃以来で、なんだか気恥ずかしい。

 アルマは珍しく真剣に指摘してくれる師匠がうれしくて、でもそこまで手をわずらわせたことが悔しくて、必死に涙を止めようとがんばった。が、一度堰を切ったものはうまく戻ってくれない。なおもぽろり、ぽろりと涙が頬を伝っていく。


「メレンゲはふわふわじゃダメ。上のほうがざくざくになるくらいになったら、全部をとろーんと混ぜて……。そうそう、そこから生地にどうやって入れるんだった?」

「三回に分けて、ヘラで切るように手早く混ぜるんですよね」

「そう、しゅぴしゅぴしゅぴーんってするのよ」

「…………」


 いつの間にか、遠くから送られてくるヴィルの視線が同情を含んだものになっていた。

 一通り作り上げ、型を竈へ入れる。


「竈さま竈さま、どうか今度こそうまくいきますようにっ」


 アルマがもう一度竈の前で祈っていると、壁際からヴィルが近づいてきた。初めに一度ため息をついてから、作業に戻ったフリーダにじとっとした視線を送り、それからアルマへ向きなおる。


「アレで今までよくやってきたな」


 開口一番のねぎらいの言葉に、アルマは少し驚いた。


「そう? 師匠は感覚的に分かりやすく教えてくれてるけど……」


 と竈を見つめ続けながら答える。


「本当に説明が頭に入ってるのか? あんな言い方じゃすぐ忘れるぞ」

「そういえばわたし、忘れっぽいんだったっけ」


 アルマがはっと手元に口を当てるのを、ヴィルは呆れた様子で見ていた。


「あんな説明の仕方だからだ。まったく、君の理解力には恐れ入ったよ」


 「結構上手にまとめてるし」と、小さな呟きが聞こえ、アルマは一瞬少年と目を合わせた。すぐに視線をそらされるも、そんなことでいちいち傷ついてはいられない。ぱっと前をむき、竈とむきあう。今は試作品が一番だ。


「それで、君はいつもそういう風に焼き上がりまで竈の前で突っ立ってるのか?」

「え、うん」


 なかば上の空でこたえると、「ふうん」という冷たい返事が返ってきた。なにやらヴィルの機嫌を損ねてしまったようだ。


「そんな風だと疲れるだけだろ。効率も悪いし。もっと肩の力を抜け」

「え。あ、うん、ありがとう」


 険のある声のわりに言うことが優しく感じて、アルマは軽く混乱した。

 それがヴィルの不機嫌を加速させたらしい。ひときわ冷たい声になった。


「それからもっと集中しろ。時間を有効に使え」

「それはわかってるけど、今は時間より質をとりたいの」


 言われてできるなら苦労はない。師匠のように効率よく動けるならそれにこしたことはないのだが、今のアルマには――。


「ふうん。なら、これからも『無駄に』頑張るんだな」


 容赦なく投げつけられた言葉に、一瞬でアルマの頭の中の何かがぶっつりと切れた。


「ヴィルはお菓子の専門じゃないでしょっ、お菓子作りのこと、なんにも知らないくせに、知ったようなこと言わないでよ!」


 まずいと思った時にはもう遅い。


(しまった、言いすぎた……!)


 自分から助言を求めつつ、いざ指摘されたら逆ギレである。

 気まずい沈黙に、我に返ったアルマは背筋が凍る思いをした。

 しかしヴィルは大して堪えた様子もなく、作業台の器材を一瞥した。


「まぁな――君の主張は正しい。確かにおれは菓子の専門じゃないからな」


 そしてアルマへ向けて初めて微笑みを浮かべた。


「だから、一度経験してみようと思う」


 はっきりとした宣言だった。

 その微笑の冷たさにヴィルの怒りを察知し、アルマはひっと表情を引きつらせた。やばい、絶対に怒ってる、どうしよう。

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