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うららかな午後の日差しが差しこむルーメンの庭には、飴細工の花や木がきらきらと輝いている。
その遙か遠くにはシュークリームを積み重ねて作った塔があった。昨年フリーダが練甘術師コンテストで優勝した際に記念としてつくったもので、彼女にはめずらしい非食用のケーキ塔だ。
その塔をガラスケースに寄りかかりながら眺めやり、アルマはくたりと倒れこんだ。
「もうダメです無理です終わってるんです~」
朝から昼までがむしゃらにケーキを作り続けて、失敗しなかったのはプリンだけだった。焦りでクリームの泡立てすら失敗したところで、師匠に「ルーメンの店番でもして気分転換してらっしゃい」と言われたのだ。
この世の終わりのような声で泣き、今にも飴製のガラスケースから崩れ落ちそうになっているアルマの背を、リアがぽん、と叩いた。
「シャキッとしなさいな。ふぬけた顔してると、ミスは増えるものよ。どんなときでも背筋を伸ばしてなさい」
「ううう、店長……」
よろよろと起き上がったとき、店のチャイムがカランと鳴った。
「こんにちは、アルマちゃん」
「――ティアナさんのお母さん!」
よそ行きの格好でルーメンに足を踏み入れたのは、ティアナの母カルラだった。娘とよく似た華奢なつくりの奥様で、どこか上品な雰囲気がある。
「このベイクドチーズケーキを贈答用に包んでもらえるかしら」
にこにことケースを指さすカルラは、年より五つは若く見えた。
「は、はい。あの……」
アルマは一瞬言いよどんだものの、意を決して口を開いた。
「ティアナさんって、最近、どうしてます?」
ティアナが兄ともめたあの日以来、彼女は病院へ来なくなってしまった。アルマとしても気にしていたところだったのだ。
「あの子ねぇ……」
カルラは頬に片手を添えて、悩み深げに首をかしげた。
「ここのところふさぎ込んでいて、お休みの日もずっと家にいるのよ。一時はエルクくんのところへ毎日通ってたのにねぇ。あんまり食欲もないらしいから、ついでにあの子の大好きなルーメンのプラチナロールでも買っていってあげようと思ってるのよ」
奥様特有の饒舌さで言い、カルラは笑顔で、「あ、それとこっちのブラウニーのプチパフェもくださいな」と続けた。
指示されるままにケーキを取っていたアルマは、そこでやっと口を挟んだ。
「あの、ティアナさん、そんなに落ち込んで……いえ、そんなに食欲ないんですか?」
「全然ないのよ。元から貧相な子なのにねぇ、やつれちゃって、見れたものじゃないわ。もう少ししたら結婚式もあるっていうのに」
「え、あ、はい、そうですね……」
どうやらティアナは婚約破棄の話をしていないようだ。かといって妹の身分で横から告げるのも気が引けて、アルマは笑顔のまま黙った。
結婚式まで半年を切っている。なのに両親に何も言っていないということは、ティアナはきっと婚約破棄の決心をまだしていないに違いない。
(まだ間に合うかも。一度会ってみよう)
自分に何が出来るかもわからないまま、アルマは決心した。
会いに行くなら早いほうがいい。アルマはカルラが帰ると工房へ戻るむねを告げ、急ぎ足でルーメンをあとにした。
(手土産を作ろうっと。できれば今日中にでも――)
そこまで思って、はたと足が止まった。
今の自分に、一体どんなものが出来るだろう。不格好なケーキを手見上げにして、ひきつった顔のティアナとご対面――など、絶対に嫌だ。
工房の前で困っていると、ふ、と兄の描きかけの絵が脳裏に浮かんだ。あの日作った初歩的なシガレットクッキーなら、きっと失敗することもないだろう。
そう思って工房の扉を開けた瞬間、中から爆発的なポーンという高い音が聞こえて、アルマは目をむいた。
竈からわき出る黒い煙と、長い金髪を煤けさせたフリーダが目に入る。
「あは、失敗しちゃった」
「師匠、大丈夫ですか? 最近すっごい失敗してますけど……、何作ってるんですか?」
「依頼主がご内密にって言ってるから教えられないんだけど、クッキーではあるのよ」
「爆発するクッキーですか……」
「ちょっとした水素爆発よ」
よくあることでしょ、と次の仕込みを開始するフリーダにつられて、アルマも半笑いで自分の作業を開始した。
――が、やはりスランプがすさまじく、簡単なはずのシガレットクッキーですらベタベタしたものにしかならなかった。
あまりに初歩的すぎて師匠に意見を聞くのもはばかられ、アルマは呆然と自分の手を見つめた。
(これは……本格的にまずい)
「いっそ誰かに意見が聞けないかな……」
兄や師匠はもちろんダメだし、友達にも『仮にも練甘術師なのに』とバカにされるレベルだ。
(誰か、誰かいないかな、的確な批判をくれる鋭い人が――)
その名を思いつき、アルマは慌てて倉庫へ駆け、大きな蜂蜜の瓶を抱えて作業へ戻った。
§ § §
見覚えのある風景をなんとか辿って、アルマはそのクラッカーの小道を見つけた。
階段をおりてめずらしい木製の扉へ近づき、こんこん、と軽くノックする。しばらくの沈黙の後、その扉は開いた。
突然の来訪者を見るなり、ヴィルは目を見開いて軽く舌打ちした。
「何の用だアルマ。もうここには来ないほうが良いと、言っていなかったかな」
「これ! 食べてみて!」
勢いよくヴィルの胸元へ紙袋を押しつけ、アルマは目を輝かせた。
「甘みは蜂蜜だけで作ってみたの。そこそこの出来だと思うんだけど……お願い!」
「君という娘は……。そうやってお兄さんにも食べさせてきたのか?」
「う、それは……」
返す言葉もなく俯くアルマを、ヴィルはため息をついて眺め、仕方ないというように室内へ招き入れた。
とりあえず座れと促され、アルマはリビングのソファーに座る。時間が早いせいか、子供たちは一人もいなかった。
「あのね、どうしても感想が聞きたいの」
「自分で食べればだいたいわかるだろう」
奥から茶らしきものを持ってきたヴィルへ、アルマは拳を振り上げた。
「それがそうでもないんだってば。自分だと、分量が原因かな、それとも混ぜ方かな、そういえばメレンゲが緩かったかも、卵の水分が多かったかなって、無限に原因がわき出てきちゃって、何が何だかわからなくなっちゃうのよ!」
淡々とした手つきで差し出された茶をすする。不思議なハーブの味がした。
「一口だけでいいの。さっき言ったみたいに砂糖も使ってないから、食べてみて!」
もう一度紙袋を突き出すと、ヴィルは渋々といった調子で受け取った。中から出てきた丸っこいカップケーキをかじる。
「まずい、と言うほどでもないが、何か決め手に欠ける味だな」
「でしょ? 蜂蜜だとこうなるってわけでもないから、困ってるの」
「なるほど」
まじめな調子で頷いて、ヴィルはすっとアルマを見つめた。向かいのソファーに腰掛け、足を組む。
「出来の件は置いておいて、君としては完璧に作ったつもりでいるのか?」
「え、うん、そう、なんだけど……」
アルマはぎくりとして言葉を止めた。確かに制作中はすべて完璧だったという手応えがある。なのにどこか物足りない結果しか生まない。そんな現状を打破したかった。そうして心の焦りをとりのぞけば、もっと高度なケーキも成功していくだろうと思ったのだ。
「以前のゼリーでも感じたんだが……」
とヴィルは顎に手をあて、考えこむように呟いた。
何が原因なのだろう。やはり分量か、それとも混ぜ方だろうか。メレンゲの配分だけは自信があるのだが、蜂蜜に慣れていないのも、原因の一つかもしれない。
そんなアルマの思いなど気にもせず、ヴィルはさらりと告げた。
「君のお菓子には錬金術の基礎物質たるエリクシールを強く感じた。この菓子からも感じることは感じるんだが……どうにも不安定なんだ。それが雑味となって感じられるんじゃないだろうか」
いきなり予測の範囲から吹っ飛んだことを言われ、アルマはぽかんと口を開いた。
「つまりその、〈えりくしーる〉が原因ってこと?」
「そう。練甘術は錬金術の一派だ。科学と魔術のあわいをゆらぐ存在で……つまり、術者の精神状態を大きく反映するんだ」
「え、ちょっと待って」
急につらつらと告げられ、アルマは混乱した。自分の状態を見直すように俯いて、胸のあたりを見おろす。この心が、影響している?
「確かにお菓子作りにもその日の気分ってすごく影響すると思う。師匠も『テンションが大事』ってよく言ってるし」
「君たちにとってはその程度のことなのかもしれないがな。本精のないものは何であろうと偽物だ。だから違和感をおぼえるんだろうな……。まずは気持ちの整理をつけることだ。雑念のない純真な気持ちで向き合えば、自ずと整っていくだろうよ」
「でも、自分の心なんてどうしたらわかるの? わたしだって一生懸命やってるんだよ? 師匠みたいには無理でも……」
ヴィルはアルマの言葉を遮るように茶を一口すすり、彼女の中の何かを検分するような目で見た。
「誰かを理想とするのは、長い目で見ると意味のないことだ」
「でも師匠は」
「すごい、というのは何度も聞いた。確かに実力もあるし、洗練されている。この国では数少ない本物の練甘術師だ」
「本物の練甘術師?」
問いかけると、ヴィルはばつが悪そうに舌打ちした。
「……おれが認める、という意味で聞いておけばいい。それより言いたいのは――」
と、そこまで言って戸棚に近づき、水晶でできたペンタクルを取り出した。鉄製の柱から糸が垂れていて、その先端に水晶がとりついている。不思議な文様の入った水晶をインク壺に浸し、ヴィルはくるんと糸を揺らした。水晶を伝うインクが綺麗な丸を描く。
「この丸が大きい状態が君たち練甘術師の理想だとしたならば。今の君はこんな感じだ」
今度は胸ポケットから鉄製のペンを取り出し、トキトキに尖った小さな図形を描く。たりないところがたくさんあるという意味だろう。
「で、多くの人は最初から丸を描こうとしてこうする」
ヴィルはもう一度ペンタクルを揺らす。それは大きな丸を描いてくるくると回った後、中心へむかって渦を描いていき、やがて小さな点を描いて停止した。
「これも調和のとれた図形の一つだがな。おれはあまり好きじゃない」
「えっと、これってつまり、最初から全部やり過ぎて小さくなっちゃうってこと?」
「そうだ。大抵の人間はこうやって凝り固まっていく。だから――」
ヴィルは今度は横にペンタクルを揺らした。細い楕円を描きながら少しずつずれていく水晶が、ゆっくりゆっくり花のような文様を描きだす。
「いっそ極端から極端へ揺れ動いたほうが、最終的に綺麗な絵になると思わないか? 素晴らしい黄金律の世界だ」
意味がわからなくて目をしばたたかせるアルマに、ヴィルは一度こほんと咳をした。
「――つまり、初めから完璧にしようとするより、失敗してでも自分なりの長所を一つずつ増やしていったほうが良い。君の師匠はもう、こんな大きな花なんだろうよ」
と、花形すべてが入る丸を描く。
「この花びらの一つ一つが一生懸命手に入れた技術ってこと?」
「そうだ。そうやって覚えていくものだろう」
素っ気なく言い、ペンタクルを片付けるヴィルを見つめ、アルマは思った。
(……なんとなくだけど、元気づけてくれてるんだよ、ね?)
もう一度図形を見下ろす。いつかこんな大輪の花を咲かせられるようになるだろうか。
「そっか、それでいいんだ」
心持ち背中が軽くなった気がして、アルマは背伸びをした。
「失敗は沢山してるつもりなんだけどね……。作ってるときの自分まで見てる余裕がなかったのかも」
「師匠は見ていてくれないのか」
「うん、自分の研究が忙しいらしくって」
「ふうん」
その頷き方は冷たかったが、ヴィルの茶色の瞳には理解が込められている気がした。
「じゃあ今から作るか。おれが見ているから」
「え? ええ、いいけど……」
アルマが恐る恐るリビングから繋がるキッチンを覗くと、そこは燦々たる状況のままだった。焦げた壁には穴が開き、コンロはひっくり返ったままだ。掃除だけはしてあるようだが、今日までどうやって料理をしてきたのだろう。
うろたえるアルマを置いてヴィルはさっさとコートを着こんだ。
「何してるんだ、早く行くぞ」
「どこへ?」
「君の工房に決まってるだろう?」
そう言うと、ヴィルはさっさと木製の扉を開いて出て行ってしまった。