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 病院へ夕食を届けるのはアルマの日課だ。

 とはいえ、工房から戻って即行で作るのでは時間がたりない。仕方なくヴィルに頼みこんで、スープやシチューなど、温め直しのきくレシピを教えてもらい、パンなどはヴィルにつくってもらったものを子供たちに届けてもらうことになった。ドルチェブルグでは手に入りにくい食材も、ヴィルが仕入れてくれているので、とても助かっている。


 病室へ向かう途中、手洗い場で花の水替えをしているティアナを見つけた。


「あ、ティアナさん」


 呼びかけは届かなかったようだ。彼女は深刻そうな顔で鏡をじっと見つめ、胸元を握りしめていた。

 エルクがテロにあって以来、ティアナの表情は冴えない。思い詰めた表情で兄から目をそらし、辛そうに微笑む彼女を見るたび、アルマは胸をしめつけられていた。


(きっと、お兄ちゃんが太っちゃったせいだよね……)


 かつては職人街随一の美形と騒がれたエルクがあんなことになってしまい、きっとティアナは傷ついているのだ。アルマだって自慢の兄の変貌を受け入れるのにかなりの時間がかかった。婚約者ならばいっそう戸惑うこともあるのだろう。

 傷心の彼女をなぐさめる言葉も思いつかず、アルマは足早にその場をあとにした。

 病室に着くと、エルクはベッドの上で身を起こしてこちらへ手を振っていた。


「やあアルマ。今日のスープは何かな?」


 心なしか小さくなった顔を微笑ませて、エルクがランチボックスを受けとる。病院の食事療法もなかなかのものらしく、むくむくしかった兄の身体も一回り小柄になっていた。


「芽キャベツのポトフよ。温かいうちに召しあがれ」

「ありがとう。最近は口が慣れてきたのか、料理もおいしく食べられるようになったよ。……というより、病院のドーナッツに飽きてきたんだろうけどね」


 笑いながらランチボックスを開くエルクに、アルマは笑顔で中身を説明する。


「これはポテトサラダ。こっちが鶏肉のトマトソースがけで、こっちが魚の塩焼きよ」


 兄が喜んでくれるのでつい鶏肉料理ばかり作ってしまう。最近はいろいろとアレンジがきくようになり、ヴィルのレシピを改良してより美味しくすることができるようになった。ヴィルのダイエット料理は本格的すぎて味まで考慮されていないらしく、兄には不評だったのだ。

 エルクが嬉しそうに鶏肉をフォークで突き刺したとき、アルマはふとさっき見たティアナがまだ戻らないことに気づいた。


「ねえお兄ちゃん。ティアナさんのことなんだけど……最近、調子でも悪いの?」

「そんなことは言っていなかったけど」


 もごもごと口を動かしながら呟くと、兄はふむ、とせわしげに動かしていたフォークを止めた。


「確かにここのところ元気がないね。おそらく僕のことがショックだったんだと思うけど……。……ずっと、騙されていたことになるからね」


 悲しげに微笑むエルクに、アルマは一瞬なにも言えなかった。


「……でも、『ヘンゼルの骨』なんてみんな使ってるじゃない。騙すとか騙さないとか、そんなのないよ。きっとティアナさんだって使――」

「いいんだ。僕が悪いんだから」


 とっさにアルマは叫んだ。


「違う、お兄ちゃんは悪くない。全部、全部わたしのケーキのせいだもん!」


 鋭い声が病室に響き、隣のベッドのおじさんがアルマの顔色をうかがってきた。

 エルクはフォークを置き、真剣な表情でアルマを見すえた。声音だけは以前と同様にどこまでも優しい。


「アルマ。僕はアルマのお菓子が大好きだ。でも好きでいることと、好きなだけ食べてしまうことは別だよ。一口でやめられなかった僕が悪いんだ」

「でも……わたしがお兄ちゃんを……失敗作の処分先にしてたから……」


 ゴミ箱の中でぐしゃぐしゃになったスフレを思い出す。もったいないなどと言わず、もっと早くああして捨ててしまうべきだったのだ。一つ一つ丁寧に心を込めて作ったとか、丹精込めて作り上げたとか、作り手の熱意など関係ない。失敗作は失敗作だ。


 それでも、あのスフレを思うと胸が痛い。


 アルマは目に浮かんだ涙を無理やりこらえた。

 自分の腕がもっとあれば、あんな大量のゴミを生み出さなくても済んだのに。


 兄をゴミ箱扱いしなくてもよかったのに。


 こんな悲劇は起こらなかったのに。


 両手で顔を押さえるアルマの背を、兄の丸っこい大きな手がぽんぽんと優しく叩いた。


「僕はね、アルマ。太ってもまったくかまわないと思ってケーキを食べてきたんだ。君のケーキが好きだったからね。寿命が縮むくらいどうってことないって思ってた。……だから、やっぱり僕が悪いんだ。こんなふうにみんなに迷惑をかけるかもしれないなんて、思いもしなかったんだから。本当にバカだよ」


 ぐすぐすと鼻を鳴らすアルマの両肩を優しくつかんで、エルクは自分と向かい合わせた。


「……――アルマ、約束してくれないか」


 いつにない真剣さで緑の瞳がアルマを見ていた。


「もしも僕とティアがこのまま婚約を破棄しても、絶対に自分を責めないって。そう約束してくれないか」

「! お兄ちゃんッ」


 ぱっと顔を上げる。一瞬でこぼれていた涙も引っ込んでしまった。

 エルクはそれを見て曖昧に微笑んだ。


「いいんだ。いつかはこうなるかもしれないって思ってたから。ずっとこの体型のことを伝える勇気がなかったけど……今となっては、あのテロはいい機会だったって思う」

「だめ、婚約破棄なんて絶対にダメ!」


 アルマが叫んだ瞬間、戸口からカシャンと陶器の割れる音がした。慌てて振り向けば、蒼白な顔色をしたティアナが呆然と立ちつくしていた。


「ティア……」


 エルクは唇を振るわせているティアナへ、優しい緑の視線を投げかけた。


「聞いてたんだね。この際だから僕のほうから言うよ」


 どこまでも優しく、エルクは告げた。


「――この婚約を考え直して欲しい」

「エルク……ッ」


 ティアナは小さく息をのみ、うるんだ青い瞳をエルクへ受けた。が、すぐに何も言えずに俯いてしまう。胸元を握り込む手だけが震えていた。

 エルクはティアナへそっと手を差し出した。


「ずっと騙してきたこと、許してくれるって君は言ったね。嬉しかった。すべてが救われるような気がしたよ。……でもね、その一方で気づいてもいたんだ」


 ティアナへ向けた手が空をつかむ。


「……――君が僕を直視しないって」


 誰もがぎょっとして兄を見るほど、その声は低く暗かった。


「結婚は……人生の大切な岐路だから。このまま君の未来まで無理を強いることはできない。罪を許してもらえただけで僕は充分だ。だから、ね?」


 ティアナは口元を押さえ、今にも泣き出しそうな目でエルクへ何事かを訴えていた。それは「やめて」かもしれないし、「それ以上言わないで」かもしれない。

 そんな彼女へエルクは優しくも力強くうなずいた。


「今ならまだ大丈夫。……いいんだよ」


 その瞬間、ティアナは何も答えなかった。ひたすらエルクを直視せず、俯いたまま後ずさる。


「……ごめんなさい。ごめんなさいっ!」


 ティアナはおろおろと謝り、泣きながら逃げるようにして去っていった。


「まっ――お兄ちゃん!」


 とっさに追いかけようとしたアルマの腕を兄がつかむ。その力強さに驚きながら振り返れば、兄の悲しげな瞳と目が合った。


「悪いね、アルマ。その花瓶を片付けておいてくれるかい?」


 穏やかな口調とは裏腹に、その表情は寂しげだった。

 アルマはあわてて花瓶のかけらに近づいて集めはじめた。兄が絵付けした最高の花瓶だっただけあって、床には割れた破片が散らばって一つのモザイク画のようになっていた。


 しゃがんで一つの花を手に取れば、まだ生き生きとしている。綺麗に手入れされた花々には、愛情が込められているように見えた。

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