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 それから工房でさんざん失敗作を作り上げ、自宅へついたのは夕方の少し前、空がカスタード色に染まりはじめた頃だった。

 チョコレートの玄関を開けた途端、いつもの焼き菓子の香りとは違う焦げ臭さが漂ってきて、アルマの疲れは吹っ飛んだ。すぐさま臭いの元であろうキッチンへ駆ける。


「な、なに? なんであんたがうちにいるの!?」


 カウンター式のキッチンで可愛い苺柄のミトンをつけていたのは、デブテロリストこと反ヘンゼルの骨団の一員、ヴィルだった。


「それは……」


 ヴィルは一瞬目をそらして言葉を濁してから、すっとアルマへ視線を合わせ、台本を読むように告げた。


「君は自分で思っているよりずっと有名人みたいだな。『赤毛の練甘術師見習いを知らないか』と聞いて回ったら、すぐにこの家が見つかった」

「そうじゃなくて。どうしてうちにいるの?」

「ピッキングくらいできなくちゃテロなんてできないからな」

「だーかーらぁ」


 ばん、とカウンターに手をついて、むこう側の彼に顔をぐっと近づける。


「どうやってじゃなくて、〈どうして〉うちなのよ!」

「う……」


 ヴィルはなぜか一瞬たじろいで、キッチンの奥へ下がった。黒い服が影になじんで、白い顔だけが浮かび上がったように見える。そう思って目を合わせれば、茶色の瞳をすっとそらされた。少し斜めを向いた利発そうな顔立ちがアルマの目に焼きつく。

 じっと見ていたのが効いたのか、ヴィルが重い口を割った。


「……『もうテロをしない』と言ったら、テオがキレて……――キッチンを爆破した」

「へ?」

「いわく、『テロをしないならこんなモンもういらねぇだろ――!』……だそうだ」


 アルマはそのままぽかんと数秒間固まった。


(……ええと、つまりあのテオとかいう人が自分でキッチンを爆破したってこと? 自分で自分の家の?)


 その沈黙を呆れととらえたのか、ヴィルはふてくされたとき特有の早口になった。


「昔から喧嘩するとこうなんだよ。いつもは爆竹程度で済んでるんだけど、今回は本気すぎて当分キッチンが使えなくなったんだ」

「それでうちのキッチンを使いに来たってわけ? 信じらんない!」

「突飛な話なのはわかってる。だから詫びと言ってはなんだが、前とは違う料理を教えようかと思ってるんだが……」

「もう関わらないでって言ったら?」


 アルマは腰に両手を当て、警戒しきった目でにらんだ。

 正直なところ、テロリストとこれ以上の関係を持ちたくなかった。もしも自宅を容赦なく爆破するテオが殴りこみにきたら、アルマの家は半壊ではすまないだろう。ヴィルですら、たった一度の面識しかない相手の家へ上がりこんだあげく、勝手にキッチンを使うような輩なのだから。

 怒れるアルマをヴィルは申し訳なさげに横目で見たあと、小声でぼそぼそと呟いた。


「おれの計算では、すべてのレシピが菓子の十分の一のカロリーなんだがな……」

「うぐ」


 思わず攻めの体勢が崩れる。それだけのレシピをアルマひとりで考えられるかと言われれば、完全に無理だ。これから先、兄のために作り続けるだろうダイエット料理を思い、胃のあたりがずんと重くなる。


 同時に子供たちの「おいしかった」という評価が脳裏によみがえった。幸せそうにモモ肉にかぶりつく姿が忘れられない。

 このままヴィルを放っておいたら、あの子たちまでひもじい思いをするのではないだろうか。そんなことはさせられない。


「……わかった。今はお兄ちゃんもいないから、ちょっとぐらいなら使ってもいいよ」

「恩にきる」


 まじめな顔で頷く少年にちょっとした苦笑を感じながら、アルマはキッチンへ入ろうとした。

 それをヴィルが慌てて止める。


「待ってくれ、今魚を焦がしたから」

「うちのオーブン、結構クセがあるの。かしてみて」


 ぱかりとオーブンを開けると、目の前に巨大な魚の口があった。ぎょろりとした目玉は真っ白になっていて、真っ黒にすすけた皮は半分はがれ落ち、びちゃびちゃとした油を垂らして……えぐかった。

 その焦げたギザギザの歯を二秒ほど見つめ、アルマはスパンッと扉を閉じた。


「なに、今の」

「タラのオーブン焼き、だったんだが……」

「た、食べ物なの? こ、これだと相当な大皿が必要だね。わたし、取ってくるから。じ、じゃあねっ」


 焦げたことばかりを気にしているヴィルを置いて、アルマは引きつった顔でオーブンから離れた。素早くキッチンをあとにし、倉庫へ向かう。


(あんなオバケ魚、どこで手に入れたんだろ。パンケーキ通りの小川ででも釣ったのかな? それとも黒豆通りの闇市で?)


 そんな要らない思索にふけりながら、アルマは倉庫をあさった。兄が絵付けした皿が山のようにある中で、一番大きなものを見つける。これならばあのオバケ魚でも収まってくれるだろう。つる草模様が描かれた皿には桃色の花がちりばめられていて、ところどころに小鳥がとまっていた。中央には大輪の花のブーケが描かれ、白磁を文字通り華やかに彩っている。

 キッチンへ持ち帰ると、ヴィルはその大皿をしげしげと眺めた。


「いい柄だな。色に透明感がある」

「でしょ、お兄ちゃんが絵付けしたものなの」

「ふうん、エルクは絵付け師なのか」


 さりげなく言われて、アルマはきょとんと目をしばたたかせた。


「あれ? ヴィル、どうしてお兄ちゃんの名前、知ってるの?」


 ヴィルの茶色の瞳が、あからさまに泳いだ。


「そ、それは……。確か昨日、料理をしているときに言っていなかったか?」

「そうだっけ? ごめん、私、忘れっぽいんだよね」


 アルマはえへへと頭をかいて誤魔化した。

 ヴィルがさっと視線を室内へ走らせて、暖炉の上に飾られた家族の写真を見た。アルマの知らない木造の家の前で、父母と幼い兄妹がうつっている。

 その隣には、兄が皿の絵付けで得た賞状やトロフィーが並んでいた。


「すごいな、あんなにたくさんの賞」

「えへへ。お兄ちゃん、若いけど熟練の職人さんにも一目置かれてるんだよ」

「……立派な兄貴なんだな」


 と、ヴィルが低い声で呟いた。

 アルマが巨大魚を皿にうつそうと格闘しているうちに、少年はそのままふらりと隣の部屋へ入っていった。

 床に散乱した絵の具や筆を見下ろし、ヴィルは二、三度まばたきをした。


「この部屋で絵付けをしてるのか?」

「ううん。そこはお兄ちゃんが趣味でやってる絵の部屋。絵の具が散乱してて危ないよ」


 キッチンからアルマが答えた。

 ヴィルは踏みそうになった絵の具を手に取り、においをかいだ。


「これは……ジャムか?」

「そう。お皿の絵付けにもジャムを使うでしょう? 一緒よ」


 ドルチェブルグ特有の透明感のある絵皿は、ジャムの釉薬を使っているからこそだという。香りもよく美しい釉薬は諸外国からの評価も高いのだが、この国は輸入ばかりで輸出をいっさいしないため、これらの絵皿も決して国外には出さないそうだ。


 魚を皿にもったアルマが部屋をのぞくと、ヴィルはイーゼルにのった一枚の絵を見つめていた。兄がテロに遭う直前に描いていた、かきかけのアルマの絵だ。何かのお菓子をにこにこと楽しげに作る姿が描かれている。


「この絵はいいな、優しい雰囲気がある」

「そう、かな?」


 照れ隠しに頬をかきつつ、カンバスへ近づけば、薄い鉛筆でもう一人の人物の下絵が描いてあった。やわらかな長い金髪が印象的な、兄の婚約者ティアナだ。


「――あ、これ、あの日だ」


 初めて兄がティアナをうちに連れてきた日のことを思い出す。アルマがお菓子作りをしている最中に二人がやってきた。手が汚れてお茶も出せないでいると、ティアナがきてお菓子作りを手伝ってくれたのだ。

 くしくもちょうど作っていたのがティアナの好物のシガレットクッキーで、とても喜ばれたのを覚えている。


「お兄ちゃん、あの日のこと覚えてたんだ」


 絵の中のアルマは本当に楽しそうに微笑んでいる。こうして作ったケーキを何度兄に食べてもらい、褒めてもらったことだろう。

 ケーキ作りが大好きだったあの頃を思い出して、アルマは胸が苦しくなった。何もかも、お菓子を教わることすべてが楽しかった。戻れるものなら戻りたいとすら思う。


「君の絵が多いな。お兄さんは妹が可愛くてしょうがなかったようだ」


 まわりに置かれた絵画を見て、ヴィルが感慨深げに呟いた。見ればどの絵もアルマがちらちらといる。殺風景な風景画でも、小さく描かれた跳ねた赤毛がアクセントになっていた。


「お兄ちゃんってば、こんなの描いてたんだ……ちょっと恥ずかしい」

「妹思いなんだろうな」

「うん、ちょっとシスコン気味っていうか、たった二人の家族だからかな? すごく甘やかされてるの」


 アルマはしみじみと頷いた。アルマにとって兄が母親で父親だった。晴れた日はいつも手をつないで一緒に歩いて、雨の日は傘を差し掛けてくれる。一緒にいても不思議と息のつまらない、そんな優しい兄だった。


 けれど心配性の気もあって、あそこに行くなら大通りを歩きなさいとか、女の子なんだから遅くまで出歩いちゃダメだとか、耳にタコができそうなくらいたくさんのことを言われてきた。アルマが出かける前の忘れ物発見機能はドルチェブルグ一だろう。


 まだヘンゼルの骨が効いていたころは、その容姿からご近所やルーメンの若い女の子に大人気で、自慢の兄だった。性格もとにかく優しくて、夕食に明らかな失敗ケーキばかり並べても嫌な顔ひとつせず、「次は頑張ろうね」と励ましつつ頬ばってくれていた。


 そこまで身を削って、いや、太らせてまで自分を助けてくれていた兄をどうしても助けたい。そう思い、アルマはぐっと拳を握りしめた。


(絶対、おいしい料理をつくれるようになって、お兄ちゃんをダイエットさせてみせる!)


 決意を新たに頬を上気させていると、ヴィルが絵画を見ながらちらりと視線をよこした。


「ご両親の絵はないんだな」

「うん。わたしが小さい頃に亡くなってて。お兄ちゃんもあんまり覚えてないんだって」


 アルマの言葉を聞いた瞬間、ヴィルの目がすっと鋭くなった。


「ご両親は……この国にいつ?」

「お母さんたちは来てないの。この国に来たのは、お母さんたちがいなくなってから。お兄ちゃんとふたりで来たんだって」

「君もそのクチか……」


 低い声で呟き、ヴィルが何事かを考え込むように腕を組んだ。不思議そうに見つめるアルマと目が合うと、ぱっと視線をそらす。


「キッチンに戻ろう。君のために作ったレシピが二十はあるからな」


 きびすを返すヴィルの後ろ姿を見つめ、アルマは呟く。


「……君のため?」


 少し考え込んで、「そうか」と手を叩く。


「お兄ちゃんのためにそこまでしてくれたんだ。これは頑張らなきゃ!」

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