戦前の苦悩
「……明日出発する。向かう者は準備と別れの挨拶をな……」
水橋はそう皆に伝えたが、口調と同じくその足取りは重かった。どう声を掛けるか見当がつかなかった直樹達の横を、幽霊めいた足取りで素通りする。
ふらふらと庭園を歩き続ける水橋。美しいはずの絢爛な庭を目にしても、今の水橋には何の感想も浮かばない。
中立派……異能省のエージェントとして所属したからには、人の死など当たり前。
慣れてこそすれ衝撃を受けることなどあってはならない……と心に決めていたはずなのだが、水橋は精神的ショックを受けていた。
不自然なことではない。歴戦の兵士であれ、死は恐れ慄くものだ。人を殺しても気にしない、死んでも気にならないなどと声高らかに謳っている人間こそ、人の死から逃げている臆病者である。
そういった意味では、まだ水橋は現実を直視していた。だが、見れば見るほどその事実から目を背けたくなってくる。
シャドウが死んだ。存在するというだけで無上の安心感を与えてくれた人間が、帰らぬ人となった。
やはりこれからは今まで以上に死が溢れるのだ。結奈のように……いや、それ以上に。
とすれば、やはり落ち込んでいる暇はない。こうしている今も作戦を立て、緻密にし、各所と連携を取らなければ。
「なぜだ……」
だというのに、水橋の口から出たのは疑問だった。ベンチに腰を落とし思考する。
なぜ、この一言に尽きる。水橋には理解出来ない。納得し難い。肯定も難しい。
結奈も似たような思想を持っていた達也も、それにシャドウも。
自分が良いと思った人物は悉く死んでいく。
自分が死神だ、などとは思わないが、それでもこの法則が直樹達に当てはまってしまうのではないかと恐怖する。
「ダメだ……それは」
結奈が死んだ時、自分は誓ったではないか。同じ境遇の者を守ると。
世界中には水橋や結奈と似た境遇の者がたくさんいる。異能者も無能者も同様に。
世界が二つに分かたれている、と感じてしまうが実際にはそうではない。
本来の人間は、ここまで凶暴ではないはずだ。自分達中立派と同じように、異能者も無能者も平等に扱う人間は少なくない。
恐ろしいのは、そういった人間さえ塗りつぶしてしまう悪意だ。
クイーンがそれに汚染されてしまったのも無理はない。恐らく、今こうして戦おうと武器を手に取っている人々のほとんども染まってしまったのだろう。
みんながそう言っているから。そのみんなが本当に人間かどうかさえ不明のまま信じてしまったのだ。
今の時代、情報操作は難しいと言われているが、もし仮に操作出来たならば昔以上に絶大な効果となるのは歴然だ。かつて二度あった世界規模の戦いが、それを証明している。
居もしない仮想市民達が、みんなが言っているよと語りかける。
無垢で純粋な人々がそれを信じ込み、気づくとそれが総意へとすり替わる。
愚者はひとりいるだけで賢者百人分の働きをするもの。情報が溢れている現代だからこそ可能な集団洗脳の一種だ。
出来上がった仮想敵を、現実に存在する反対派に当てはめて、殺し合いをさせる。
右を向いても肯定。左を向いても賛同。ならば自分も正しいだろう。
そんな単純な心理で人々は戦争さえ簡単に出来る。人間とは本質的に愚かなのだ。
何が正しいか、ではなく数が多いのか、を重要視する。
生物学的にはそれは正しい。数が多ければ、味方が多ければ生存確率は上がるからだ。
だがそれも、異能者という普通とは違った者が現れなかった時代の話だ。
「そんなことを言っていてはダメだ。もう数は力じゃない……。拮抗した戦はどちらかではなくどちらも滅ぼす可能性があるというのに」
人間が世界を滅ぼせる力を持って何十年たったか。今は歴史に想いを馳せている場合ではないが、なるべく他のことを考えたかった。
原爆、水爆、そして異能。
科学の中に少し不思議な力が混じり、世界はどうしようもない状況となった。
戦争の規模が大きくなりすぎた。今までは賢者が戦を止めていたが、もう賢者でも諫めきれないほど感情の暴風が吹き荒れている。
人を殺せ! 叩き潰せ! 残虐の限りを尽くし、相手の持つモノ全てをぶち壊し、尊厳も名誉も奪ってしまえ!
「結奈……自信がなくなってきたよ」
懐かしい声が聞きたくて、水橋は友の名を呼ぶ。
だが、返答は返って来ない。水橋がここにいることと、結奈の死は繋がっている。
項垂れる彼女の横に親友が座っていないから、水橋はエージェントになったのだ。
彼女だったら何を言うだろうか。泣いてる暇はない、か? くよくよしている暇があったら動け、か?
涙は結奈が死んだ時、彼女の血を雨と共に吸い込んだ排水溝の中に全部流してしまったから、水橋が泣くことはない。
だが、悲しみは感じるのだ。心折れそうになってしまうのだ。
もう全て投げ出して、家の中で震えていたい。
しかし、それはそれで恐ろしい。自分が震えている間に、大事な人が死んでいく。
助けられるはずの命が壊れていく。
そんなのは耐えられない。動かなければ、戦わなければならない。
どれだけ辛くても恐ろしくても、そんなものよりずっと怖いモノを見るはめになるから。
(……それが出来れば苦労しない……)
水橋は誰でもない自分自身の思考に突っ込みを入れた。
絶賛矛盾中である。理性では動けと言っているが感情は動きたくないなどとニート宣言をしている。
これから戦争だというのに呑気なものだ、自分は。水橋は我儘を言う己に呆れた。
「なーにやってんの」
「矢那か……」
急に声が聞こえ、俯いていた水橋が顔を上げると、矢那が立っていた。水橋が思案に耽っている間に近づいてきたのだろう。
矢那は隣いいわよね、と水橋が口に出すより早く隣に座った。
励ましに来たのだろうか。だとすれば余計なお世話だ。そこに座るのは……本当は……。
「健斗って奴じゃなくて悪かったわね」
「……うるさい。今は放っておいてくれ」
矢那の言葉は微妙に外れていた。水橋の横は結奈である。
健斗はいつもいっしょに座ることはなく脇か正面に佇んでいた。
「……人のことを無理やり仲間にしておいて放っておくもクソもないでしょ。シャドウだっけ? その人が死んだことにショックを受けてるの?」
「当然だろう。彼は恩人だし、我々最高の戦力だ。彼が死んだことによって勝ち目が薄くなったと言っても過言ではないほどの人物だったんだぞ」
思いのほかスラスラと、水橋はシャドウについて話せた。と言っても、知り得ることは僅かしかない。
銃器や刀剣などの既存の武器で、鬼神の如く敵をなぎ倒してきたこと。
普段は無口で、必要な事柄以外一切話そうとしないこと。
そんな彼が唯一教えてくれたのは、妹がいて殺された、という過去のことだけであること。
「……いつも単独行動だった。裏方で、影から我々を支えてくれた」
「だから、影ね。水橋が名づけたと思ったわ」
「バカ! そんなことするか」
矢那の軽口に憤慨し、普段通り矢那に怒る水橋。
そう、普段通りだ。いつもの調子を取り戻す自分に水橋は気が付いた。
最初から、悩む必要などなかった。既に自分達は託されていたのだから。
親友である結奈にも、思想的に共感出来た達也にも、そして、シャドウにも。
「~~っ。またくよくよしてしまった。昔の自分が出てきてたな」
「ああ、中二病で誤魔化してるって奴? よくそんなんで生きて来れたわね~」
「……今のセリフにバカにしている以外の意図があったなら教えて欲しいな」
水橋が元に戻ったと安心したのか、彼女の癇に障るようなことを言い放つ矢那。
流石に言葉が過ぎたと思ったのか、矢那はヤバッと言って逃走を図る。
「アハハ、元気になって何より!」
「結奈だったら絶対そんなことは言わなかった! くそっ! 待て!」
全力ダッシュで追いかけっこする二人を、木陰から見守っていた野戦服姿の男は、携帯の画像を見つめながら呟いた。
「結奈、水橋は大丈夫そうだ」
画面には高校生の水橋、結奈、健斗が微笑んでいた。
「はーっ……疲れた……」
「ごくろうさま」
年甲斐もなく走り回った(と思うのは彼女がませているだけ、とも言えるが)矢那は突然差し出された飲み物をありがとと言って受け取った。
「メンタルズ……あなたはメンタル2?」
「残念。ワタシはメンタル1」
双子の様にそっくりで、誰が誰かはわからないメンタル達は、ナンバー付けで区別されている。
矢那としてはその呼び名が彼女達のトラウマを抉るのではないかと危惧したのだが、当人達はさして気にする様子もなく、いつの間にか定着していた。
「水橋に発破を掛けに行ったのでしょう?」
「ああ、無駄だったわ。無駄に追いかけられて、無駄に疲れた。明日出発だってのに」
と言う矢那だったが、その顔には運動した後の健康的な色がありありと見えていた。ほどよい運動のおかげで、飛行機の中で良く寝られそう、などと思ってさえいる。
矢那は水橋と違って、人の死には慣れている。
自分でも殺したことはあるし、母親と父親だって死んでいる。
ただ、逃避者ではあった。母親の死を受け入れられず父親にも冷たくされ、ただ戦いに明け暮れていた過去。
そのことを恥ずかしくも思う。だが、そんなことをめそめそと後悔している時間はない。
戦いとは楽しむものだ。楽しく戦って、気持ちよく勝つ。それぐらいの心構えでいなければ、無数の殺意と憎しみの前に圧倒されてしまう。
戦う時は罪悪感を捨て――戦いが終わった後、自分の罪に苦しめばいいのだ。
「なんて、ね。結局逃げちゃうけど」
矢那はもう人を殺さないつもりでいる。直樹達、そして水橋に影響されたこともあるが、罪に苛まれるのが恐い、というのが一番の理由だ。
誰かに恨まれるのが恐い。憎まれることが怖ろしい。
故に、人は敵を家族ごと、その仲間ごと殲滅することもある。復讐を恐れて。
そして、さらに後悔する羽目となるのだ。
目に見えていた人から、目に見えない怨念へと姿を変えてしまったことを。
「……それが逃げかどうかは――」
「私次第。わかってる。全く、生まれて一年経つかどうかの子に説教されるなんて。これでも私はもう結婚だって出来ちゃう歳よ?」
「アイテがいない」
その突っ込みは的確に矢那の心を貫いた。
「うぐ……私レベルになればそれなりに」
「ツンツンゲーマー女がモテるなんて幻想は投げ捨てやがれ!」
「な――」
「って本に書いてあった」
思わず絶句しかかった矢那だが、メンタルの補足に胸をなで下ろし……。
「って、何よそのクソ本は! ピンポイントでワタシのことディスってんじゃないわよ!」
「……自覚あるなら、治せば。時間はたっぷりあるし。私達も協力するから」
「……」
今度こそ矢那は言葉を失った。
ずらずらと現れるメンタルズに目を移す。総勢九人の彼女達はひとりひとりが微妙に“違う”。
どうも妙な方向にずれてはいるが、僅かながらに個性を獲得している。
クローン人間として生まれ、人を殺すための兵器として使われるはずだった彼女達。
それを救ったのは気まぐれと嘯いた矢那だった。本当に気まぐれだったかは言うつもりはない。が、もう見抜かれている。
贖罪、などという高貴なモノではない。完全な自己満足であり、何ら見返りを求めた行動ではなかった。
だが、なぜか彼女達は戻ってきた。そして今、矢那に対して生意気なことを言っている。
家族、と形容するのはまた違う気もするが……間違いなくこの子達は自分にとって大切な存在だと矢那は感じていた。
絶対に喪いたくない。戦場に出させたくない。
でも、メンタルズは間違いなく戦場へ赴くだろう。直樹達と方針を話し合った後、メンタルズが自分の意志で志願するのを矢那は目撃していた。
彼女達が死んだら、自分はどうするのだろう。復讐するのだろうか。号泣するのだろうか。
それとも、心が砕け散り、生きる屍へと豹変するのだろうか。
「矢那……どうしたの……?」
メンタル1が矢那を気遣う。それに呼応して、メンタルズもそれぞれ矢那に案じの言葉を投げかける。
「……っ……ぁ……何でも……」
言われて初めて、矢那は自分が泣いていることに気付いた。
怖いのだ。恐ろしいのだ。メンタルズが死ぬことが。
これほど戦を怯えたのは初めてだろうと矢那は断言出来る。
初陣でさえ、矢那は笑いながら人を殺したのだ。それが今や……何とも情けない。戦士足り得ぬ臆病ぶりである。
だが、メンタルズはその姿を見ても嘲笑うこともバカにすることもなかった。
ただ心配。その観念だけが彼女達の脳裏をよぎり、心を痛めつけている。
「大丈夫?」
「……ええ。ホントに……大丈夫だから……」
実際には大丈夫ではない。これは矢那の強がりだ。
それに滑稽ではないか。今まで戦いは楽しむものなどと大口を叩いてきた自分が、肝心の戦争を目前に悩み苦しむなどと。
水橋をバカに出来ぬレベルの情けなさぶりである。
「……大丈夫」
言ったのは矢那ではない。
メンタル1であり、ここにいるメンタルズ全員のことばだった。
暑苦しくも九人に囲むように抱き着かれ、矢那が困惑の声を上げる。
「ちょ、ちょっと」
「ワタシタチは――死なない。矢那も死なない。これは義務であり、約束。戦争が終わったら、またみんなでゲームする」
「……っ……全く……私あのパーティゲー好きじゃないのよ……クソゲーだから」
「それは矢那が苦手なだけでしょ」
事実だ。矢那は自分が不得意なゲームをクソゲーと括りたがるきらいがある。
ゲーマーとしては微妙な立ち位置。ここら辺で考えを改めるのも一興かもしれない。
全てが終わったら、こっそり練習してメンタルズを完膚なきまでにぼこぼこにしてやるのだ。そして、もう二度と余計なお節介を言えなくしてやる。
後はみんなでフランが以前言っていたお祭りに参加するのだ。今までの礼をたっぷり返してやるとしよう。
「……そこまで言うなら見てなさい。……ぼこぼこにしてやるわ」
「うん――。楽しみにしてる」
無垢なる者達と抱擁を交わし、生きて帰るという約束を交えた矢那の心から、怯えの色は吹き飛んでいた。
「……矢那、嬉しそう」
草影からその様子を見守っていたメンタルは優しい笑みを浮かべ、すぐに元の無表情へと戻った。
残念ながら、メンタルに笑っている時間も、感傷に浸る時間もない。
全ては狭間心……自分のオリジナルの救出に費やすのみ。こんな事態になってしまった原因の一端は自分にある。
(ワタシがクイーンに操られなければ)
姉さんは今も想い人である直樹の傍で笑い、立火市も消滅しなかったはずなのだ。
「姉さん……」
心がいなければ、自分を受け入れてくれた姉がいなければ、メンタルはまたひとりぼっちとなってしまう。
その事実がメンタルを焦らせる。白いフードに隠れた彼女の表情を暗いモノへと変える。
「それは誤解ですよ」
「小羽田……」
車椅子をきこきこ鳴らしながら、小羽田が接近してきていた。そのことに気付けなかった失策も、メンタルの精神状態が正常でないことを証明している。
「言ったでしょう? 私はあなたのパートナーです!」
そんなことをのたまう小羽田はメンタルの横につき、怒ったかのように頬を膨らませた。
だが、メンタルとしては怒られても困るというのが本音だ。そんな契約など自分は結んだ覚えはない。
「知ってます、知ってますよ! でもう今更ぼっちアピールとか要らないです。メンタルさんには私と……奴、直樹達がついてますから。ぼっちなのはどこぞの王女様だけで十分です」
くしゅん! というくしゃみをしたフランを気遣うノーシャの声が聞こえた気がした。
小羽田は車椅子でくるくるとメンタルの周りを回り始めた。ターンだったり、周回するのは彼女のくせらしい。
「あなたには私も負い目があります。私がもっとうまく立ち回ればこんなことにはならなかったのかもしれません」
「……いや、そんなことはない。あの男……キングが現れた段階でワタシタチの範疇外だったから……」
そこでメンタルははっとした。これではただの言い訳ではないか。
だが、三周ほどした小羽田はメンタルの手を掴んだ。それでいいんです、とメンタルを諭す。
「過ぎたことを気にするな……なんていいません。でも、気にするべき時と、そうでない時があります。今は……未来のことだけ見つめましょう」
「未来のこと……」
姉は自分に何と言っていたか。
もっと、色々日常を味わってみたい――。
姉はそれを贅沢だ、と言っていた。人殺しで暗殺者である自分には不相応の世界だと。
だが、メンタルはそうは思わない。自分を救ってくれた姉にはたっぷりと日常を味わって欲しい。
暗殺者なんてものは中二臭い夢で、そちらが現実であると錯覚さえして欲しい。
しかし、今の記憶を喪ってしまった姉ではダメなのだ。全てを取り戻し、全部終わらせて、直樹と幸せな時間を歩んで欲しい。
これが妹として、メンタルとしての願いであり想いだ。
そのための障害はワタシが排除する。例え戦争だろうが、無能者だろうが異能者だろうが。
「……ひとりよがりはダメですよ? 他人を頼ってください」
「あなたがそれを言うの?」
責めるような言い方をしたが、メンタルは小羽田の意見に納得していた。
微笑すら浮かべるメンタルに、小羽田もまた微笑み返す。
「失敗したからこそ、言えるんです。強い人間はひとりでも強いかもしれません。でも、そこで誰かと協力出来ればより強くなれるんです。量より質、質より量。この二つはどちらも当たってはいますが……質のある量に勝るものはないはず」
「わかってるわ。もう同じ過ちは繰り返さない。ワタシはみんなと共に姉さんを救う」
「……わかっていればいいんです」
小羽田は優しく笑った後、突然ターンしどこかへと向かい始めた。
大変だろうと歩み寄ろうとしたメンタルを彼女は手で制す。
「気遣いには及びません。……私といっしょじゃ気まずい奴もいるでしょうし」
「……そう。ありがとう」
「例にも。私はあなたのパートナー、なのですから」
自分勝手なことを言いながら、小羽田は去って行った。
しかし、メンタルは悪い気がしなかった。そして、すぐに現れた人影が漏らした呟きに耳を傾ける。
「あれは私に対抗しているのかしらね……」
「彩香」
メンタルに向かって歩いてきた彩香は、懐かしい挨拶をしてきた。
「やほーメンタル。って、ついさっきいっしょにいたけどね……」
「何の用……って聞くまでもないわね」
「ん、心のこと」
メンタルと彩香の共通点。それは狭間心一点に尽きる。
彼女がいなければ、二人は同じ屋根の下に暮らすことはなかった。メンタルも彩香も、心に救われたのである。
だが別に、知り合いの知り合い、などという冷めた関係でもない。食事の時は他愛のない会話も行う。
しかし今回する話は彩香にとっての相棒と、メンタルにとっての姉についてのことだった。
彩香が視力の良すぎる目を日本の方向へ向けながら口火を切った。
「あなたの相棒が小羽田のように、心にとっての相棒は私。最初は嫌がられた。でも、場数を踏むうちに受け入れられた」
「……姉さんから聞いた」
今でこそ考えられないが、仕事を手伝う彩香を心は快く思っていなかった。
人殺しに他人を関与させてしまうなど、狭間心の性格上受け入れがたいことだからだ。
だが仕事を共にしていくうちに、彩香の瞳に本気を見受けた心は、彼女を相棒として暗殺を行っていく。
「立火市に仕事に行くとき、私は一回置いてけぼりを喰らったの。嫌な予感がするからって」
「……それは初めて聞いた」
「でしょ。心はきっとそんな風には想ってない。でも、私にとっては同じだった。ずっといっしょにいる。そう決めてたのに、急に出てっちゃうんだもん。肝が潰れるかと思ったよ」
私の母親のように、いなくなっちゃうかと思っちゃった。
彩香は寂しそうな顔で言う。
「で、メンタルの時に家出して、また今回も家出……とは違うけどいなくなっちゃうし。心は本当に私を相棒って思ってるのか不安になってくるわ」
その悲しそうな横顔を見て、メンタルは慌てて否定した。そんなことはない、と。
姉は間違いなく、彩香を相棒だと思っていたと。
「姉さんは彩香のことが大切で……だから!」
「わかってる。知ってるよ、そんなこと。私にとって心が大切なように、心にとっても私は大切。……自分で言うとこそばゆいけど、私達は確かな絆で繋がっている。ちょっと弱気になっちゃっただけ」
ありがと、メンタル。
彩香は元気を取り戻し、いつもの調子で愚痴を言い始めた。
「全くさー。信頼して、親愛の情を抱いてるからこそ趣味の共有を図ろうとしてるのに、心は全く理解をしてくれないわけよ。……いやまて、今の記憶を喪ってる状態ならば……!?」
「彩香。姉さんにBLは無理。それにそんなことは……」
「ふ……なら一刻も早く心の記憶を戻さないとダメね」
「……彩香……」
きっとこれは、彩香なりの励ましなのだ。
相棒のいない喪失と自分が戦地に赴けない無力感と戦いながら、なるべく戦いを意識させないように趣味に絡めた、不器用すぎる応援。
それにしてももうちょっと言い方があるだろうなどと思わなくはないが、今はそれで十分だ。
「ええ。姉さんを腐らせたりしないわ」
「その意気やよし。……直樹も炎もどこか危なっかしいのよね。その点、あなただと安心出来るわ。何せ心の妹だもの」
そこでクローンと言わなかった彩香の気遣いを、メンタルは嬉しく思った。
姉の相棒はメンタルを認めてくれている。以前からわかっていたことではあったが、こうして言葉にされると心に暖かいモノが流れ出す。
その後の軽口も、メンタルは笑って受け入れられた。
「それにまだ、直樹がハーレムなんてモノを狙ってる可能性は否定出来ないしね……」
ハクション! と大きなくしゃみが聞こえ、炎が直樹君大丈夫? とティシュを差し出している……ような気がした。
「確かに。直樹は性欲に忠実な、世界を救う救世主かも」
「だとしたらある意味あっぱれね。ハーレム維持のために世界を守るとか。なんて称号を付ければいいかしら」
ああでもない、こうでもない、と出立前のどうでもいい、くだらない会話。
だが、メンタルから不安は失せ無意味な責任感も消え去り、彼女の顔には微笑が浮かんでいた。