仇討ち
この世唯一の理想郷とまで言わしめたアミカブル王国。その煌びやかな庭園で会話する11人の男女。
一見、庭園観賞に耽っているようにも見えたが、その顔つきは花を愛で自然を愛する者のそれではなく、戦いを予感する戦士のものだった。
メイドがテーブルに並べたカップを手に取り、紅茶を啜る直樹は一瞬うっ、と呻いた後、全員の顔に目を向けた。
「……紅茶、ダメなのか? 最高級品であるが」
「いや……まぁ……」
もてなした本人であるフランの顔を立てるため、苦手な紅茶を無理やり飲み込んだ直樹だが、彼は紅茶派ではなくコーヒー派である。
片方に慣れ過ぎると、もう片方が口に合わなくなることが稀にある。
とはいえ、横に座っている炎はおいしいね! と言ってゴクゴク飲んでいる。彼女はコーヒーも紅茶も好き嫌いせずに飲めるのだから、結局直樹が好き嫌いしているだけだろう。
苦手なんだ、と釈明した彼は携帯に目を落としている水橋に視線を向けた。
今はティータイム。しかし、これが終われば彼らはすぐに行動を開始しなければならない。
そして、それが過酷なものになることは、直樹とて重々承知していた。
妹である成美が死んだ以上、大規模な戦闘……戦争は避けられない。
「水橋さん、お願いします」
「……うむ、承知した」
紅茶を楽しんでいた面々の手が止まり、水橋に視線が集中する。
その視線を受け、彼女は特徴的な話し方で話し始めた。
「クイーン……成美君曰く、心君に何らかの秘密があることは瞭然だ」
狭間心は理想郷への鍵――。
成美は遺言で、そう言っていた。どんな意味かは直樹とてわからない。
中立派及びアミカブルの研究機関が事実確認を急いでいるが、当人がいないと判別が難しいらしい。
心から異能を複写しているくせに、全く見当もつかない自分に直樹は歯がゆさを感じていた。
そして、それは彼女のクローンであるメンタルも同じだったようだ。
水橋の言葉を受けたメンタルが、申し訳なさそうに謝罪した。
「ワタシも確かめようとしたけど……ごめん。わからない」
「致し方ありません。異能とは未知なるモノ。そう簡単にわかれば、こんなことになってはいないのですから」
ノエルがメンタルを励ます。それを見届けた水橋が説明を再開した。
「ま、もうわかっただろうが、我々の優先事項は狭間心君の確保及び救出。それに尽きる」
「……それは嬉しいけどさ、本当にいいの?」
「どういう意味? 彩香ちゃん」
急に問うた彩香に、炎が訊ねる。
彩香は私としては心を助けたいけど、と前置きした後話し始めた。
「確かにクイーンは心を鍵だと言っていた……らしいけど、このままじゃ戦争が始まっちゃうんでしょ? そっちは放置でいいのかってこと」
「……言わんとしてることはわかるわ。奴らは戦争したがってる。そして、戦争の障害を排除するためなら、敵と協力しちゃうようなイカれた連中よ。きっと真っ先にこの国と……フランを」
いざ戦争した時にイレギュラーとなるアミカブル王国を崩壊させるため誘拐されたノーシャが、拳を震わせながら呟く。
横にいたフランがその手を掴み、
「私のことは心配いらない。……ココロを見つけることが戦争を止める鍵となるならそっちを優先してほしいよ」
「って言うけど、ここにいる連中にそんなこと言って聞くと思う? 自分より人の命優先の死にたがり集団よ? 特にそこの直樹は」
「直ちゃんはゾンビじゃないですよ!」
矢那の指摘に直樹ではなく、黙ってやりとりを聞いていた久瑠実が反論する。が、
「不死者です!」
というフォローなのだかよくわからないことを言い、直樹としては苦笑せざるを得ない。
ただ、彼らは茶化しているだけではないということはわかる。
皆、直樹の戦い方を心配しているのだ。成美の死は、己の戦い方を見つめ直すきっかけとなった。
自分も被弾せず、相手もなるべく傷付けず、守りたいものにも指一本触れさせない。
恐らくはこれが神崎直樹にとっての最適解であり、最も困難なやり方だ。
常人の兵士であれば、自衛のために敵を殺す。この方法を直樹は好まないが、一番手っ取り速く効果的なやり方であることは間違いない。
その道を外れるならば、この世誰一人とて辿らない彼独自の道を歩むことになるだろう。
否、違う。同じ道を歩む仲間がいる。
数は少ない。味方よりも敵の方が多い。
赤信号は大勢で渡れば怖くないかもしれない。だが、そこには危険が潜んでいるのだ。
だから、例え時間に遅れそうでも、守る自分が馬鹿らしくなろうとも、自分と仲間達は青に変わるまで待つ。
例え王道を外れたとしても――その道が正しいと、もう知っているから。
故に直樹は覚悟する。どんなに苦しくてもこの道を歩むと。
そんな不死者でありゾンビである直樹を見つめたフランは、なぜか若干頬を赤く染めそっぽを向いた後、それも当然か、とどこか変な日本語で納得した。
「まぁ王女を守る騎士は多いに越したことはないわ。……あなた達には悪いけど、あたしはフランを優先させてもらう。……彼女はあたしの親友だから」
そう言いながらフランを見つめるノーシャの顔は怯えの色を含んでいた。
事実、怖がっているのだろう。フランが死んでしまうことを。
ただでさえフランは命を狙われていた。直樹がフランとアミカブル市街をドタバタ駆け回った時、シャドウが裏で実行した掃討作戦で街にもうテロリストは存在しない。
しかし、戦争可能状態となったため、連中は大手を振ってこの国を滅ぼすことが出来るのだ。
停戦同盟を結ぼうにも相手はこちらを破壊する気満々である。このままでは国が滅ぼされる確率の方が高い。
特に無理強いするつもりもなく、この国を守ることも重要だと考えていた直樹はいいよと二つ返事で頷いた。
そもそも、自分が何か命令出来る立場ではない。出来てお願いだ。
もし、ここにいる全員が嫌だといえば、自分ひとりで心を探しに行く気でいた。幸運なことに、仲間達は心を探すつもりのようだが。
「じゃあ、人数を分けるんですか? と言っても私と久瑠実さん、そこの百合に目覚めそうな腐女子は役に立たなそうですが」
小羽田が彩香を小馬鹿にしながら言う。彩香が訂正させようと立ち上がったが、話を進めたい水橋が席に座らせた。
「すまないが後にしてくれ。小羽田君の言いたいことはわかる。今言った戦闘異能を持たない三人とノーシャは、フラン様とアミカブル王国で待機してくれ。直樹君と炎君、メンタル君で心君を捜索する」
「私とヤナはどうするのですか?」
「うむ。二人には頼みたいことがある。……敵の足止めだ。私と共に、邪魔になりそうな敵を叩いてもらいたい」
「へぇ、面白そうね」
ノエルの問いへに対しての答えを聞き、矢那が好戦的な笑みを浮かべる。
この三人は集団戦が得意である。広範囲に亘る攻撃異能が敵集団を一網打尽に出来るからだ。
直樹としては意を唱えたかったが、ノエルも矢那も水橋の意見に賛同しているようなので、何も言わなかった。
(大丈夫だ。みんな俺より強いのだから……)
直樹が喉から出かかる不安の言葉を飲み込むと、水橋が全員を見渡し、
「大まかな説明は以上だ。詳細は後で伝える。……何か質問は?」
その問いを聞くや否や、ノエルが思いつめた顔で立ち上がった。
「あの敵への対処……どうするのです?」
「……成美を殺した奴、か」
直樹の表情が硬くなる。それだけでなく、皆の様子も暗くなった。
キングを自称する少年。成美を殺し、世界の緊張を高めた張本人。
「私はクイーン……ナルミが殺される前、一度不意を撃ったのです。ですが、私は一瞬で負けました。……よくわからない黒い塊によって」
「ああ、俺も見たよ」
正体不明の黒い弾。何らかの異能によって、妹が千切れるさまを直樹は目撃していた。
アレは一体何なのか。アイツは一体何者なのか。何度問答を繰り返したかわからない。
ここに来て、直樹は原初の恐怖を思い出していた。
相手が何かわからない。だから、恐ろしい。
無能者が異能者を殺した時と同じ理屈だ。だが、同じ行動を取ってはいけないことを直樹は知っている。
直樹が戦うのは誰かを守るため、そして自分が戦いがためだ。
復讐ではない。救済でもない。ただ、己の欲求に従う。
自分が理想郷を見たいから。仲間と共に、家族と共に平和に暮らしたいから。
そのためには怖がっていてはダメだし、殺してしまってもダメだ。
人殺しをした瞬間、自分の身に宿った異能は全て無為になる。
「何も出来なかったよ……傍にいたのに」
懺悔するように呟く炎。家族を目の前でむざむざと殺された直樹はしかし、その肩に手を置いて気にするなと言った。
「でも」
「悔恨は無意味、さ。成美に諭されたからな。俺達がするべきことは嘆くことでも後悔することでもない。前を向いて、未来に進むことだ」
直樹としても泣きたかったし、後悔したかったが、妹にああ言われた手前、情けない兄の姿を見せるわけにはいかない。
ここからは炎が昔に言ってくれたようなすごい自分モードだ。
そうとも、少々ナルシストっぽいが、それでも構わない。
気持ちで負けていては絶対に勝つことが出来ないのだから。弱ければなおさらに。
「そうだね……うん、そうだよ」
炎から暗さが吹き飛び、いつもの眩いばかりの笑顔に戻った。
場の空気が一変し、みんなが未来を見つめ始める。
その様子を見、微笑を浮かべた水橋は頷いた後、ある男を思い出しながら答えた。
「そこら辺を含めて、今、彼が対応している真っ最中だ」
「バカなバカな! 兵士達は一体何をしておる!」
長いテーブルを挟み座っている12人の老人達の内、右端のひとりがヒステリックに叫んだ。
各人に配置されたモニターには、姿の見えぬ影に敵が蹴散らされていく様子が映し出されている。
だが、ここの警備にと置いた現異端狩り最高指導者リチャードは問題ありませんと言って老人達を脱出させないでいる。
何か隠し玉があるのか、と期待していた評議員メンバーだが、ここに来てとうとう我慢の限界を超えた。
「リチャードを呼び出せ! 一体何を考え」
『それには及びません』
突然画面に映し出される金髪の男。
ロベルトの後継者であるリチャードだ。前任者と同じように甲冑を着こむその男は、椅子に座りマスケット銃をくるくる弄びながら余裕そうに言い放った。
『何も問題はない。そう伝えたでしょう?』
「何を言っておる! このままでは奴がここに」
『ええ、ですから問題はありません』
ほくそ笑むリチャードを目視して、老人達はようやく理解した。
今画面に映り、時代遅れの銃を手に持つ男ははなから――自分達を見捨てるつもりでいた、と。
「き、貴様……」
『ロベルト殿はいつも腹を立てていた。大した知恵もないくせに、我々へ頭ごなしに命令する能無し共。お前達は世界に自分が必要だと思っているようだが、そんなことなどあるものか。化け物を殲滅し、残った世界を統治するのは我々だ』
「このタイミングで謀反を起こすのか!」
『私が尊敬し忠誠を誓うのは、今は亡き我が師ただひとりのみ。支配者気取りの老人には外敵を討ち果たす贄となってもらおう』
「ふざけるな! な……開かない!」
苛立った老人のひとりが扉にパスワードを打ち込む。しかし、コードが変更されているようで何度パスを入力してもエラーと表示されるのみだった。
『案ずるな……すぐに開く』
リチャードがそう口にした瞬間、まるで予言だったかのように扉が開いた。
「フン、まんまとエサに喰いついたな。中立派唯一の脅威め……」
豪華な一室で椅子に座るリチャードは、計画通りに事が進み笑みを絶やさずにいた。
ハックでドアを開けたシャドウが、評議室へ現れる。
老人達の悲鳴と血しぶき。凄惨な光景だが、リチャードは眉根ひとつ動かさない。
因果応報である。まんまとクイーンに操られ、ロベルト殿に有り得ない命令を送り、偉大な英雄の死亡原因を作った、怠惰な豚共。
むしろ彼はシャドウに不満を抱いてさえいた。もっと苦しめて殺せばいいものを、急所を狙い即死させてしまうとは。
「……貴様にも死んでもらうぞ、シャドウ。流石の貴様と言えど、基地の崩落に巻き込まれてしまえば無事では済むまい」
マイク越しに勝利宣言をした後、リチャードはシャドウに見えるよう起爆ボタンをカメラに翳した。
シャドウの姿は彼には見えない。だが、シャドウには彼の姿が見える。
奴は今どんな顔をしているのだろうか。ああ、今からでも遅くない。ハッキングさせあの男の死に顔を覗き見てもいいのではあるまいか……。
だが、その油断が命取りになることをリチャードは承知していた。
あの男ならばその隙にこちらへ反撃をしてきてもおかしくはない。
近海で待機中の潜水艦内部にいるというのに、安心感は全くなかった。
予測不能の男。不可能を可能にし、如何なる手を使っても敵を殲滅する。
だが、その伝説めいた武勇も終わりだ。無能者らしく、人らしく、最期は大人しく散れ。
「では、さらばだ。我が師の仇」
リチャードはシャドウの散り際を想像しながら、起爆ボタンを押した。
「……」
リチャードの予想と違い、相手に自分の死を告知されながらもシャドウは極めて冷静だった。
すぐに立場が逆転する。モニターに映る伊達男は目に見えて狼狽し始めた。
『バカな……なぜ起爆しない!?』
「簡単なことだ。爆弾は解除すれば爆発しない」
シャドウは戦闘機による戦闘の最中、不自然に脱出する潜水艦に気付いていた。
流石に工作をする時間はなかったが、敵の狙いは何となく察しがついた。
評議員は切り捨てられた。そも、上からごく当たり前の命令しか出来ない人間をわざわざ生かして置く必要はない。
だが、連中を殺すことで相手に少なからず打撃を与えられることも事実だ。
そのため当初の予定通り基地内に侵入したシャドウは、発射口を塞いだ後、爆弾解除を行った。
そして今、目標は果たされた。次に殺すべき対象をモニター越しに見据えながら、シャドウは帰還の算段を立て始めようとした……その時。
轟音が鳴り響き、壁に穴が空いた。
強固に構築された対異能物質の壁が、あっさりと崩落する。
煙が舞う中から現れた人影にシャドウは瞠目した。
よもやここで出会うとは。
この時をずっと待ち望んでいた。私怨もあるが、それ以上に殺す必要があった。
世界に仇名す破壊者。何よりも優先すべき殺害対象。
『キングだと……なぜここに』
リチャードが驚愕に次ぐ驚愕に困惑する。
その問いにキングは決まってるだろ、と緊張感を欠片も感じさせず答えた。
「あんた、俺に会いたがってたらしいな。聞いたぜ。だから、俺が会いに来てやった。どうだ? 嬉しいか? 涙を流すか?」
「ああ……嬉しいよ」
神経を逆なでするような口調でのたまうキングに対し、中立派を影ながら支えるシャドウは銃を向ける。
シャドウとキング。二人に言葉は必要ない。
間髪入れず撃ち込まれる無数の弾丸。しかし、キングは平静のまま、回避行動すら取らなかった。
(弾薬が消失している……やはり)
48発の銀弾を受けても、キングは顔色一つ変えず人を小馬鹿にするような笑みのままだ。
だが、シャドウとて表情は変わらない。撃ち切ったサブマシンガンを投げ捨て、今まで使っていなかった50口径の大型自動拳銃を取り出す。
ひたすら威力だけを求めた、携行性の高いマグナムだ。中立派に回収された暗黒郷を極限まで強化し、使用者への影響を度外視して創ったシャドウ専用の銃。
その銀色を掲げ、動こうともしないキングへと撃つ。
引き金を引き、あまりの衝撃に両肩にダメージ。しかし、シャドウは意に介さない。
銃咆と共に放たれるは、理想の色に近しい金に似た輝き。
通常弾による射撃。
シャドウが放った人を殺すには十分過ぎる火力を持った弾丸が、キングの眉間に吸い込まれる。
ぐしゃっ! という、血が巻き散る音。人の死ぬ音。
頭部がぐちゃぐちゃになったキングが床に斃れ、血の海を作り始めた。
「任務完了」
シャドウはその死体を見下ろし、感慨深く呟いた。