破壊の始まり
綺麗な街並みを煌々と照らす太陽すら、慰めになりはしない。
むしろ、トラウマを抉るばかりだった。
日の出を見た時の出来事がずっと昔に思えるが、まだ数時間しか経っていない。
ベンチに座っている少年は、暗い表情のまま回想に耽っている。
いざ思い返してみると、成美との思い出はそこまで多くはなかった。
仕方のないことではある。正直に言うと、妹と遊ぶよりも友達と遊んでいた方が楽しかった。
妹もそうだ、と思っていた。だが、今となってはわからない。
あそこまで自分の身を案じてくれていたのなら、もしかしたら遊びたがっていたのかもしれない。
「成美……」
呟かれるその名に、反応する声はない。
聞こえない。二度と届かない。
そんな場所に、成美は逝ってしまった。自分の不覚によって。
「直樹君……」
傍にいた炎が、直樹を心配してくる。しかし、直樹は無反応だった。
冷たい対応をされても、炎は寂しそうな素振りすら見せず、彼の身を案じ続けた。
「守ってやれなかった……」
目の前の景色が、色あせて見える。
灰、灰、全てが灰だ。白くもなく、黒くもない。
普段見れば美しいだろうアミカブル宮殿の噴水も、フランが散歩していたであろう庭園も、灰色にしか見えない。
目は開き、確かに視界に入っているはずなのに、直樹は何も見えていなかった。
横に立ち、彼の身を案じる炎も。同じように彼を心配し、不安げな表情を浮かべている久瑠実も。
身体を休めるためベンチに座りながらも、本来いるべき人間がおらず焦っているメンタルも。
あちこちを目で視回している彩香も。車椅子で佇んでいる小羽田も。
ずっと何か考えるように俯いているノエルも。
肝心な時に自分は何をしていた、と悔しがっている水橋も。
同様の悔恨で、地面を踏みつけている矢那も。
すぐに状況を理解し、立火市の住民達を迎え入れるよう手を打ったフランも。
心痛な面持ちで、フランに肩を寄せているノーシャも。
(なぜだ……救えた……助けられたと思ったのに……)
この問いを一体何度自分に投げかけたことか。
そのたびに、自分が悪いという結論に至っていた。
あの時成美に手が届いてさえいれば――。
ずっと、ずっと、この世唯一の理想郷にいながらも、考えているのはそれだけだった。
(なぜだ……なぜ、あの時俺を突き放した。手を掴んでさえいれば……)
無限に続くかと思えるほど、問答を繰り返す。
頭によぎるのは、妹だけ。妹の死にざまだけ。
死に際に一声を掛けることもままならなかった。ただ茫然と、その名を呼んだだけ。
手を握ることもせず、復讐に奔りそうになった愚かな自分を、諫めてもらったのみ。
妹を守る兄であったはずなのに……守れなかった。
どうしようもない奴だ、俺は。何がみんなを守るだ。
妹一人守れない奴に……みんなが守れるわけが……。
と悲観に暮れ、心折れそうになる直樹。
つまり今、彼は挫折し、地面に倒れている状態だ。
心折れぬ者とて、倒れはする。
そんな時は……誰かが手を伸ばし、立ち上がらせねばなるまい。
故に――満を持して、ソレは語りかけた。
心折れる兄など……情けなくなる直樹など、もう見飽きたと。
――兄の心はそう簡単に折れない。そうでしょ?
「成美!?」
驚きのあまり、ベンチに座っていた直樹は勢いよく立ち上がった。
その驚きは、周囲に伝播する。不安げに彼を見守っていた仲間達が、彼の気が狂ってしまったのか、と本気で心配し始めた。
だが、周囲の心配をよそに、直樹の顔は輝いていた。だが、すぐにその顔が陰る。
「生きて――」
――はいないわ。私はもう死んでいる。これは死に際の遺言のようなモノ。
私が死んで……くよくよしちゃう兄の目を覚まし、そして道しるべとしての役割を果たすための。
その言葉は衝撃的だった……はずなのだが、目を覚まし、などと言われてしまうとくよくよしようにも出来ない。
それに、妹の前で、兄が泣いているわけにはいかない。
そのため、直樹は強がりをみせ、気になった単語を復唱した。
「道しるべ……どういう」
――意味かは今説明する。よーく聞いてね。聞き漏らしても、もう二度と言えないから。
直樹は周囲に目配せし、静かにしてくれと頼んだ。
だが、そんなことしなくても、直樹の気が触れたと想っている面々は、何か言うこともせず、じっと見守るのみだ。
「大丈夫だ。教えてくれ」
本当は色々聞きたい。しかし、二度と言えないなどと言われてしまえば、耳を傾け続けるしかない。
これが本当に最期の、成美のことばだ。
直樹は噛み締めるように、絶対に聞き逃すことのないように、細心の注意を払って傾聴した。
――まず単刀直入に訊く。その場所に、全員いる?
ここでいう全員とは仲間のことだろう。
そう悟った直樹が周囲をもう一度見回した。そして、愕然とする。
なぜ自分は気づけなかった。大事な人間が、ひとり欠けている。
「心が……いない……!?」
「そうよ。……言いたかったけど言い出せなかった」
彩香が焦燥を感じさせる顔で言う。
彩香の焦りも当然だ。心は彼女にとって大切なパートナーなのだから。
――……薄々こうなる予感はしてたけど、くそっ。彼女がいなければ意味がないの。
彼女は、狭間心は理想郷への鍵。
あなたと、炎、そしてみんなが志し、辿りつかんと手を伸ばす誰もが平和に暮らせる場所の。
「鍵……心が?」
――それは、彼女の身に宿る異能の……っ! そろそろ時間が……。
……何が言いたいかはわかったでしょ? 狭間心を探して。恐らくは……日本に……。
「成美!」
急に成美の声が遠くなり始めた。もう時間がないのだろう。
そんなの嫌だ、と直樹は駄々を捏ねたくなるが、そんな情けない姿、妹に見せられない。
だが、何かことばを投げかけなければ。
せめて、救えなかったことを、あまり遊んでやれなかったことを謝らなければ。
「……助けられなくてごめ」
――謝罪は受け付けない。あなたは何も悪くない。
本当なら私が……謝らなきゃ。でも、きっとあなたはそんなこと言わない。
だから、私はもう一度、感謝を述べるよ。
「なる……!!」
――兄……ありがとう。
「……ま、待て! 俺も……俺もお前に……感謝してる!」
天に向かって、精一杯の声で、直樹は叫んだ。
堪えていた涙が、決壊したかのように流れ出した。
だが、すぐに直樹は涙を拭う。
泣いてる暇はないからだ。
きっと妹は……成美はどこかで見守ってくれるだろう。
ならば、兄である自分に出来ることは、情けなく振る舞うことではなく。
みんなを守るヒーローのように気丈に振る舞うことではないか?
実際、自分はヒーローではない。ひとりではとても弱い。みんなの力を借りねば、何も出来ない人間だ。
だが……だからこそ、直樹はみんなへと振り返った。
そして、声を張り上げた。自信満々に、声高らかに、仲間に呼びかけた。
「みんな……力を貸してくれ! 心を探す!」
うん、はい、ああ、オーケー。
みんな各々了解の意を示し、全員が動き出した。
全ての鍵である、狭間心を見つけ出すため。
暗殺少女の理想郷を成すために。
灰、灰、灰。
一面の灰と、炎。
ここは地獄なのか。そう思ってしまうほどの、凄惨な光景。
整っていた街並みは、果たして本当に街があったのか疑問に思ってしまうほど、崩壊している。
かろうじで残っている鉄組と、ボロボロになった建物の残骸が、ここは街だったと教えてくれている。
人は誰ひとりとして見当たらない。
唯一の救いは全く悲鳴が聞こえないことだ。そのおかげで、ここが地獄でないとわかることが出来る。
本当の地獄ならば、きっとたくさんの悲鳴が聞こえたはずだから。
「……っ」
息を呑み、状況を理解しようと努力する。
爆心地から離れていたとはいえ、この有様である。
特徴的なきのこ雲が、太陽を覆い隠している。朝だったはずなのに、夜なのではないかと錯覚してしまうような密度だ。
「核……」
核爆弾が落ちたとして、核兵器撤廃を訴えてきた日本。
しかし、もう時代が変わっていた。この核を作ったのは何を隠そう撃ち込まれたはずの日本だ。
人々の認識が核を肯定するものへと移り変わっていたためだ。異能者の存在によって。
人に向かって核を撃つのは人道的に問題だ。しかし、化け物に核を撃つならば、多少の問題には目を瞑ろう。
そう考える人間が、無能派の上層部にはいた。
例えその結果、街一つが消し炭になり、汚染によって何年か人が住めなくなろうが、そこにあった大切な思い出が無に帰ろうが、気にしない人間。
そんな人間の業と、ひとりの少女の想いが、立火市を一つ吹き飛ばした。
「……生存者は」
まだ生きている人間がいるのではないか、と探し出そうとした心の脳裏に、宿敵の声が響く。
――そんな人間はいない。……そう切に願ってるわ。
「……クイーン!? どこにいるの! 爆発に……」
――巻き込まれたんじゃなくて、巻き込んだの。奴を。世界に仇名す、忌々しい存在を……。
「何を言って!?」
虚空に向かって叫びながら、爆心地に走り出した心だが、クイーンの止まってという制止を聞き立ち止まった。
「クイーン!?」
――被爆するよ?
「そんなことは……!」
――まだわからない? 私はもう死んでるの。これは残留思念。
「……っ」
既にわかりきっていたことだが、改めて突きつけられるとショックを受けてしまう。
立ち止まった心に、成美はため息交じりに、そしてどこか嬉しそうに話しかけた。
――……ショックを受けてくれる……のか。あなたの全てを……家族も思い出も奪った私の死に。
そのことを、私は喜ぶべきなのでしょうね。だけど、私にはもう時間がない。伝えるべきことを伝えなければ。
「伝えるべきこと……」
呟いた心の肩に、雨の当たる感触がした。
ふと何気なく上を見る。すぐにその行いを後悔した。
黒い雨。放射線まみれのどす黒い雨が、ぽつぽつと降り始めている。
「……まずい……っ」
今更遅いかもしれない、と思いながらも心は駆け出した。
被爆。放射線障害などを引き起こし、被爆した人はずっと苦しめられることになるという。
人が浴びていい放射線量はどれくらいだったか。
今の自分は大丈夫なのか。
心が恐怖に駆られつつ抱いた問いに、残念ながら心の知識は応えてくれなかった。
流石の異能殺しも、核兵器に関する情報は持ち合わせていない。
――大丈夫。あなたの異能ならば、気にする必要はない。それにこれくらいで動じてどうするの。
これから……もっとひどくなるのに。戦争でね。
「戦争……」
気にする必要はない、とクイーンに言われたが、だとしても目に見えない存在ほど恐ろしいものはない。
特にこの黒い雨。これを黙って浴び続けるのは、心の精神衛生上よろしくない。
道を戻り、坂道を上り、妥協案として森の中に入った心は、葉っぱが自分を守ってくれることを祈りながら、木陰の中に座り込んだ。
息が荒い。とても怖かった。あれほどの破壊を人が本当に作ったのか、甚だ疑問だった。
――信じられなくとも、目の前に事象としてあるのならば、受け入れるしかない。
この核も、異能もある意味同じかもね。使い方次第では平和利用も出来るかも。
でも、恐らくは人は制御出来ない。しようとしない。
「……そう、ね」
反論したかったが、心にそんな余裕はない。
死者との会話より、目前の出来事の方が恐ろしかった。
一体何がどうなった? どうしてこうなってしまったのか。
そもそも直樹達は? まさか巻き込まれ――。
――そこら辺を含めて、全部説明したいんだけど?
若干苛立った声音で、成美が告げた。
インストールしてあったからいいものを……などとぶつぶつ呟く成美に対し、心はとりあえず頼りなさを感じさせる声で謝った。相当に弱気だ。
病院で目覚めた時と、何ら遜色がない。これが本当の自分なのかもしれない、と心は思った。
――いいわ。本来謝るべきは私。
なぜかあなただけ、目的地への転送を失敗した。妨害されたのかもしれない。
「妨害……」
――そう。あなたが心配した兄……直樹は、仲間達と共にアミカブルに転送させた。だから無事よ。
もちろんあなたも、アミカブルに送るつもりだった。だけど……失敗した。
恐らくは……考えたくはないけど……。いや、今はいいわね。
とにかく、あなたに最優先で伝えなければいけないことがある。
「……伝えたいって言ってたこと……」
――ご明察。まずはっきり言う。あなたの異能は再生異能ではない。
「…………え」
意見の食い違うクイーンの言葉に、心は困惑した。
クイーンに話を聞いた後、直樹と接触するまでに、心は自分の異能について詳しく聞いていたし、心の中のこころも、心に宿る異能が再生であることを示していた。
だというのに、ここに来て自分の異能が再生異能ではない?
では、この回復力は一体何なのか。その答えを成美は口にし始めた。
――あなたはこの世界の希望。理想郷へ進むことが出来る、唯一の人間。
そんなあなたに私が出来るのは、道しるべとして情報を伝えることだけ。後は……あなた次第。
「私……次第?」
――そう、だってあなたは……………なのだから。
心の当惑は止まらない。
肝心の部分が聞こえない。だが、果たして有り得るのだろうか。
直接声に出すのではなく、頭に思念を送っている状態で、言葉が届かないというのは。
――っ、これは……。まずい! 逃げ……っ!
「え、な」
心の思考が追い付く前に、心が逃げ込んだ森が跡形もなく吹き飛んだ。




