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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第五章 女王
93/129

日の出

 血というモノは知識として存在していたが、実際に目の当たりにすると胸にくるものだ。

 いや、血に怯えも恐怖もない。むしろ、それを全く意に介さない自分に驚いている。


「……メンタルって言ったわね、私は……」


 やはり知り合いか――。

 自分の口から出た名前を心は感慨深く思いつつ、倒れ伏し、血に汚れている彼女を見下ろした。


「く……うっ……ワタシは」

「大丈夫?」


 と心は告げたが、皮肉めいていたため微妙な顔となる。

 銃を撃ったのは心だった。

 右手に持っていた理想郷ユートピアが自然にメンタルの右腕に吸い寄せられた。

 メンタルが引き金を引くその刹那、心の銃弾が着弾し、メンタルの暗黒郷ディストピアは彼女の後方へ吹き飛んだ。

 今被るのは、人を救うために散らした血。

 人を死なせないために人を撃った。

 だというのに胸が痛む。だが、その痛みこそ、メンタルが心にとって大事な人間であることの証明だった。


「ワタシは……一体……」


 メンタルは困惑した様子で夜空を見上げている。

 何が起きたかはっきりとわかっていない。心とて事態の子細はわからないが、大まかな事情くらいはわかる。

 心は無意識の内に、妹に囁く姉のように柔らかな表情で告げた。


「あなたは……悪い夢を見ていただけ。そして、今目を覚ました」

「姉さん……」


 メンタルは喜ぼうとし、悲しもうとした。

 どんな表情を作ればいいかわからないのだ。目の前の心は姉ではなく、そして間違いなく姉である。

 故に、笑えばいいのか、泣けばいいのかわからない。


「とにかく治療しましょう」

「……念のため、銃は姉さんが持っていて。……またいつ操られるか」


 と不安な様子で言うメンタルを、心が優しく諭す。


「大丈夫。自分を信じて」


 メンタルを立ち上がらせた心は、太ももについている彼女のホルスターに拳銃を通した。

 メンタルの顔が幾ばくか明るくなる。

 銃を貰ったことではなく、心の言動がかつてのそれに似てきたからだ。

 メンタルは姉のことばを噛み締めていた。ああ、姉なら間違いなくこう言った、と。

 その様子に戸惑いつつもどこかが嬉しくなった心は、早く行こうと病院に再び戻ろうとして、立ち止まった。


「姉さん?」


 呆ける姉に、両腕をだらんと垂れ提げたままのメンタルが訊ねる。

 しかし、心は答えず一点を見つめていた。

 悪寒がしたからだ。とても寒く、冷たく、鋭い。ゾクッとする感覚。

 かつて彼女に備わっていた暗殺者としての勘が、ソレを恐れている。


「なに……?」


 だが明確に何かかはわからない。

 得体の知れぬ存在に恐怖を感じながら、メンタルの治療のため、心は病院へと入って行った。




「ク――何です?」


 頭を押さえつつ、緑髪の騎士は起き上がった。

 起きてすぐノエルに浮かび上がったのは疑問だ。病院で、敵の捜索に当たっていたはずが、気づくと道路の真ん中――しかもちょっとしたクレーターが出来ている――の真ん中で寝転がっていた。

 クレーターを創り上げた原因は間違いなく自分だ。しかし、隕石のように墜落する理由がわからない。


(いや……操られたとすれば合点がいきますね。――恐らくは直接的な操作ではなく、情報を書き換えられたのでしょう。とすれば)


 また操られる可能性がある、とノエルは警戒を強めた。

 クイーンの異能、精神操作はまさしく女王の命令ほどの強制力を持つ。

 だが、抗えぬ方法があるわけではない。前以て意識していれば、多少の抵抗は出来る。

 それに加え――。


(私はもう誰にも操られませんよ……)


 操作に対する耐性は、仲間一番だと言っていい。

 ノーシャといい勝負である。ノエルはずっとロベルトに人生を歪められてきた。

 また良い様に操られるなどごめんである。

 ノエルは剣を鞘に仕舞い、拳銃を左腰に下げると、自身の異能で飛翔した。


「敵は……どこに……ん?」


 風を切りながら空を飛ぼうとしたその時、ノエルの目についた場所は二か所だった。

 一つは、恐らくは直樹と炎、そして水橋と矢那が交戦している場所。

 もう一つは――。


「鉄塔の上に、誰か――?」


 異端狩りの技術で培われた夜目で、ノエルはその男を目視する。

 にやにやと映画か何かを観ているような様子で、鉄塔の塀に胡坐をかいて座っている少年。

 その異様さから、異能者であることは推測出来る。

 だが、今このタイミングで来る男というのは何者か?


(異能派ですか……。異端狩りの雰囲気がしませんから、クルセイダーチルドレンということはないでしょう。だとすれば)


 ノエルは地面に降り立ち、気づかれぬように隠密行動で、鉄塔へと接近し始めた。





「バカな……いや、予想出来たこと」


 成美は動揺しつつも平静を装い、静かに呟いた。

 頭上では、成美が操っている水橋と矢那が直樹と炎相手に交戦している。

 が、目に見えてわかるぐらいに押されていた。

 直樹と炎は背中合わせになり、炎が矢那、直樹が水橋と対峙している。

 挟撃狙いの布石。だが、一網打尽にすることなど到底無理な話だ。

 直樹と炎ももう“目覚めて”いる。クイーンの精神干渉を受け付けず、強靭な意志で敵を倒す。

 重要なのは技能でも身体でもない。心が強くなければ、後の素質はゴミ同然である。

 そして、異能者は心に付随して異能も強くなる。

 世界中の科学者達はそれを頑なに認めようとはしなかった。

 そんなモノはファンタジー。そう言って一蹴した。

 その結果がこのザマである。大した意味のないレベル付をして、どうでもいいカテゴリー分けして、わかったようなつもりになる。

 成美は今すぐにでも発信したい衝動に駆られた。お前らは何もわかっていない、と叫びだしたかった。

 ある者は無知は誰しもが通る道であるという。ある者は、無知は罪だという。

 成美は間違いなく後者だと思っている。

 無知は罪だ。知らなかったでは済まされない。

 いや、訂正しよう。知らなくても済まされる人間がいる。


「兄。いや、直樹」


 成美は、今まさに戦闘を行っている義兄を見上げた。

 あの男は自分を救ってくれた者。そして、自分の前から遠ざかろうとしている者。

 直樹は声を上げて言うだろう。そんなことはしない、と。

 俺はお前の傍にいる。家族だからと。

 そんなことを言えるからこそ、危険なのだ。


「あなたは死ぬ。今のままでは」


 もはやルートは確定したようなものだ。

 他人に見返りを求めず手を伸ばすということ。それは燃え盛る炎の海へと歩いていくようなものだ。

 救った後は自身の救済欲を満たしたと言う。そして、救われた人間を見ることが至福であるかのように笑う。

 人の中には殺したがりが現れる。

 人や生物を、殺したくて殺したくてたまらない。サイコパスであり精神異常者。

 しかし、その正反対も異常であると成美は思うのだ。

 困ってる人を、救いたくて救いたくてたまらない。そんな……異常者。

 出会った頃は平凡だった。人並みに困った人に手を差し伸べ、自分のキャパシティをオーバーした事態は見送る。

 だが今は。


(違う。力を持った責任感とか感じている。そんな義務も責務もないのに、罪悪感を感じずにはいられない……)


 どうしてこうなってしまったのか。

 自身の脳裏をよぎった疑問に、成美は先刻回答したばかりだ。

 自分のせい。

 保険として兄を強化させようと狭間心と草壁炎に接触させ、狂化させてしまった。

 人によっては直樹の有様を成長だというかもしれない。だが、成美は頑として首を振る。


「あなたは、私が狂わせた。私のせい。全て、全て。私があなたと出会わなければよかった。ひっそり死ねばよかったのに」


 ああ……もはや何が悪かったのか。

 原因の一つは父親だ。世界をこの手にせんと手頃な異能者を見繕い、自分を孕ませ世界中の人間をコントロールしようとした男。

 だが、父親の行動さえ、今の世界を見ているとまともであったように思えてしまう。

 善い人間よりも悪い人間の方が多かった。

 だから世界を信用せず、自分を救ってくれた男さえ裏切った。

 だが、それは過ちだったのか。あの救済者を生かして置き、ただ平凡な少女として過ごしていれば、もしかすれば――。


(いや……それはない。理想郷など創れはしない。……なんて、虚しいだけよね。私が世界を存続させる確率と、理想郷が出来る確率。それは同じだから)


 現実的に見れば、暗黒郷ディストピアの方が可能性は高い。

 ほっといても勝手に変化する。無能派と異能派の争いの内、次第に構築されるであろう世界。

 恐らくは異能者が勝利する戦争の後、異能者しか存在しない世界を影から統治すれば、神崎直樹はその世界に順応し、平凡な少年でいられたはずなのだ。

 だがもはやそうはなるまい。暗黒郷が出来たら出来たらで反乱分子として戦い始めるだけだ。

 大勢の異能者を前にして、直樹は無力である。

 仲間が死に、友が死に、家族が死んで残るのは空虚な抜け殻のみ。

 そんなモノを成美は望んでいない。

 直樹が異能に感づいた時点で自分は既に詰んでいたのかもしれない。

 直接的な介入が遅すぎた。神崎直樹を傷付けまいと無駄な配慮が仇と出た。

 どう足掻いても成美の敗北である。

 直樹を救いたかったはずなのに、恩返しをするために血を流してきたはずなのに、全てが裏目に出ていた。

 自嘲気味な笑みを浮かべ、成美は自分を嘲笑う。

 直樹のためにと息巻いていた怒りすら、とうに失せていた。


「ハハ……ハハハ……もう無理、か」


 そうしている合間にも、水橋は戦闘不能になったようで、近くの家の屋根でダウンしている。

 矢那はと言えば、雷撃でのパンチを回避され、炎に火蹴りを見舞われた。そのままの勢いで吹っ飛び、看板に激突した。

 もう不可能。どう足掻いても成せはしない。

 だから。


「――操作対象。対異能部隊第7秘密基地所属の兵士、荒田涼。対異能者用小型核弾頭を戦闘機に搭載し、出撃せよ」


 だから、敵に自身の居場所がばれようとも、外部に異能を発動させる。


「……今、何て言った!?」


 直樹の焦った声。

 わざと口に出して言った成美の言葉に動揺している。

 成美は冷たい声で答えた。


「……核を撃つって言ったのよ。兄がまだ理想を志すって言うなら、私はこの街を吹き飛ばす」

「そんなことしたらお前も!」

「わかってる。でもあなたが死んだら、私も死んだと同じなの。私は死んでもいい。でも、兄が死ぬのは嫌。……わからなくてもいい。ただ従ってくれればそれで」

「成美!」


 名前を呼ぶ直樹の声を、成美は冷たく突き放す。


「私はクイーン。全てを自分の想い通りに操る女。あなたはただ無理やり命令されて、諦めた。それで言い訳になるじゃない。……何でそれがダメなの? 心なら許してくれるよ」

「俺が俺を――」

「赦せないとか言うんじゃないよね?」


 図星を指されて、直樹が言葉に詰まる。

 ほらね、と失笑した成美に向けて、直樹の横に浮かぶ炎が叫ぶ。


「……成美ちゃん! 直樹君のことが大事なら、そんなことしちゃダメだよ!」

「ふん。あなたは正論しか言わない。……だから男のひとりも口説けないんだ」

「……成美ちゃん……」


 炎も説得は難しいように思えたのか押し黙った。その顔には焦りが載っている。

 そして、手には炎が灯っていた。いざという場合は成美を屈服させ核攻撃を阻止する腹積もりだろう。

 だが、無駄なことだ。成美は確実に核を落とす。攻撃を防ぎたいならば、直樹がもう理想郷は諦めると声を高らかに宣言するしかない。

 しかし、当の本人である直樹に、諦めの色はない。

 どう成美を説得すればいいか、必死に頭を巡らせている。

 その様子が愛おしくて、成美は頬を緩ませる。

 そういう部分が、成美が進んで妹となった所以だった。

 例え会話なく戦闘になったとしても、相手をどう戦闘不能にすればいいか、あまり良くない頭で思略を巡らせる。

 見栄えは良くない。気持ちの良い勝利でもない。

 だとしても、美しいと断言出来る。世界中の誰もが否定しても、成美だけは直樹の味方でいる。


(だから……だからこそ、私は汚い手を使う。美しい兄を死なせてはならない。例え地獄に堕ちようが、血泥にまみれようが、私は兄を守る。死んでも、殺されても構わない。でも兄だけは――)


 何としても救う。

 五年前からの決意を新たに、成美は直樹を見続けた。





「……えっと、メンタルでいいのかな。ちゃん付けとかいらない?」

「呼び捨てで構わない。姉さんはそう呼んでいたし。……非常事態でなければ色々遊ぶ所だけど……」

「遊ぶ?」


 何やらそら寒いものを感じて、心は身を震わせた。

 病室のベッドで寝ている白き者は、見れば見るほど自分とそっくりだった。

 だが、心の中にあるモノは、目の前の少女が自分と他人であると告げている。双子よりそっくりでも他人であり、そして家族なのだ。


「何か、気にしてる?」

「……わかる?」


 メンタルの問いに、心は素直に反応した。

 元より隠す気もない。彼女は敵ではなく味方なのだ。

 知識ではなく、心がそう訴えている。故に、心は正直に感じていることを話した。


「妙な感覚がするの。何かとても邪悪な存在が……すぐ近くにいる気がする。……心がざわついて止まらない」

「……新手かもしれない。みんなに伝えないと」


 とメンタルは携帯をいじくろうとするが、両腕がまだ完治していないため動きがぎこちない。

 心が携帯を取り出し、病室のドアを開けた。


「私が連絡する」

「……一人で無理だけはしないで」

「大丈夫」


 心はメンタルの瞳を見つめ、真摯に頷いた。

 一人で無理をする気はない。ただ、連絡がてら様子を見に行くだけである。

 大体の場所はわかっている。そして、あわよくば障害を排除するだけだ。


「姉さん……くっ」


 何となく察しがついているメンタルが、自分の不甲斐なさに歯噛みした。




(――アレ、ですか)


 ノエルはサーベルを抜き、拳銃を構え、鉄塔の下まで辿りついていた。

 そろそろ空が薄明るくなってきた。もう少しで日の出である。

 だが視界が明瞭となっていたにも関わらず、男は周囲を警戒しようとしない。

 自信に溢れているようだった。敵の不意を衝かれても、自分は負けはしない、と。


(それは迂闊というものです。油断大敵ですよ……)


 自分は最強だ、と感じていた異能者を何人屠ってきたことか。

 無理強いされていたことであり、思い返したくもない経験だが、それでも敵を昏倒させるのには役に立つ。

 戦いとは、正々堂々の勝負ではない。人を殺し殺される、正真正銘の殺し合いである。

 そこに卑怯という概念は存在しえない。明確なルールはない。戦場では、敵を倒し勝利した方が正義となる。

 と思ったノエルだが、自分のサーベルを見て苦笑した。

 矛盾している。自分のサーベルのは、本来の剣としての機能は失せている。

 刃は潰され、せいぜい鈍器としての役目を果たすばかりである。最も、それと強化鎧パワードアーマー、ノエルの異能を組み合せば十分人を殺せる凶器と成り得るのだが……。


(とにかく、かき乱されたら敵わない。ナオキとホムラ達なら、何とかしてくれるでしょう。とすれば、私は余計な邪魔が入らないようにしなければ)


 闘気を昂らせ、足音が立たぬよう神経を尖らせて、ノエルは鉄塔の階段を昇り始めた。




「くそ……どうして」


 と疑問を口に出した直樹だが、訊くまでもない質問だ。

 成美は直樹を止めたい。故に、核を撃つ。

 自分を思い遣ってくれるのはありがたい。だが、その方法は頂けない。

 成美の中で優先順位が、直樹>その他の有象無象という段階まで昇華している。

 さらには、その有象無象の中に、成美自身の命さえ含まれているのだ。

 そんなことは受け入れられない。そんな順位づけなど無意味である。

 命に貴賤も順位も存在しない。命はどう見繕っても命であり、無駄に殺生していいものなど何一つ存在し得ない。

 家族も仲間も、見知らぬ人々も……敵も。

 わかり合えぬなら、何度でも意見をぶつけるだけ。お互いの妥協点を模索し、争わない道を見つけるだけのこと。

 だが、時間がない。意見をぶつけるだけの時がない。

 ならば拳を振り上げ、叩いて言うことを聞かせることも必要だ。

 別に殺そうとしているわけでも傷つけようとしているわけでもない。

 兄としての責任として、妹が間違ったら正すべきなのだ。

 故に、直樹は宙から地面に降り立って、妹に声を掛けた。


「成美」

「……説得は無駄って言うのはわかり切っているでしょ」


 背後には、安堵を覚えさせ、それでいて見飽きている我が家が。

 だが、かつての面影はない。特に成美が過ごしていた二階の一室は直樹のせいで無残に破壊されている。

 いくら命が係っていたとはいえ、もう少しやりようがあったのではないかと今更後悔し始めていた。

 何せソコは、妹が帰るべき場所であり、寝て読書や勉強に励む場所だからだ。


「そうやって無駄って言っても無駄ってこともわかっているよな」

「……ええ、良く」


 奇妙な兄妹だった。

 相手を良く知り、思い遣ってさえいるのに、それが故に争いとなる。

 相手を愛しているからこそ、異能を発動させる。

 相手を好きだからこそ、拳を握る。


「……殴って言うことを聞かせるってのは、本当は好きじゃない。でも、命の危険が及ぶときは別だ。俺がお前を止めなければ、みんなや立火市市民が犠牲になる。いや、爆弾の規模じゃもっと多くの人が死ぬ」


 そうやって、自分に言い聞かせるように呟いた直樹は、妹の目前へと歩み寄った。

 横の炎がどうしていいかわからず、困惑した様子で見守っている。


「そうよ。私が悪者。それでいい。……だからお願い、言うことを聞いて」

「それはこっちのセリフだよ。核攻撃を止めてくれ……」


 語調こそ静かだが、切実な想いが両者の声音に載っていた。

 お互いがお互いに願う。そして、双方とも譲らない。


「もうすぐ戦闘機が立火市上空につく。だから、兄……」

「……だったら俺もお前を殴って止めるぞ……」


 最後通告――。

 これが最後の警告だった。もう止まらないぞという。

 何としても攻撃するぞという覚悟を込めた言葉。

 互いに理解し終わった兄妹は、命令文を飛ばそうとし……。

 そして、拳を振り上げる。


「…………っ!?」


 傍から見ていた炎があまりの衝撃に息を呑んだ。

 呆けた成美の声と、辛そうな直樹の声。

 しばらくそのままの状態で――直樹に抱き着かれたままの成美は放心した後、何とかして口を開いた。


「な、何で……」

「……殴れるわけねーだろ。妹だぞ……お前がどう言おうが世界がなんて言おうが大切な家族なんだよ」

「そうこうしてる間にも、核が」

「知ってるよ。だから頼む。こんなことはもうやめてくれ。俺は死なない、絶対に。約束する。だから」

「……っ。そんな泣き落としで私が……ぁ……」


 と強がる成美だが、その頬には涙が流れていた。

 当然の帰結である。直樹が成美と戦いたくなかったように、成美とて、直樹と戦いたくはなかった。

 直接操りたくはなかった。何も知らず、純粋な彼のまま、兄として生きていて欲しかった。

 余計なことをした時点で、この結末は決まっていたのかもしれない。

 戦いを行った時点で、敗北は決定していたのかもしれない。

 相手としてこれ以上に戦いにくい存在はいない。

 例え例の存在でも、ここまでやりにくくはないと断言出来る。

 まだ勝利の可能性があるはずなのに、どう足掻いても負けるとさえ思ってしまう。

 勝てるわけないではないか。

 自分をこれほど大事に思っている相手に、武器を向けるなど不可能ではないか。


「……っ……でも……それじゃ……」

「大丈夫だって。兄を信じろよ。……五年前、俺を信じてくれたんだろ? なら、今信じてくれたっていいじゃないか」

「そんなバカな……ことを……」


 そう呟いたが、成美はもうそのことばを受け入れる気でいた。

 そんなバカなこと。だが、そんなことを言える人間だからこそ、直樹は直樹足りえたのだ。


「……だけど……私はたくさんの人を殺してる。そんな人間が……今更」

「ああ今更だな。俺はお前の兄だって言ったろ? 家族だから、いっしょに罪を償ってやる。まさかとは思うが、死んで罪を償おうなんて思ってないよな? だとしたら俺は怒るぞ。死んで罪を償うなんてのは逃げだ。ちゃんと生きて償わないとダメだ」


 それはある意味酷とも言える。

 死の先にあるのは未知だ。死んで生き返った人間は誰一人としていない。

 死の先には咎人ように創られた地獄が待っているかもしれないし、生を全うした者への楽園が待ち受けているのかもしれない。

 だが、所詮は人の妄想である。現世で咎人だったから、地獄に行くとも限らない。

 そもそも、地獄が存在しているかも謎だ。天国しかなく、死した者全員が安息を享受出来るかもしれない。

 あるいはどちらも存在せず、ただ世界を回る魂となって、あらゆる場所を転々としているのかもしれない。

 そんな無限の可能性を秘めている死は、咎人にとって救いとも言える。

 だが、直樹は頑としてその行為を否定した。

 それで納得するのは本人だけだと。

 もしや、世界中の人間が彼女の死を望んでいるかもしれないが、少なくとも自分は違う。

 そして。


「炎も……そう思うよな?」

「えっ……うん。そうだよ、死んで償うなんてことは甘えだよ」


 急に振られて炎は驚いたが、紛れもなく彼女の本心から出たことばである。

 このことばを、死んだ新垣達也にも叩きつけたいと炎は想っていた。

 子どもを巻き込んだツケを払うなどと言って、勝ち目のない敵に挑んだ馬鹿者。

 自分はそんなことを望んでいなかった。だというのに、勝手に死んでしまった。

 もしあの世で出会ったならば、開口一番説教をしてやろうとさえ思っている。

 最も、実際には再会の喜びで吹き飛んでしまいそうなものだが。


「でも……私は」

「うじうじするな」


 直樹はまだ何か言おうとした成美から身を離し、その両肩に手を置いた。

 周囲が明るくなってきた。妹の泣き顔が良く見える。


「たまには、兄貴の言うことを聞いてくれたっていいだろ?」

「…………うん」


 成美に否定する理由はもう存在しなかった。

 第一でも第二でもなく、第三の選択肢。

 直樹達と協力し、本当の意味での理想郷を創り上げる道。

 とても単純でいて、相当に難しいこと。だが、その道を歩むのが正しいと思える。

 もう少し早くそのことに気付いていれば、世界は今よりマシだったのだろうか。

 ううん、と首を横に振る。

 今出来ること。それは世界に憎悪をまき散らした分だけ、慈愛を持って世界を救済することだけだ。

 その為の希望は目の前に立っている。もう一つの希望も、この立火市にいる。

 一つだけでは頼りなくても、二つあれば絶望を打ち払うことが出来るだろう。


「……ほら」


 成美が納得し、気持ちの整理をつけている間に、直樹が手を差しだした。

 喧嘩をした後の、仲直りの握手。

 伸ばされた兄の手に、妹が手を伸ばす。

 兄妹は改めて絆で結ばれ、妹に備わっていた力が兄に流れ込む。

 呻いた直樹だが、すぐに笑みを創った。それに呼応して、成美も微笑んだ。


「あ、日の出……」


 二人を祝福するかのように、喧嘩終わりを彩るかのように、太陽が姿を現す。

 その太陽は、兄妹にとって、一番記憶に残る思い出となった。

 忘れたくても、忘れられないほどに。

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