苦しみの中で
――その手を使え。異能を使え。己が力を解き放て。
逡巡は要らない。意志は要らない。理想も要らない。
お前は傀儡だ。他人の思い描く通り動く人形だ。
反発も抵抗も覚える必要はない。ただ、言われた通り命令に従え――。
「くっ……ぅ……」
その声が聞こえた時、草壁炎が初めに感じたことは、頭が痛いということだった。
頭が痛い。痛いイタイいたい。
割れるように痛い。
似たような感覚を知っている。
でも、抗えない。
でも、抗いたい。
だけど、身体が言うことを聞いてくれない。
動かないようにするだけで精一杯。
それがダメだって知っているのに……。
……何でだっけ。
何で私は痛みの中で、こんなに我慢してるんだっけ。
わからない分からないワカラナイ。
あぁ……もういいや。痛みに任せて、声に従って、楽になろう。
それがきっと一番心地よい。
痛くないし苦しまない。
私が辛くない一番の方法。
他人なんてどうでもいい。そもそもそんな人いたっけ?
いない。誰もいない。お兄ちゃんは死んで、大事な人も死んじゃった。
浅木さん? 彼女はいい人だけど、やっぱり違う。
……人ってのは信じられない。
だって、みんな私が異能者ってだけでいじめたんだよ? 全く意味がわかんないよ。
別に私だって異能者に生まれたかったわけじゃないのに。
だから、別にいいよね。
人を巻き込もうが、他人を傷付けようが……そ、れ、で……。
「ぐぁ……うぅう!」
壮絶な痛みに耐えかねて、炎は苦悶の声を漏らす。
唯一耐性があった彼女だけが、抗うことが出来る。人を不条理に書き換える、女王の命令に。
今度は、胸が痛くなり、炎は胸を押さえた。
いや、違う。痛いのは胸ではない。
その肉の内側、本当にそこにあるかわからない不可思議なモノ。
未だ全貌が明らかとなっていない、心と言う名の未知なるモノ。
……それじゃダメだ。
ダメだよ。悲しんじゃうよ。
誰が? 大事な人。誰? そんな人いたの?
私に? いるよ。だから誰?
それは……っ。それは……。
――ほら、答えられない。そんなモノを気にする必要はない。
あなたはひとりぼっちで、誰も味方はいないのだから、何の感慨を思い浮かべることもなく、ただ指示に従っていればいい。
「あ、ぁ、私は……くっ!!」
抗おうとしたが、抗い切れない。
自分に主導権はもはやない。あるのは眼下で立ち、月夜を見上げている小さな少女。
「あ、あ、あ」
絶対的な精神の奔流に流されそうになった炎はただ声を上げ、見開いた眼で前方を虚ろに見つめるだけだ。
ああ……ダメなのか。
結局、同じことを何度も繰り返し、またいいように操られるのか。
諦観しかかった炎の目に、映る小さな影。
炎の瞳には、焦がれた男の姿が。
神崎直樹が戦闘する様子が映し出されていた。
「あ……う……」
「く……厄介な……」
愚痴っても仕方ないのだが、それでも愚痴らずにはいられない。
直樹は苦戦していた。一対二。仲間との戦闘に。
風で空中を飛び回りながら、苦りきった顔で、相手を見つめる。
攻撃しようと転換すれば、すぐさま水が飛んでくる。
ならばと無理やり突っ込もうとすれば、雷に黒焦げにされる。
覚悟は立派だったが、それだけでは水橋と矢那のコンビネーションを斬り抜けるのは難しい。
相手を無茶苦茶に傷付けていいならばなんとかなるかもしれないが、そんな選択肢は初めからない。
せいぜい、気絶させる程度。相手への攻撃オプションが限られている今、難易度は限りなく高い。
「チクショウ……こうなったら」
直接触れ合っての対話は困難だが、小羽田の異能を使った念話なら出来るかもしれない。
だが、戦闘難易度が一気に跳ね上がる。ただでさえ戦闘で神経を使うというのに、意識を炎に割かなければならない。
しかし、状況を打破する手はそれしかない。例え難しくても、それしか方法がないならば、選択するしか道はない。
直樹は決心し、精神干渉を受けぬよう発動していた小羽田の異能を、炎に向けて使用した。
目の前の全てが、色あせて見える。
炎は目を開けながら、現実とは違う場所を見ていた。
灰色。灰一色の世界。お前は白でも黒でもない。灰色であると、言われている気がした。
「う、う、う!」
まともに悲鳴を上げることも辛くなってきた。
自分と言う存在が、とても脆いものだと実感出来る。実際、人間は強くはない。
人間の強みは適応能力にある。多様な環境、状況に苦しめられ、そのたびに変わってきた生物。
だとすれば、異能という未知なる力を前に、人は適応出来ているのだろうか。
否、出来てはいまい。もはや三十年が立つ。
異能者として急に変わった大人達の子供がごまんといる。
だというのに、人は争っている。お前は自分と違う、と言って戦っている。
人にはもう適応能力は失われているのか。いや、人ではなく……。
人が作り出した社会が、異能に適応出来ていない。
人は旧体制にしがみ付き過ぎた。常識が砕かれることを恐れた。
今まで培ってきたモノが、無残に壊されることが嫌だった。
だから、変わりに命を殺したのだ。
命よりモノの方が大事だと、思う人々がいた。
そのせいで、自分は苦しめられてきた。
別に相手のために生きろと、強制しているわけではない。
ただ、いっしょにいよう。それだけのことなのに……。
嫌なら、離れていてくれていい。怖いなら、近づかないでいい。
ただ、居場所が欲しい。異能者だからという理由で排除されたくない。
――無理、ムリ。今の人間はおバカさん。
いや、ちょっと訂正する。昔から人間っておバカさん。
常日頃から、相手を利用しようと策略を巡らせてきた。同じ生物なのに、相手を同じだと認めようとしない。
見た目が違う。思想が違う。それだけのちっぽけな理由で人は戦える。
いや……それらは適当な理由でしかない。人は人が想っている以上に動物。
【素晴らしい人間である自分が、何の理由もなしに戦うわけがない。そう、それには理由があるんだ】
そんなことを言って、理由をつけて、人は争う。争いが好きなの。
あなたもでしょ? あなたも戦いが好きだから、異能を使ってる。
戦好きには最高の環境よ、中立派は。右を見ても敵。左を向いても敵。
敵、テキ、てき! 敵の数だけ、拳を振るえる!
でも、私は理性的な人間なの。悪いのは相手なの。だから見て! 私は誰も殺してないよ!
すごい、すごいでしょ? 人を殺してないよ?
……そんな風に、心の奥底では想ってるんでしょ?
(ちが……違う……)
――別に恥ずかしいことじゃない。動物が本能に従って何が悪い?
人はみんな動物。理由なんて後付け後付け。
恋という名のセックスをして、人を守るという名目で暴力振るって、理想を志すという自己満足に浸る。
さぁ……もう楽になりなよ。何も考えないで、ただ欲望に従って。
神崎直樹が……兄が好きなんでしょ? なら、力で屈服させればいい。
そんなこと嫌? ……残念だけど、あなたの性格上、そのままでは絶対に直樹を手にすることは出来ない。
(そんな……そんなことは……)
――嘘、ウソ、うそ!
わかってるくせに。直樹はハーレムとか考えるような人間じゃない。
添い遂げられるのはひとりだけ。そして、恐らく直樹はあなた達の中から恋人を選ぶ。
で、もしあなた以外の人が選ばれたら、あなたはどうするの?
(私……私は……きっと……)
思考するまでもない。
炎は自分のことをちゃんと理解出来ていた。
もし、仲間達の誰かに先を越されて、告白する場を目撃したら。
間違いなく、自分は身を引くだろうということを。
既にわかりきっている。今更迷うまでもない。
そのはずなのに……炎の心が痛みを発する。
まだどこかで諦めたくないと思っているのだ。
異能者である自分を……何ら恐れることなく受け入れてくれた男に、恋焦がれている。
(く……ダメ……!)
炎の中の、本当の気持ちが訴え始めた。
もう、声に従っちゃえ、と。
抗ってどうするの? 絶対に不幸になるよ?
理想郷を創っても、好きな人すらいない場所に立って、あなたはどうするの?
(それは……その時になってから……)
――嘘はついちゃダメだよ。私は嘘をつかないんだよ?
わかってる。わかってるよ私。哀れな草壁炎は、えんえんと情けなくみっともなく泣いて、共感してくれる人……そんな人いたらだけど……の同情を誘う。
そして、後悔して後悔して、誰とも付き合うことなく死ぬんだよ。
だって、本質的にへタレだもの。そして怖いモノを持ってるもの。
自殺の時はどうするのかなぁ。異能は想いの力だから、もしあなたの憎しみが世界を覆うほどだったら、地球を灰と化しちゃうかもね。
アハハハッ! おかしい、おかしいね! 哀れでとてもカワイソウな末路。
神崎直樹に永遠の慟哭を与えて、自らの選択を後悔させて、大切な仲間達の絆もぶち壊して、世界の救世主どころか破壊者となって、灰になって消えちゃうんだ。
(違う……違うっ!)
――口では何とも言えるし、頭では何でも思えるよね。
私はそんなことしませーん。だって正義のヒーローだから。
……クハハッ! おかしい、おかしいよ!
あなたが正義のヒーローに憧れてたのは、お兄ちゃんに切望を向けていたのは、そうじゃない。
自分の中に真っ黒いものがあって、それが表出するのが恐ろしいから、そうやって偽りの仮面を被っていただけ。
あなたは本当は破壊者、悪魔、放火魔。
人を、物を燃やすのが大好きで大好きでたまらない。
きっとまた、燃やすよ。大事なものを。わかってる。もう、わかりきっているんだよ……。
(…………ぅ)
炎は反論を思い浮かべることすら難しくなってきていた。
ただ一言、違うといえばいいだけ。それすらも、とてつもなく大変だ。
否定が出来ない。肯定も出来ない。
あぁ……間違いなくそれは自分の本質で、そして、違うモノ。
自分であって、自分ではない。
もうわけがわからない。
しこうすら、ほうきしてしまっていいのではないか。
私はわたしとなって、なにもかんがえないまま、そのまま――。
そう炎が全てを諦めかけた時、その声は響いた。
とても、焦り切った声。それでいて、安心させる声。
――お前の取り柄は諦めないことだ! 違うか!?
頭に響く声は、いつも炎を苛ましていた。
だが、今度の声は違う。炎を苦しめようとはしていない。
人によっては逆効果なのかもしれない。しかし、炎にとってその声が与える効果は絶大だった。
燃えつきかけたか細い種火に、煌々と輝く炎が灯る――。
神崎直樹の声は、草壁炎を動かし、輝かせるに足る。
――お前は俺を変えてくれた。俺をすごいと言ってくれた。だから、頼ってくれていい。
頼ってくれていい。
その声を聞いた炎は不満すら思い浮かべた。
仲間を頼るのは別におかしくも恥ずかしくもない。
だが、頼ってくれと言われるのは何かが違う。
(……私にもプライドはあるんだよ)
自分は何をしていたのか。
炎は嘆息し、拳を握った。
急速に現実味を帯びてくる。灰の世界に色がつく。
気づくと頭痛は消えていた。胸の痛みも消えていた。
代わりに灯ったのは燃え盛る闘志。大事な人を守りたいという強き心。
それにね、と炎は想う。
もう何度も操られてきた。自分の弱さに負けそうになっていた。
でも、そろそろ愛想を尽かされてしまいそうだ。友に、仲間に、呆れられてしまう。
だから、もう自分を否定するのはやめよう。
弱くて醜いわたし。それは間違いなく私だ。
あの日学校を燃やしたのも、心ちゃんを殺そうとしたのも、直樹君に想いを告げられずにやきもきしているのも。
そして今、こうして操られようとしているのも、私なのだ。
でも、全てを受け入れて、弱さを受け止めればきっと……。
何かに迷うことなく、自分の想いを遂げることが出来るだろう。
「……くっ!?」
直樹の焦る声。
炎との念思にかまけていた直樹が、水橋と矢那に挟み撃ちにされたのだ。
目前で、直樹が倒されそうになっている。
では、どうすればいい? 答えは単純だ。
「行くよ!」
誰に言うわけでもなく、行動開始を告げる。
もはや何色に染まりはしない。人を照らす真っ赤な太陽のように純粋な赤さ。
炎は直樹を救うため、自身の異能を用いて突っ込んだ。
「……っ!?」「なに……っ!!」
水橋と矢那の狼狽が炎の耳に届く。
二人にすみませんと謝りながら、炎は火を水橋に飛ばし、矢那には蹴りを見舞った。
不意に生じる二つの爆発。水橋は弾けたバブルごと空中を舞い、矢那は纏った雷ごと地面に叩きつけられた。
「……もう迷わないし、操られもしないよ」
それは誰に向かって言った言葉だったか。
神崎兄妹に向けて言ったのかもしれない。二人の兄妹は思い思いの反応を示したからだ。
一人は歓喜の表情。仲間が戻って来てくれたという。
もう一人は、憤怒の表情。手駒をまた一つ失ったという。
「……っ!! このっ!!」
怒りに染まる成美の声は、直樹と炎に届かない。
「炎、戻ったか!」
「うん! もう、大丈夫だよ、直樹君」
二人は、抱擁すらしそうな勢いで喜びあっていた。
「くそ……」
その姿に、クイーンはさらに怒りを募らせる。
何なのだ、一体。と、成美は直樹と炎の不可思議な力に困惑していた。
「くそ……くそっ!」
有利だったはずなのに――。
そう考えた成美の脳裏を一つの予感がよぎる。
(私は……負けてしまう……?)
どんな手を使っても、勝てる気がしなかった。
きっと、このまま上手い具合に水橋も矢那もノエルも久瑠実もメンタルも……。
(……メンタル?)
そこで彼女はハッとした。
そうだ。メンタルだ。
今、彼女は心と対峙している。
もしメンタルが心を倒せば、諦めの悪い兄を諦めるしかないのでは?
それにこんなことをしている場合ではないのだ。小事に時間をかけ過ぎた。
もしかすると奴が動き出しているかもしれない。それはまずい。
早急に決着をつけなければ。
(兄……私は絶対に負けない! あなたを救うために!)
歪みきった愛を胸に、成美は動き出す。
「デバイス起動!」「デバイス起動!」
色と服装、そして手に携える銃の輝きだけが違う二人の少女はほぼ同時にデバイスを起動した。
実はこのデバイスも若干性能が違っている。
心のデバイスは旧式で、メンタルのデバイスは新型だ。
心の方は効果時間が短いが、メンタルの方は長い。
だが、その代り心の方が使用可能回数が三回と、メンタルより多い。
これはオリジナルとクローンの違いだ。
所詮心の劣化品でしかないメンタルは、その身に宿る異能も劣化している。
心に比べて再生異能が弱い彼女は、デバイスを三度使用すると行動不能になってしまうのだ。
だが――条件はそこまで悪いというわけではなさそうだ、とメンタルは不敵に笑う。
「アナタは……ここに来るまでにデバイスを一度使用した。……使用回数自体はワタシと同じ。それでいて、ワタシのデバイスの方が効果時間が長い」
夜風を切りながら、メンタルは身体強化された拳を見舞う。
警棒でも、ましてやナイフでもない。どちらも、気絶している合間に取り上げれられていた。
自分と同じ形をした、ホンモノに。
自分を生み出した元凶。自分に存在価値を創った原因。
(アナタを赦せない……許してはいけない……)
沸々と湧き起こる怒りに、メンタルは素直に従った。
どうしようもなく赦せない。ジブンが殺してきた姉妹達のためにも。
なぜか心が痛むが、それは欠陥だ。軍用クローンとしてあるまじき誤動作だ。
痛む理由がない。道理がない。
目の前の敵はジブンが殺すべき、忌々しい仇敵だ。
「あなたは……なぜ、戦うの?」
不思議なことに、オリジナルが告げてきた。
そのことにメンタルは苛立ちを隠せない。まるでどこか別のジブンが怒っているかのようだ。
そんなこと聞かれるまでもない。ジブンが戦うのは……。
「…………クッ!?」
「大丈夫?」
ジブンが攻撃していたはずなのに、相手が心配してきていた。
手に持つ拳銃を向けもせず。
油断し過ぎな状態。暗殺するに最適な状態。
だが、それはダメだという。ジブンの心が。
殺してはいけないと。傷つけてはいけないと。
「……ッ!!」
「っ!」
苦し紛れに、メンタルは引き金を引いた。
反動による人体影響を度外視した大型自動拳銃が、メンタルの身体を傷付けることも厭わず跳ね上がる。
肩に衝撃が加わった。メンタルの表情がますます陰る。
しかし、そんな自傷的銃撃も、心には届かない。
そもそも狙いがずれていた。撃ちだされた銀弾が、闇夜にきらりと煌めく。
「銃を撃てッ!!」
「……それは難しい。まだあなたが私にとって“誰”なのか、はっきりとしていない」
「ふざけるな、ふざけるな! ワタシはアナタの敵! アナタのせいで生み出されたニセモノ!」
メンタルは心に怒っていた。
銃を握っているのに、人殺しの道具を握っているのに、それを相手に使おうとしない。
とんだ腑抜け。暗殺者失格。だというのに。
強固な意志がその身に宿っている。全てを忘れてなお、かつて備わっていた輝きが、暗殺少女を狭間心としている。
間違っているのがジブンであるかのような錯覚さえ覚える。
いや、それは本当に錯覚か?
――あなたまでそんなことを言う!
「う……! グ……ァア!」
何者かに干渉され、メンタルが悲鳴を上げた。
急激に体感速度が落ちる。デバイス効果が切れたのだ。
つまり、思考をしている合間に、下らぬことを考えている間に、暗殺のチャンスを逃したということだ。
有り得ないジブン自身に、メンタルが驚愕する。
オカシイオカシイ。アリエナイ。
ワタシの存在意義は、狭間心を殺すこと。それ以外存在しない。
「……本当に、そう?」
脳内で考えていたとばかり思っていたが、いつの間にか口に出ていたらしい。
メンタルの存在意義に、心が疑問を呈した。
敵に聞かれる、ジブンの存在理由。
メンタルは叫ぶように肯定した。
「そうだッ! それがワタシの生まれた、創られた理由だッ!」
勢いよく叫ばれたメンタルの言葉。
しかし、即座に否定されてしまう。オリジナルによって。
「本当に?」
心が、メンタルが拳銃を持っていたことを忘れたかのように、無防備に近づいてくる。
その事実に、なぜかメンタルの心が震えた。来ないでくれ、と胸中が恐怖に包まれる。
(恐怖……? 有り得ない! 何が恐いの? むしろチャンスのはず……)
と思うメンタルだが、自信がない。ジブンの考えが正しいのかわからなくなってくる。
頭にある知識はメンタルの思考が正しいと言ってくれている。
しかし、心は違うのだ。メンタルの精神は、心と同意見だった。
本当に、そう? と、メンタル自身に語りかけてくる。
(そうだって言ってる……ッ!!)
お願い、否定しないで。
メンタルはジブンの心に懇願していた。
本当に自分がジブンであるのかわからなくなってしまうから、精神だけはワタシを肯定して。
だが、メンタルの願いも虚しく、心と精神は疑問を口にし続ける。
「あなたはワタシのニセモノなんかじゃない。あなたという個人」
「……何を言って! この顔が、身体が、声が! ワタシがアナタのニセモノであるという証拠!」
これ以上にない根拠を突きつけて、しかしメンタルの顔は自信なさげだった。
同じ顔をしたもうひとりの少女が、自信に満ち溢れた顔で首を横に振り、自分の胸を叩く。
「……でも、私のここが違うって言ってる」
「……胸? まさか……ジブンの心がとか言うんじゃ」
「そのまさか、よ」
とうとう、心はメンタルに手を伸ばせば届く位置までたどり着いた。
暗殺対象が、一瞬で惨死体に出来る距離にいる。
だというのに……メンタルの指が、トリガーにかかっているはずの人差し指が、微動だにしない。
(何が……そんなはずは……。ジブンの脳みそより敵の心を信じようとしている……?)
指は動かないくせに、右手は震えだした。
早くその銃を仕舞えと警告しているかのように。
「く……止まれ」
「……やっぱり」
「そのわかったような顔はなに! ……止まれトマレとまれ!」
いくら叫んでも震えは止まらない。
何だ? 何なのだ、これは。
重大な欠陥。深刻なエラー。
どうしようもなく止まらない。
震えが痛みが、そして。
「……ッ」
涙が。
頬を伝う感覚で、メンタルはジブンが涙を流していることに気付いた。
これで二度目。そう、何かが告げている。
前に立つのはホンモノだ。ジブンのオリジナルという意味ではない。
ホンモノの姉なのだ。ジブンを思いやってくれる、我儘を聞いてくれる理想の家族だと。
「……チガウチガウ」
何に向かって言ってるのかさえ、定かではない。
暗殺対象に言っているのか。ジブンの心に言っているのか。
理解が追い付かない。思考と思想が一致しない。
矛盾している。
そこでメンタルははっとした。
(矛盾……矛盾してこその……)
人間だ。とジブンが言っていたことを思い出した。
そうだ。なぜジブンはそんなことを思えた? なぜそんなことを考えられるアタリマエを手に入れた?
いや、結論は出ている。その理由、その原因は間違いなく――。
「ッ! う! アアアア!」
答えを手にしたと思った瞬間、頭の割れそうな痛みがメンタルを襲った。
セーフティを外したままの、撃鉄が下りている拳銃を無造作に振り回す。
二度ほど、轟音が唸った。同時に血しぶき。
メンタルは誤ってジブンの左肩を撃ち抜いていた。
「あなた……!!」
「く……ヤメロォ! ワタシを混乱させるなァ!」
叫ぶ。吠える。唸る。
だがどれだけ口を動かしても、如何なことを想おうとも、ノイズは止まらない。
何だ何が悪いんだ。
ワタシかオマエか他のダレカか。
正常な判断は不可能。
なぜジブンがここにいるのかすらメンタルは怪しくなってきた。
クルシイ。ただクルシイ。
このクルシサから脱したい。
ならばどうすればいい? ああ……考えるまでもなかった。
その答えは既に……この手にあるではないか。
「メンタルッ!!」
心が手を伸ばす。メンタルが拳銃をジブンの側頭部へ突きつける。
引き金にかかる指が動く。心の叫びなど無視して動く。
チャンバー内に装填されていた対異能弾が無慈悲に射出される。
響く悲鳴。轟く銃声。
鮮血が、姉妹に降り注ぐ。
遠目から見ていたが、なかなか観賞というのも悪くない。
鉄塔の塀に座り込んでいた男は、二つの場所を交互に見ながら呟いた。
「でもやっぱ退屈だよな……」
物語を見るのはなかなか面白いことではある。
だが、時折どうしようもなくつまらなくなるのだ。
思った通りの展開にならなかった時だとか。
作者の都合など、制作側のメッセージなど、知ったことではない。
俺が見たい物語を演出しやがれ。そう思わずにはいられない。
例えば……今目の前で起こっている茶番。
戦いを行っているのに、どちらも相手を殺そうとしていない。
むしろ相手を救おうとしている。
寒気がする。背筋が凍る。これほどつまらない駄作も珍しい。
「人は人を殺してなんぼだろ。……お前らが殺さないって言うなら――」
男は邪悪な笑みを再び浮かべひとりの男を見つめながら言った。
「俺が殺して……壊してやるよ」




