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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第一章 異能殺し
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捕縛

「ほらほら、早くしないと遅刻しちゃうよ!」

「あ、ああ……大丈夫だ」

 

 直樹は驚きつつも制服に袖を通し鞄を取る。信じられなかった。いや、まだ夢なんじゃないかと思ってさえいる。

 憔悴していた炎はどこへやら、いつも通りの彼女である。しばらく学校には来ないと思っていた直樹の予測は外れていた。


「今日は体育、体育だよ? 楽しみだ~」

「…………」

 

 訂正しよう。炎はいつも通りではない。直樹はそう実感した。


「ねえ、今日は何かな? 野球? サッカー? テニスかな? マラソンだったらやだなぁ。直樹君は何が好きだったんだっけ? ……直樹君?」

 

 炎は直樹に一歩近づく。だいぶ距離が近い。いつもなら直樹はどきどきするのだが、今日は違った。


「無理……してるよな」

「え? やだなぁ、直樹君。無理なんかしてないよ~」

 

 あはは、と炎は笑う。乾いた笑いだった。


「……本当に、大丈夫だから」

「炎……」

 

 炎の顔が陰る。無理をしているに決まっているのだ。念力男と戦った時とは訳が違う。


「もう、直樹君! 昨日達也さんに慰めてもらったから無問題だよ!」

 

 炎はバシン、と直樹の背中を叩いた。直樹がうっと唸る。

 仮に無理をして強がっていたとしても、普段通りに接するべきだ。そう判断した直樹だったが、少し引っ掛かる部分があった。


「達也さんに慰めてもらった……?」

 

 なぜだろうか、穏やかでない気がするのだ。言葉としておかしな部分はないものの、どこかいかがわしい雰囲気を感じる。


「うん。一杯慰めてもらったから、元気いっぱいだよ」

「一杯慰めてもらった……。なぁ、一つ訊きたいんだが」

「なにかな?」

 

 炎はきょとんと首を傾げる。


「変なことはされてないよな?」

 

 達也【二十代後半】が炎【十七歳】を慰める。警察官とはいえもしや……。


「変なこと?」

 

 炎はピンと来ていないようだ。当然だ。きっとこれは俺がどこか汚れているからなのだろうと、直樹は安堵しかかったが、ようやく言葉の意味が分かった炎が慌てだした。


「わわわわ! 直樹君、何てことを言うの!」

 

 顔を真っ赤に染めてあわあわとする炎。ほんのり香る香ばしい臭いは気のせいだと信じたい。

 だが、やはり気のせいではなかった。炎の頭頂部は発火しかかっている。

 直樹は最近常用し始めていた小型の水鉄砲を炎へと吹きかけた。


「わぁ! やめてぇ! 水は苦手なのに!!」

「なら、その火を止めてくれ!」

 

 切実なる直樹の願いが通じたのか、子ども用の水鉄砲のおかげなのか、無事炎の頭から火が消える。


「ひどいよ直樹君……」

「俺はもっとひどい目に……あ」

 

 直樹は気が付いた。炎の制服がびしょ濡れになっていることに。火を消す事に夢中で制服に水がかかっていることに気が回らなかった。

 唯一の救い――残念ともいえるが――はまだ春先なので夏服ではなかったということだ。


「え? ……あ」

 

 炎は直樹の視線を辿り、自分の状況に気付いた。顔を真っ赤にさせてわなわなと震えだす。


「直樹君……? もしかして」

「いや、待ってくれ。わざとじゃないんだ、事故なんだよ。事故ってのはどう気を付けても起きてしまうものだろ? な?」

 

 人間である限り、失敗はある。事故を起こしてしまうのもある意味仕方のない事かもしれない。

 しかし、客観的に見て、今の言葉は言い訳にもならない。案の定、炎は拳を振り上げた。


「直樹君!」

「ま、待て!」

 

 炎が右手を直樹へと振り下ろす。が、その拳が直樹にヒットすることはなかった。

 やあ、と二人に声がかかった為だ。


「え?」

「君達、ここら辺の人だよね。私は道に迷ってしまったんだよ」

 

 青髪に水玉模様のシャツを着ている女性が歩いてくる。どこか不敵な笑みを浮かべながら。


「えっと、どこに向かうつもりですか? 良ければ道案内しますけど」

 

 炎は女性と向き合い礼儀正しく応答した。道を教えるではなく道案内をするというのが彼女らしい。


「流石にそこまでお世話になるわけにはいかない。帝聖高校を知ってるかな?」

 

 女性が口にしたのは二人は通う高校だ。炎は私が通っている学校です、と元気よく答えた。


「そうか、それは助かる。じゃあお言葉に甘えて、道案内をお願いするとしようか。今から学校に行くんだろう?」

 

 女性は二人が向かう高校だと知り、道案内を頼んでくる。炎は即答ではいと返事をした。


「じゃあ、向かいましょうー。そんなに遠くないですよ」

 

 炎がずんずん先に進む。女性は炎について行こうとして直樹を振り返り一言、


「水鉄砲か……いい趣味をしているな、少年」

「は、はぁ……」

 

 直樹としては何とも言えない気分になる。100円ショップで買った子供用の水鉄砲のどこがいいのだろうか。


「直樹君、早く!」

「ああ、今行く!」

 

 二人が先に進んでしまったので、直樹は走って追いかけた。


「へえ、君は転校生なのか」

「はい。先日転校してきたばかりで……」

 

 二人の会話が聞こえてくる。炎は初対面の女性とすぐ打ち解けていた。

 直樹から見て、いつもと変わらない炎。だが、心が学校に来るようになればどうなってしまうのだろうか。

 直樹の心は不安で一杯だ。だが、不安と向き合うことも必要なのだ。情けない自分は見たくない。


「実はある人物に恋をしていてね」

 

 思考に耽っていた直樹は女性の話が気になり足を速めた。


「恋ですか、素敵ですね!」

 

 炎が愛想よく笑う。女性はその反応を見て、満足げに話を続けた。


「だがな、その人はとてもシャイで、全く見つけられないんだ。声を掛けようと探しても隠れるのがとても得意でね、やっと手がかりを見つけた頃には忽然と姿を消してしまう」

「へぇ……恥ずかしがり屋さんなのかな」

 

 炎は思ったことを口にし、全くだ、と女性が同意する。

 だが、直樹は違和感を感じた。具体的に言葉には出せないが……怪しい気がする。


「もしかして帝聖高校に通っているんですか?」

 

 思い切って尋ねてみた直樹に、女性はああ、と頷いた。


「やっと見つけたんだよ、愛しい想い人を。ずっと探してきたんだ……。一年、私は一年も待ったのだよ……」

(一年……? 似たようなことを聞いたような……)

 

 直樹は頭をフル回転させる。どこだ、どこで聞いた。誰に聞いたんだ?


「だがね、そう簡単に釣ることは出来ないんだ。魚を釣る時にエサが必要みたいに、私の想い人もおびき寄せる為のエサが必要なのだよ。あそこかな?」

 

 帝聖高校を指さして、女性が訊く。炎はそうです、と答えた。


「そうか、では……む?」

 

 女性は懐から何か取り出そうとしたが、校門前に立つ人影を見て止める。

 直樹が視線を移すと、スーツ姿でメガネを掛けた男性が立っていた。初めて見る人だ。


「どうかしました?」

 

 炎が立ち止まった女性を不思議そうに見つめる。女性はいや、と言って踵を返した。


「道案内ありがとう。私は失礼するよ」

 

 女性が去って行く。炎はきょとんとした。


「あれ? 用事があるんじゃあ……」

「場所知りたいだけだったんだろ。あまりゆっくりしてると遅刻するぞ」

 

 直樹が校舎に取り付けられている時計を見上げる。うかうかしていると朝のホームルームに間に合わなくなりそうだ。


「う、うん」

 

 直樹と炎は小走りで校門へと向かう。メガネの男性がちらりと一瞥してきた気がしたが、そのまま下駄箱へと走った。


「ふう、間に合いそうだね!」

「ああ……あ」

 

 直樹はシューズを取り出しながら炎を見て、思わず彼女を二度見する。

 炎は先程水鉄砲で濡らしたまま、ずっとびしょ濡れだった。

 ナチュラルに女性と会話していたのですっかり忘れていたのだ。


「どうしたの……って、ああ!」

 

 炎が自分の制服を再確認する。結局、二人は遅刻することとなった。


 

 炎は加減調整をしながら、自分の制服を乾かしている。燃やさないように調整するのが難しいらしくえらく時間がかかってしまった。


「結局遅刻だ……」

「直樹君のせいだからね!」

「いや……お前が火を噴かなきゃなあ……」

 

 会話しながら、教室のドアを開く。突然開いたドアに教室中の視線が集まる。

 その視線を受け流しながら席に着く瞬間、直樹は信じられないものを見た。


(心……! 嘘だろ!?)

 

 昨日、血まみれになっていたはずの少女が、席についている。あの重傷から動けたことでも奇跡なのに、あろうことか彼女には傷一つない。

 どうなってんだ? と疑問視する直樹に心はちら、と振り返っただけで、すぐ黒板へと向いた。


「何で……心ちゃんが……」

 

 炎のか細い声が隣から聞こえる。直樹が見ると、炎は蒼白とした表情になっていた。

 ゴクリ、と唾を飲み込む。直樹の背中に嫌な汗が流れ落ちる。

 よもやここで一戦交えるということはないだろうが——。


「お二人さん、遅刻の理由を教えてもらえるかな?」

 

 教卓から声を掛けられてはっとなった直樹は、黒板へと目を向ける。

 教卓に立っていたのはいつもの担任ではなく見覚えのない男性だった。校門ですれ違った男だ。


「えっと……」

「僕がさっき校門にいた時、君達二人はいっしょに通ったよね。ホームルーム直前とはいえ、まだ多少の余裕はあったはずだ。でも、君達は仲良く遅刻した。なぜかな?」

 

 炎が制服を異能で乾かしていたからです、とは言えない。どうするかと炎を見たが、彼女はずっと固まっていた。

 適当に嘘を吐くか。直樹は口を開こうとしたが、


「そいつら二人付き合ってるんですよ。どうせ変な事してたに決まってます」

 

 悪友の智雄に遮られた。


「付き合ってねえって言ってんだろ!」

 

 くそ、空気が読めない奴め!

 直樹は智雄を睨んだ。常時ならばむかつくものの冗談で済むが、今はシャレにならない。

 以前、真っ赤になって否定していた炎も無反応だった。聞こえていないようだ。


「ふー、言いたくない? 僕は今日赴任してきたばかりでね、揉め事は起こしたくないんだが」

「あ、いえ……。実はこいつ、今朝から調子悪いんです。無理して来たんですけど、やっぱダメみたいで……。早退させてやりたいんですが……」

「おや、そういうことは早く言おうか。保健室に連れて行ってあげてくれ。君達は仲がいいみたいだしね」

 

 男性はほら、どうぞと直樹を促した。蒼白としている炎を立ち上がらせて、教室を出る。

 出る前に教室を見回すと、心が二人を見ていたがすぐにそっぽを向いた。


「行くぞ、炎」

 

 教室のドアを開け、保健室へと歩き出した。

 男性が二人を興味深そうに眺めていたことに直樹も炎も気づく事はなかった。



「心ちゃん……どうする気なの……」

 

 炎は茫然と呟く。気づくと、早退することになっていた。

 直樹が保健の先生に事情を話すと先生はすぐ承知してくれた。

 先生は異能者に対して理解ある人間だったらしい。

 炎は今校庭を歩いている。これから帰宅するのだ。

 誰も待つことのない家に。


「……っ」

 

 もう慣れたはずのその事実も、今の炎には深く突き刺さる。

 兄が死んだのは、五年前になる。両親は早死にしていた炎にとって、ちゃんとした家族というのは兄だけだった。


(お兄ちゃん)

 

 炎にとって兄は理想であり、希望だった。

 しかし、兄は死んだ。なぜ死んだのかはよく分からない。

 事故死だったのか人為的なものだったのか定かではない。

 振り返ってはいけない。気にしてはダメだ。

 達也に言われた言葉を思い出せ。前を向くんだ草壁炎。


(うん……心ちゃんをどうにか説得しないと)

 

 話し合えばきっとわかってくれる。そう信じよう。

 気を取り直した炎が校庭に差しかかったその時、声を掛けられた。

 聞き覚えがある声。今朝道案内した女性が校門に寄り掛かっている。


「やあ、また会ったね」

「あなたは……戻ってきたんですか?」

「ああ。フィッシングスポットを逃すのは惜しい。それにエサはたった一つしかない。慎重に吟味したエサだ。別のを探すとなると手間がかかる」

「エサ……何のことです……か」

 

 普段の炎ならばともかく、精神的に落ち込んでいる今の炎に抗う術はなかった。

 女性は素早い動きで、ポケットから取り出した注射器を炎の首筋へ突き刺している。


「こういうことさ。草壁炎君」

「……ぁ……」

 

 炎の意識は暗闇に包まれた。




「よし、エサを確保した。後は本命が現れるのを待つ……」

 

 ふ、と悦に浸る女性は笑う。

 こちらから情報を流す必要はない。気付いているはずだ、愛しい想い人は。


「さて……警察署はどこかな」

 

 女性は携帯を取り出してマップを開き、目的地に向けて歩き始めた。


 

 

 心は決定的瞬間を目撃し、はっとして直樹を振り返ったが、直樹は教科書を見てるだけだ。

 授業中なので当然なのだが、相棒が誘拐されたかもしれないのに随分ドライな反応だ。


(気付いていない……ということはないはず)

 

 と思うものの、今までの直樹たちを考えると有り得ないとも言い切れない。


(関係ない……二人は敵)

 

 いたではないか、あの現場に。異能省のエージェント以外で、なぜあの場所にいたというのか。

 一度目ならば偶然で肩がついた。だが、二度目はない。

 明確な意思を持ってあの場所にいたのだ。恐らく自分を捕らえる為に。

 本当に?

 心は自問する。まさかとは思う。有り得ないと思う。

 しかし、可能性がないわけではないのだ。

 自分を殺しに来たのではなくその逆で……。


(考えられない。そのような人間はもういない。今の社会は腐敗している、善人より悪人の方が多い)

 

 頭を振る。そのような考えは捨てろ。

 だが、心のどこかで……自分を助けに来たかはさておき、二人は悪人であって欲しくないという気持ちが強いというのも事実だ。

 ポケットの中に手を伸ばし、携帯を取り出す。机の影であるアプリを起動させた。

 監視ネットワークにアクセスするショートカットアプリだ。見ると、草壁炎は青い髪の女性に連れてかれている。


(この女……確かデータベースに)

「授業中に携帯をいじるのは関心しないな」

 

 心の思考は中断させられた。教師に注意されたからだ。

 携帯を隠し、心が顔を上げると、メガネを掛けたスーツの男が机の前に立っている。

 確か名前は菅原と言ったはずだ。


「僕は今日来たばかりだから、君達とはまだ距離が遠い。だから、少し実のある話をしてあげよう」

 

 メガネをくい、と上げて菅原は話し始めた。


「今の彼女……狭間君だったかな。携帯を机の下に隠して操作する。これはやる方はばれないつもりなんだろうが、実は簡単に分かる。注意されないと思っている諸君、それは違う。注意しないだけだ。こっそり成績が下がっている場合もあるから、気をつけたまえ。僕はなるべく注意する方向にするけどね、あまりにもひどい場合だと……。これ以上は秘密かな」

 

 ええー、とクラスメイトが声を上げる。菅原は若い先生なので、生徒は親近感を持って接しやすい。


「君も注意したまえ……。ばれていないと思っているのは自分だけ……ということはよくあることだからね」

「……ご忠告、どうも」

 

 メガネに光が反射して、菅原の瞳はよく見えなかった。



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