チェックメイト
沸々と何かが湧き起こる感覚。
どうしようもない現実を前に、如何なものが湧き上がる?
激情か? 悲哀か?
否、そのどちらでもない。
ただ直樹の中を巡ったのは、なぜこうなってしまうのかという疑問だけ。
人と人はなぜこうも争う?
口があり、話せる言葉があるのに、どうして銃を向け合い争ってしまうのか。
そんなに血が見たいのか? 人が苦しむさまを見たいのか?
「小羽田……」
呟かれる女の名は、別に恋慕を寄せていた相手でもない。
ただの友人であり、仲間。神崎直樹が大事な人と定義する人間の中のひとりだった。
大事な人に、優劣はない。
今、眼下にいる仲間達も、直樹の帰りを待っているであろう心も、家に帰っているはずの両親も。
妹である成美も、そして、まだ出会ったことがない人達や、街にいる見知った者達でさえ、大事な人達だ。
人が死ねば、悲しい。人が傷つけば、哀しい。
敵対する敵でさえ、どうにかして戦わないで済まないかと、模索せずにはいられない。
だが――如何に戦いたくないと心から叫んでも、どうしようもない時がある。
大事な人々が傷付けられ虐げられれば、直樹は躊躇なく拳を握る。
例え、仲間であっても。
殺すことがないよう細心の注意を払いながら、借り受けた異能を用いその手を振り上げる。
――小羽田が死ぬ。いや、もはや死んでいる?
ダメだ。考えるな。今は彼女を早急に救い出し、病院に連れて行くことだけを優先しろ!
心が紡いだ声に、直樹が応えた。
圧倒的加速。夜空に煌めく一筋の流星。
火と風を融合さえ、凄まじい爆発力を加速に利用し、炎の弾丸のように一直線に向かう。
「なっ!?」「速い!?」
下で水鉄砲を構えていた水橋と矢那の狼狽する声が聞こえたが、直樹に構う余裕はない。
今優先すべき事柄はたった一つ。小羽田を救うこと。それ以外に何もない。
クイーンを撃破することさえ、二の次だった。無論、障害となれば全力で戦闘不能にする。
味方の生死がかかっているこの状況でなお、異常すら感じさせるレベルで直樹は不殺を貫いた。
主義主張も理由であるが、一つ予感があったからだ。
もし、自分が人を殺してしまった場合、この身に宿った全ての力が失われると。
「小羽田!」
勢いだけを優先し、あまりの加速力に息が苦しくなる。
だが、気にする暇はない。ただひたすら急ぐ。必要があるから、急ぐ。
「待てっ!!」
はっとして後ろを振り向くと、自分に追従して迫る赤い太陽。
炎が、直樹に引けを取らぬ加速力で追いすがっている。
「止まりなさい! このっ!!」
「くっ……炎!」
炎が翳した右手から、小さな炎が生じた。
最低威力の火球だ。直樹の動きを押さえるためのものだろう。
しかし、避けてる時間さえ惜しい。故に――。
直樹は回避行動を取らず、防御の構えすら行わず、まともに後ろから火球を受けた。
「ぐっ……うぅ……」
「な、何で……」
撃ち放った当人である炎でさえも、その姿を見て瞠目する。
てっきり避けられるものだと思っていた。回避を前提とした戦略を立てていた。
だというのに――目の前の男はむざむざ喰らったのだ。
最低限の威力だとわかっていた? だとしても解せない点がある。
いくら弱火力だとはいえ、そのダメージは痛くそして動きを鈍らせるに足る。
だというのに、男は移動速度を落とすことなくびっくりするほどがむしゃらに飛行続けている。
何がこの男を駆り立てる?
炎は疑問を感じた。……感じて、しまった。
――それはね、直樹君は人を放っておけないからだよ。
「っ!? な、何が!? ううっ!?」
炎がノエルと同じように、制約を破った罰を受け始めた。頭を押さえて動けなくなる。
急に失速した仲間に、直樹は一瞬だけ注意を払ったが、すぐさま流れ星のように進行する。
目的地はもう目の前。黒い屋根に、白い壁。
二階建ての何の変哲もない、思い出の詰まっている民家。
自分の家へと、直樹は飛ぶ。
「く……仕方ない!」
もはや玄関から入る余裕はない。
両親に怒られるだけでは済まないが、人命がかかっている。
ならば……窓、いや壁をぶち破るのも致し方のないことだ。
きっと両親もわかってくれる。
そう願いながら、直樹はそのまま突貫した。
「うおおおっ!」
気合の掛け声と、壁が打ち破られる轟音が響く。
粉砕された壁の内側には、血濡れた小羽田と、拳銃を携えているメンタル。
そして、驚愕に目を見開く妹……神崎成美が立っていた。
「あ……兄」
茫然と呟かれる自分を呼ぶ声。
しかし、直樹はまずメンタルの武装解除を行った。
「悪い!」
「……ッ!? く! ……ぁ」
間髪入れずに撃とうとしたメンタルに直樹が急接近。
暗黒郷を取り上げ、腹部に気絶するほどの打撃を見舞う……。
メンタルは一瞬で気を失い、その身を直樹に預けることになった。
「……くっ。小羽田……成美……」
床に伏す成美を見つめ、傍に立つ妹を見つめ、直樹は困惑し当惑する。
状況を鑑みるに妹が何かしら関わっていた可能性は明白。わざわざ小羽田が無関係な人間といるとは思えないからだ。
だとしても、直樹の心はかき乱される。
ずっと、いっしょだったはずの妹。それが世界を裏から操っていた黒幕で、心の家族を殺し、炎の兄を殺させた?
にわかには信じられない。というよりも信じたくない、という思いの方が勝っていた。
「……どうして兄がここに。いや……その子を傷付けたのが失策だったわね」
成美は納得した風に呟いた。
そのことも、直樹の心に衝撃を与える。だが、彼に妹からショックを受けている時間はない。
慌てて小羽田を抱きかかえる。血がたっぷり溢れているが、まだ息はある。
幸か不幸か、急所は外れているようだった。
「急がないと……!」
「……待ちなさい、兄。その子の生死はどうでもいいけど、今更逃がすわけにはいかない」
再び飛び立とうとした直樹の前に、成美が立ち塞がる。
いや、彼女だけではない。見ると彼女の後方、星が煌めく上空に、仲間達が浮かんでいる。
まさに絶体絶命。そうこうしている間にも、小羽田の生気は急速に失われていく。
(……全員無視して……いや……俺一人なら可能だが……)
小羽田を運んで飛ぶには危険過ぎた。
直樹自身は傷付いても構わない。しかし、小羽田に命中してしまえば、そこで終わりである。
そう、全てが終わる。もしこのまま小羽田を死なせてしまえば、直樹は間違いなく折れるだろう。
新垣達也の時とは違う。今の彼には人を救えるだけの力がある。
そんな状態で小羽田を死なせてしまえば、どうなるかは火を見るより明らかだ。
「くそ……!」
やはり自分ひとりだけでは無理なのか?
そう直樹が悲観に暮れた時、その銃光は瞬いた。
フルオート射撃による銃撃。銃声と共に暗がりに白銀が輝く。
何事かと敵が下方を見下ろす。直樹を止めていた成美でさえも。
しかし、直樹には銃を撃った人物が何者か、とても良くわかっていた。
街灯と街灯の間、三日月が淡く光を浴びせる薄暗に、きらりと輝く理想の色。
その輝きは美しく、視る者に希望を与え、同時に絶望を与える光輝。
その銃を携えるは、理想を失い忘却し、そして新たな目的を手に動き出した少女。
狭間心が、そこにいた。
「デバイス――起動!!」
撃ち切った弾倉を投げ捨て、リロードを行いながら、呪文のように起動コードを紡ぐ。
呆けていた敵が一斉に動き出す。心も動く。相手よりずっと早く。
近距離にいた水橋が水鉄砲を取り出し、それに呼応して矢那が雷撃を発動させる。
「倒れろ!」「終わりっ!」
水と雷の合わせ技。だが、放たれた先にはもう心はいない。
シャキン! という展開音。伸縮式警棒が跳躍する心の中で伸び煌めく。
やったか!? と勝利を確信していた水橋と矢那の表情を一気に驚愕のそれへと変化させる。
まず、矢那を心が警棒で打ち払った。きゃ! という短い悲鳴の後、矢那はアスファルトへと叩きつけられる。
次に、水橋。だが、バブルに包まれた彼女は、驚異的な防御力に身を守られ、警棒での打撃は効き目がないと思われた。
故に、心は躊躇いもなく格闘武器を投げ捨てる。もちろん、無駄にはしない。炎への牽制として投擲する。
まだ彼女には獲物がある。空中で左袖からナイフを取り出し、再び投げる。
水橋を守る泡――。その上部に。
ザシャッ! という音がしたが、物理法則ではなく異能法則で動くその泡は僅かに刃先の侵入を許しただけでびくともしない。
だが、その状態すら心の想定内だった。
「なっ何!?」
水橋の驚き。それも至極当然。
心はそのナイフの柄を足場とした。まんまと再跳躍のためと踏み場とされた水橋は、即座に迎撃しようとする。
だが、今の心には身体強化が働いている。ただの少女を、普段通りのジャンプで5mは軽く跳べるようにしてしまうほどの。
その脚力で押し出されたナイフは、いとも容易くバブルを崩壊させ、浮かんでられなくなった水橋が落下する。
「私を――踏み台にしただと!?」
水橋が落ちながら悔しがる。だが、心は耳を傾けることなく最後の目標を注視する。
赤い髪、赤い瞳。
なぜか惹かれてしまう。自分の身体がその子は大事な存在だと語りかける。
それを言うならば、目下に倒れる者達もそうだった。
戦わねばならないのに、心のこころは拒絶してくる。
(……いや、今は!)
辿りつかなければならない。自分の記憶の、水先案内人となるはずの男の元に。
「邪魔しないで!」
「それはこっちのセリフだよ!」
かつて想いを共有していた少女達が、月光を背に交差する。
どちらもが、胸に抱いていたはずの思い出を忘却している。
言わば、赤の他人である。既視感があるだけの見知らぬ人。
そう考えれば、お互いがお互いを躊躇なく攻撃することが出来るはず。
しかし……。
(やり辛い……!!)
月明かりを黄金に反射させている拳銃も、紅蓮に染まっているはずの拳も、攻撃出来る態勢のまま何を行うわけでもない。
空中に舞う、黒と赤の少女。
たった一瞬であるはずなのに、ゆっくりと時間が流れる。
撃ってしまっていいのか。殴ってしまっていいのか。
理性はそれで良しと許可するが、感情はそれはダメと許諾しない。
頭がイエスと言っているのに、心がノーを突きつける。
あべこべな身体に、心という未知なるモノに、自分という存在がどうにかなってしまいそうだった。
故に……二人の時が動き出す。自己崩壊を防ぐため、やるべきことを成す。
「く……くっ!!」「は……はっ!!」
苦悶の声を漏らしながら、両者が攻撃を行う。
拳を顔に見舞う。銃床を頭部に叩きつける。
だが、どうも身に入らない。力が籠められない。
打撃を行っているのに、殴る相手を案じて、気づくと二人は泣いていた。
傷付けてはならない。しかし、傷付けなければならない。
出来るか。出来ないよ。
そう言ったのはどちらが先だったか。あるいは同時だったのかもしれない。
二人の少女は……理想を共にし、恋愛対象すら同じ人を想っていた少女達は。
全く同時に、戦意を放棄した。
だって、仕方ないではないか。両者は想う。
だって、だって、だって。
「炎は!!」「心ちゃんは!!」
瞬間、両者の中を記憶が駆け巡る。
片方は鍵が開いたというべきか。もう片方は突如有り得ないはずのものを見せられたというべきか。
片方は全てを思い出し、片方はありもしないはずの記憶に苦悩する。
「今のは……っ!?」「こ、心ちゃん……!? どうして……」
頭を押さえる心を前にして、正気を取り戻した炎ははっとした。
なぜこうなったはわからない。どうしてこうしているかもわからない。
ただ、彼女を送り届けねばならない、ということだけはわかる。
「えいっ!!」「う!?」
故に、炎は親友の背中を押した。自分が恋している男の元に。
一瞬だけ、刺すような痛みが胸に突き刺さる。だが、それよりも。
また親友と戦える。共に理想郷へと歩める喜びの方が勝っていた。
「な――!?」
「頑張って!!」
そう叫び、邪魔をしようとする不届き者を見据える。
仲間。だが、如何に友人と言えど無粋な真似は許さない。
「あなた達の相手は私だよ!」
炎はそう宣言し、拳を握った。その瞳は、炎のように燃えていた。
心は自分の中を巡った情景が何か考える間もなく、直樹と成美、瀕死の小羽田と妹がいる場所へと辿り着いた。
二転三転する状況に、歯ぎしりするクイーンと、ホッとしたようなそれでいて自分の身を案じるような顔をする直樹。
気絶している白パーカーと、真っ赤に染まる小羽田を目視した彼女は、
「動かないで……クイーン。チェックメイト」
と、理想郷を構え、かつての彼女のように向けた。
その瞳には、理想に燃えていた時の暗殺少女と、何ら相違なかった。




