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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第五章 女王
85/129

小羽田の過去

「ここです。入って」

「え……いやここって……」


 家の前に立ち止まった直樹の困惑は、表情から簡単に読み取れた。

 それもそのはず。今いる場所は心の隠れ家である。

 地雷トラップがたっぷりと仕掛けられ、感電式ノブがついたドアが、侵入者を阻んでいる。

 小羽田は悠々と余裕綽々にトラップを解除し、電撃を喰らうことなくドアを開けた。


「早く。一目についたらまずいですよ」

「……いや、ここに隠れちゃまずいだろ……」


 しかし、直樹の声に小羽田は聞く耳を持たない。さっさと入れ、と手招きで促してくるばかりだ。

 直樹はしぶしぶ家に入った。

 家主はまだ病院にいて、居候は街の中を駆けずり回っているんだと信じて。


「どこに何があるかはわかるでしょう? とりあえず人が寝静まるまで待ちます」

「……夜までここにいる気か?」


 畳に腰を下ろしながら、直樹が訊いた。

 時刻は夕刻である。夏ももうすぐなので、日差しはまだまだ高い。

 つまり、小羽田は5~6時間ここにいるつもりなのである。

 直樹にはそんな長時間ここに隠れていられるとは思えなかった。

 正直、いつ見つかってもおかしくはない。ここは彩香とメンタル、ノエルが住んでいる家だ。


「大丈夫、大丈夫です。まず問題なのは彩香……あの汚らわしい腐女子です。……まぁ、アミカブルで除染したので多少は綺麗になりましたが」

「……」

「おっと、軽口禁止ですか? まぁ、とにかく、透視異能から逃れられる場所というのは限られています」

「……だったら」

「灯台下暗し、ですよ」


 小羽田がクスリと笑って言う。


「まさか自分の拠点に……敵が隠れているなんて考えはしないでしょう。あのバカな腐れなら特に。あの女の透視異能は文字通り世界を視渡せます。が、逆に言えば色々と視え過ぎる。下手をすれば人間全員が人体模型みたいに視えちゃいます。……そうですよね?」

「ああ。練習の時だいぶ苦労したよ……」


 直樹は彩香の異能を使いこなす為の練習を思い出し、辟易した。

 とにかくピント合わせが大変なのだ。失敗すれば他人の過去を覗くはめになるし、彩香が危惧していたように、堂々と下着を覗くことになる。

 そんな変態チックな所業を直樹は犯す気はなかったし、今はそれどころではないが。


「そんな彼女は街の隠れそうな場所を視たり、隣町に逃げてないか確認したりと手一杯なはずです。透視異能なんて大層なものを持ちながら想像以上に役に立ちませんですからね。あの人は」

「……だいぶディスってんな……」


 彩香の悪口を一言口にするたび、顔がきらきらと輝く小羽田を見ながら直樹は感心した。

 現状、どこに行っても見つかる可能性がある。なら、あえて敵――本当は仲間なのだが――の懐に忍び込むのもありなのかもしれない。

 直樹がなるほどと小羽田に対する評価を改めていると、小羽田が今度はメンタルについて話し始めた。


「次にメンタルさんですが……彼女は厄介ですね。見つかるとしたら彼女のせいだと思います……もしくは……いや、これはいいですね」


 何か含むことがあるのか、小羽田は言葉を濁した。


「とはいえ、今日の夜くらいまでなら何とかなると思います。彼女とて、ここにいることはすぐに感づきはしないでしょう……。次に、ノエルさん。彼女も安心です。たぶん空から街を見下ろしてるだけですから」

「……やっぱり水橋さんと矢那さんも敵になってるよな……?」

「ええ。ですが二人もそこまで気にする必要はないかと。彼女達は戦闘力は高めですが、索敵はメンタルさんに比べれば劣ります……。ま、携帯の電源をちゃんと切ってれば見つかることは……」

「え」


 小羽田の言葉を受け、直樹は間の抜けた声を上げる。

 携帯は絶賛通話・メールを受け付けている状態である。やべぇ、と冷や汗を掻きながら取り出した直樹に、小羽田はびっくりするほど冷たい視線を向けた。


「は? 何で携帯つけてるんです?」

「……すまん。今け――」

「待ってられません」


 バキッという音が和室に響く。

 直樹が電源を落とす前に、ひったくった小羽田が携帯を踏みつけた。

 工作好きが嬉々として喜びそうな状態へと様変わりした携帯の前で、直樹が両手をつく。


「う……っ! マジかよ……!!」

「どうせ電話帳はスカスカなんですから、問題ないでしょう」


 冷酷な表情で言い放つ小羽田。

 直樹はパーツの塊と化した携帯への想いとその目線の恐ろしさから思わず泣きそうになる。


「くそ……心だったら絶対にここまでしねぇよ……。炎でも……」

「どうでしょうかね。二人は今、あなたのことを忘れてますし」

「……っ」


 一気に、携帯への未練が吹き飛んだ。

 直樹は仲間達に想いを馳せる。

 みんな、敵となってしまった。あれだけ信頼し合っていたのに。

 そんな状況で直樹が感じるのは、仲間達への怒りでも、裏切ったことに対する糾弾でもなく、彼女達の身は大丈夫なのかという案じだった。


「みんな大丈夫かな……」

「自分の身じゃなくて仲間……それも敵となっている者達への心配ですか。……それは、とても――」


 小羽田は直樹から顔を背け、心の底から思う気持ちを直樹にぶつけた。


「気持ち悪いですね」

「……そうか?」


 罵倒されてなお、直樹は怒り出さない。

 これはどうしようもなく自分の性分で、他人にどうこう言われて治るようなものではないからだ。

 しかし、小羽田は悪口を続ける。


「ええ、とても気持ち悪い。……昔似たようなことを言っていた男がいましてね」


 小羽田は再び直樹に向き合った。

 その顔は、怒りに身を震わせているようにも、恐怖に怯えているようにも見える。


「……小羽田」

「くっ……男と長時間いたせいで禁断症状が出たようですね。……私は自分の部屋に行きます」

「小羽田……」


 直樹は呼び止めようとしたが、やめた。その顔がとても苦しそうに見えたからだ。


「くそ……」


 俺は、どうすればいい?

 直樹はそう自問する。しかし、答えは自分で導き出さなければならない。




「……っ……やっぱ厳しかったですかね……」


 小羽田は、まだ段ボールが残っている部屋に座り込んだ。

 動悸が激しく、息が荒い。吐き気すら催してくる。


「……っ……く――」


 かろうじで吐き気を堪え、床に倒れ込む。

 油断し過ぎた――。小羽田は後悔さえしそうになっていた。

 神崎直樹を助けたことを。


(……あの男は必要です……。これからの計画にも……)


 はぁはぁと荒い息を整え、これからの予定を確認する……。

 そうしようと、小羽田が立ち上がった時だった。


 ――俺は君を助けたいんだよ。


 甘く囁くような……そんな声が彼女の脳裏に響く。


「ぐ!!」


 頭を押さえ、小羽田がよろめく。

 クイーンに干渉されたわけではない。これは、小羽田自身の記憶。


「っあ……」


 視界が淀む。意識が酩酊する。

 身体の力が抜ける。立っていられなくなる。

 派手な音を立てて、小羽田は段ボールの山に崩れ落ちた。


「……ぁ……やるべきことが……あるのに……」


 想いとは裏腹に、小羽田の視野はどんどん狭くなっていく。


「おい……!? 小羽田!!」


 直樹が狭まる視界に一瞬写った気がしたが、小羽田に気にする余裕はない。


(私は……まだ……ぁ……)


 自分を襲う何かに屈し、小羽田は気を失った。




 自分にとって大事な人というものは、大抵の人が生まれつき持っているものだ。

 それは父親と、母親。身の回りにいる家族。

 親は子を愛する。故に、子も親を愛す。

 しかし、中にはそうならない家族もいる。

 それが、小羽田美紀という少女を取り巻く、家庭環境だった。


 私の両親は、まともな親ではなかった。


 小羽田はそう結論付けて久しい。

 彼女の異能は念思であり、難しいことを考える時は他人の思考を借りることが出来る。

 だから、彼女は生まれついてすぐ、身に宿っていた異能を用いめきめきと成長した。

 最初こそ天才と呼ばれ、褒められていた小羽田だったが、徐々に栄光は崩壊していく。


 ――あの子、異能者なんじゃない?


 小羽田が小学三年の頃、嫉妬に駆られた同級生の母親が言った一言。

 私の息子よりあの子が頭いいのはおかしい。

 そんな訳のわからない理屈で、小羽田の家庭は崩壊した。

 もしこれが、小羽田がずっとズルをしていた結果ならば、因果応報とも言えたかもしれない。

 しかし、小羽田は異能で回答を得るのを戒めていたのだ。

 ほとんどのテストで百点を取っていたのは、純粋に自分の努力の結果だった。

 とはいえ、小羽田はそこまで周囲を気にしていたわけではない。

 無論、悪口や陰口は傷つくが、事実ではあったので心には刺さらなかった。

 彼女の心を抉ったのは……級友達でも口喧しいPTAでもない。

 彼女を守るべき、親の思考だった。

 あの時ほど、小羽田は呪ったことはない。

 自身の異能を、自分の親を、こんな風になってしまった世界を。

 当然の如く家を出て、家族と世界を呪いながら放浪した。

 幸運だったのは、早急に異能省異能派とコンタクトを取れたことだ。

 頭が良かった小羽田は自身の異能を用い自分が不利にならないよう交渉した。

 そして、創られた国を渡り歩く。

 そんな時だ。世界は異能者のモノ、などという宣言をテレビで聞いてから一年たったある日のこと。

 変なことをのたまう男に、小羽田が出会ったのは。


 ――俺は君がカワイソウなんだ。俺が君を救ってあげるよ――。



「……はぁっ!!」


 飛び上がるようにして、小羽田は目を覚ました。

 汗でぐっしょり身体が濡れている。悪夢を見ていた。そう結論付ける。


「……忘れたつもりだったんですがね」


 小羽田は布団に寝かされていた。

 気を失った自分が自分に布団を敷いた、というのは有り得ないので、考えられるのは家にいるもうひとりの男だろう。


「……ふぅ……ふっ……ぅ……大丈夫、大丈夫です。……あの男は違います……」


 荒い息の中、自分に言い聞かせるように独り言を放つ。

 おかげで、幾分落ち着き出したようだった。


「あれはバカです……私に何かするはずはありません……く……せめて一人でも女の子がいてくれたら……!」


 久瑠実あたりは確保しておくべきだったか、と一瞬考えた小羽田だが、すぐに首を振った。


(何を考えてるんですか。そんなことしたらクイーンに操られるだけです。……今は計画を進めないと)


 そう思い、太ももにあるはずの獲物に手を伸ばす。が、すぐに小羽田の頬に汗が流れる。

 拳銃がない。


「……どこですっ!?」


 慌てて部屋を見回す。部屋は心の部屋だった。

 探せば別の武器があるだろうが、やはりあの拳銃がベストだ。

 銃器に興味のない小羽田はよくわからないが、あの銃の使用弾丸は9mm弾。

 これから使う相手にはもってこいの銃なのだ。


「……っ」


 ドンドン、と軽快な足音が迫ってくる。ただの歩きが、小羽田を焦燥させる。

 そんな時、やっと机の上に無造作に置いてあるA9を見つけた。

 脱兎の如き素早さで軍用拳銃を掴んだ小羽田は、驚くべき俊敏さで布団の中へと戻る。

 丁度その瞬間、トレイにコップを載せた直樹が部屋に入ってきた。


「小羽田……? 起きたか」

「え……えぇ……起きましたよ」


 慣れない動きで息が荒い小羽田に安心したような眼差しを向けた直樹は、水の入ったコップを彼女に差し出した。

 受け取り、怪訝な顔で透明な液体を小羽田が見つめる。


「妙な物入ってないでしょうね……?」

「どれだけ俺は信用無いんだ。毒見してやるか?」

「結構です!」


 再び手を伸ばした直樹の手を叩き落とし、小羽田は水を飲んだ。

 今度こそ、完全に落ち着けた気がした。


「……大丈夫か?」

「気遣いは必要ありませんよ。もう落ち着きましたから」

「ならいいけど……」

「男の気遣いなんてキモいだけです。むしろそのせいで気分が悪くなりますから。後、離れてください」

「うぐっ……そこまで言う必要ないだろ」

「……っ」


 小羽田が息を呑む。

 直樹に対して罪悪感を感じたからではない。

 愚痴りながらも、ホッとしたように笑顔をみせる直樹に対して戦慄したのだ。

 再び、小羽田の心音が早まり出す。


(……まずい……っ!! また……何とかしなければ……!)


 本来ならば、ここで小羽田に必要なのは同性である。

 同性愛者である彼女にとって同性は、精神安定剤の役割もある。

 女の子がいれば、男といるのも平気なのだ。もしくは、あの男とタイプが違えば。

 だが、目の前にいる神崎直樹という男は、どうしてもあの男を彷彿とさせてしまう。

 普段なら問題ないが、こういう危機的状況だからこそ、男の本質が見えてくる。

 そして、男はみんな狼である。……とても、気持ちの悪い存在である。

 それが、小羽田が男に抱く先入観だった。


「……なぜですか……」

「え?」

「なぜ……そんなフリをするんですか!!」


 自衛のために、小羽田は怒鳴る。

 対象は直樹だが、守りに入るのは直樹が恐ろしいからではない。

 自分自身。そして、過去。それがどうしようもなく怖いから。


「ふ、フリって……どうしたんだ、小羽田?」


 直樹が小羽田の身を案じる。彼女にとって忌々しい気遣いをみせる。


「……そういう演技ですよ。さも、自分が良い人であるっていう。……どうせ女の身体が目当てなんでしょう……?」


 苦し紛れの冷笑を浮かべ、勝ち誇ったように直樹を見る。

 しかし、直樹は小羽田……? と困り果てたような顔で彼女を見つめるだけ。

 だがしかし……それが何だ。奴は計画に必要だが、実行するタイミングは後でも先でも問題ない。

 ならば、今すぐ実行し、苦しみから解き放たれた方がマシだ。

 そう思って、小羽田は直樹に念思を送った。

 お前の思考のどこかに女を犯す為の算段があれば……今すぐ行動を起こすと。


「…………な――」

「小羽田?」


 呆けた小羽田を、直樹が心配そうに見守る。

 近づくな、という小羽田の命令を忠実に守る男を、小羽田は脅威の眼で見返した。


(バカな……この男……本気で……いや……)


 読み取るまでもなく、わかっていたことだったのかもしれない。

 小羽田はバカではない。対して、直樹はバカである。

 自分が他人をどう利用するか計画する傍ら、ずっとこの男はどうすれば他人を助けられるか考えていた。

 記憶を取り戻させるにはどうすればいいか。やはりクイーンを直接叩くしかないのか。

 そんな風なことを。

 小羽田はやっと理解した。

 現状、バカなのは直樹ではなく、自分であると。


(最初からわかっていたこと……この男はどうしようもなくバカだってことは。なのに、私は何をしてるんです……?)


 トラウマに心を抉られ、どうかしていた。

 小羽田は頭に手を当て仰々しく嘆息する。誰でもない、自分に呆れて。


「……ちょっと過去に当てられて、どうにかしていたようですね」

「……小羽田」


 小羽田が時計を見つめると、もう七時を過ぎていた。


「食事にしましょう。腹が減っては戦は出来ぬ、と言いますし」

「わかったよ」


 直樹は先に立ち上がり、部屋を出て行った。恐らく食事の準備の為だろう。

 小羽田は改めてホルスターを太ももに付けなおし、立ち上がった。


(何をしてるんです私は……。ちゃんと行動しなければ、復讐は果たせない)


 パンパンと自分の頬を二度叩き、リビングへと移動した。



 テーブルを挟んで座る二人はしばらく簡易食品を黙々と咀嚼していた。

 直樹は先程から会話をしようと口を止めるが、すぐ気まずいかのように食事に戻ってしまう。

 その様子を眺めていた小羽田は栄養ビスケットの一欠けらを放り込んだ後、口火を切った。


「……あなたに似た、男の人を知っています」

「……え?」


 いきなりすぎる語り口に、直樹の手が止まる。

 だが、小羽田は意に介さず話し続けた。


「君の為だとか救いたいとか守りたい、助けたいとかいうキレイゴトを言う人でした」

「……よくわからないけどいい人なんじゃないのか?」


 特に考えもせずに言う直樹に対し、小羽田は皮肉気に笑う。


「まさか。そんなこと言う奴は、基本的に胡散臭い奴です。何か含むことがある……裏では別の思惑がある……そんな風な人間」

「そうか? いや、全く事情を知らないから好き勝手言うけどさ、その理屈だと炎が極悪非道人になるぞ」

「炎さんは別です。何せバカですからね」


 直樹が言葉に詰まる。

 擁護出来ないほどに炎はバカで、お人好しなのだ。

 小羽田も別に炎をバカにするつもりはない。

 ああいうバカは見ていて清々しい。小羽田的に言えば、美少女なのも良い点である。


「……ま、少なくとも当時の私はあなたや炎さんのことをバカに出来ないくらい愚かでしたが」

「……そうなのか?」


 小羽田は目を瞑り、過去を思い出しながら話を続ける。


「ええ。昔、私は居場所がなくなり各県を渡り歩いてきました。情報規制が如何ほどで、この街はもう存在しないんだ、とかそういうのを見ながら。それなりに楽しい観光……な、わけないですけどね……」

「……」


 直樹は黙って小羽田の話を聞いていた。じっと、彼女に何があったのか耳を傾ける。


「昔の私はそれはもうめちゃくちゃでした。人並みに父親と母親は愛していましたから、捨てられたショックに打ちひしがれましてね。そんな時でした。彼と出会ったのは」

「彼……俺に似ているっていう」

「ええ。名前はもう忘れてしまいましたが、あの男の言葉はよく耳に残ってます。……当時の私の救いでしたから」


 男の甘いささやきが、小羽田の脳裏にこだました。

 

 ――お父さんとお母さん、ひどいね。美紀ちゃんは何も悪くないのに。


「……色々優しくて甘い言葉を投げかけてくれましたよ。そんな彼に私は気を良くしました。……まぁ、有り体に言えば恋したんですよ、その男に。……中学生の私はだいぶちょろかったですね」


 言いながら、小羽田の頬に冷や汗が流れ出す。

 心臓の鼓動が大きくなる。背筋が凍るような寒気が全身を包む。

 皮肉気な笑みだけが、小羽田が出来る唯一の抵抗だった。過去に対して。自分に対して。


「それで」

「……まぁ、段階を上げてもいいかな、と。異能者である私を大切にしてくれる無能者の男の子……。禁断の恋って奴に私は酔っていました。……故に気付くのが遅かった。……そもそも恋なんてものがなかったということに」

「……恋がなかった?」


 直樹のおうむ返しを聞き、語弊がある、と小羽田が訂正した。


「正確に言うならば、私は恋をしていました。善人の皮を被った狼にね。ですが……逆は違った。……男の方は……私の身体目的だったんです」

「な……」

「性欲逞しい男でしてね。私を貪って犯しつくしたかったようですね。……念には念をと最後の最期に思考を読み取り、危機は回避しましたが。……以来、男というものがどうも苦手……いや死ねばいいと思っていましてね」

「小羽田……」

「男なんて気持ち悪い。反面、女の子なら安全です。中には同志もいますが、基本的に向こうからすり寄って来ない。きゃっきゃっうふふしてればいいだけですよ」


 目を開いた小羽田は笑っていたが、目は全く笑っていなかった。

 その笑顔を見る直樹の顔が、居た堪れないものになっていることに気付き小羽田の表情が険しくなる。


「……その顔、です。……そんな風に演技してたんですよ……私の前では」

「……そうなのか……」


 小羽田の言葉を受け、直樹は表情を変えようと四苦八苦し出す。

 だが、同情の顔かぎこちない笑みの二択ぐらいにしか変えることが出来ないようだ。

 何度か試行錯誤している彼に、小羽田が嘆息混じりに言った。


「いいですよ、別に。……あなたはバカですし。本気で同情して、どうやったら笑顔に出来るんだろうとか考えているんでしょう?」

「……そこまで深く考えてないよ。ただ、誰かが悲しんでるのを見たくないんだ」

「……人の為、ですか」

「いや……自分の為だよ。単純に俺が嫌なんだ。嫌いなんだよ。そういうの見るの」


 真顔でそんなことをのたまう直樹に失笑した小羽田は、同じように真顔で言い放つ。


「ならば見なければいい。そこから目を反らし、見たいものだけ見ればいい。……なんて、言っても聞く口じゃないですよね。バカですから」

「ああ……俺はバカだからな」


 小羽田はもう一度とてつもなく深いため息を吐いた。

 そして、顔を上げる。余計なことを考えるのが面倒になった。そう言わんばかりの顔を。


「バカに合わせる時は秀才ぶってもダメなんです。真の天才は相手のレベルに合わせて話を進める……。私がバカになったわけではありませんのでそこのところ勘違いしないように」

「……俺すごいバカにされてるよな」


 他人事のように呟く直樹にクスリと微笑み、小羽田は促した。

 先程からずっと話をしたがっていることはわかっている。それも、小羽田とは関係のないことを。


「さっきから何をちらちらしてるんですか?」

「……実は心のことが気になってるんだ」

「……直樹は心さんのことが好きなんですか? ……冗談です。問題ないと思いますよ。クイーンは一度異能殺しさんを殺した。故に、二度目はありません。……少なくとも、今は」

「本当にか? ……心も操られたり」

「ああ、それはありません。絶対に。心さんは精神操作不能ですから」


 きっぱりと断言した小羽田を、直樹が疑り深い眼で見つめる。

 そして、前例がある、と反論した。


「小羽田は知らないだろうが、心は一度操られてるんだ。高木っていう学校の生徒会長に。退行して大変だったんだよ。だから、操られないってことは」

「あなたはバカですねー」

「え?」


 呆ける直樹に、小羽田は懇切丁寧に説明した。

 精神干渉と操作の違いを。


「精神干渉は、記憶を改変させたり、頭に直接声を響かせたりします。対して、精神操作は直接操作主が対象を操ります。つまり、心さんは問題ないです」

「……え? いやよくわかんないんだけど」

「あなたはバ」

「それはもうわかりきってるからちゃんと説明してくれませんか!!」


 あまりにもバカにされ涙目になってきた直樹が懇願する。

 小羽田はちょっとドヤ顔で仕方ありませんねーと再度説明した。


「あなたが操作された、と思っていることは精神干渉です。これは今炎さん達の身にも起こっていること。炎さんが直樹のことを忘れているように、心さんも高木って生徒会長に干渉を受けた時も操られていたのではなく退行させられていたのです」

「えっと……つまり?」

「あなたが危惧している精神操作は、心さんはまだ受けたことがありません。そして、これからも受けることはありません」

「……待ってくれ。それがわからない。何で操作を受けないって断言出来るんだよ」


 納得しかかった直樹だが、まだ疑問が残っていることに気付き疑問の声を上げた。


「それは単純です。心さんの異能がそういうものを受け付けないものだからです」


 またもやきっぱりと言い放った小羽田に、直樹が噛みつく。


「いや、そしたら複写している俺とかメンタルとかは……」

「……あなた方は劣化品。これで満足ですか?」


 もう質問は一切受け付けないという意思を感じさせる瞳に気圧され、直樹はしぶしぶ引き下がった。

 小羽田はその様子に満足し、手を伸ばす。不審がった直樹が尋ねてくる。


「その手は……?」

「見てわかりませんか? 握手です。信頼の握手……」


 左手を差しだしながら、小羽田の右手は太ももに動く。

 時計はチェックした。もう九時である。

 ちょっと早いが、先程の会話はクイーンに聞かれていた可能性がある。行動を急がなければ。


「……いいんだな」

「ええ」


 直樹が小羽田に合わせて左手を伸ばす。両者の手が繋がり、直樹の中に小羽田の異能が流れ込む。


「ぐっ……やっぱり慣れない……!」

「……ちなみに握手はいくつか意味があります。ご存じですよね?」


 呻いていた直樹は、ムッとして言い返した。


「そこまでバカじゃねぇ。えーと、基本的に挨拶だろ」

「ええ。ですからこれは信頼と……」


 左手で直樹と繋がりながら、小羽田は右手は別の物を取り出した。

 それは鈍い黒色だった。人を傷付け、殺すためのものだった。


「お別れの握手です」


 間の抜けた声を上げる直樹と、鼻で嘲笑う小羽田。

 見事不意を衝いてやった。そんな顔だった。

 小羽田は直樹に一切の行動も赦さず、拳銃の引き金を引いた。



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