反転
「どこですかねぇ……」
綺麗に整頓されている和室の中で、一人の少女が探し物をしている。
その部屋は少女の部屋ではないので、どこに何があるのかわからないのだ。
「……用心深い方ですからねぇ……」
しっちゃかめっちゃかに荒らす為、綺麗な部屋は汚い部屋に様変わりしていく。
衣服類、工具、機械パーツなどがあちこちに散乱する。
拍子に、机の上に乗っていた写真立てが落ちた。
そこには、一つの家族が写っている。
父親と母親、小さな男の子、そして……狭間心。
少女は落ちた写真を拾い、みんなが写っている集合写真の横に置く。
「警告、したんですけどね」
小羽田は残念そうに呟きつつ、引き出しを引いた。
小羽田は日本に来たらクイーンに殺されると、メンタルとその姉である心に忠告したのだ。
だが、心は無視し、あげく記憶喪失となってしまった。
さしもの異能殺しと言えど、精神干渉する相手には敵うまい。
それが小羽田の分析だった。それに、心は意外すぎるほど脆い。
ただでさえ危うかった儚げな存在だったというのに、神崎直樹と出会ってから、驚くほど弱くなった。
「……男って奴はホントに……あった」
小羽田はやっと、それを見つけた。
恐らくは緊急自衛用と思われる組み立て済みの軍用拳銃を。
名称は忘れたが、創られた無能者が想像上のものでしかない異能者を一切の慈悲なく殺すプロパガンダ映画などでよく使われる拳銃だ。
対異能者用拳銃A9。
小羽田は銃の名称を覚えていなかったが、これから使う相手には打って付けの拳銃だった。
「こういうのは得意じゃないんですがね」
小羽田はそう言い残し、拳銃とホルスターを太ももに付け、いくつかの小道具を拝借した後、部屋を後にした。
「で、どうすんの? 何か考えがあるんでしょうね」
「おいおい、俺を誰だと思ってるんだ」
街に繰り出した直樹と炎、彩香の三人は周囲をきょろきょろと見回しながら会話していた。
直樹は一度止まり、何か策があるのかと期待した二人に向けドヤ顔で言う。
「何も考えてないに決まってぐわっ!」
「期待した私がバカだったわ」
「彩香ちゃん、何も殴ることないよ……」
直樹は叩かれた頭を擦りながら、携帯を取り出した。
マップに表示されているのは立火市市街である。
拡大され、有象無象の建物が並ぶこの街にクイーンはいる……と断言出来ないのが困りものだった。
そもそも日本にいるかどうかさえ怪しいのにどうすれば……と悩み始めた直樹は、突如鳴り響いた携帯にビビり放り投げてしまう。
「わっ!? ……水橋さん?」
見事キャッチした炎が、画面に表示された名前に訝しむ。
そして、何の迷いもなく携帯に出る……。
「いやそれ俺のけいた」
「あ、水橋さん」
炎は自然に水橋と通話を始め、直樹は携帯を取り戻すことを諦めた。
スピーカーモードにした炎が、他の二人にも聞こえるよう携帯を持つ。
『む? これは直樹君の携帯だと思ったのだが……』
「いや、俺のです」
『ふむ……? まぁいい。君達はクイーンを探しているのだな?』
「はい、そうです」
直樹が答えると、水橋はそうか、と応じ、
『そんな君達に朗報だ。クイーンは立火市にいることがわかった』
「ホントですか!?」
直樹ではなく彩香が、珍しく水橋に向かって大声を上げる。
その声に応えたのは水橋ではなく、矢那だった。
『そーよ、そーよ。シャドウって人と、水橋が絶賛片想い中の……』
『ええい、それはいい! シャドウ曰く、クイーンは前から日本にいることはわかりきっていたそうだ』
「どういうことですか?」
炎が不思議がって訊く。
『日本の状態だけ異常であるから、だそうだ。まぁ、考えてみれば色々とおかしいな。過度の情報規制を行いつつ、どこの派閥にも属さないとは』
『異能省なんてカタチだけの組織に、三つの部署が詰めし込まれてるしね』
「……世界から浮いているのは日本だけ……でしたっけ? 他は全部異能派か無能派に属するかとかそういう感じの……」
『ああ。ノエル君がいたEUは完全に無能派に奪われているし、アメリカやロシアも異能派の主要国家だ。そして、我々中立派の拠点がアミカブル王国……』
水橋と矢那、炎の会話を聞きながら、直樹は皮肉な気持ちになった。
自分達が感じていた幸せが世界から見て異端であり、それを享受出来た日本を創ったのがクイーンだとは。
「それで、何で立火市なんです? いや、頻度でいえばそう考えるのが自然な気がしますけど」
何も考えていないと言い放った直樹だが、一切の方策なしに行動していたわけではない。
もしやまたクイーンがこの土地に現れるのでは。そう思って動いていたのだ。
『頻度……それもあるが、決定打は……』
『僕さ』
「誰……?」
聞こえてきた見知らぬ声に、直樹達が眉根を寄せる。
声は、僕は沖合健斗、と自己紹介した後、続けた。
『僕はここ数週間、日本全国を巡っていた。おかしい県があるかどうか探っていたんだ。データベースを調べたところ……各県である特定の異能者が変死していてね。死に方はてんでバラバラだが、違和感を感じさせる死に方さ』
「……それってもしかして……精神干渉系?」
思い当たった彩香が訊くと、即座に返答が返ってくる。
『よくわかったね……その通り。恐らく、クイーンは精神干渉系の異能者には介入出来ない。故に、邪魔になりそうな精神干渉系や、操られない異能者をかたっぱしから排除していったのだと考えられる。……だから、結奈は……』
『健斗……』
『はぁーい、しんみり禁止! ……要は、その死んでいった人を辿っていったわけ。そしたら』
「立火市に辿り着いた……」
『これは憶測の域を出ない仮説だが……捜索する価値はあると思う』
健斗の言葉に直樹は力強く答える。
「わかりました。自分達で探してみます」
『ああ……全員で行動する意味もないしな……。何かわかったら連絡する。そちらも何か掴んだ時は』
「はい、連絡します」
直樹が返答をすると、通話が終了し、画面が開いていたマップへと戻った。
炎がはい、と言って携帯を差し出す……はずが。
突然、炎は携帯を落とした。
掴み損ね、携帯がアスファルトに落ち、傷がつく。
「おい?」
直樹は怪訝な顔で携帯を拾い上げた。
そして、何事かと顔を上げたその瞬間。
拳が、目の前に迫っていた。
「……うっ!」
防ぐことも躱すことも出来ずに、直樹が吹き飛ばされる。
彼は受け身すら取れず、近くのブロック塀に突っ込んだ。
身体中が痛い。軽いやけどを負った左ほおがひりひりと痛む。
だが、直樹にとってより痛かったのは、身体の痛みではなかった。
「炎……?」
「……」
炎に、殴られた。
いつものような冗談ではなく、本気の一撃である。
紅蓮の炎を手に纏わせた、敵を昏倒せしめるほどの一撃。
その衝撃は、再生異能を持ち、戦い慣れをしていた直樹ですら呆けさせた。
そんな彼を置き去りにしながら、炎は紅い瞳を燃え上がらせて口上を述べる。
「な……一体――」
「私は警察の協力者、異能犯罪対策部のエージェントです。異能犯罪者を逮捕、拘束する権限を所持しています。……異能法第24条により、あなたを拘束します!」
「な――」
やっと、直樹は悟った。
これはクイーンの仕業だと。
メンタルが操られた時点で、クイーンはいつ介入してきてもおかしくなかった。
故に、炎に対しての干渉も予想出来たことではある。
彼女は何度かクイーンに操られていたし、現に、今もこうして操られている。
「……行くよ!」
「くっ……」
炎が足を踏み込み一直線に突っ込んできた。
直線的な攻撃だが、速い。直樹が起き上がった時にはもう、目の前で拳を振り上げていた。
咄嗟に右手を伸ばし、炎の拳を防御する。
「炎……!」
「やるね……でも!」
「っ!?」
炎はその態勢のまま蹴りを飛ばしてきた。
反射的に防ごうとした直樹の左腕を、炎の左手が掴む。
直樹の顔面に炎の灼熱の蹴りがさく裂する――まさにその時。
「きゃっ!?」
「悪い!」
直樹はノエルの異能……風の力を用い、炎を吹き飛ばした。
増幅された火の力が直樹の顔にやけどを負わせるが、彼は気にしない。
炎が傷つかない方法はこれしかなかったからだ。
炎は少し離れた所に着地したが、すぐに攻める気はないようで、こちらの出方を窺っている。
その隙に、直樹は彩香の異能を発動させた。
視るのは、炎。その中にいると思われる人物である。
誰だ、お前は。正体を明かせ。
そう念じながら、炎の服を透かし、身体の内部を目視する。
そして、直樹はそれを視た。
炎の中で、無邪気に手を振る少女を。
ピントがあわず、はっきりと断定は出来ないが、既視感のある人物のような気がした。
同時に、違和感に気付く。
(炎は操られていない……!?)
初手の打撃から、感じていたことだった。
炎の攻撃には、いつものような手加減の感触がしたのだ。
敵を殺さず、逮捕すること。それが炎の使命であり、新垣達也が彼女に徹底していたやり方だった。
それに今、油断なく直樹を見据えている彼女は、彼女自身の思考で戦法を見定めているようにも見える。
どう動けば直樹を倒せるか。
相手の異能は一体何なのか。
相手の技量と自分の実力を照らし合わせ、最適解を導き出そうとしている。
(どういうことだ……まさか……)
もしかして、俺のことがわかっていないのか?
直樹は胸中で愕然とした。ある種、心の状態と似ていると言っていい。
心が全ての思い出を喪ったように、炎も直樹との思い出を忘却している。
いやまさか……と自身の仮説を振り払うべく彩香に声掛けをしようとした直樹は、驚愕の眼で彼女を見た。
その視線は敵に向けられるべき、ぞっとするほど冷たいもの。
「彩香……!」
「……何で敵が私の名前知ってるの……? ……情報が洩れてる……?」
「彩香ちゃん! みんなに連絡をお願い!」
「オーケー炎。いつものあなたなら楽勝よ」
「くぅ!!」
再び直樹へと接近する炎。
ここで直樹が取るべき行動は、水鉄砲を使い迎撃するか、雷を飛ばし撃ち落とすかのいずれかだった。
しかし、直樹はどちらも選択しない。水橋と矢那の異能は強力過ぎる。
炎に怪我をさせてしまう恐れがあった。だから、手を伸ばす。
誰も傷付けずに解決する方法を模索して。
「炎!!」
「……盾!?」
炎の瞠目も当然である。直樹の右手は強固な盾へと変化していた。
ノーシャの異能で右手をシールドに変化させ、炎の打撃を弾く。
「話を聞いてくれ!」
「……聞かないこともないよ……」
直樹と炎の盾と拳の攻防の末、炎はあっさりと直樹の説得に応じた。
ほくそ笑み、拳を見舞いながら。
「刑務所の中でね!」
「くそっ……!! どうしたんだ、お前らしく……やっぱり記憶を操作されて……!!」
直樹は白い盾で炎拳を弾きつつ状況を分析した。
炎と彩香は、恐らくクイーンの都合のいいように書き換えられているのだろう。
故に、普段の彼女なら絶対に応じる話し合いに応じない。
不敵に笑い、相手を拘束するまで、戦いを行うだろう。
炎らしくない、しかしどこまでも炎らしい行動。
クイーンとて、炎の本質までは書き換えられないようだった。
絶対に人を殺さないという想いが、防戦一方の直樹に致命傷を与えない。
だが、シールドの耐久はどんどん減少している。真っ赤な拳を受け続け、ひびが入ってきたようだ。
くそ……、と毒づく直樹。彼には盾が破壊されるのを黙って見守るしかない。
(……たぶん、炎を攻撃しても、前みたいにクイーンが出て行ったりはしないはず……。直接本体を叩くしか……いや……)
もはや非情に徹し、炎の腕の一本でも折れば、彼女は戦闘不能になる。
そうすれば活路は見いだせる。仲間が敵に変わったのは痛いが、クイーンはこの街にいることは判明しているからだ。
「……っ」
しかし、直樹は苦悩する。やはり炎は炎なのだ。
後一撃で盾が砕かれ、いよいよ追いつめられるまさにその時――。
――絶対にそんなことはしないでくださいよ? 彼女は私の嫁候補、です! 目を瞑って!!
「なに……うわっ!?」
「うわああ!!」「スタグレッ!?」
頭の中に突然声が響いた、と直樹が困惑した刹那、目の前で眩い閃光と強烈な音響が発生する。
声の指示通り目を瞑ってスタングレネードの光音を回避した直樹は、突然手に触れた柔肌に驚愕した。
「小羽田か!?」
「ああもう、男の手なんて握りたくないんですからさっさと来てください!」
「で、でも炎と彩香が」
「バカですか!? いや、バカでしたね! 今はどうにも出来ませんから早くこっちに!!」
「く……くそっ!!」
小羽田に手を引かれる直樹が出来たことは、呻く炎と彩香が遠ざかるのを見つめることだけ。
何も出来ない自分を、歯がゆく思うことだけだった。
――誰? 誰? 私は誰?
思い出を喪失した少女は、ただ問い続ける。
――名前は? 家族は? 友達は?
だが、少女は答えを持ち合わせていない。
故に、他人から教えてもらった。友達なのかはわからない、そんな人達から。
「私の名前は、狭間心……はざま、こころ」
他人事のように、自分の名前を呟いた。
どうしても、自分の名前であるという実感がない。
ただ、不思議と耳に入ってくる名前だ。
頭は忘れているが、身体が覚えている。
「私は何でこんな目に遭ってるの? 趣味は? 夢は?」
ベッドの上で、独りごちる。
しかし、自分を教えてくれる他人は誰もいない。
みんな出払ってしまった。
その全員が彼女のことを想って動いているのだが、記憶を喪っている彼女に推測する術はない。
ただ無性なさみしさ、哀しさを感じながら、心は問い続ける。
「これは? これは一体何?」
心は花瓶の横に置いてある病室には似つかわしくないモノを見た。
拳銃である。黄金色のやけに派手な拳銃。
記憶を喪っているとはいえ、知識はある。それが拳銃であるということは心とてわかる。
その銃の撃ち方、構え方、性能は如何ほどで、どの距離で使うのが最適か……。
だからこその問いだった。
それが何であるかわからないということではなく、なぜそのような知識を自分が知っているのか、という疑問。
「マシンピストルだから、通常の拳銃より凶悪。しかし、その分反動も強い為、しっかりと両手で構え反動を押さえなければならない……。それに、セミオート射撃の利点もあるから、状況によってはセレクターでモード切替を行った方がいい……。今はロングマガジンが装填されている。装弾数は三十六発。でも、過信してはいけない。それにいくら高性能とはいえ、ライフルなどには劣るから立ち回りに気をつけないダメ……これは……一体……」
自分のことは一切わからないのに、銃についてはスラスラと出てきた。
戦い方も熟知している。
……まるで、自分にとっては銃の撃ち方の方が、思い出よりも大切なものであると誰かに言われているような気がした。
「私は……人を殺したことがある……?」
心は自分自身に疑問を投げ続ける。
すると、その記憶はないが、知識だけはたっぷり残っていた。
――異能者との交戦は極力避けたほうが良い。人通りが少なくなると、奴らは警戒する。
故に、あえて街中で狙撃しろ。常識や暗殺のセオリーに囚われず、奴らが本当に油断する瞬間を探れ。
狙撃が難しい場合は、ナイフを使え。異能者とて、心臓を貫かれれば死亡する。
毒殺もいい。ウエイターのフリをして食事に毒物を紛れ込ませろ。
店に迷惑がかかる? 他人が食す可能性がある?
そんな小事は気にするな。お前はお前の身と、暗殺対象のことだけ考えろ。
それが出来ないなら辞めるんだな。
誰かの言葉が、教えが、自分の中に刻み込まれている。
自分はそれを実行したのだろうか? 人を暗殺したのだろうか?
疑問は尽きない。しかし、答えはない。
誰も答えを教えてくれない。
「――私が、教えてあげようか?」
「……誰?」
ドアの前に、見知らぬ人が立っていた。
昨日会った人達ではない。初めて見る顔であり、心は戸惑った。
「……あなたのことを知る人」
「……」
油断してはならない。
心の直感が、そう告げている。だというのに、今少女が行った言葉は魅力的だった。
あなたのことを知る人。つまり、自分が忘れていること、わからないことを知っている可能性がある。
嘘の可能性は多いにある。
だが、可能性ということばは実に厄介なもので、嘘でない可能性も多いに含まれていた。
「警戒してるね。それも当然。あなたは冷酷な暗殺者だった人だし」
「……っ」
ゾクッ、と心は背筋が凍る感覚を味わう。
偽りだとは思えなかった。嘘だと笑うには、ありえない知識が頭の中にあり過ぎた。
「私はあなた以上に、あなたを知っている。直接あったことは数回だけだけど、ずっと見てきたから」
「……本当に……?」
この言葉は真実ではないか。そう、心は信じたくなった。
希望的観測である。もしや、本当の自分をこの少女が知りえるのではないか、という期待。
例え欺瞞に満ちた言葉でも、自分の心を満たすことばになりえるのなら。
そうした期待を込めた視線を、心は少女に送る。
「本当。今のあなたに嘘を吐くよりも、嘘を吐かない方が得になるし。……どうする? 聞きたいならいっしょに来てもらうけど」
「わかった。いっしょに行く」
一切の迷いない即答だった。
このままベッドの上で時間を浪費するのと、敵かもしれない相手に自分の話を聞くこと。
前者はローリスクローリターン。後者はハイリスクハイリターン。
だが、危険を冒さねば手に入らないものもある。
それに心にはもう喪うべきものはごく僅かしかない。
自分の命と身体程度。如何にハードが揃っていても、ソフトがなければ意味がない。
心はベッドから降り、少女の元へと歩き始めた。
「あーっと、忘れ物」
「え? ……これ、が?」
少女が指さした先には、理想郷の眩しいばかりの輝きが。
「大事なものでしょ?」
「……そうなのかな……」
呟きながらもベッドに戻り、心は理想郷のグリップを掴んだ。
びっくりするほど、手に馴染む感触だった。
「じゃ、行きましょうか」
「……ええ」
心もまた、動き出す。
喪ってしまったものを取り戻す為に。




