終わりの始まり
不思議な夢を見ていた。
幼い自分の夢だ。
公園で友人達と遊んでいると、一人の女の子がブランコに座っていた。
それを見た自分は、声を掛けた。何となく……ただ、寂しそうだったから。そんな理由で。
その子の顔を今でも覚えている。
全てを諦めて、絶望していた顔がぱっと希望に輝く。そんな風な、顔だったから。
その子は一体誰だったか……。
名前を聞いたはずなのに、思い出せない。
あれは……一体……誰……。
「……っ。今のは……」
喧しい目覚ましの音で、直樹は目を覚ました。
懐かしい記憶の夢を見ていた気がするが、思い出せない。
「……ま、いいか」
気を紛らわすように独り言を呟き、直樹は一階にあるリビングへと降りて行った。
一階には、成美がいた。
朝食を食べ終え、ソファーに身を委ね、だらだらと朝のテレビ番組を眺めている。
「おはよう」「おはよう」
兄妹であいさつを交わし、直樹は席に着いた。ラップに包まれたトーストとサラダが載る皿がある。
本日の朝食だった。両親は今日も出かけているらしい。
「父さん達は?」
「夕方には帰ってくるって」
楽な姿勢のまま返してきた妹を一瞥しつつ、直樹はトーストを放り込んだ。
「……もしかしたら大事な話があるかも」
「なに? 彼女でも出来たの? たっぷり一週間近く学校をさぼって」
「……うるせぇ。色々事情があるんだよ」
ふーん、と素っ気なくテレビに目を戻す成美。
直樹も姿勢を正し、誰もいない空間を見つめながら黙々と食事を摂る。
(今日は彩香に相談して家族に異能のことを話すか決める。……それと智雄にも連絡取るか。アイツにまだちゃんと説明してなかったし)
色々大変になりそうだな、と他人事のように直樹は思った。
不思議と腹は痛くない。だいぶ度胸がついていた。
もし、少し前のビビりな自分であればこんなことは思いつかず、思いついたとしてもたくさん言い訳して見なかったことにしただろう。
だが、今は違う。直樹は自分と十分に向き合える。
「ごちそうさま」
「……どこか行くの?」
食器を片づける直樹に、成美はソファーから起き上がって尋ねた。
「ああ、ちょっと……友達の家にな」
「それが彼女?」
「だから違うって」
直樹が台所から戻ると、妹はくすくすおかしそうに笑っていた。
「だよね。へタレ兄に彼女なんて出来るはずないもの」
「うっせ。じゃあ、俺も父さん達と同じくらいには帰るから、ちゃんと留守番してろよ?」
「はーい。……気を付けてね」
「ん? ああ……」
普段言わない妹の気遣いに首を傾げつつ、直樹は服を着替え身だしなみを整え、心の家へと向かって行った。
「……というわけだから、直樹の相談に乗ってあげて」
「はぁ? 何で私が……。何とか治療をしている最中だというのに」
治療と称しつつ、畳に横になって薄い本を眺めている彩香を、心が引っ張り起こす。
しぶしぶ彩香は立ち上がった。その顔は明らかに不満げだ。
「心が聞けばいいよ。……どうせ本当はそうしたいんでしょ?」
「…………うん」
「え?」
心が正直に言うと、彩香は目を丸くして驚かせた。
もはや隠してもしょうがない。自分は確実に直樹が好きなのだ。
そんな自分が、彩香に託している。
そう思えば、彩香とて素直に応じるだろうという策もあった。
無論、それだけではない。彩香なら信用出来るという信頼も込めてだ。
「……わかった、わかったわよ。……さて、どこで話しましょうかね」
「家で。外だと聞かれる場合があるし」
「……どこへ?」
立ち上がった心に、彩香が訊く。
心は“いつも通り”の身支度をすると、行き先を相棒に告げた。
「メンタルといっしょに出かけてくる」
「姉妹水入らずね。……っ! あのガチ百合はどこに……」
悪寒が奔ったかのように肩を震わせる彩香に、心は今は出かけてると教える。
すると、彼女はわかりやすく安堵した。余程怖いらしい。
ちなみにノエルもいない。水橋に呼び出され、何かやっているようである。
また転校手続きだろうか、と心は考えていた。
と、丁度チャイムが鳴った。直樹が来たようだ。
「姉さん」
「今行く。ちょっと待ってて」
彩香の部屋がある二階から降り、心はドアを開けた。
そこには直樹が立っており、おはよう、と挨拶してくる。
「おはよう」
「……彩香に相談しにきた」
「わかってる。家の中に入って。私とメンタルは出かけてくるから」
「わかった。悪いな」
「そんなことない」
直樹を室内に入れ、入れ替わりにメンタルと共に外へ出る。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってきます」
行ってらっしゃい、と返す彩香と直樹。
一瞬、バカらしい妄想が具現化した。
小さな家に直樹と共に住む。そんな呆れてしまいそうな……幸せ。
「姉さん?」
「行こう……ふふ」
心は小さく笑いを漏らしながら妹と共に街へと繰り出した。
姉妹の親睦を深める為に。
そして、クイーンに自分が殺されるのではと危惧している妹を安堵させる為に。
「……」
一方、心の家にお邪魔し、居間に案内された直樹は、どう話すべきか考えあぐねていた。
相談内容は決まっている。家族に自分の異能を話すべきかどうかだ。
だが、本当に話してもいいものか。心はああ言っていたが、やはり彩香のトラウマを抉ることにならないか?
そんな迷いが、直樹の口を閉ざしている。もっとも、相談相手がよくわからない薄い本を読んでいるのも原因の一端ではあるのだが……。
「なんか言いなさいよ」
「いや……やっぱ言いづらいな」
「あっそ。私は自分から促すつもりはないから。……デリケートな問題ならなおさらね」
「ああ……」
心から何かしら聞いているようだ、と直樹は悟る。
とすれば、幾分か話しやすい。ただ、いきなり核心をつくのはハードルが高い。
なので、とりあえず別の話から入ることにした直樹は、気になっていた事を質問した。
「……旅行行った時さ」
「なに? いきなり」
「小羽田に何されたんだ? 様子おかしかったし」
何気なく話題を振った直樹だったが、この世の終わりのような顔になった彩香を見て、凍りつく。
次の瞬間、彩香が発狂した。
「ぐわぁあああーやめろぉ! 私のトラウマを抉るなぁ!!」
「え? そんなに? す、すまん!」
彩香のトラウマを抉るまいと心に胸に決めていた直樹だったが、意図せずしてトラウマを抉ってしまったらしい。
彼が謝罪してから、約十分後に彩香は正気を取り戻した。
「ハァ……ハーッ! 妙な事言うの禁止!」
「あ、ああ……悪い」
素直に頭を下げながら、はたと直樹は直感する――これはいつも自分をからかう彩香に対し、強力な武器になるのでは、と。
だが、恐らく透視したであろう彩香に鋭すぎる視線を貰った彼は、さっさと相談することにした。
「実はな、家族に自分の異能のことを話そうか悩んでるんだ」
「…………」
彩香の表情が一瞬辛そうになったのを、直樹は直視する。
このまま続けるかどうか悩んだが、彩香が何も言わなかったので、直樹は相談を続行した。
「でも、もし拒絶されたらと思うと怖くてな」
「……私みたいに、ね」
「…………ああ」
直樹は躊躇いつつもはっきりと首肯する。
フーッ! と深いため息を吐いた彩香は、本を閉じて直樹に向き直った。
「言っとくけど、私は後悔してないわ。母さんに異能者だって告げたこと」
「……そうなのか?」
「ええ、後悔はしていない。とてもすっきりしたから。母親があんな奴だってわかって」
と澄まし顔で嘯く彩香だったがその顔はどこか悲しげだ。
「強がってないか?」
「…………否定はしないわ」
彩香は部屋にある椅子の上に座り、直樹を見下ろした。
「辛い。苦しい。悲しい。だって、信じてたもの。自分の母親は、自分を受け入れてくれるって。子が親にそれくらい求めたっていいでしょ? 何か悪いことをしたわけじゃない。ただ生まれつき異能者だっただけで、忌み嫌われるなんて」
正直、目を潰すことだって考えたわ。
そう言って、彩香は自嘲気味に笑う。
「でも恐ろしかった。目が恐いくせに、目を喪うことが恐かった。邪気眼って奴? 私の目がー! って。ホントにそう……私の目が。私がこんな目を持っていたせいで、人並みの生活を送れなかった。でも、何度も言うけど、後悔はしていない。おかげで心と出会えたし、ちゃんと世界を見つめることが出来る。自分の目で自分が住んでいる場所を……地球を。誰かに騙されることなく」
「彩香……」
「悩んでいるなら、さっさと言っちゃえ。でも、その時は覚悟してね」
「わかった。ありがとう、彩香」
根本的な解決にはなっていない気がするが、直樹は元気づけられた。
まずやってみること。それが状況を進展させる手っ取り速い方法だ。
好転するかどうかがわからないのが難点だが……。
「全く、このアドバイスを心にも言っておきたいわ」
「……え? 何でだ?」
彩香の言う事が理解出来ない直樹が不思議そうな顔をすると、彩香は盛大に嘆息した。
「……ごちそうさま」
「もういいの?」
商店街にある自由席に座り、箸を置くメンタルへ心が訊ねる。
すると、返ってきたのは苦すぎる返答だった。
「お金、ないでしょ?」
「う……っ」
返す言葉もない。ただ詰まるだけだ。
小羽田から金を借りることになってはいるが、やはり無駄遣いはいただけない。
そう判断した妹の優しさに、心は涙をこぼしそうだった。
メンタルに感激したのではなく、自身の不甲斐なさで。
「だって姉さん、欲しい物我慢してるでしょ? プラモ屋でずっと新作と睨めっこしてたし」
「う」
「アミカブルに行っても、何一つ購入してなかったし」
「……うぅ」
メンタルを励ますはずが、心本人が落ち込んでいた。
金は全てではない。だが要り様ではあるのだ。
普通の人々と同じように過ごしたければなおさらに。
「……ならワタシも我慢しなきゃ」
「どうして」
「ワタシは姉さんの妹だから」
当然とばかりに呟かれたメンタルの言の葉に、心は笑っていいのか、呆れればいいのやらで困った顔を浮かべた。
だがしかし、事実である。
心がシャドウに撃たれ遺した血液サンプルが、巡り巡って異能派に渡り創られた戦闘用クローン。
かつては自分を殺しに来た者。そして今は、自分の義妹。
黒か、白か。その違いしかない両者を繋ぐものはDNAでもなんでもなく、ただ思いやりだった。
見た目が同じだから姉妹になったわけではない。ただなりたかった。それだけの理由。
しかし、心は一片の悔いもない。むしろ良かったと思っている。
少々手間のかかる妹だが、救えて……家族になって良かった、と。
そして恐らくその気持ちは、純白の如き白さを持つメンタルとて同じだった。
「じゃ、少し歩こう」
「……うん」
ドーナッツやら何やらの袋を纏めて、心はメンタルと共に席を立った。
「姉さんと初めて会った場所……」
立火市民公園に訪れた心の横で、メンタルが感慨深く呟く。
この場所こそ、心に衝撃を与えた自身のクローンとの対峙場所だった。
初めて会った時、心とメンタルは黄金と白銀の銃を突きつけあったのだ。
黒いキャップ帽と白いフードを風になびかせながら。
「そうね」
短く同意した心だが、心境はメンタルと似たようなものだ。
遠い昔に感じるが、起きたのはつい最近。
炎と親友になってすぐのこと。
メンタルと交戦した心は、彩香曰く家出を行い、自身と同等のパラメーターを持つメンタルと死闘を繰り広げた。
まさに、自分自身と戦っている感覚。銃器はこちらがマシンピストルで、向こうがセミオートピストルだったが、それ以外はほぼ同じ戦法。
いや、メンタルの方がより殺しに特化していた。
心は暗殺対象以外は殺さないようにしていたし、無関係な人間に被害が出ないように立ち回っていた。
それが狭間心の信条であり、信念。そして、その時には直樹と炎から学んだ不殺の覚悟を終えていた。
ある意味では、メンタルの方が暗殺者として完璧だったのかもしれない。
「……初めて銃を向け合った時、ワタシは姉さんを殺す復讐心で一杯だった」
懺悔の様に呟かれるメンタルの回想。心は珍しく誰もいない公園で、妹の言葉に耳を傾けた。
「対象が間違っていたのに。ワタシが殺すべきは姉さんでなく、研究者だったのに」
メンタルを量産した計画の発端は、悪名高き“異能殺し”への対応策だ。
とは言うものの、まるで子供の戯言かと思ってしまうぐらい幼稚な計画だった。
異能派が差し向けた異能者は、異能殺しに殺されてしまう。
だから、異能殺しをぶつけよう。そんな単純な理由で、メンタルは創られた。
何か別の意思があったのではと疑ってしまうような動機。
無論、対異能殺しのみの計画ではなかっただろう。
クローンを作成すれば、オリジナルより異能が劣化するということは、かつてのクローン計画で判明していた。
これが攻撃的異能だったら問題だ。氷の塊を飛ばすはずの異能者が雹や霰を飛ばすようなもの。
確かに痛いだろう。だが、痛いだけではダメなのだ。
相手を殺すに足る威力がなければ。
氷で相手の臓器を貫き、壊死させる程の致命傷を与える攻撃力が。
しかし、心の持つ異能は違う。
再生異能。自身の傷を元の状態に再び戻す力。
故に、劣化しても使い道があった。新型身体強化デバイスを与え、銃器を与え……適切な“教育”を施せばクローン兵士の完成だ。
その為、心が斃された後は汚い裏仕事を行わせるつもりだったのだろう。
死んだら困るホンモノと比べ、死んでも困らないニセモノの価値は低い。
「……気にしてない」
心は、公園を見回しながら言った。
砂場に作られた小さな城。カップルが座るに最適なベンチ。
自然公園も兼ねている故、風になびく数多の葉っぱ……。
その全てが愛おしく感じられる感性を彼女は持っていた。
故に、彼女は思った。
異能者と無能者が、己の違いだけで争うのは間違っていると。
そもそも、争い自体が間違っていると、心は本気で信じていた。
拳銃を持ち、人を殺しておきながら。
だからこそだったのかもしれない。
人の死が、その痛みが……胸を抉るたびに。
自分が殺した相手の数だけ、屍が積み上がって行くたびに……彼女の中で強迫観念が積み重なっていった。
何としても理想郷を創らなければならない。
異能者と無能者が共に暮らせる、そんな場所。
多くの人間が一度は想い馳せ、諦めた場所。
「人は多くの間違いを犯す。私もいっぱい間違いを犯した。……人を殺して凶悪だと言われた異能者だって、何かしらの理由があったはず。私はそれに気づいていながら、殺し続けた……」
理想郷という拳銃が火を吹くたび、死体が創られていった。
理想郷を成したかったはずなのに、出来上がるのは対異能弾のフルオート射撃を受けた、穴だらけの死体。
「……炎にキスしようとしたことも?」
「お願い。それは言わないで。物凄い恥ずかしい」
妹に誑かされ、暗殺者あるまじき間違いを犯しそうになった黒歴史を思い出し、心は懇願した。
そして、微笑する。
そんなバカなことを出来るようになったのも、直樹達のおかげだと。
人はどうもかっこつけたがるが、心にとっては学生特有の間抜けさというものが憧れだった。
バカなことをした自分を愛おしく思う。日常に少しでも触れられたのだと。
やはりあの記憶だけは消し去りたいが。
「……直樹のおかげね」
「姉さん?」
「彼のおかげで……私は生きている。あなたを殺してもいない。友達も出来た。私が憧れていたものに、触ることが出来た。……悔いはない、そう思っているのに、どんどん贅沢になっていく。もっと、色々日常を味わってみたい。そう思ってしまう。私には使命があるのに。……どうすればいいと思う?」
心の問いにメンタルはにっこり笑って答えた。
そう、にっこりと。表情希薄であり、笑うとすれば微笑を浮かべるはずのメンタルが。
「死んじゃえばいいと思う」
「メンタ……っ!!」
反射的に鞄に仕舞ってある拳銃に手を伸ばし、構えた。
メンタルも同じように拳銃を構える。
皮肉なことに、初めて姉妹が出会った時の再現となっていた。
「あなたは……! わかってる……クイーン!」
「ご明察。使命が嫌なら捨てなきゃ。ついでにその拳銃も捨てて」
「何を……っ!?」
眉根を寄せた心の顔が、一気に驚愕に染まる。
メンタルがナイフを取り出し、躊躇なく自身の太ももにナイフを突き刺したからだ。
メンタルの顔が苦悶の色をみせる。
「いったいなぁ……。でも、あなたを殺す為にはこのぐらいの痛みに我慢しなきゃ。ほら、捨てて」
「くっ……」
心は歯噛みしつつ獲物を投げ捨てた。
カチャ、と理想郷と名付けられた拳銃が落ちる。
「そうそう。ユートピアなんて存在しないもの。……まだ、こっちの方が存在希望があるわ」
そう言い放ち、メンタルは、その中にいるクイーンは銀色の大型自動拳銃を振った。
「あなたの目的は一体何?」
「わかってるくせに」
メンタルは、メンタルらしからぬ笑みをみせ続ける。
「私の目的はあなたの死。理想郷なんて痛いモノに憧れちゃった、暗殺少女の死体。人をたくさん殺したあなたが、日常を味わえたことだけでも奇跡。神様に感謝なさい」
「……否定はしない……でも、人を殺してるからこそ、諦められない」
「死んだ人間に弔うつもり? 殺人者であるあなたが?」
「あなたに言われたくはない。……私の……家族を……殺したくせに」
語調こそ冷静だが、心の拳は怒りに震えていた。
やはり赦せない。心の家族を殺したクイーンが。
炎の兄を自分に殺させたクイーンが。
そんな彼女が今、メンタルの身体を乗っ取っている事実に、心は拳を震わせる。
しかしクイーンは笑みを崩さず、もう一度拳銃を振り、話題を変えた。
「……ねぇ、この拳銃の発祥って知ってる?」
「……なに?」
意図が読めず、険しい顔になる心。
額から冷や汗が流れる。心臓の鼓動が早まる音が聞こえる。
しかし、勝機はある。
「創ったのは一人の男……。もはや存在価値のない異能省などの伝手を使ってね」
「……」
油断なく、心は相手を見据える。
チャンスは一度。向こうが心が手を出せないと隙を見せた瞬間だ。
デバイス起動により加速により、武装解除し、メンタルを昏倒させる。
拳銃が手元にないというのは何の不利にもならない。
元より身近な存在にクイーンが介入してきた時点で、心は銃器の使用が不可能だといっていい。
近接格闘術による気絶こそ、心が取れる唯一の戦法だ。
故に、相手のペースに呑まれず、忌憚なく隙を探していれば、勝利は必然である。
だというのに――心臓は早鐘のように唸ったまま。
息を呑み、緊張の眼差しで、妹を見続ける。
「その男がある男に対抗する為に創った拳銃。それが暗黒郷。俺の望む世界を創り上げる――。真っ黒な想いが詰めしこまれた理想郷へのアンチテーゼ。よっぽど、目の仇にしてたわけ」
「……そんなことはどうでも」
「あなたのお父さん、狭間信を」
どうでもいい、と話を打ち切ろうとした心が止まる。
自分の父親の名前が出た。恐らくメンタルを操っている女が燃やした父親の名が。
「父さんは今関係ないっ!」
「そんなことないのよ。あなたの父親はとても関係がある。あの人のお人好しがこの事態を引き起こしたといっても過言じゃない」
「どうでもいい! メンタルから離れ――」
「まぁ、別に話を聞かないってのならいいわ」
クス……とメンタルは微笑むと、
「こうなるだけだし」
と、自分の側頭部に銃口を突きつけた。
心の身体を電撃が駆け巡る。
この行動は予想外だった。
自傷行為は惜しまないようだが、それはあくまで心への脅しだと、そう思っていた。
だが、クイーンは何の躊躇いもなく側頭部に拳銃をぴたりとくっ付け、引き金に指をかけている。
「止めて! 撃つなら私を――」
「ええ、最初から――」
咄嗟に手を伸ばした心。音声認識によるデバイス起動すら念頭から消えていた。
メンタルは自分の頭から拳銃を離して、心の眉間へと向ける。
そして、邪悪な笑みをみせながら引き金を引いた。
「そのつもりだったし」
片手で撃った為、反動で大きく腕が跳ね上がる。
だが、外しはしない。今使っている傀儡は、片手でも問題なく眉間に命中させられるよう十分に訓練を積んでいる。
「こうでもしないと……あなたは隙をみせない。あなたみたいな手合いはまともに戦おうとするから倒せない。でも……大事な人間を使えば、こうも脆く倒すことが出来る」
メンタルは、メンタルの中にいる者は心に語りかける。返事を期待せずに。
案の定返事は返って来なかった。光がない双眸を虚ろに見開き、額に開いた真っ赤な穴から滴った血が、涙のように流れている。
次に、メンタルに声掛けをした。こちらも返事は期待していない。
「良かったわね。あなたの役目は終わったわ。狭間心……異能殺しの暗殺は、完了した。それじゃあ、後始末よろしく……ニセモノさん」
テレビの電源を落とすかのようにぷっつりと何者かが自分から消え去る。
メンタルは未だ銃口から煙が噴き出ている拳銃を無造作に落とし、膝をついた。
「姉さん……」
目の前に倒れているのは、自分がかつて殺すべきだった相手。
そして自分を受け入れてくれ、守りたいと思った相手だった。
だが、彼女の瞳はもう何も写さない。
理想に燃えていた心はもう動かない。恋慕に戸惑っていた心は鼓動をしない。
「姉さん……姉さん……」
世界が大好きで、人が大好きで……そして、それらに裏切られ続けていた少女の最期の瞬間――。
「ワタシは……姉さんを……殺し……た……?」
口に出した言葉は、どうしようもない事実だった。
殺してしまった。操られたというのは言い訳にならない。
自分が殺した。殺したのだ。狭間心を。自分のオリジナルを。
自分を妹と呼んで迎え入れてくれた大切な家族を。
「く……そんな……なら……ワタシは……ワタシの存在意義は……」
消え失せた。
自分の存在理由が。生きる為の糧が。
「……姉さん……ごめん。ワタシが……ワタシのせいで……」
メンタルは先程の動きをトレースした。姉に謝罪を繰り返し、落ちていた拳銃を拾って側頭部に突きつける。
銃を持つ人間が自殺する時よく行う方法だ。苦しみがある薬や練炭自殺、ロープや飛び降り、飛び出しでの自殺よりも、こうして頭を撃ち抜いた方が手早く済むし、苦しまない。
後は引き金を引くだけ。そして、地獄に堕ちるだけ。
「サヨナラ――」
と引き金にかけた薬指を動かそうとした刹那。
ごほっごほっ! と心が息を吹き返した。
頭に開いていた、真っ赤な空洞が完全に塞がっている。
「姉さん!?」
メンタルはまた同じく、拳銃を落とし心に駆け寄った。
死んだはずの姉が息を吹き返した――。
悲しみの涙は安堵の涙へと変貌し、メンタルは喜びを噛み締める。
「あなたは……だれ……? ぅ……」
姉の言動もまた、変化していたことに気付かずに。
メンタルは涙を流しながら、意識を失った心に抱擁し続けた。




