悪夢、そして
「……ッッッ!!」
腹に刃が刺さった感覚がして、ノーシャは飛び起きた。
激しく動いた為、ベッドが軋む。
そして、すぐに悟った。今のは夢だと。
性質の悪い……過去の回想なのだと。
「ノーシャ」
声を掛けられ、ノーシャは横に座る少女に目を向けた。
かつての親友。今の仇敵。
「フラン……」
だが、ノーシャは何の行動も起こさなかった。
全てを思い出した。凄惨な日々を。抗うことも出来ぬまま、痛めつけられ、拷問された過去を。
「あたしは……ッ」
「ノーシャ!」
反対にフランは行動を起こした。
ノーシャに抱き着き、肌の感触を確かめる。彼女が生きており、自分の目の前にいることを改めて実感する。
「ノーシャ……ずっと会いたかった……」
「フラン……」
ノーシャは抱擁を受け入れつつ戸惑いを隠せない。
これが本来のカタチであるはず。しかし、今までの怒りはどこにぶつければいい?
敵に。では、敵とは何だ? フランか?
いや、答えは出ている。自分を誘拐し、拷問し、じっくり時間をかけていたぶったテロリスト達である。
――本当に?
ノーシャの頭は混乱する。
何が? 何が正しい? いや、わかっている。
奴らはたっぷりと時間をかけて、自分をぐちゃぐちゃにしていったのだ。
それは正しい? ああ、正しいはずだ。
「……く――」
「……ノーシャ?」
フランが不安げに彼女の横顔を見つめる。
ノーシャは冷や汗を掻き、苦悶の表情を浮かべ、呻き始めた。
「う――く――」
ノーシャはメンタルやノエルとは違う。
生まれて間もないメンタルや、幼い頃に攫われ洗脳されたノエルは、自分というものをちゃんと確立していたわけではなかった。
だが――ノーシャは違う。
自分というものが出来ていた。自分にとって大事なものが何かわかっていた。
そう、それをわかっていてなお、殺そうとしたのだ。
真っ白だった翼を、真っ黒に染めて。
「ぐぅ……く……」
深々と刺さるナイフ。続々と追加される新しい道具。
それらで自分を弄び、奴らは言うのだ。
フランを殺せ……フランを殺せぇ……!!
「う……ぁ……」
ノーシャは嫌だと答えた。すると、奴らは何も言わず自分の体を傷付けた。
必要な答えはノーではない。イエスなのだ。
故に、ノーシャが堕ちるまでの三年間、拷問は年がら年中、続けられた。
人は痛みに慣れはしない。特に自分の命を奪う程の痛みには。
耐えることは出来る。しかし、それはずっと続きはしない。
有限の痛みならば、堪えられる。しかし、終わりが見えない痛みに耐え続けられる程の強靭な精神力をノーシャは有していなかった。
「ぐ……ぐ!」
激しい頭痛。ひどい耳鳴り。ちかちかする視界。
白いはずの病院が、暗い地下に思えてくる。
フランを殺せ……フランを殺せ……。
「黙れ……黙れ……!」
「ノーシャ!? きゃっ!!」
「喋るな……静かにしろ!」
ノーシャはフランを弾き飛ばした。
地面に転がったフランが悲鳴を上げる。
ノーシャは点滴を引きちぎりながら、ベッドから立ち上がり、フランを見下ろした。
「フラン……殺す……ダメ……フランは……守らなきゃ……」
「の、ノーシャ……」
フランが恐怖の眼差しで、ノーシャを見上げる。彼女はしりもちをつき、ノーシャから逃れられない。
急すぎる親友の変貌。わかってはいたが、やはり受け付けられない。
「あたしは……あたしは……」
「……ッ」
フランが息を呑む。
ノーシャは右目で激しくフランを憎悪し、左目で涙を流していた。
どちらも今の彼女だ。親友を憎む気持ちと、守りたいという気持ち。
その二つが係合し合い、混ざり合って、彼女の中で戦っている。
ノーシャは不自然に震えながら、右手をナイフに変化させた。
あの時自分に刺さったナイフ。唯一違うのは、柄が無く、刃が右手と一体化していることだ。
「あたしは……フランを殺……守……ぁぁ……あああ!!」
「ッ!?」
異変を察知して、慌てて誰かが入ってきたが、もう遅い。
ノーシャは震える右手を、ナイフを、フランに向けて突き下ろす。
「フフ……フフフ……あたしは……あたしは? ぁ……あああ」
肉を貫く感触で、ノーシャは我に返った。
今自分は一体何をした? 取り返しのつかないことを……したのでは?
「ノー……シャ……」
フランが掠れる声で、名前を呼ぶ。彼女は血で真っ赤に染まっていた。
ノーシャと違うのは、それが自分の血であることだ。
「フラン……フラン……あぁ……そんな……」
フランはすぐに動かなくなった。当然だ。心臓を一突きにされたのだから。
何の光も宿さない瞳が、虚空を見つめている。フランは死んだ。
自分が殺したのだ。
「――あ……ぁ……うわああああああ!!」
「――あああああ!! ……ッ!?」
絶叫し、ノーシャは目を覚ました。
慌てて辺りを見回す。横に座るフランが、目を瞑り、こくり、こくりと頭を揺らしている。
寝ている。死んではいない。生きている。
「……ッ。今のも……夢」
回想の次に、悪夢。最悪な組み合わせに、ノーシャは吐き気がした。
だが、今の夢は妙にリアリティがあった。いつああなってもおかしくない。
ノーシャは確かに、あの少年に殴られた時、記憶を取り戻した。
暗い地下の中に置いてきた、フランを守りたいという想いを取り戻すことが出来た。
しかし、まだ、残っているのだ。フランを殺したい、復讐をはたしたいという邪悪な想いが。
フランは全く悪くない。全てはテロリストのせい――。
そう思っても、胸の中に邪心が燻っている。それが恐ろしくてたまらない。
「……フラン」
ノーシャは横目で、親友の寝顔を眺めた。
自分と同じく、彼女はすっかり成長している。きっと、たくさんの友達を手に入れたに違いない。
もう、あの頃とは違い、彼女は全てを持っているはずだ。
全てがない自分とは違って。
ならば、何をするべきか、結論は簡単だ。
(フランにあたしはもう必要ない。あたしにもフランは……必要ない……ッ)
胸が痛む。だが、もし先程の悪夢と同じく、まかり間違ってフランを殺してしまったりすれば、痛むどころでは済まない。確実に、自分の心は破壊されるだろう。
いずれにしろ壊れるのならば――自分の手で壊してしまった方がマシだ。
まだ、フランとまともに会話をしていない。
それは名残惜しくもあるが、救いでもあった。後ろ髪惹かれることなく、地獄に行ける。
「じゃあね、フラン」
右手を剣に変え、ノーシャは首元に剣を添えた。後は右手を振るい、自分の首を刎ねるだけである。
と、その時――。
「やめたほうがいい。剣での自殺は苦しいぞ」
「あなたは……シャドウ」
ノーシャとフラン、二人しかいないと思われた病室の中に一人の男が立っていた。
手には拳銃。夜灯りに反射して妖しく光っている。
おあつらえ向きなシチュエーションにノーシャはフフッと笑った。
「なら、あなたがあたしを殺してくれる?」
「いいだろう。……その前に、一つ謝らねばならない」
「何のこと?」
シャドウに拳銃を突きつけられつつ、ノーシャが訊ねる。
目元しか見えない全身影色の男が話す言葉の意味を、ノーシャは理解しかねた。
謝られる道理がない。シャドウとノーシャは戦闘中に交戦しただけの間柄である。
「……お前が誘拐された時、俺はアミカブルにいなかった。日本にいたのだ。故に、お前を助けることが出来なかった」
「……そんなこと」
謝られる必要はない。
ノーシャは頭を振った。
全ては幼い自分の失策だ。因果応報。友達を助けようと調子に乗って、まんまと誘拐され、洗脳され、一歩間違えれば親友を殺す羽目になっていた。
「……なら、殺して……あたしを。フランが起きる前に」
「……いいだろう」
シャドウが既に装填済みの拳銃の引き金に指をかける。
ノーシャは最期にフランを見つめ、微笑した。
その時、ハッとフランが目覚めた。異変を察知したのか、たまたま目を覚ましたのか。
すぐに事態に気付き、フランが声を荒げ親友に手を伸ばす。だがもう遅い。
引かれる銃爪。スライドが動く。薬莢が排出される……。
撃ち放たれた弾丸が、病室の壁に当たり潰れた。
「の……ノーシャ!!」
病室内に、フランの悲鳴が響く。
病室の前にたまたま立っていた直樹は、乱暴に病室のドアを引いた。
「何が……!!」
と、号泣するフランと、ベッドで呆けるように横たわるノーシャ、拳銃を仕舞うシャドウなる男が目に入る。
「あんた一体何を!」
「テロリストの仲間であるノーシャ・スランは死んだ。今いるのは……ただの少女だ」
言って、シャドウは顎で示す。そこにいたのは。
「ノーシャ……ノーシャ!!」
「フラン……あたしは……なぜ……」
困惑するノーシャと号泣するフランだ。
ノーシャに向けてぴったりと向けられていた拳銃は、ノーシャを撃つ直前、狙いが変わった。
放たれた異能弾ですらない通常弾は、誰一人傷付けることなく強化対異能装甲にぶち当たり、ひしゃげている。
「……よくフランを守った」
シャドウはそう言い残し、どこかへと去って行く。
困惑する直樹を残したまま。
「何がどうなって……ま、いいか」
直樹は思考を放棄した。目の前には、泣きじゃくるフランと戸惑いを隠せないノーシャがいる。
それだけで十分だ。謎はたっぷりあるが、自分は考え事に向いていない。
「もう勝手に……! 勝手にいなくなったりしないで!」
「わかった……わかったから」
当初困惑していたノーシャも、アミカブル語でフランを宥めている。
……言葉がわからない直樹には何を言っているかさっぱりだが。
う、う……と嗚咽を漏らすフランの背中を赤子をあやすようにポンポンさすりながら、ノーシャは直樹と目を合わせる。
「ナオキ……だっけ」
「ああ」
フランとは違う、流暢な日本語。ノーシャは名前を確認すると、じゃあ、ナオキ、と続けた。
「あなたのおかげでフランを殺さずに済んだ。……ありがとう」
「いや……俺が何かしなくても大丈夫そうだったけどな」
「そこで謙遜は必要ない」
急に背後から声を掛けられ、直樹は思わず飛び上がりそうになる。
気づくと、後ろに心が立っていた。銃声がした瞬間、彼女も愛銃片手に病室へ駆け寄ったのだ。
「うわっ心!」
「……問題はないみたいね」
持っていた金色を仕舞い、心が息を吐く。
小心者の直樹がビビってる間に、落ち着きを取り戻したフランが二人に気付いた。
「お前達……」
「どうも、フラン……様」
「やめい、様付けは。うんざりしていますの」
どう呼べばいいものか悩んだ心に、フランが指摘する。相も変わらずおかしな日本語で。
「……えっと、ココロ。貴殿は……ナオキの恋人であらせられるの?」
「っ!?」
心が目に見えて慌てる。ふと、直樹は心が炎と自分を恋人呼ばわりしていたのを思い出し、フッと笑ったが、すぐにフランへ訂正した。
「違うよ、心は恋人でもなんでもな――ぐぅお!?」
なぜか唐突なひじ打ち。直樹は脇腹に強烈な一撃を貰い、床に膝をついた。
「ふんっ! 直樹と私は恋人じゃない。友達」
「ああ、うん。また失敗してしまったか」
「……そういえばフラン、日本語は昔と変わってないわね」
おかしい。俺は何も間違ったこと言ってないはずなのに……。
と痛みに苦しみながら直樹が見上げると、フランとノーシャが仲睦まじげに会話し始めた。
「……恥ずかしながら、なかなか覚えられないのです」
「逆よ、逆。あなたは単語を無駄に使いすぎ。変にこだわらず、簡単な単語を使えばいいのよ」
「ん、こんな感じ……ですか?」
「そうそう」
ノーシャのレクチャーで、割とあっさりフランがまともに話始める。
これが友情パワーだろうか、とどうでもいいことを考えていると、また病室のドアが開いた。
見慣れない、壮年の男性が入ってくる。その顔を見て、フランが驚き、ノーシャがかしこまった。
「お父様!?」
「フレッド王……」
「やぁ、フラン」
気さくな挨拶で入ってきた男性は、一般的なスーツに身を包んでいる。
気品のようなものを直樹は感じ、とりあえず直立した。心も油断ない瞳で男を睨む。
「そうかしこまるな。そういうの苦手でね」
「何の用です?」
フランが訝しげに訊く。フレッド王はフランの横にいるノーシャへ目を向けた。
何やら不穏な空気を感じ取ったフランがノーシャを庇うように立つ。
「お父様……言っておきますが」
「おいおい、別にその子をどうにかしようと思ったわけじゃないぞ」
心外だ、と言わんばかりにフランの肩に手を載せ、退かすとフレッドはノーシャに目線を合わせた。
「何でしょう……」
「なに、単純なことだ。謝りに来たのさ。助けられなくて申し訳なかった、と」
そう言って、王はあっさり頭を下げた。その行為に室内がどよめく。
謝られたノーシャでさえ、困惑を隠せない。
「フレッド王!?」
「本当に済まなかった。君達がいる地点の警備を疎かにしてしまった私の責任だ。……あげく、君が攫われている間、私は娘と共にパレードなどに興じてしまった……」
「いえ、いいですから、頭を上げてください。……困ってしまいます」
実際、ノーシャは困っていた。それも当然で、自分を糾弾しに来たのかと思った国王が深々と謝罪しているのだ。
いやしかし、とまだ謝罪を続けようとした父親を、フランが横から叩いた。
「パ……じゃない、お父様! ノーシャが困ってる!」
「い、痛いなフラン……」
フレッドは頭を上げ苦笑する。そして、ノーシャにありがとうと言った。
「いえ、本来礼を申し上げるのはあたしの方で……」
「いや、それだけじゃない。フランの友達でいてくれることも含めて、な。立場上、娘には友達ができにくいからな」
言って、フランの頭を撫でる国王。対してフランは嫌そうだ。
「ちょっとパ……お父様!」
「この子の人見知りは……いや、コミュニケーション不足は一体誰に似たのか……未だボーイフレンドの一人も作れない。というか友達を家に連れてきたことすらない」
嘆く父親。フランは顔を真っ赤にして憤慨する。
「王宮に友達なんて連れて来れるわけないでしょーっ! ボーイフレンドのことも無関係!」
「いや、父さんは知ってるぞ、フラン。彼女を除いてまともに友達が出来たことがないだろう。ああ、一人の友に一途になるは良し。しかし、色んな人間とコミュニケーションが取れないとなると――」
「だっ大丈夫です! 吾輩……じゃなくて我……いや……」
「フラン、私」
正しい一人称がどれか悩んでいるフランにノーシャが教えた。
「私! そう私には友達たくさんいますから!」
「ほう、例えば?」
フレッドが胡散臭いものを見る目で娘を見る。
例えば……例として……と思案していたフランは、直樹の腕を引っ張った。
「ほ、ほらこの男性!」
「えっ? 俺!?」
あれもしかしてフランって……と思っていた直樹は急に腕を掴まれ、焦り戸惑う。
「ほぅ。その男が友達とな」
「イエス! そうですお父様! 昨日一日中デートしてました!」
「デートじゃねぇ! 観光だろ!?」
冷や汗を掻く直樹。父親の前でデートなんて単語を出せばどうなるかわからないことに加え、目の前に立つ男は国王である。
しかも、瞳がぎらぎらしている。やはり今の言葉はまずかった。
どうやって弁明するか必死に考えを巡らせる直樹だが、何も思いつかない。
「……それは大変喜ばしい!」
「え?」「へ?」
怪しい眼光を放っていたフレッドは一点、にっこりと笑った。
そして、直樹の手を取り、笑顔でその場にいる全員が予想もしていないことを言い放つ。
「君、フランと結婚しなさい!」
「え」
直樹が小さく声を出す。横に立つフランは、思考停止して石像のように固まっている。
直樹の正面に立つ心も、なぜか硬直し直立不動だ。
何が、何が起きているんだろうと、直樹は思考を巡らせる。
だが、わからない。ナニコレ、マジで。
しかし、その問いに答える者は誰もいない。
「いや、良かった。そろそろフランも婚約出来る歳になったのだが、相手がいなくてな。なるべくフランの意思も尊重したいし……。その点君なら良さそうだ。……娘を守ってくれたしな」
全てを見透かしたような瞳で、事態を把握できていない直樹をフレッド王は見、踵を返した。
「では、オヤジは退出することとしよう。お大事に」
そう言い残し、フレッド王は去って行く。ぴしゃり、とドアが閉まる音。
その音を聞き、石化解除の呪文がかかったかの如く、全員が動き出した。
「なっな、なぁーッ!?」
「は? え? いやマジでナニコレ!?」
錯乱するフラン。驚愕する直樹。
「…………」
蒼白な顔で虚空を見つめ続ける心。
「あら、これは喜ぶべき? それとも怒るべきかしら?」
ノーシャはどうすればいいか判断が付かず、フフッと笑いながら見守っている。
「怒るべきでしょーっ! ふざけ、ふざけらっしゃるなあのクソオヤジ!!」
「あら、フランは嬉しくないの?」
「嬉しくなんてあるわけない! 誰がこんな……ゾンビ男と!」
「うっ……それは全くその通りなんだが、そう面と向かって言われると傷つくぜ……」
直樹が少ししゅんとする。少し悪いと思ったのか、フランがフォローした。
「いや……ちょっと感情的になりまして……ッ! クァーッ! 抗議! 断固抗議! パパの横暴赦すまじ!」
「フラン、もう行っちゃうの?」
ダッシュで病室の外に向かうフランにノーシャが声を掛ける。
フランはドアを開けながら、
「すぐ戻ってくる!」
と言って出て行った。
「ああ、もう。何だこれ……」
直樹はフランが座っていた椅子にへたり込んだ。
急すぎて頭がついて行けない。昨日出会ったばかりの少女と自分が婚約。
しかも外国人である自分が、だ。
冗談ならばわかるが、あの眼は本気だったように思えた。
そんな彼の横で、傍観していたノーシャがフフッと笑う。
「フランはご不満?」
「いや不満って言うわけじゃ」
「じゃあ、いいんだ?」
「そういう訳でも……! 唐突過ぎて訳がわからないんだよ……」
頭をぼりぼりと掻く直樹に、ノーシャは微笑みかけた。
「……それがこの国のいいところであり、国王の人柄でもあるの」
「え?」
「フフッ、別にあなたがフランと婚約云々の話ではないわ。……あなたから見て、あたしがここに寝てるのっておかしいでしょ?」
「いや、全然……」
直樹はノーシャが何が言いたいのか全く理解出来ない。
ノーシャははぁ、とため息を吐いて、わかりやすく説明した。
「だから、テロリストと協力していたあたしが、国立病院で手厚く治療を受け、抹殺対象と仲良く談笑していたことがおかしい、って言ってるの。普通なら、あたしはもういない。……シャドウ曰く、テロリストのあたしはもういないらしいけど」
直樹はやっと理解する。彼にとっては、ノーシャを救う為に助けたので何の違和感も感じていなかったが、確かにこの状況は異常なのかもしれない。
特に日本の通常時では絶対にありえないな、と直樹は思った。
日本の警察は異能者は有無を言わせず殺し、対異能部隊は目撃者を必ず消去する。
「……だから、あたしは実感出来る。あたしがいるべき場所はここだ。何も持ってないあたしが帰るべき場所であり、守るべき場所。なのに、あたしはそれを壊そうとした……」
暗くなったノーシャに直樹はでも、と応えた。
「でも、お前は壊さなかったろ。ならそれでいいじゃんか。……チャンスあるんだしさ」
「……ええ。フフッ、おかしな人。……フランには勿体ないかも」
「え?」
フフッと笑い続けるノーシャに直樹は首を傾げる。
彼女はひとしきり笑った後、そういえばと正面を指さした。
「彼女、ココロだっけ? いつまで固まってるの?」
「え、いや、わからない……」
地蔵の如く、固まっている心は、時間が止まっているかのように動かない。
結局、心が動き出したのはそれから三十分後だった。




