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暗殺少女の理想郷  作者: 白銀悠一
第四章 友と友
75/129

回想

 ――この国に来れば、もう安全だぞ。


 初めてこの国に来た時の、父の言葉を、未だ覚えている。

 父はとても嬉しそうに自分の頭を撫でていた。その嬉しさは自分にも伝播し、親子そろって笑顔になった。

 しかし、あの時の自分達は誤解していた。安全であることは裕福であることではない。

 新興中立国家アミカブル王国――。太平洋の真ん中に浮かぶ人間お手製の島。

 ハンドメイドの人工島は初期の無骨な印象と打って変わり、緑豊かな大地と、歴史を感じさせる街並みを手に入れていた。

 まだ、出来て十数年しか経ってない島であるにも関わらずだ。

 しかし、そこまでおかしなことではない。異能という未知なる力は、今までの常識を打ち破って余りある力だ。

 多くの異能者と、構想する無能者の力によって、昔からある他国と何ら遜色ない国へとあっという間に発展した。

 そこにはこぞってたくさんの人が移り住んだ。異能者、無能者、そんな区別が嫌になった人々が。

 かくいう自分がそうだ。無能者の父、異能者の自分。

 世間一般で言うこの親子のカタチはそう珍しいものではない。

 この親子の辿る道は世界基準でいうと二つある。

 無能者の父が娘を殺すか。異能者の娘が父を殺すか。

 二つの一つの選択肢を突きつけてきた世界に、自分達はノーを言った。

 私は父さんを殺さない。俺は娘を殺したりはしない。

 二人でそう宣言すると、世界は怒り狂った。

 ふざけるな。この世界には異能者か無能者二択しかない。三つ目の選択肢など存在しない。

 そして襲ってきた。だから逃げて逃げて、逃げまくって、逃げ切った先にあった場所がこの国だ。

 ついてしばらくはとても幸せだった。

 無能者である父を異能者は軽蔑しないし、異能者である自分を無能者が襲ってきたりもしない。

 だが、すぐに困ったことが起きた。父の働き口が存在しなかったのである。

 新興国家故に、働き口は多いとも思われたが、優秀な異能者達が無能者の十人分の仕事をこなしてしまう為、無能者には仕事が回ってこなかった。

 優秀な無能者ならばそんなこともなかっただろうが、父は優秀とは言えなかった。

 もちろん、自分にとっては最高の父親だった。しかし優秀な父親という肩書は、あまり仕事の役に立たない。

 こういうと無能者の不満が爆発し、暴動でも起きそうなものだが、そんなことはなかった。

 アミカブル王家、特にフレッド王自身が優秀な無能者だったからだ。

 国王は、的確な指示で異能者や無能者を動かし、国を一瞬で先進国の仲間入りにさせた。

 建国の英雄。世界最高の王。

 国民達にそんな風に言わしめるほどの天才。

 そして、そんな彼は異能者と無能者に差が出ることを重々承知していた。

 故に、貧しい者に配給は欠かさない。病院も無償で提供した。

 人は人の為に働くのだ。金の為ではない。そのことを理解してほしい。

 王の演説に感銘を受けた人々はそれで納得した。

 自分が困った時にすぐ誰かが助けてくれるというのがわかると、率先してみんなを助けるようになった。

 世界的に見れば仲良しごっこ。キレイゴト。

 だが、ここにいるのはそんな世界が嫌な人々だ。

 だから、世界が何を言おうと気にしなかった。

 

 ああ、確かに俺達は変かもしれないな。だが、それがなんだ? お前達は仲良く争ってろよ。

 

 しかし、自分とは変わっているものを見ると放っておけないのが世界だ。

 19世紀、ナポレオンをこぞって叩いた周辺諸国のように、異能派と無能派の国々はアミカブルに危機感を抱き、工作を始めた。

 単純に、恐ろしかったのだろう。ディストピアのように支配している自分達の奴隷達が、ユートピアに惹かれ出て行ってしまうことを。

 その為、国王は自国防衛にも手を回さねばならず、国民の就職問題などが後回しにされた。

 故に、自分と父親はいつも貧乏だった。だが、その事で不満を言うつもりはない。

 幼い自分から見ても王はよくやっていた。何が悪かったかというと、この一言。

 時代が悪かった。そうとしかいえない。

 だから、父が病死した時も、父親を責めることも、国を責めることもなかった。

 みんな、頑張っていた。ただ、時代が悪かった。それだけのことだと。


「……どうしよう」


 公園のベンチに座っていた少女が、茫然と呟いた。

 誰一人存在しない公園は、少女の状態を表しているかのようだ。

 何もない、全くの空虚。

 今、少女にあるものは、自身の持つ異能と、父親が遺していった愛情と思い出、そして父が名づけたノーシャという名前だ。

 彼女にあるものはそれだけ。しかし、ノーシャは辛いわけではない。

 父が死んだのは悲しかったし、貧しいことは不便だ。だが、それはどうでもいい。


「どうしよう」


 ノーシャは今一度呟いた。彼女にはやることが存在しない。

 それがたまらなく退屈で、虚しかった。平和な国に来てしまった業か。

 のびのびと生きていけるこの国で、ただ時間を浪費するだけだとは。

 ノーシャはだいたい12、3歳である。本来ならば時間がいくらあっても足りず、遊び呆ける年頃だ。

 しかし、ノーシャにとって一日は長すぎた。今日はこれをしよう、いや、それではまずいか。

 そんなことを考えて、一日が過ぎていく。配給の時間になって食事を食べ、三日に一度の天空教室に参加し、夜は星空を見ながら眠る……。


(お仕事、ないかな)


 ノーシャはもしや仕事が転がってないかと、騒がしいメインストリートの方へと目を向けた。

 だが、あるはずもない。アミカブル王家は未成年の労働を禁じている。

 子供の仕事は学ぶことであり、労働することではない。

 その事にノーシャも異論はなかったが、不満はある。

 自分のような存在には、仕事を与えてくれてもいいのに。

 やることがないというのは、想像以上に堪えるものだ。

 ベンチの前にある壊れかけの噴水と、手入れが行き届いていない花壇、きゅんきゅんと鳴き喚く、アミカブル・レザリック・バード。

 毎日毎日、こう普遍的な生活を強いられるのは拷問にも近いのではないか、とノーシャは思った。

 だが、文句を言ってもしょうがない。現状はフレッド王とアミカブル政府が全力で取り組んだ結果である。

 不満を述べても、変わりはしない。まかり間違って革命など起こそうものなら、これ以上の悪化が待っているだけである。

 だから、ノーシャはボーッとするしかない。ベンチに座り、代わり映えのしない公園のオブジェに成り果てるしか。


「やだーっ! もうやだーっ! 何で働かなきゃならないのーっ!!」


 そんな時、駄々っ子のような悲鳴が響き渡ってきた。

 なんと贅沢な悲鳴だ。オブジェの眉間にしわがよる。

 働きたくないなら仕事を寄越せ。あたしが代わりにやってやるから。

 苛立ち気にそう思ったノーシャの脳裏に、疑問が浮かび上がってきた。

 今聞こえる声はどう聞いても、女の、しかも少女のそれである。だとすれば、働くなどということはおかしい。

 つまり、彼女は不正労働させられている可能性があった。アミカブル王国は素晴らしい国だが、犯罪がないわけではない。しかも、少女の労働というと、どうしても胸糞悪くなる内容が付きまとってくる。

 公園のオブジェは、飾り物ではなくなった。

 やるべきことが出来たノーシャはベンチから立ち上がり、声の元へと移動する。

 声は比較的近い。そう遠く離れてないだろうというノーシャの予想は当たっていた。


「離せ、離しなさい!」


 ノーシャが声の元に辿り着くと、金髪の少女が黒スーツに腕を掴まれて叫んでいる。

 いかにもすぎたシチュエーション。ノーシャは立ち読みで獲得していた知識から、これは犯罪だと確信した。


(いけないっ!)


 ノーシャは困った人を見つけたら助けるんだぞ、と言っていた父親の言いつけを守る為、動き出す。

 相手はたった一人。ノーシャは立ち読みした漫画をイメージし、背中に翼を生やした。

 純白な、真っ白い翼。まるで天使のように変化する。


「その人を離して!」

「なにっ……っぁ!?」


 急降下と共に放たれる、天使の無慈悲な一撃。

 エンジェルパンチになす術もなく吹き飛ばされた黒スーツは、受け身すら取れず壁に激突して気絶した。


「て、天使……」


 驚いて腰を抜かした少女の前に、ノーシャは舞い降りた。

 そして、手を伸ばし立てる? と訊く。少女はうんと頷いて立ち上がった。


「天使……天使様だわ」


 少女が目を輝かせてノーシャに言う。

 ノーシャは少々気恥ずかしくなった。確かにイメージしたのは天使だが、自分は天使の器ではない。

 そして、ふと疑問が湧き起こる。なぜか、目の前の少女に既視感を感じている。

 どこだ、どこで見たんだ? 親戚などということはないだろう。

 自分の髪は特徴的な紫髪。少々目立つこの髪をノーシャは気にしていたが、父親がそんなことないと言ってくれた時から、お気に入りの色だ。


「よく、助けてくれました。本当に感謝します。新興中立国家アミカブル第一……っっ!!」


 急に、目の前の少女が口元を押さえた。まるで失言しそうになった寸前でかろうじで食い止めるかのように。

 そうだ。このどこか不完全な感じ……光り輝く金髪……青い瞳……どこか、どこかで。


「い、今のはナシ! とにかく、ありがとう。私はフラン」


 少女改めフランは、誤魔化すかのように感謝と自己紹介をした。


「私はノーシャ。……フランって確か……」


 この国の王女様もフランという名前だったはずだ、と思い立ったノーシャの背中をフランが押す。

 冷や汗を掻きながら。


「アハ、アハハハハ! 立ち話も何だし、座って話しましょ!」


 馴れ馴れしく、強引にノーシャをいつものベンチに座らせるフラン。

 だが、ノーシャは不思議と悪い気はしなかった。久しぶりに同年代に会ったせいかもしれない。

 公園のオブジェが二つに増える。いや、オブジェというのは間違いだ。

 片方は身振り手振りを交えて仰々しく話している。行きすぎたジェスチャー。片方が無口な為、金髪少女のオーバーさがより引き立つ。


「で、私がやりたくないって言ってるのに、無理やり連れて行くの! 参っちゃうよ! 私は家でごろごろして、好きなことしていたいのに、あなたにしか出来ません。あなたには義務があります。そればっかでさー!!」

「……う、うん。そうなんだ……」


 ノーシャはフランとは別の意味で冷や汗を掻きつつ、相槌を打った。

 さっきからずっとこの調子である。同年代と一つベンチの下に座ったはいいものの、話す話題を持ち合わせていなかったノーシャがずっと黙っていると、フランが今も目の前で大合唱しているバードよろしくマシンガントークを始めてしまった。

 放たれる無数の声弾の前に、ノーシャが取れる行動は限られていた。

 耳を傾け、相槌を打つ。ただそれだけ。


「ってか私なんか本当に必要なわけ? 必要なのはお父様でしょう! 私はただマスコットみたいにお父様の後ろを歩くだけ! ……私なんて誰にも必要とされてないのよ」

「……っ」


 ノーシャの胸が一瞬痛んだ。フランが言ったことはそのまま自分に当てはまる。

 ノーシャは薄々感じていた。自分が誰にも必要とされてないのではないか。

 自分はただ資源と時間と、人々の善意を浪費し、抜け殻のように公園に存在しているだけではないか、と。


「……そんなこと、ない」


 マシンガンの圧倒的連射に制圧されかかっていたノーシャは、やっと身を投げ出し反撃に転じた。

 フランがやっと喋った、と言わんばかりの目を彼女へと向ける。その顔は話を遮られて怒っているわけでも、異論を言われてムッとしてるわけでもない。……満面の笑顔だった。


「ありがと! ノーシャは優しいのね」

「……そんなことないよ」

「ううん。初対面の人にこれだけ愚痴ってるのに、あなたは眉根一つ動かさず聞いてくれてる。それはとても優しいことよ。私のメイドときたら……」


 とまた装填し終えたマシンガンを構えようとしたフランに、ノーシャが拳銃の引き金を引いた。

 か細く、だが当たれば痛い一撃を。


「えっと……王女様、でしょ?」

「え?」


 ノーシャの問いに、フランはポカンと呆ける。完璧なる偽装が見破られた――と言わんばかりの顔で。


「あなたのこと、どこで見たのかずっと考えていたけど……ポスターだよ。ほら、そこの壁にも貼ってある」


 ノーシャはベンチの後ろにある整備されていない仮設トイレを指さした。そこには剥がれかけのポスターが貼ってある。

 フラン・デル・コルシャール第一王女。

 その愛らしい容姿が人気を博し、サブカルチャーが不足しているこの国で爆発的人気となった国民的アイドルと言っても差し支えないレベルの王女である。

 まだ精神的にも肉体的にも未発達の少女のグラビアは、国の為に必死で働いているサラリーマンの唯一の癒しと言っても差し支えはない、と天空教室の教師が言っていた。

 その教師はフランの大ファンなのだ。授業前に毎回フランの話を聞かされ、ノーシャは無駄にフランのエピソードについて記憶していた。


「た、他人の空似……」

「――だとしたら、双子さんかな。……もう言い逃れは出来ないよ?」


 言って、ノーシャはにっこりと笑う。彼女はもう確信していた。

 観念したようにフランが頷き、項垂れた。


「ば、ばれた……。私を王女と見ない人ってとても貴重なのに」

「……もし礼儀正しくしろと王女様がおっしゃるなら――」

「うっ……そういうのが一番いや。私は王女なんてやりたくないの」

「どうして? 色々手に入るのに」


 ノーシャは純粋に訊ねた。フランは今、自分が持ってないものをたくさん持っているはずだ。

 だが、フランは首を横に振る。そんなことはない、と。


「私が本当に欲しいものは、手に入らない」

「それはなに?」

「ともだち」


 ノーシャは思わず目を見開いた。

 同じ、だったからだ。自分と。

 奇しくも貧民が欲しかったものと、王女が欲しかったものは同じものだった。

 ともだち。その存在があればノーシャは自分の生活がどれだけ豊かになるのだろうと焦がれていた。

 だが、天空教室には同年代はいない。別の地区にいけば話は違うだろうが、ノーシャは父親と過ごしてきた公園から離れるつもりはなかった。

 そして、フランもまたともだちという未知なる存在に憧れていた。

 いるのは父親と、口うるさいメイドと、自分を守るSP達と、中立派エージェント達だけ。大人達に囲まれ王女フランは肩身の狭い生活を強いられている。

 とすれば――お互い行きつく先はこれまた同じだった。


「ねえ」「あの」


 フランとノーシャの声が、視線が、交差する。

 そして、お互いに譲り合いを始めた。


「そっちから」

「プリンセス・ファーストです」


 ノーシャのジョークともとれない言葉に、フランがムッとする。


「じゃあプリンセスらしく言わせてもらうわ……ノーシャ!」

「はい」


 かしこまって、ノーシャはフランの顔を覗く。

 その真摯な眼差しに、最初こそ王女らしく振る舞ったフランだったが……唐突に、年相応の眩しい笑顔で微笑みかけた。


「私の友達になりなさい!」

「……喜んで、フラン」


 それが、何もなく空虚に包まれていた少女ノーシャと、持ち物の重さにうんざりしていた少女フランの出会いだった。



 フランとの出会いはノーシャの生活を劇的に変えることになる。

 哀愁しか残っていなかった公園は、ノーシャとフランの秘密基地になり、密会場所となった。

 フランは隙あらば父親のウインクと共に王宮を抜け出し、ノーシャはベンチに座って彼女の来訪を待ち続けた。

 ノーシャにとって、これほど時間が短く感じたことはない。

 フランとの遊びは一瞬で濃密で、ノーシャは明日が来なければいいのに、と本気で思ったほどだ。

 だが、今日は終わり、明日が来る。明後日が終わり、そのまた次が。

 順繰り合わせ。同じ事の繰り返し。

 しかし、もう時間は浪費するだけのものではない。

 フランと友達と、親友と、遊び為に消費されるものだ。

 そして、きっと大人になったらフランを守るのだ。自分の異能で、自分の友を。

 そんなことを考えながら、その日も、ノーシャは公園に向かって歩いていた。

 いつもならノーシャは公園のベンチに座って待つだけだったが、その日は違う。

 フランと約束していたからだ。

 公園の花壇を色鮮やかにしよう。

 雑草が無造作に生えている花壇を見たフランがそう提案してきた。

 ノーシャは二つ返事で頷き、別の地区で無料で配られていた花を入手し……今に至るというわけだ。


(まだ来てはないと思うけど、急がなきゃ)


 ノーシャは早歩きで公園へと急ぐ。待つのは好きだが、待たせるのは嫌いだった。

 それに――王女様を待たせるというのも失礼なものだ――そう考えて、今思ったことをフランが聞いたらさぞ嫌な顔するんだろうな、と笑みをこぼす。

 そんな時だ。近道へと入り込んだ裏道にある塀の反対側から、男達の怪しい会話が聞こえてきたのは。


「あのクソガキを二度と話せなくしてやる」


 誰の事だ? とノーシャは思ったが、彼女は待ち合わせをしている。そのまま無視して通り過ぎようとした。

 だが、次の男が発した言葉で、思わず足を止める。


「知ってるか? ターゲットはいつも街外れの公園に現れる。あのホームレスが住んでそうなところさ。誰も来ないからホームレスすら寄り付かないんだがな」

(誰がホームレスが住んでそうなところ、よ! あそこはあたしとフランの大切な場所なのよ!)


 ノーシャは一言物申したくなった。

 確かに男の言う通りではある。ノーシャの同類達は、配給地点から遠い、ということで場所を移動していた。

 しかし、それが故にここはフランと二人っきりになれる場所なのだ。

 そして、父との思い出の場所である。

 あの、とノーシャが口を開きかけた瞬間、男から放たれた次の言葉に、彼女は思わず手に持っていた花を落としてしまった。


「今ならターゲットは無防備だ。だから誘拐は何のトラブルもなく完璧に成功するぞ」

「…………っ」


 ノーシャは息を呑んだ。

 冷静の中に興奮をいり混ぜる男達は、ノーシャの存在に気付いていない。

 奇襲をかけるなら今か、とノーシャは思ったが、翼を生やそうとした時に気付く。


(……っ。フランは護衛をつけてない……)


 フランは王宮を抜け出してきているのだ。つまり、彼女は一人。

 敵が目の前の連中だけならばいいが、他にもいる可能性は十分あった。

 敵の数がわからないまま、敵を奇襲して、フランが殺されてしまったらどうする?

 そんなことになったら、ノーシャは昔に逆戻り……いや、戻ることさえ出来ない。

 父親を喪っているノーシャが依り代である親友を喪えば、今度こそ何一つ残らない存在となるだろう。


(……っ、どうすれば……! そうか!)


 ノーシャは閃き、駆けだした。

 裏道を抜け、金髪の少女が姿を現す。

 何かしらの覚悟を秘めたフランは、ベンチに座り、耐えるようにじっと待った。

 無論、フランはフランではない。姿を変えたノーシャだ。

 数日前、近々パレードが控えているフランが、かくれんぼでぼろ負けし、愚痴を言っていた。

 その時、フランが質問してきた言葉を、ノーシャは覚えている。


 ――もしかしたら、私にもなれるの?


 もちろん。

 ノーシャはそう答えた。もちろん、完璧とは言えないが、容姿だけならば完璧に変化出来る。

 故に――ノーシャが立てた作戦はこうだ。

 まず、フランに化け、敵にあえて自分を誘拐させる。

 そうすれば敵は街から撤退し、フランも安全だ。

 次に、敵の本拠地に辿りついたら、敵を壊滅させる。

 上手くいけば、フランはもう二度と危険に曝されることはない。

 これからも、このささやかな邂逅を続けることが出来る。

 一石二鳥。そう、幼いノーシャは思っていた。

 敵がどんな集団で、どんな手口を使ってくるかわからないまま。


(……きた!)


 スーツ姿を着た四人の男達が、フランに変化しているノーシャを囲んだ。

 ノーシャは何事です、とフランのフリを続ける。


「お前には死んでもらう」

(倒されるのはあなた――っ!?)


 と不敵に心の中でほくそ笑んでいたノーシャは、首筋に突き刺さった注射の痛みに瞠目した。

 単純な麻痺毒。ノーシャは身体の自由が一切聞かず、抗うことも出来ないまま車の中に詰めし込まれる。

 彼女の視界は真っ暗になった。 



「ごめーん! パレードの打ち合わせで抜け出す隙がなかなかなくて……あれ? ノーシャ?」


 一人遅れてきたフランの声が、誰もいない静かな公園に響いた。





「ん……」


 起きたノーシャが目を覚ますと、両手が鎖に繋がれ、宙に浮かされていた。

 咄嗟に異能を発動し、脱出を図ろうとするが、ままならない。異能が発動出来なかった。

 かろうじで、フランの姿を保ったままだ。


(まずい……っ!)


 ノーシャは戦慄し、恐怖し、どうしようもないという事実を知る。

 異能が使えなければ、ここから脱出することは不可能だ。

 もう既に詰んでいる――。


「お、起きたか王女殿下」


 ひとりの男が、下衆な笑い声を上げた。

 まだ、ノーシャをフランと誤解しているようだ。

 彼女にとっての唯一の救いはそれだった。フランは生きている。今頃、ノーシャが現れないことを訝しみ、探しているのかもしれなかった。


「お前はこれから、死ぬ。残念だったな……パレードに出れなくて」


 今日はフレッド王の誕生パレードだ。

 そのパレードにフランも出演する予定だった。

 演説しろ、とメイドに言われ何を言うべきか二人で考えたものだ。

 絶望的な状況の中、ノーシャは務めてフランについて意識を割いた。

 フランは今どうしてる? パレードに出場するのだろうか。それとも、自分を探して欠場か?


(……フラン。あたしは……もうあなたに会えそうにない)


 ノーシャの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。敵のテロリストが、にやにやとその姿を見て笑っていた。

 失策だった。確実に、もっとうまく行動することが出来たはずだ。

 ノーシャには圧倒的に経験が足りなかった。彼女は逃げることは得意だが、戦闘や奇襲は不得意だ。


「く……ぅ」

「泣け! 泣きわめけ! 今頃真っ青になった父親の――なに?」


 男のセリフとは裏腹に、真っ青になったのはフレッド王ではなく、男の方だった。

 それも当然である。パレードカーの上から、フレッド王の横で手を振るのは紛れもなくこの国の第一王女だ。


「お、お前は――!」

「……ぁ」


 丁度、ノーシャの異能力が限界となった。

 変化が終わり、元の姿に戻る。現れたのは紫髪の少女、ノーシャだ。


「バカな――お前、囮か!?」


 男が狼狽し、他の男と目配せする。そして――ノーシャの顔面を殴った。


「うぁ!!」

「よもや――くそ! まさか影武者とは……くそ、シャドウめ……」


 男達は何か誤解をしているようだ。だが、ノーシャには何のことかわからない。

 思考する暇さえなかった。断続する痛み。ノーシャは男の欲望赴くままに殴られ続けた。


「……ぁ……フラン……」


 拳と拳の合間に見えるモニターにはフランが写っていた。

 一瞬、ノーシャの心がざわつく。それもそのはず。

 フランは笑っていた。にこやかに。


(フラン……?)


 フランは微塵もノーシャが現れなかったことへのショックをみせてはいない。

 父親の誕生日を純粋に祝っているように見えた。

 豪華なドレスに身を包み、楽しそうに父親と談笑している。

 いや、これこそが正常。フランは単に明日自分に会えばいいと思っているだけのはず。

 ノーシャは痛みにふらつく頭で、妙な憶測を振り払った。


「どうします?」

「もういい。こいつから情報を得て、次の機会を探る。……くそ! 三年も待ったのに!」


 最後に一発拳をいれて、理不尽な暴力は終わりを告げた。

 ノーシャは鼻血を垂らし、朦朧とする意識の中で、安堵する。


(フラン……あなたが無事ならあたしは)


 それで満足――そう続けようとして、中断させられた。

 脇腹のあたりから、鋭い激痛が奔っている。あまりに壮絶な痛みに、ノーシャの意識ははっきりと覚醒した。


「あぁあぁぁぁ!!」

「くそ……耐えられん。有り得ん。計画がぶち壊された……こんな小娘に!」


 ノーシャは悲鳴を上げながら、痛みの原因を目視する。ナイフ。

 人を殺す為に作られた短剣が、ノーシャの左わき腹に深々と突き刺さっている。


「ロベルト殿……あなたならこのような時、如何様になされるか……」


 男は狂信的な瞳で、誰かを崇めた。ノーシャにナイフを突き立てたまま。


「犯してはどうです? まだガキですが……」

「馬鹿者!」


 男は部下らしき男を一喝する。そして、そのままノーシャに刺さるナイフをねじった。

 まるで、ドアノブを捻るかのように。

 耐え切れず、ノーシャは再度悲鳴を上げる。いや、それは悲鳴と言うよりも絶叫に近かった。


「うぁあ! うあっああっ!! ああうあ……が……ぁ……」


 意思に反して、目じりから涙がボロボロと零れる。

 鎖に繋がれた身体が、刃物から逃れようと、びくびく痙攣する。

 想像を絶する痛みだった。ノーシャは痛みしか感じられず、ただ苦しみ喘ぐのみだ。

 誰の助けも来ない、暗い地下で。


「敵に快楽を与えてどうする? 人は性的に興奮する。相手がどんな男でもな。犯しなどすれば、なるほど、確かに相手の尊厳を奪えるかもしれんが、人は慣れるものだ。それでは絶望を与えることなど出来ん。だがしかし――」


 男は強引にナイフをねじ取り、邪悪に笑った。


「痛みに――慣れるものなどおらん。だから、こうするのだ」


 男は、もう一度ノーシャにナイフを突き刺す。ノーシャが白目を剥きながら絶叫した。

 快楽的にナイフを刺し抜きする男の後ろで、時折フランが誰かを探すようにきょろきょろしていたが、ノーシャがモニターに目を移すことはなかった。

 ただあるのは痛みだけ。ずっと続くかと思われる、暗く、鋭く、どす黒いモノ。


「時間はたっぷりある。……お前は使えそうだ。じっくりいたぶってやる」


 ノーシャは抗えない。

 ただ泣き、叫び、血を流すことしか。


「……か……ぁ……ぐぁ……フ……ラ……」

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